TOLITON's WEB SITE

日記中心
 
情報提供(アニメ・映画・美術関係)

交流

「未来へ」 卒業式の後の息子と・・・

2004-03-24 12:24:00 | 徒然なるままに
3月13日(土)

昨日の卒業式の後、いわゆる「第2ボタンセレモニー」もなく、息子はさっさと帰ってしまた。
その後、6:00から食べ放題レストランでクラスのお別れ会に出席。
ところが、10:00を回っても帰ってこない。同級生のお母さんたちが心配してあちこちから連絡が入る。
持たせたはずの携帯電話はつながらない。
そのうち、食べ放題までは一緒で、先に帰宅した別のクラスの子から、A組はみんなで公園に行ったということを聴き、やっと携帯電話につながった。
みんなに早く帰ってくるように伝えてくれと言づてたはずが、結局帰ってきたのは11時。

「こんなに寒い中、こんな遅くまで公園でみんなで何やってたの?!」
「ごめんなさい。花火やってました」
「花火?火の始末はちゃんとしてきたのね」
「ああ。」
「すっかり冷えたんだろうから、早くお風呂に入りなさい」
「わかった。」

息子は風呂から上がってから、なんだかいろんなことを話してくれた。

本当は、卒業式の後、もっと学校に残って先生方に挨拶したかったし、友達と別れを惜しみたかったこと、でも、自分が「告れ(告白しろよ)」とけしかけた友達がフラレてしまい、落ち込んで、「俺、先に帰るわ。」と帰りそうになったので、放っておけず一緒に帰ってしまったこと、食べ放題から出たら、誰かが花火を準備していて、みんなで中学校の隣の公園で花火をしてきたこと。

なんだか聞いているうちに、自分の中学・高校時代とだぶってきて、二人で朝の5時まで話し込んでしまった。

先生方に挨拶できなかったことを悔やんでいる様子だったので、31日の離任式の時に会うのもいいけど、春休みに部活に顔を出しながら挨拶に行く方がゆっくり話できるんじゃないかとすすめた。

先生方が、息子のピアノを大変ほめてくださり、息子の成長ぶりと、高校での活躍を期待してくださっていることを伝えると、
「みんな、いい先生だったよな・・・」
と涙声になった。

1~2年生は、とにかく「一通り」のことをやった息子だった。
テストの成績は常に上位なのに、通信簿は「意欲・態度」が「C」評価のため、惨憺たる「内申点」だった。
それが3年生になって志望校を決めたとたん、授業態度は一変し、反抗期の嵐もだいぶ穏やかになっていった。
2年生の夏休み前の3者面談では、担任に
「勉強以外、ほめるところが一つもなかったな」
といわれた息子が、1年後の面談では
「勉強でも部活(サッカー)でも、打てば響く、教えたことは全部吸収し、謙虚で熱心、最後まで諦めずに食らいついていく姿勢は素晴らしいです。ずいぶん成長したな!受験はプレッシャーに負けずにがんばれ!」
と言っていただけるまでになった。

息子のどんなに反抗的な態度や問題があっても、常に温かく見守ってくださった先生方に心から感謝したい。

思春期・反抗期・「魔の14歳」ともいわれるこの年頃。本人も悩める日々だろうが、親にとっても試練の日々である。
昨日の卒業式で歌ったkiroroの「未来へ」 の歌声が本当に心に響いた。


     「 未来へ 」Kiroro
 
                           作詞・玉城 千春作曲・玉城 千春

                   ほら 足元を見てごらん
                   これがあなたの歩(あゆ)む道
                   ほら 前を見てごらん
                   あれがあなたの未来

                   母がくれたたくさんの優(やさ)しさ
                   愛を抱(いだ)いて歩(あゆ)めと繰(く)り返した
                   あの時はまだ幼(おさな)くて意味など知らない
                   そんな私の手を握(にぎ)り
                   一緒に歩んできた

                   夢はいつも空高くあるから
                   届(とど)かなくて怖(こわ)いね
                   だけど追(お)い続(つづ)けるの
                   自分の物語(ストーリー)
                   だからこそ諦(あきら)めたくない
                   不安になると手を握り
                   一緒に歩んできた

                   その優(やさ)しさを時には嫌(いや)がり
                   離(はな)れた母へ素直(すなお)になれず

                   ほら 足元を見てごらん
                   これがあなたの歩む道
                   ほら 前を見てごらん
                   あれがあなたの未来

