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受験勉強のため、HPの更新をしばらくお休みします。

2010-05-12 06:20:00 | 徒然なるままに
5月11日(火)

いよいよ、教員採用試験まであと2か月。
先日、学習会に行った時にもらってきた「過去問」をやってみて、焦った!*(青ざめ)*
美術検定試験より難しい。*(青ざめ)**(青ざめ)*
「専門教科の基礎知識」とは、これほど高度で深いところまで求められるのか・・・。
その上、「指導要領」と「指導案」の虫食い問題を、選択肢もなく書き込みで埋めなくてはならない。
さらに、実技の授業で自分の作品を参考作品として提示できるように、テーマに沿った作品をその場で描くのが実技テストだった。
それは去年は鉛筆デッサンの淡彩だったそうだが、その過去問では、「ビー玉をモチーフに、『夢をつかむ』というテーマのポスターを制作しなさい」というものだった。

作文は「特別支援教育についての自分の意見と、あなたにできること、実践していることを書きなさい」

やってみて、自分では納得がいった。
難しかろうがなんだろうが、望むところだ!
その教科のプロの教員として給料をもらう以上は、たとえ、中学校の教員としてだって、幼・小・中・高はもちろんのこと、年齢を超えて、大人や外国人の人にも、美術の基礎基本や楽しさを教えられるぐらいの知識や技量を求められるのは当たり前だと思う。
自分の専門分野以外はそれほど詳しくなくても、それに対しての興味・関心・意欲については、前向きに自己研鑽していこうというのでなければ、どんな可能性を秘めているかわからない生徒たちに、美術の面白さを伝えたり、その子の可能性を引き出してあげることなどできない。

まして。作文のテーマは、まさに教育現場が本当にほしい人材を見極める重要な視点だ。ここで自分の意見や経験をアピールできなくてどうする!

私は、自分が受験生でありながら、もし、かなうことであれば受験生たち提出したその作文を読ませてもらい、私と同じ志の人を見つけたらぜひ、この人には現場に立ってその初心を貫き、共に頑張ってほしいと応援したいと思った。
まずは、自分がそう思ってもらえるような意見文を時間内に書けるように、作文の練習を頑張ろう。


幸いにも、現勤務校の校長先生、教頭先生をはじめ、同僚の皆さんは、私ともう一人の講師の先生が採用試験を受験することに対して、大変協力的で、応援していただいている。
校長先生からは、
「ぜひ、来年の4月1日からは講師ではなく、同じ「教諭」仲間として現場に立ってほしい。そのためには1学期は何が何でも試験突破のための勉強優先。あなた方の活躍は2学期からで十分。だから、残業などせずに、早く帰宅して勉強に専念してください。」
というありがたいお言葉をいただいた。


奇しくも、7月11日は、高校の同窓会。私はその幹事学年だ。
恩師や同級生には、
「2次会でお疲れさん会を開いてあげるから、何が何でも受かるように頑張ってこい」
と言われている。

「人事を尽くして天命を待つ」

7月17日には50歳になる私。
今年はまさに「五十にして天命を知る」年なのだ。
本当に、毎年波乱万丈な私なのだが、特に今年は、今までの講師生活や子育てをはじめ、自分が歩んできた道、経験してきたことすべてを試されるようなことが次々と起こる年だ。

昨日は、自分でも「運命」を感じる出会いがあった。
直感だった。
この「命題」から私は逃げてはいけない。
どんな難しい採用試験よりも、私のすべての経験と私の教師としての資質を試される「壁」が現れた。
刻一刻と変化する壁。「臨機応変」に対応するとはこのことだろう。
「逃げない、ぶれない、諦めない」
『彼』にとっても、私にとっても、この1年が人生の中でよいターニングポイントになるはずだ。いや、そうしなければならない。
おそらく、この出会いのために今までがあり、この出会いはまた、この先の未来のためにけして避けては通れない『通過点』なのだ。
それは、『彼』と私のためだけではなく、『彼』に関わる周りの人たちすべても含まれてくるだろう。

ただし。あまりそれにのめり込んで、自分の健康や家庭・家族を顧みなかったり、試験勉強がおろそかになってしまっては本末転倒だ。
きっと「その時」はやってくる。
「その時」になってあたふたしないよう、じっくりと状況を見ながら、自分の覚悟を決めていこうと思う。

『守秘義務』があるので、なんだか抽象的な言い方でしか書けないが、いつか、良い成果と思い出として紹介できるように頑張ろう。


     *(クローバー)*     *(クローバー)*     *(クローバー)*     *(クローバー)*     *(クローバー)*

近況連絡

これから1か月、妹が同居することになった。
末娘は大好きなおばちゃんが来てくれて大喜び!
息子も長女も家を出た今、妹が一緒に暮らしてくれるのは本当にうれしい。
1か月だけど、よろしくね!


