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石巻に帰省して ~同窓会と中村雅俊氏の講演会~

2012-09-30 21:29:18 | 徒然なるままに


9月30日

9月29日に、母校の創立100周年記念同窓会があり、出席してきた。
私が在学中は女子高だったが、平成18年度から男女共学校として校名も変わった母校。
各世代の同窓生が集まる中、同窓生の中にスーツ姿の男性が参加されているのが新鮮で、時の流れを感じた。

懇親会の後、総会があり、その後、俳優で歌手の中村雅俊さんを迎えての講演会があった。
故郷石巻市に隣接する女川町出身の彼の育った街は、壊滅的な被害を受け、未だ、復旧のめどが立たない。
震災後、中村氏は、毎月11日には故郷を訪れ、避難所や、役場、仮設住宅、被災した工場などを慰問し、彼のデビュー曲「ふれあい」にちなんで『ふれあいコンサート』を開いては、地元の人たちを励まし続けている。
「ふれあい」を聴くたびに、まるで、今の故郷のために歌っているような歌詞だと思う。

「ふれあい」 中村雅俊
http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=SuHzH05ygzE


彼の講演の中で、心に残った言葉とエピソードを紹介する。
一つ目は、彼が慶応大学在学中に所属していた文学座での話。
文学座の大先輩の杉村春子氏は、大変厳しい方だったそうだが、杉村氏の代表作『女の一生』http://kankyakuseki.iza-yoi.net/WEBREVIEW/reviews/Onnano-Issho.htmlの中の主人公布引けいのセリフの、自分で選んだ道について、途中でそれは間違いだと気付いた時、
「間違いだと気づいたら、間違いでなくするようにしなくっちゃ」
というセリフが、いつも心の中に残っているのだそうだ。
人生は、常に二者択一を迫られる。しかし、たいてい、どちらを選んでも、多かれ少なかれ『後悔』が生じるものだ。たとえば車を運転する時の、いつも通る道の選択だとしても。
人生の岐路に立った時、どちらを選ぶのか。でも、選んだ道の途中で、その選択の間違いに気がついたとしても、最終的には、「それでよかったのだ」と思えるように、『間違いではなかった』ようにして行く生き方をすればいい。

全ての「間違い」について当てはまると言うのではないが、「自分で選んだ道」については、誰のせいでもなく、最後まで自分が責任を持つ。ということなのだろう。


もう一つのエピソードは、オノ・ヨーコ氏との出会い。
ある人のつてで、オノ・ヨーコ氏に会って話をした時に、中村氏は、
「私のことを知らないとおっしゃるあなたが、なぜ、私と会おうと思われたのですか?」
と質問したところ、
「あなたと出逢うことによって、運命が変わるかもしれないから」
と答えたのだそうだ。
まさに『一期一会』の精神だ。
初めて会う人に対する時、「この出会いがもしかしたら運命を変えるかもしれない」と思って会ってみる。
なんてポジティブで、アクティブな考え方だろう。
オノ・ヨーコ氏との出逢いと、彼女の言葉は、その後の中村氏の人との関わり方に、大きな影響を与えて行くのだ。
「Yes」と返事をすることは、何でもかんでも「はい」という「Yes man」とは違う。
自分の運命を切り開く鍵を握る「Yas」という言葉は、とても素敵な力を持っていると思った。

最後に、残念ながら生声で歌ってはもらえなかったけれど、女川出身の中村氏と宮城県栗原郡出身の宮藤官九郎が歌う「予定~宮城に帰ったら~」を紹介してくださった。この歌は、一回クリックすることで、義援金になるのだそうだ。
被災前の宮城県各地の美しく懐かしい風景をバックに、繰り広げられる宮城県自慢話。ぜひお聞きください。

「予定〜宮城に帰ったら〜」宮藤官九郎と中村雅俊とナンバーザ
http://www.youtube.com/watch?v=2hZn7upG_nA

同窓会の後、同期の仲間と「おばちゃんダべリング」をし、友人の案内で、仮設店舗でお土産を買い、地盤沈下した北上川の河口部付近を散策した。

今、台風17号が80㎝も地盤沈下した大潮の石巻を直撃しようとしている。
去年は、2つの台風が、津波に襲われた時と同じぐらいの冠水被害を出し、震災から半年後の被災地の人たちやボランティアの人たちの復興の努力を無に帰した。
先日通ってきた石巻の街は、一年前にボランティアをした時よりもずいぶん落ち着いてきて、瓦礫撤去されたところに新しい建物が立っていた。
地盤沈下したところは、土盛りをして嵩上げをしているが、毎日少しずつ地盤沈下しているのだそうだ。
NHKのニュースで、石巻が映るたびに、胸がざわめき、痛くなる。
去年のような被害が出ないことを心より祈る。