                   その優(やさ)しさを時には嫌(いや)がり
                   離(はな)れた母へ素直(すなお)になれず

                   ほら 足元を見てごらん
                   これがあなたの歩む道
                   ほら 前を見てごらん
                   あれがあなたの未来

                   ほら 足元を見てごらん
                   これがあなたの歩む道
                   ほら 前を見てごらん
                   あれがあなたの未来
                   未来へ向かって
                   ゆっくりと歩いて行こう…


カラオケ・・・http://www.geocities.co.jp/AnimalPark/7833/karaoke.html

★まっと★さんの東京公演を聴きに、月島・晴海へ

2004-03-24 02:33:00 | 徒然なるままに
3月14日(日)

今日は、子どもたち3人と妹と一緒に、HPFriendでピアニストの★まっと★さんの東京公演を聴きに、月島・晴海に行って来た。

最初は腹ごしらえに、月島とくれば「もんじゃ焼き」を食べた。
「もんじゃ焼き」は初体験の子どもたちは、けっこうはまっていた。
お店を出てからも、末娘は、
「夕飯はもんじゃ焼きにしてね!」
なんて言っていた。

開演までにはまだ間があるので、みんなで「晴海トリトン」に行った。
商業施設ということで、テーマパークとかではないので遊ぶものはないが、アイスクリームを食べて、トリトン像を見て来た。
桜はやっと一分咲き。でも、日差しはすっかり春爛漫。
♪は~るのうら~ら~の す~み~だ~が~わ~の面影は、すっかり変わっていた。

2:00に会場に入り、★まっと★さんと初対面!わ~、イラストそっくり~!思わず手を振ってみたけど、私は★まっと★さんのお顔を知っていても、あちらは私の顔は知らないわけで、びっくりしてらしたっけ。
「はじめまして。tolitonです。」
と名乗ったものの、どんな第一印象をお持ちになっただろうか・・・?

今まで遠くの舞台上の演奏者を客席で聴くことはあったが、あんな身近で、プロのピアニストの演奏が聴かれるなんて、本当に至福のときだった。
ピアノから音が出ていると言うよりも、★まっと★さんの魔法の指先からメロディーが弾き出されていると言うような不思議な体験だった。
本当にピアノがお好きなんだなあと思った。
過去と現在と未来の全てをかけて、『一曲入魂』でピアノに向かう姿勢に感動した。
だからこそ、『自分の音作り』に拘られるのだろう。
いつか、★まっと★さんの一番信頼のおけるピアノでの演奏、奥様との共演を聴いてみたいと思う。

子ども達は、3人ともピアノを習っている。が、
プロのそれも男性(どの子も先生は女性なので)の迫力満点のピアノを間近で聞くなんて経験がないので、みんな★まっと★さんの演奏に圧倒されていたようだ。
特に息子は、指先やペダル使いをじっと見ていて、『スッゲ~』と思ったそうだ。
娘達は、★まっと★さんのピアノを弾くときの表情の方が気になったらしく、
「目をつぶって弾いてる!」と驚いたり、
「厳しい表情で弾いてるかと思うと、優しい顔になって、口元がキュッと笑ってる!」
と興味津々だったようだ。
自分達は譜面を追うので精一杯で、曲に対してこう弾きたいとか、思いを込めて弾くとか言う段階までまだまだいっていないのだ。
これも、弾き手の表情や息遣いまで間近に観察できたからこその感想だと思う。
末娘は、『百面相の★まっと★さん』と言っている。
帰り道はそのことですごく盛り上がった。(笑)
ショパンやシューマン好きの息子にはすごい刺激になったようだ。
素敵な演奏を、どうもありがとうございました。

妹は、★まっと★さんが進路を決める時、お父様から
「お前からピアノを取ったら何も残らないだろう」
と言われた話を聞いて、
「私の時もお父さんにそう言われた」
と言っていた。彼女の場合は、ピアノではなく『絵』なのだが・・・。

好きなことを仕事にして長年続けていくことは、喜びも多いが、苦労も多いことだと思う。
とにかく体が資本。
「戦場のピアニスト」の彼のように、どんな困難な状況にもへこたれず、ご自分の音楽の道を突き進んで行かれるよう、健康には気をつけて頑張ってすばらしい演奏活動を続けていってほしいと思います。