最後に。今日から2ヶ月間、試験勉強に専念するため、HPの更新をお休みします。
2ヵ月後、手応えのあるご報告ができるように、一生懸命頑張ります。
皆様、それまでお元気で!!


G.W日記

2010-05-04 23:02:00 | 徒然なるままに
*(ウニ)*息子の内定祝い*(トロ)*

5月1日(土)

今日からG.W*(キラキラ)*
初日の今日は、朝から荷物の片付けをした。
普段から家のことは二の次状態の我が家に、美術準備室から持ち込んだ荷物が満載*(汗)*
前任校はエレベーターがあったので、荷物は美術準備室に置けたのだが、現勤務校は、同じ4階でもエレベーターはなく、特別教室棟の一番端にある上、ずいぶん前からの荷物が置きっぱなしになっていて、私の荷物なんて置ける準備室ではない。
仮に置けたとして、また1年後、4階から下ろすというのは気が遠くなる作業だ。
まして、今年は1年生の美術と2,3年生は選択美術しか教えないのだ。
必要最低限の荷物だけを運び込み、残りは全部自宅に持ち帰ってきた。
その荷物の量が半端ではない。
何年も分類する暇なくそのまま持ち歩いている過去の赴任校の資料や参考作品、プリントなどが大半だ。
それを丁寧に分類し、整理しているのだが減らしたはずの山の隣に、また新たな山ができるといった具合で、なかなか進まない。
でも、つぶした段ボールが着々と増えていっているので作業自体はそれなりにはかどってはいるのだろう。
さて、この連休中に何とか片付けたいとは思っているのだが・・・。

夕方、息子が帰省した。
末娘が会いたがっていると言ったら、帰ってきてくれたのだった。
就活の内定が決まったというので、お祝いに回転寿司を食べに行った。でも、私は早起きしてずっと片付けを頑張った疲れとおなかいっぱいになってしまったからか、眠くて眠くて大変だった。
私がうとうとしている間に、兄妹は高校受験の事やら、恋愛の話やら、私の悪口(?)やらで盛り上がっていたらしいが・・・。

帰宅してからも、私は起きていられなくなって寝てしまったのだが、兄妹は遅くまで語り合っていたらしい。


*(波)*龍馬展

5月2日(日)

朝、息子を車で津田沼に送って行き、津田沼から両国まで電車で行って、江戸東京博物館で4月27日から開催されている「龍馬展」を見てきた。http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2010/0427/0427.html
80分待ちで見た甲斐がある展覧会だった。

何より、龍馬直筆の手紙や、初恋の女性平井加尾が、生涯持ち続けたという、龍馬たち直筆の寄せ書きの胴掛けや、勝海舟が龍馬と初めて会った時の事が書いてある日記帳(直筆!)、龍馬が暗殺された時に応戦したが鞘を割られて抜けなかったという愛剣『吉行』の実物など、見どころ満載だ。
必見は、龍馬臨終の場『近江屋』の部屋の再現コーナー。龍馬や中岡慎太郎の血痕が残る屏風や掛け軸が痛々しい。
これらはその一部始終を見つめて、今もなお、その惨劇の無念さを私たちにリアルに伝えてくれているのだ。

私が司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』を読んだのは二十歳を過ぎてからだが、以来、私の「バイブル」となっている。
が、だいぶ忘れてしまったところもあるので、『龍馬展』会期中にもう一度読み返して再び見に来たいと思った(採用試験勉強はどうする?!)

