8月23日(土)
3:30am.中3の息子と中1の娘と息子の親友(中3)の3人は、私の弟の車に乗り、一路穂高に向かった。
結局、直前の準備となり、おまけに夜10時台のドラマなんぞを見、明日からどんな過酷な状況になるか想像もつかない中学生達だった。
リュックには無用のものから何からが詰め込まれ、やたらに重い。
この荷物を自分で背負って、槍ヶ岳を目指すと言うことがどういう状況になるのか、想像すらできないのか。
弟いわく、「何事も経験。必要の無いものまで山に持っていくということはどういうことになるのか、身を持って体験することも勉強だ。そういう経験から学んだことが、次にチャレンジする時の基礎になる。」
3:00pm頃、娘から携帯にTELあり。
「あと2.4Kmでと言うところまで来たよ。すごくいいお天気で、富士山も見えるよ。携帯で写真撮ったから、帰ったら見せるね~。爺(私の弟のこと)はばててるけど、お兄ちゃんたちは元気。私は足は痛いけど大丈夫。」
6:00PM頃、再びTELあり。
「燕山荘に着いたよ。お姉ちゃん(私の妹)に会ったよ。爺はばててるけど中学生は元気だよ~。燕山荘は綺麗で大きい山荘だよ」
家にいるときは、ムスーッとしているか、何か言えばうざったそうにするか、ああ言えばこう言うという感じで、親子のコミュニケーションがとり難い反抗期・思春期・不登校の娘だ。
それが、弾んだ声でこまめに連絡をくれる。
5月から不登校になり、この1、2ヶ月間はほとんど家から出ず、人に会うのも怖がって嫌がっていた娘だった。
登山靴に足を慣らすのにも家の中ではいていた。
2日目の朝、弟よりTELあり。
男子中学生たちは、弟の友人と一緒に燕岳の山頂を目指しているが、低血圧の娘は一緒に出発できず、まだ山荘にいる。熱は無いが、顔色が悪いので、酸素を買って吸わせたら、顔色は戻った。男の子達はそのまま先に行かせ、弟と娘は尾根づたいにゆっくり次の山荘を目指す。
その日は娘からの連絡は無く、こちらからの連絡も圏外なのか届かず、やきもきしていたら、弟より連絡が入り、今日は全員で大天井岳に登り皆元気に山荘に到着とのこと。天気は上々。
その後、息子や娘が出て、元気な声を聞かせてくれた。
昼は暑いが、夜は外に出られないくらい寒いので、星空は見ていないと言う。
せっかく火星大接近の年なのに~!
でも、後で弟に聞いたら、あんまり星がありすぎてどれが火星だかわからないくらいだったそうだ。
弟曰く、「でも、やっぱり星空は、冬の石巻だよな~!」
同感、同感。
3日目、下山。
夜、弟からTELあり。下山して健康ランドにいると言う。子ども達は入浴中。
今回は帰りの体力を残すためと、天気が崩れそうになってきたため、、槍ヶ岳登頂は見送った。
男の子達は、槍ヶ岳を横目に見ながら、またいつか挑戦すると心に誓って帰路に着いた。
全行程で、今日が一番きつかっただろうと言う。
登山と違い、スリルも起伏も無いただひたすら単調な道を移動するだけの行程。
少し雨に当りながらも、皆元気に下山。仮眠をとったら、早朝には帰宅できるだろうと言うことだった。
翌朝。6:00。皆元気に帰宅。
弟曰く、「中学生は体力ある!!あれほどうるさく『靴擦れ防止のためにも靴に慣れておけけよ』と言っていた俺の足に豆が出来て、こいつらは靴擦れひとつ出来やしねえ。体重の差かなあ」
その豆も痛々しく、筋肉痛の上、夜通し車を運転してきて、明日から仕事だから、ちょっと休ませてくれと言っている弟を待っていたのは、小2の姪っ子!