台風シーズン、今年もまた同じ悲劇が繰り返されないことを祈る。






「るろうに剣心」

2012-09-23 11:59:06 | 徒然なるままに

高2の娘と映画「るろうに剣心」を観てきた。
コミックの実写版なのだが、原作のコミックを読んでいなくても、十分楽しめる作品になっていたと思う。
特に、登場人物のキャラクターが濃くて、やり過ぎなくらいノリノリの役作りだったと思う。
アクションシーンは見ごたえがあり、原作のイメージとの遜色はなかったのではないだろうか。

観終わった後、母子での印象はだいぶ違っていた。
一番の違いは、時代背景の認識。
原作を読んでいず、幕末についての知識が乏しい娘にとっては、登場人物の相関図がわかりにくく、凄惨な印象だけが残ってしまったらしい。
戊辰戦争、新撰組、志士、明治維新、廃刀令、士族、新政府、清国とアヘン戦争・・・。
キーワードがたくさんあったが、すべて、原作を読んでいるか、幕末~明治維新の時代背景を知っているという前提で作られている映画だったと思う。

娘は、主人公の緋村剣心役の佐藤健君のアクションが見たかったらしい。
とりあえず、彼女の疑問点に関しては、観終わった後で解説はしたのだが…。
まあ、これをきっかけに、歴史に興味を持ってくれればいいのだが、NHKの大河ドラマも観ない娘が、興味を持つのはいつのことか…。たぶんこの先も「歴女」にはならないだろう。

ところで、佐藤健君は、映画化が決まった時に、「緋村剣心役は、佐藤健しかいない!」と言うほどの大抜擢だったそうだ。
彼は、「仮面ライダー電王」で主役をやり、その演技力が認められ、人気が出たのだそうだ。
NHKの「龍馬伝」で、龍馬の幼馴染みの岡田以蔵(通称・人斬り以蔵)役を演じ、師・武市半平太への忠義を尽くすひたむきさ故の人斬りの苦悩を見事に演じ切っていた。
今回の緋村剣心もまた、「人斬り抜刀斎」の異名を持ち、人切り時代の自分の犯した罪にさいなまれながら新しい時代を生きている。「人を生かす剣」を信条として、二度と人を斬らないため、嶺の方に刃をつけた「逆刃刀」を帯刀している。
元新撰組三番隊組長で、新政府の山県有朋の下で警官を務める齊藤一が、「人を斬らずに人を守る」と言う剣心を挑発して斬り合いをしかけ、
「人を斬らないための「逆刃刀」の刃が、己を傷つけることになる」
と言って、剣心の肩に「逆刃刀」の刃をくいこませるシーンが痛々しかった。
それを見た、剣心に新政府のために再び暗殺稼業を頼もうとしていた山県有朋が、
「悪かった。そこまでだ」
と止めに入るシーンが印象に残った。

新政府の要職についている人間の中には、新しい世の中を作るため、やり方は違っても、日本のために頑張っていた人達を、日本人同士を斬り殺し、大きな犠牲を払ってきたのだという自覚はあったのだろう。
山県有朋が、剣心のような腕の立つ当時14歳少年を、暗殺者として使ってしまったことへの申し訳なさが垣間見えたシーンだった。

娘とは、その後、岡田以蔵の話や、白虎隊の話、特攻隊の話、人間魚雷回転の話などをし、今の兄(23歳)や姉(21歳)、そして17歳の自分と同い年ぐらいの将来ある若者が、「新しい時代」を作るためにたくさん犠牲になった歴史があることを話した。

教育とは、怖いものだ。真っ直ぐな気持ちを持つひたむきな子ども達に、何が正義かの教え方を誤ってしまうと、国が滅んでしまうのだ。
子どもは「国の宝」なのだ。
暴力には暴力でしか戦えないのか?
そう教えたのは、誰なのか。
剣心に飛天御剣流の剣を教えた師は、そうは教えなかったはずだ。
剣心が、金の亡者に、
「金で買えないものがある。それは、お前が今、俺に乞うているものだ。それは命だ」
という言葉が、心に刺さった。
多感な少年時代を人斬り道具として使われた剣心が、この思いにたどり着くまでの壮絶な葛藤を思うと涙が出た。
己の剣の腕は、何のために使うべきだったのか。
「剣の心」と書いて「剣心」と読む。それを名乗る主人公の思い。
剣心のほほの十文字の傷は、夫婦になるはずだった男女「恨みの剣」による傷だったということを映画を見てから知った。彼の心に背負った十字架の重さと、己に課した「殺さずの剣」の誓いの重みを痛感した。佐藤健君の演技は、それを見事に演じ切っていたと思う。