売店で、Tシャツやら、『龍馬語録』、万年カレンダー、『励まし龍馬君』に至るまで衝動買いをしまくり、大満足で帰宅した。
その晩の『龍馬伝』を10倍の楽しく見たのは言うまでもない。


*(パスタ)*娘の彼氏とお食事会*(バスケ)*

5月3日(月)*(日本)*憲法記念日

今日は、長女の仕事関係の人と、長女の彼氏に会いに行った。

長女は来月上海万博での仕事*(飛行機)*があり、まだ19歳の未成年でもあるし、親の承諾も兼ね、挨拶をしたいということだった。
彼女の仕事ぶりをいろいろ聞くうち、家ではわがままいっぱいの自己中娘が、一歩外に出ると本当によく頑張っている様子が伝わってきた。
特に、
「彼女は時間を守り、よく気がついて、上司や同僚、クライアントにも大変評判がいいんですよ」
とほめられたとき、思わず
「あなたが時間を守れるだなんて、えらい!頑張っているんだね」
と親バカ丸出しでほめてしまった。
でも、あんなわがまま娘が、これほど評価されるぐらい頑張っているということは、自分のことは2の次3の次にして頑張りすぎているのかもしれない。
先日も、2日後のイベント本番を控えていながら、39度の発熱で病院に運ばれた時、
「過労から免疫力が落ちて、白血球が増えているから熱が出た」
と言われたと聞き、心配で末娘とそのイベントを見に行ったのだ。
舞台の上では、そんな体調不良を感じさせないきびきびとした動きと満面の笑顔で頑張っている娘を見て、そのプロ根性に涙が出た。

私から会社の人と娘にお願いすることはただ一つ
「今までの努力も、これからの未来も、健康であってこそ。体だけは大切にして。健康管理が何よりも優先する一番大切な仕事だから」

娘の活躍と、会社の発展を心より祈る。


そのあと、末娘も合流して、長女の彼氏も一緒に食事会*(パスタ)**(ジュース)*をした。
末娘がお姉ちゃんに私の愚痴を聞いてもらっているそばで、グラフィックデザイナーで、中学・高校時代バスケット*(バスケ)*マンだった長女の彼氏と私は、美術の話と『スラムダンク』の話で大いに盛り上がっていた。

以前、彼に会ったことがある末娘の話では
「あまり話さない人」
という印象だったようだが、自分の専門分野や好きなことだったからだろうか、たくさん話してくれた。
薩摩隼人の彼に、昨日見てきた『龍馬展』の話や、『小松帯刀』の話をしたら、すごく興味を持ってくれて、私があげた『龍馬展』のチラシを大事そうにしまって、
「『竜馬がゆく』を読んで、ぜひ行ってみたいと思います。」
と言ってくれた。実にいい子だ。花丸!合格*(桜)*点を上げよう。(あれ?長女とのことはあまり聞かなかったような・・・)

帰り際、長女からちょっと早い母の日*(カーネーション)*のプレゼントに桜*(桜)*のエキス入りハンドクリームとおもしろい入浴剤(幕末の志士シリーズ、ムーミンシリーズ、おかえりなさいひのき風呂、怒りんぼうのゆず湯などををもらった。*(うるうる)*ありがとう*(ハート6つ)*

二人と別れてから、末娘に、
「ママってば、結構あっさり『よろしくお願いします』なんて言ってたね。
話も合うみたいだし、仲良くなれて良かったね」
と言われた。
「うん、私の特技は初対面の人とでも、昔からの友達みたいに話せちゃうところだからね。目のきれいな人だし、お姉ちゃんを大事にしてくれているのがわかったし。いいんじゃない?」
(母親として、そんなに簡単でいいのか???)

何より、美術や『スラムダンク』であんなに盛り上がれて私自身がHAPPYだったから。
姉ちゃん、仕事も恋も充実していて良かったね。お幸せに・・・。


*(ギター)*美術館めぐりとフォークコンサート

5月4日*(日本)*みどりの日

今日は、現勤務校の栄養士さんと美術館めぐりをしてきた。
前半は三菱一号館美術館オープン記念の『マネとモダン・パリ展』http://mimt.jp/manet/
東京丸の内で最初のオフィスビルだった三菱一号館を美術館に改装してのこけら落とし展覧会にふさわしく、充実した展示内容だった。
マネの絵は、有名な絵こそ来ていなかったが、ポスターにもなっている「ベルト・モリゾ」のシリーズや、最近発見された温室で描かれたマネの妻の肖像画など、見ごたえのある作品ばかりだった。
また、現在のパリの街作りの基盤になっている建造物の建築パースや、近代化してゆく当時のパリの様子を撮影した写真の展示も興味深かった。