「爺、かき氷作ってあげる」といいながら、本人に大汗かかせて作らせ、
「爺、せみ取りに行こう!」と公園に連れ出し、
焼きそば用の肉のお使いを頼めば、
「爺、一緒に行こう!」
帰ってくるなり、娘は自分で作るといいながら、結局、弟が焼きそば作りを手伝ってくれた。
弟は、「夜一緒に花火をしようね!」と引き止める小悪魔のような姪っ子に後ろ髪を引かれながら(?)、「明日は朝3時から仕事なんだ~。今度な~。」と言いながら帰って行った。
夜とその翌日、その弟から電話があり、みんなの体調を気にしてくれていた。
子ども達はいたって元気だと言うと、筋肉痛の自分を情けながっていた。
そして、山で見せた子ども達の頑張りを報告してくれた後、帰宅して、私の顔を見たとたん、「何だ、行く前の状態に戻ってしまったか~?」という様子を見て、「姉ちゃん、もうあいつらに任せて大丈夫だ」と言ってくれた。
娘のことも、「みんなに迷惑をかけまいと自分なりに頑張って、自分のことは自分でやっていたし、大天井岳にも登ったし、やらなきゃならない時にはやれるやつだよ。」と言ってくれた。
この登山の経験は、子ども達にとっては、一生の宝物になるに違いない。
これから、いろんな困難なことに出会うかもしれない。優しい言葉なんて役に立たない、自分だけで戦わなければならなかったり、やり遂げなければならない時に、この経験を思い出すことだろう。
弟と、その友人に、心から感謝してやまない。
そして、最高のお天気を恵んでくださった、山の神様に・・・。
どうもありがとうございました。
おまけ。弟の話では、燕山荘で働いている妹は、とても35歳とは思えないほどめんこく(可愛く・綺麗に)なって生き生きと輝いて、いい顔して働いていたそうだ。
「あそこでの仕事が合っているのか、人間関係がうまく行っている職場なんだろうなあ」
『自由人』妹は健在だった。
9月15日に帰ってくるのが、今から楽しみだ。
http://www.enzanso.co.jp/
燕岳頂上よりの大パノラマをぜひご覧下さい!
3:30am.中3の息子と中1の娘と息子の親友(中3)の3人は、私の弟の車に乗り、一路穂高に向かった。
結局、直前の準備となり、おまけに夜10時台のドラマなんぞを見、明日からどんな過酷な状況になるか想像もつかない中学生達だった。
リュックには無用のものから何からが詰め込まれ、やたらに重い。
この荷物を自分で背負って、槍ヶ岳を目指すと言うことがどういう状況になるのか、想像すらできないのか。
弟いわく、「何事も経験。必要の無いものまで山に持っていくということはどういうことになるのか、身を持って体験することも勉強だ。そういう経験から学んだことが、次にチャレンジする時の基礎になる。」
3:00pm頃、娘から携帯にTELあり。
「あと2.4Kmでと言うところまで来たよ。すごくいいお天気で、富士山も見えるよ。携帯で写真撮ったから、帰ったら見せるね~。爺(私の弟のこと)はばててるけど、お兄ちゃんたちは元気。私は足は痛いけど大丈夫。」
6:00PM頃、再びTELあり。
「燕山荘に着いたよ。お姉ちゃん(私の妹)に会ったよ。爺はばててるけど中学生は元気だよ~。燕山荘は綺麗で大きい山荘だよ」
家にいるときは、ムスーッとしているか、何か言えばうざったそうにするか、ああ言えばこう言うという感じで、親子のコミュニケーションがとり難い反抗期・思春期・不登校の娘だ。
それが、弾んだ声でこまめに連絡をくれる。
5月から不登校になり、この1、2ヶ月間はほとんど家から出ず、人に会うのも怖がって嫌がっていた娘だった。
登山靴に足を慣らすのにも家の中ではいていた。
2日目の朝、弟よりTELあり。
男子中学生たちは、弟の友人と一緒に燕岳の山頂を目指しているが、低血圧の娘は一緒に出発できず、まだ山荘にいる。熱は無いが、顔色が悪いので、酸素を買って吸わせたら、顔色は戻った。男の子達はそのまま先に行かせ、弟と娘は尾根づたいにゆっくり次の山荘を目指す。
その日は娘からの連絡は無く、こちらからの連絡も圏外なのか届かず、やきもきしていたら、弟より連絡が入り、今日は全員で大天井岳に登り皆元気に山荘に到着とのこと。天気は上々。
その後、息子や娘が出て、元気な声を聞かせてくれた。
昼は暑いが、夜は外に出られないくらい寒いので、星空は見ていないと言う。
せっかく火星大接近の年なのに~!
