9月30日
9月29日に、母校の創立100周年記念同窓会があり、出席してきた。
私が在学中は女子高だったが、平成18年度から男女共学校として校名も変わった母校。
各世代の同窓生が集まる中、同窓生の中にスーツ姿の男性が参加されているのが新鮮で、時の流れを感じた。
懇親会の後、総会があり、その後、俳優で歌手の中村雅俊さんを迎えての講演会があった。
故郷石巻市に隣接する女川町出身の彼の育った街は、壊滅的な被害を受け、未だ、復旧のめどが立たない。
震災後、中村氏は、毎月11日には故郷を訪れ、避難所や、役場、仮設住宅、被災した工場などを慰問し、彼のデビュー曲「ふれあい」にちなんで『ふれあいコンサート』を開いては、地元の人たちを励まし続けている。
「ふれあい」を聴くたびに、まるで、今の故郷のために歌っているような歌詞だと思う。
「ふれあい」 中村雅俊
http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=SuHzH05ygzE
彼の講演の中で、心に残った言葉とエピソードを紹介する。
一つ目は、彼が慶応大学在学中に所属していた文学座での話。
文学座の大先輩の杉村春子氏は、大変厳しい方だったそうだが、杉村氏の代表作『女の一生』http://kankyakuseki.iza-yoi.net/WEBREVIEW/reviews/Onnano-Issho.htmlの中の主人公布引けいのセリフの、自分で選んだ道について、途中でそれは間違いだと気付いた時、
「間違いだと気づいたら、間違いでなくするようにしなくっちゃ」
というセリフが、いつも心の中に残っているのだそうだ。
人生は、常に二者択一を迫られる。しかし、たいてい、どちらを選んでも、多かれ少なかれ『後悔』が生じるものだ。たとえば車を運転する時の、いつも通る道の選択だとしても。
人生の岐路に立った時、どちらを選ぶのか。でも、選んだ道の途中で、その選択の間違いに気がついたとしても、最終的には、「それでよかったのだ」と思えるように、『間違いではなかった』ようにして行く生き方をすればいい。
全ての「間違い」について当てはまると言うのではないが、「自分で選んだ道」については、誰のせいでもなく、最後まで自分が責任を持つ。ということなのだろう。
もう一つのエピソードは、オノ・ヨーコ氏との出会い。
ある人のつてで、オノ・ヨーコ氏に会って話をした時に、中村氏は、
「私のことを知らないとおっしゃるあなたが、なぜ、私と会おうと思われたのですか?」
と質問したところ、
「あなたと出逢うことによって、運命が変わるかもしれないから」
と答えたのだそうだ。
まさに『一期一会』の精神だ。
初めて会う人に対する時、「この出会いがもしかしたら運命を変えるかもしれない」と思って会ってみる。
なんてポジティブで、アクティブな考え方だろう。
オノ・ヨーコ氏との出逢いと、彼女の言葉は、その後の中村氏の人との関わり方に、大きな影響を与えて行くのだ。
「Yes」と返事をすることは、何でもかんでも「はい」という「Yes man」とは違う。
自分の運命を切り開く鍵を握る「Yas」という言葉は、とても素敵な力を持っていると思った。
最後に、残念ながら生声で歌ってはもらえなかったけれど、女川出身の中村氏と宮城県栗原郡出身の宮藤官九郎が歌う「予定~宮城に帰ったら~」を紹介してくださった。この歌は、一回クリックすることで、義援金になるのだそうだ。
被災前の宮城県各地の美しく懐かしい風景をバックに、繰り広げられる宮城県自慢話。ぜひお聞きください。
「予定〜宮城に帰ったら〜」宮藤官九郎と中村雅俊とナンバーザ
http://www.youtube.com/watch?v=2hZn7upG_nA
同窓会の後、同期の仲間と「おばちゃんダべリング」をし、友人の案内で、仮設店舗でお土産を買い、地盤沈下した北上川の河口部付近を散策した。
今、台風17号が80㎝も地盤沈下した大潮の石巻を直撃しようとしている。
去年は、2つの台風が、津波に襲われた時と同じぐらいの冠水被害を出し、震災から半年後の被災地の人たちやボランティアの人たちの復興の努力を無に帰した。
先日通ってきた石巻の街は、一年前にボランティアをした時よりもずいぶん落ち着いてきて、瓦礫撤去されたところに新しい建物が立っていた。
地盤沈下したところは、土盛りをして嵩上げをしているが、毎日少しずつ地盤沈下しているのだそうだ。
NHKのニュースで、石巻が映るたびに、胸がざわめき、痛くなる。
去年のような被害が出ないことを心より祈る。
台風シーズン、今年もまた同じ悲劇が繰り返されないことを祈る。