地下のレストラン街で、博多ラーメンで腹ごしらえをして、次に向かったのは「あいだみつを美術館」

入場したら、ちょうど館内で無料コンサートが始まるところだった。
館長さんに
「どうぞ、ここが特等席です」
と案内されたところは、ステージの上!
かぶりつきでコンサートを聴く羽目になった。

ギターとオーボエのフォークデュオで、トワェ・モアの『空よ』や、P・P&Mの『パフ』、『500マイル』など、懐かしい歌を歌ってくれた。
あんなに間近で生ギターやオーボエ、イングリッシュホルン、そして生歌のハーモニーを聞けるなんて至福の時だった。(間近すぎて首が疲れたけれど)

あいだみつをの言葉や書は,本当に素晴らしかった。
1枚の作品を選ぶのに、どれだけの枚数を描いたのだろう。最後にこれだと思うものにだけ、あのおなじみの「み」の字の落款を押すのだ。
今回の展示は、その作品を描いた時に添えられた直筆のエッセイも展示されていた。その親しみやすく読みやすい筆跡が彼の人柄そのままを伝えているようだった。

今回はじっくり見すぎて、閉館時間になってしまい、最後の方はエッセイを端折って書だけしか見ないで来てしまった。
売店もじっくり見ることができなかった。
年に4回、展示替えをするそうだが、ぜひまた来ようと思う。

まとめ日記ふたたび 4/27~30

2010-05-04 08:02:00 | 徒然なるままに
激動の4月が終わり、さわやかな5月になった。
4月は異動・年度初め、辞令変更、怪我、天候不順etc.
その変化の激しさに、気持ちや体がついていくのに精一杯という感じだった。
でも、まあ1年前に比べれば、かなり前向きにやる気満々元気な私だ。
1年分の年輪が増えただけ、ちょっとは成長できたかな。

さてさて、最近はすっかり「まとめ日記」が定着しつつあるが、1週間を振り返り、記録することも大事かなと思うけれど、スクロールしてタイトルを読んで、興味あるところだけ読んでください。

*(学校)*先生の玉子(王子ではない*(ニヤ)*)

4月27日(火)

今日は、早めの退勤で教員採用試験受験者の勉強会に参加した。

その訓示の中で、
「優秀で熱心な講師ほど、採用試験に受からないのは、忙しさを理由に勉強不足で一次試験が通らないからです。
今年は特に、一次試験を突破できなければ自己推薦文も提出できないし、面接も受けられないのだから、しっかり勉強するように。
現場が求めているのは皆さんのような即戦力になる経験豊かな熱意のある先生なのです。1学期は、早めに帰宅し、採用試験勉強に専念してください。2学期からの活躍を期待しています。」
と言われた。

グサッときた。
その通りなのだ。
臨時任用講師でありながら、常勤の場合、本採用の先生方と同じように校務分掌はあるし、部活動も担当する。場合によってはクラス担任も受け持つこともある。大概は副担任だが、小規模校ほど一人副担で、雑務全般から学年会計まで一人でこなさなくてはならない。その上、専門外教科まで臨時免許を取って授業をするとなると、その授業の準備や勉強だけでもかなりの負担になる。自分の専門教科については、教えることができればラッキー。まったく違う専門外教科の代用教員として配置されることが多い。
運よく専門教科を担当することができたとしても、最長1年間しか担当できないので、美術の場合、1週間に1コマ45~50分の授業で、年間35コマの授業数の中で充実した授業を実践し、評価をつけるのは至難の業だ。
そんな殺人的な忙しさの中で、仕事と勉強を両立させ、家の事までこなすのはよほど気力体力が充実していても難しい。
去年の今頃は、忙しさの上に、精神的にボロボロだったので、とても試験勉強に専念するだけのエネルギーさえなかった。

今まで7年間、いろいろな学校に赴任し、たくさんの生徒たちや先生方と出会った。
毎年毎年、全力で頑張ってきた。
でも、毎年、1年経つと別れがあり、次の採用があるかどうかの保証もなく、運良く採用が決まっても、すべては「払いまして~」と0からのスタートになる。
でも、自分の中では、確実に経験値は上がり、即戦力としてのノウハウや実践力は付いてきている。
1年生から3年生までの3年間、私の美術を教えた子どもたちの成長を見守り、卒業まで見届けることができたら・・・。
年々その思いを強くしながら、生徒たちと泣き別れてきた。
現役で頑張れるのはあと10年。
今年は、何が何でも頑張って採用試験に合格してやるぞ!と決意を新たにした。

会場には、私と同じ思いの若い「教師の卵たち」(現場では十分「先生」なんだけど)がたくさんいた。
みんなライバルだ。それ以上に、今、現役で就活している大学生たちも最大のライバルなのだ。
「好敵手」がいるからこそ頑張れる。
私も、彼らにライバルと思ってもらえるようにまずは1次試験突破に向けて頑張ろう!