興味をもたれた方は、以下のサイトを参考にご覧ください。

『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』コミック版
http://www.j-rurouni.com/

「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」アニメ版
http://www.kenshin-tv.com/

「るろうに剣心」映画版
http://wwws.warnerbros.co.jp/rurouni-kenshin/index.html

「飛天御剣流」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E5%A4%A9%E5%BE%A1%E5%89%A3%E6%B5%81
http://page.freett.com/sukechika/meizi11/04kengi/meizi08-2.html

剣心のモデルになったと言われる尊皇攘夷派の熊本藩士河上彦斎(かわかみ げんさい)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%B8%8A%E5%BD%A6%E6%96%8E

佐藤健オフィシャルサイト
http://www.satohtakeru.com/

『仮面ライダー電王』
http://www.tv-asahi.co.jp/den-o/

NHK大河ドラマ『龍馬伝』キャスト岡田以蔵
http://special.infoseek.co.jp/entertainment/ryomaden/cast/17.html

石巻ボランティア日記 その後とこれから

2012-09-08 11:42:31 | 石巻ボランティア日記
8月31日(木)

40日間の夏休みが終わる。
と言っても、休みだったのは子ども達だけ。私はしっかり、出勤、出張、研修、日直と言ったお仕事があった。その中でもしっかり里帰りもしたし、各種勉強会にも参加した。懐かしい友達や、めったに会えない友達に会ったり、新しい友達ができたりと、たくさんの出逢いがあり、大切で、貴重な時間を過ごすことができた。

やりのこしたことはたくさんあるが、思いがけず得たものや、今までの苦労が報われるような嬉しいこともたくさんあった。
 
 明日から9月だ。また慌ただしくも賑やかな日々が始まる。
休みの間に、リフレッシュも、充電も、スキルアップも頑張ったけれど、それがいつまで持つか、ちょっと不安だけれど、ポジティブ、アクティブ、パワフルに、今できる精一杯を頑張るしかない!

 この夏いろいろな宝物のような思い出の中に、石巻帰省がある。
あの日から1年5カ月経って、故郷はだいぶ落ち着き、少しずつ元の生活に戻ってきたような地域と、あの日のまま放置されている地域との格差が著しかった。
 そんな中で、立町通りの仮設店舗の商店街の壁に、絵を描いている学生たちがいた。
声をかけると、名古屋造形大学の学生さんたちだった。私もその壁画制作に参加させていただいた。待ち行く人たちに声をかけて、壁画を完成させようとしているのだ。
 私も一筆、参加させてもらった。


 昨年は、猛暑の中の泥出し、瓦礫撤去作業のボランティア活動が主だった。
 今年は、帰省期間が短いため、仮設店舗での買い物や食事などをし、商売を立て直そうとしている人たちへの応援をしてきた。
 昨年、ボランティア活動を共にした人が言うには、瓦礫の分別作業などは、被災された人たちが、とりあえず現金収入を得るための仕事なので、今は、ボランティア活動としては、被災地に来て、作業ではなく、観光をしてほしいのだそうだ。被災地の商品を買い、食事をして、泊って行ってもらえることが、産業、商業の復興につながるということだった。

 
私は、それを千葉に戻ってからも実践した。
 8月25日、長生、茂原地区の宮城県人会の人たちと一緒に、千葉県茂原市での祭りに宮城県物産展の売り子として参加した。
 仙台の萩の月、石巻の白謙の笹かまぼこ、渡波の長寿味噌、奥松島の海苔、仙台の牛タン、松島の地ビール、銘酒「浦霞」と「一の蔵」、芋煮、そして、被災地の婦人会の手作りグッズなどを、石巻弁丸出しで、声を枯らして販売した。
おかげさまで、売り上げは上々。笹かまぼこは昼前に完売した。

お客様も、宮城県不出の「萩の月」や「白謙の笹かまぼこ」が、ここで買えるなんて!とたくさん買っていく人や、食べてみた途端、気に入ってお土産に買っていく人や、被災地支援として買って行って下さる人たちなど、売りがいがあった。

このことは、県人会の人たちだけでなく、その様子を知らせるだけでも、故郷の両親、友人、ボランティア仲間を感動させ、励ましたと思う。
こういう形の被災地支援もあるのだなあと思った。