でも、後で弟に聞いたら、あんまり星がありすぎてどれが火星だかわからないくらいだったそうだ。
弟曰く、「でも、やっぱり星空は、冬の石巻だよな~!」
同感、同感。
3日目、下山。
夜、弟からTELあり。下山して健康ランドにいると言う。子ども達は入浴中。
今回は帰りの体力を残すためと、天気が崩れそうになってきたため、、槍ヶ岳登頂は見送った。
男の子達は、槍ヶ岳を横目に見ながら、またいつか挑戦すると心に誓って帰路に着いた。
全行程で、今日が一番きつかっただろうと言う。
登山と違い、スリルも起伏も無いただひたすら単調な道を移動するだけの行程。
少し雨に当りながらも、皆元気に下山。仮眠をとったら、早朝には帰宅できるだろうと言うことだった。
翌朝。6:00。皆元気に帰宅。
弟曰く、「中学生は体力ある!!あれほどうるさく『靴擦れ防止のためにも靴に慣れておけけよ』と言っていた俺の足に豆が出来て、こいつらは靴擦れひとつ出来やしねえ。体重の差かなあ」
その豆も痛々しく、筋肉痛の上、夜通し車を運転してきて、明日から仕事だから、ちょっと休ませてくれと言っている弟を待っていたのは、小2の姪っ子!
「爺、かき氷作ってあげる」といいながら、本人に大汗かかせて作らせ、
「爺、せみ取りに行こう!」と公園に連れ出し、
焼きそば用の肉のお使いを頼めば、
「爺、一緒に行こう!」
帰ってくるなり、娘は自分で作るといいながら、結局、弟が焼きそば作りを手伝ってくれた。
弟は、「夜一緒に花火をしようね!」と引き止める小悪魔のような姪っ子に後ろ髪を引かれながら(?)、「明日は朝3時から仕事なんだ~。今度な~。」と言いながら帰って行った。
夜とその翌日、その弟から電話があり、みんなの体調を気にしてくれていた。
子ども達はいたって元気だと言うと、筋肉痛の自分を情けながっていた。
そして、山で見せた子ども達の頑張りを報告してくれた後、帰宅して、私の顔を見たとたん、「何だ、行く前の状態に戻ってしまったか~?」という様子を見て、「姉ちゃん、もうあいつらに任せて大丈夫だ」と言ってくれた。
娘のことも、「みんなに迷惑をかけまいと自分なりに頑張って、自分のことは自分でやっていたし、大天井岳にも登ったし、やらなきゃならない時にはやれるやつだよ。」と言ってくれた。
この登山の経験は、子ども達にとっては、一生の宝物になるに違いない。
これから、いろんな困難なことに出会うかもしれない。優しい言葉なんて役に立たない、自分だけで戦わなければならなかったり、やり遂げなければならない時に、この経験を思い出すことだろう。
弟と、その友人に、心から感謝してやまない。
そして、最高のお天気を恵んでくださった、山の神様に・・・。
どうもありがとうございました。
おまけ。弟の話では、燕山荘で働いている妹は、とても35歳とは思えないほどめんこく(可愛く・綺麗に)なって生き生きと輝いて、いい顔して働いていたそうだ。
「あそこでの仕事が合っているのか、人間関係がうまく行っている職場なんだろうなあ」
『自由人』妹は健在だった。
9月15日に帰ってくるのが、今から楽しみだ。
http://www.enzanso.co.jp/
燕岳頂上よりの大パノラマをぜひご覧下さい!