*(青ハート)*トイレの神様

4月28日(水)

今日は学年集会の後、女子だけを残してトイレの使い方を指導した。

その中で、今話題の「トイレの神様」という歌を紹介した。

トイレの神様 歌詞   作詞:植村花菜・山田ひろし 作曲:植村花菜 編曲:寺岡呼人 歌:植村花菜

小3の頃からなぜだか おばあちゃんと暮らしてた
実家の隣だったけど おばあちゃんと暮らしてた
毎日お手伝いをして 五目並べもした
でもトイレ掃除だけ苦手な私に おばあちゃんがこう言った

「トイレには それはそれはキレイな 女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに べっぴんさんになれるんやで」

その日から私はトイレを ピカピカにし始めた
べっぴんさんに絶対なりたくて 毎日磨いてた

買い物に出かけた時には 二人で鴨なんば食べた
新喜劇録画し損ねたおばあちゃんを 泣いて責めたりもした

トイレには それはそれはキレイな 女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに べっぴんさんになれるんやで
 

少し大人になった私は おばあちゃんとぶつかった
家族ともうまくやれなくて 居場所がなくなった
休みの日も家に帰らず 彼氏と遊んだりした
五目並べも鴨なんばも 二人の間から消えてった

どうしてだろう 人は人を傷付け 大切なものをなくしてく
いつも味方をしてくれてた おばあちゃん残して ひとりきり 家離れた


上京して2年が過ぎて おばあちゃんが入院した
痩せて 細くなってしまった おばあちゃんに会いに行った

「おばあちゃん、ただいまー!」ってわざと 昔みたいに言ってみたけど
 ちょっと話しただけだったのに 「もう帰りー。」って 病室を出された

次の日の朝  おばあちゃんは 静かに眠りについた
まるで まるで 私が来るのを 待っていてくれたように

ちゃんと育ててくれたのに 恩返しもしてないのに
いい孫じゃなかったのに
こんな私を待っててくれたんやね

トイレには それはそれはキレイな 女神様がいるんやで
おばあちゃんがくれた言葉は 今日の私を べっぴんさんにしてくれてるかな

トイレには それはそれはキレイな 女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに べっぴんさんになれるんやで
                    

気立ての良いお嫁さんになるのが 夢だった私は
今日もせっせとトイレを ピーカピカにする
おばあちゃん
おばあちゃんありがとう
おばあちゃん ホンマにありがとう


メロディーや画像はインターネットのhttp://www.youtube.com/watch?v=Z2VoEN1iooEで見られます。

この歌のテーマは「だからトイレをきれいにしよう!」というのではないかもしれません。
特に、「泣ける」ポイントは聞く人によっても違ってくることでしょう。
 
「トイレをきれいに使いましょう!」とか
「汚物は汚物入れに!」
なんて呼びかけより、
「トイレには それはそれはキレイな 女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに べっぴんさんになれるんやで」
なんて言われたら、女の子だったら意識して頑張れるのでは?と思い、紹介した。*(ウインク)*

私は、母や祖母から、
「トイレをいつもきれいにしておくと、玉のようなきれいな赤ちゃんが授かるんだよ」
と教えられました。
だから、特に妊娠中は大きなおなかを抱えながらもトイレ掃除は頑張った記憶があります。(今は・・・?)

ここまで書いて、さて、男子トイレの場合はどうしよう・・・?
トイレにはそれはそれはきれいな女神さまがいたら恥ずかしくて用もたせなくなっちゃうかなぁ?*(退屈)*


*(庭)*自分にご褒美

4月29日(木)*(日本)*昭和の日

今日は休日だが午前中は学校で採点作業をし、午後からは所用で前任校に行った。
懐かしい梨畑は、花の時期も過ぎ、小さなかわいい実をつけていた。
つい、1ヵ月前までの学区を懐かしくドライブしていたら、クア・ハウスがあったことを思い出し、風呂に入りに行った。
春休みに、1年間頑張った自分にご褒美として、垢すりフルコースを体験しようと思っていたのに、年度末は忙しくて来ることもなく転勤してしまったのだった。

いや~、あかすり&オイルマッサージは最高だった*(酔払い)*
水をもはじくみずみずしい美肌(?)を取り戻して、肌だけは10歳は若返った感じ?*(シャイ)*
でも体型は・・・。*(ジロ)*
夏までになんとかしたいこのトド体型*(汗)*(ちなみに生徒たちは私のことをトド先生と呼んでいます。もちろん体型から来ているのではないのですが・・・?)

名物ラムネ風呂に入り、すっかりリラックス。
文字通り、昨年度の垢を落としてリフレッシュ*(キラキラ)*新たな気持ちで頑張ろう!!と懐かしい学区を後にした。

帰り道、これまた学校からの帰宅途中ではなくなった陶板浴に久しぶりに入りに行った。
目の前の新川に架かる橋に、鯉のぼりがたくさん泳いでいた。河原のサイクリングロード脇には八重桜とつつじが満開で、雲ひとつない青空とのコントラストが美しかった。


*(学校)*『好敵手』

4月30日(金)

今日は、出張の先生の代わりに1年生の道徳の授業をした。
「新しい道」という道徳専用の教科書があり、今日はその中の「キャッチャーミット」という話が題材だった。

部活動の仮休部が終わり、今日がその入部届けの提出最終日だ。
中学校に入学して、入りたい部がなかったり、どれにしようか迷っていた生徒も、ほぼ全員入部届けが出たところだ。
3年間、どんな部活動を体験するのか、みんな期待と不安でいっぱいだろう。

「キャッチャーミット」は、少年野球チームではピッチャーで頑張っていた主人公が、中学に入学したら、自分より上手なピッチャーがいて、悩んだ末にキャッチャーとしてがんばることを選択する心の葛藤や、努力、友情といった内容の話だった。

みんなでそのことについて、自分も同じような経験があるかとか、主人公の気持ちになっていろんな感想を言ったり、それらを「振り返りシート」に記入したりした。

私の「道徳」の授業は、時々本題からそれてしまうところがあるが、今回もそうだったかもしれない。
「好きな人がいたとする。その人を好きな子が他にもいて、その子が自分より美人だったり、カッコ良かったりしたらあきらめるか?」
という質問をした。自信なさげな前の席の男子に、
「あなたは、見た目きれいな子と、美人じゃないけれど、一緒にいて楽しい子とどっちを選ぶ?」
と聞いたら、
「一緒にいて楽しい子」
と答えた途端、女子たちがすごい反応を示した。*(ニヤ)*

私は普段、生徒たちに、
「本当にかっこいい人は、顔や服装なんかじゃなくて、困っている人を見すごぜない、頼まれたことを嫌な顔もせず『喜んで!』と言って引き受けてくれる『男気』のある人のことを「かっこいい」というのよ。女子も、いつも自分の顔だの髪型だのスカート丈だの気にしている子より、ちゃんとハンカチを持っていたり、教室の机が曲がっていたりゴミが落ちているのを、誰も見ていなくてもさっと片付けられる子を『心美人』というのよ」
なんて言っている。

「好きな人ができたら、簡単にあきらめないで、自分のいいところをいっぱい磨いて、ライバルに負けるな!
それで失恋したとしても、あなたの良さを分かってくれる『運命の人』は必ず現れるから!」

あれ・・・?なんだか本題から外れていってないか・・・?

「浅田真央ちゃんがあんなに頑張っても銀メダルで、初出場で銀とっても悔しくて泣いていたよね?真央ちゃんが頑張れるのも、上手になれるのも、キム・ヨナという同い年のライバルがいるから。あの二人はスケートの外では大親友。でも、リンクの上では最大のライバル。ライバルって『好敵手』って書くの。歴史上にもそういうライバルいるよね。『スラムダンク』の桜木花道と流川楓もいいよね~!」
と言ったところで、私の『スラムダンク山王戦』の講談が始まってしまった。*(汗)*

脱線続きの末、大いに盛り上がった『道徳』の時間だった。
職員室に戻ると、隣のクラスの先生から
「先生のクラス、すごく盛り上がっていましたね。うちのクラスなんかシーンとしてしまって・・・」
と言われ、なんだかみんなが振り返りシートにちゃんと感想が書けているか不安になってきた。

一応、「発問」に対する回答は当たっていたので、テーマは伝わったと思ったのだが、最後の
「あなたはこの時間の道徳で何を学びましたか?」
という質問には
「最後まであきらめない事の大切さ」
「ライバルに負けずに頑張る」
「『好敵手』を作って自分を磨く」
というのが多かった。
担任の先生はこれを読んだら何と思うかなあ…。

*(映画)*「17アゲイン」「ビッグフィッシュ」

2010-05-03 07:42:00 | 徒然なるままに
4月26日(月)

先日帰省した長女が
「ママが見たがっていた映画と、お勧めの泣ける映画のDVD借りてきたから、よかったら見て。後、返却よろしく」
と置いていったDVDを見た。

1本目は、「17アゲイン」。2本目は「ビッグフィッシュ」だ。
「17アゲイン」は人生にやる気を失い、妻にも離婚を宣言された37歳の中年オヤジが、体だけ17歳になって人生やり直そうとする話。はたして彼が取り戻した人生とは…?
http://wwws.warnerbros.co.jp/17again/

見ながら、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を思い出していた。
偶然、両親のハイスクール時代にタイムスリップした主人公が、17歳の母に恋されたり、父の恋を応援したり、当時はまだ生まれていないロックを歌って注目されたり、黒人市長誕生の火付け役になったり、大活躍の末、現在に戻ってきたら、あのダサかった家族がおしゃれな家族になっていた・・・という話。

「17歳アゲイン」は、過去に戻ることはできない代わりに、17歳の体になった父親は、自分の子どもたちが通うハイスクールの同級生になって大活躍。娘に恋されたり、同級生の母としての妻に、かつての自分の姿でアタックしてみたり。

視点を変えるだけで、現在も未来も変えることができるんだなと思った。

さて、今、もし私が体だけ17歳に戻れたら・・・。このお話はまた後日。


『ビッグフィッシュ』は、父と子の物語。
空想好きで話好きの父親と断絶状態になっていた息子が、父が倒れて、余命わずかというときに父の死と向き合い、父の人生、生き方を知る話。
映画は、父親のおとぎ話のような思い出話で進行するのだが・・・。
http://bd-dvd.sonypictures.jp/bigfish/

人生の終わりをあらかじめ知ることができたら、大抵の人は嘆き悲しみ、その日が刻一刻と迫ってくるのを不安で恐ろしい気持ちで迎えることだろう。
でも、考え方を変えると、どんな事故でけがをしたって、大病したって、自分はその時(寿命)まで生きることができるのだ。
映画の中で、幼い頃に自分の最期を知った父親は、戦争で引き裂かれた妻のもとに早く帰還するために、命知らずな危険な任務を次々買って出て、その知恵と勇気で生き残り、無事妻のもとへ帰ってくるシーンが印象的だった。

私がもし自分の死ぬ時を知ったら・・・。
実は、私は72歳までの人生らしいのだ。
一昨年、私は即死でもおかしくないよう大きな交通事故に遭いながらも、奇跡的に無傷だった。(車は廃車)
その時、いろいろなことを考えた。
自分にはまだ為さねばならないことがあり、それを成し遂げないうちはまだ死ねないのではないか。とか、
一度死んだも同じ身ならば、もう怖いものはない。死ぬ気で何でも頑張ろう。とか、
死ぬ前にやっておきたいことは何でもやり、残された子どもたちが困らないようにちゃんと言い残しておくこと、私自身が片付けなくてはならないことは自分でやっておこう。とか、
生きとし生けるものがみんな愛おしい、毎日いろんなことが起きたり、四季の移り変わることを感じることが楽しかったりする。これも、あのとき死んでいたらなかった出会い、知らなかったこと、感情、景色なのだなあと思うと、心の底から感謝の気持ちが生まれてくる。

私のおまけの人生が、あと23年もあるなんて、なんて有難いことだろう。
1年1年大事に、出会いを大切に生きていこうと思った。
何の根拠で72歳か。単純に「天国の自分からの手紙」というゲームの結果からなのだけれど。
もしも、現実的にはその死期が早まったり、遅くなったりしたとしても、「志」と「覚悟」を忘れずに、「なりたい自分」になれるように日々精進して生きていきたいと思う。

「ビッグフィッシュ」の父親の最期は、本当に素敵だった。
今度、長女にあったら、一緒に映画の話をするのが楽しみだ。