ボランティア清掃と吉報

2004-03-23 04:33:00 | 徒然なるままに
3月15日(月)

午後から、中学校にボランティア清掃に行った。
去年の今頃は、汚れて穴だらけになった校舎のペンキ塗りや穴ふさぎ作業をやっていた。
でも、1年たって、あのころがまるで嘘のように、落ち着いて、穏やかな日々が続いている。
生徒たちそれぞれの心の中には、思春期、反抗期特有の心の嵐が吹き荒れているのかもしれない。
でも、先日の卒業式の歌声を聞いて、きっとこの子たちは大丈夫だという確信を持てた。
そして、お母さんたちが、自分たちの学校をきれいに、快適に過ごせるよう努力してくれている姿を見て、安心し、感謝の気持ちだって持ってくれているのだと思う。

今日は、裏庭の清掃だったが、以前は、鬱蒼とした草むらに、通りすがりの車からゴミが投げ込まれ、悲惨な状態だったそうだ。
でも、先生方や生徒たち、保護者の努力できれいになると、あまりゴミは投げ込まれなくなってきたのだそうだ。

2時間後、見違えるようになった裏庭は、創立当時には美しい庭園だったらしく、池の跡が出現した。
作業が進んで、いつかこの池に満々と水がたたえられ、魚が泳ぎ、水面には四季折々の植物の陰影が映るようになることを願ってやまない。

夜、8:00を回った頃、家に1本の電話が入った。
習志野市教育委員会から、2つの小学校の図工専科の講師として来てくれないかという打診だった。
3月のこの時期になっても採用の連絡がなかったので、半ば諦めかけていたときだっただけに、即座に承諾した。
明日、その旨各校長先生に報告し、正式に採用が決まったら、連絡をいただけるということだった。

HPで検索すると、2校のうち1校はHPを持っており、学校の様子がよくわかった。
今日は興奮して眠れそうもない。
神様、どうか、正式に採用が決まりますように・・・!

採用決定!

2004-03-23 04:07:00 | 徒然なるままに
3月16日(火)

午前中は、子どもネットのサークル会に出席。
話し合いの最中に、習志野市教育委員会から連絡が入り、正式に小学校の図工専科の講師として採用したいので明日、関係書類を取りに来てほしいということだった。

帰宅後、早速父に連絡。
美術の教師として先輩でもある父から、今までの経験を十分生かせるようにということと、謙虚な気持ちで現場の教育や職場の人間関係にあたることなどのアドバイスを受けた。

実際、小学校3年生から6年生の図工は、中学の美術とは全く違う。
苦手意識をなくし、創作する喜びや鑑賞する楽しみ方を味わわせるには、どんな風に授業を展開して行くべきか。
不安もあるが、やりがいとアイディアが全身を駆けめぐるような感じだ。

明日は是非、学校の下見にも行って来ようと思う。
4月からが本当に楽しみだ!

ハードで充実した1日

2004-03-23 03:50:00 | 徒然なるままに
3月17日(水)

今日はハードで充実した1日だった。
朝、習志野教育委員会に面接に行き、資料をもらう。
赴任先のA小学校とM小学校の下見に行った。
春何番かの大風の中、元気に遊ぶ子どもたち。
どちらも幼稚園を併設してある小学校だった。
近くには有名な干潟があり、環境的にも楽しみなところだ。
ただ、通勤には朝は高速を使わざるを得ないだろう。
講師というのは考えようで、ある程度の融通は利く。
今年は、息子の入学、長女の通院、まだ小3の末娘、そして私自身大学の勉強を続ける身であることを考えると、いきなり担任を持つような仕事でなくてよかったのだと思う。

週12時間という時間しか保証も手当もないという条件だが、私としては、たとえ時間外だろうと朝の職員会議にも学校行事にも参加したいと思う。そして早く現場になれて子どもたちや先生方と仲良くなりたい。

昼は友人とランチ。
お互いに不登校の子どもを持つ親として情報交換。
先日見た映画「不登校の真実」と東京シューレの話をした。
不登校をしている子ども自身が一番辛くて苦しいのはもちろんだが、それを見守る家族、ことに親の苦しみは、やはり、同じ立場のもの同士でしか分かり合えないところがある。
子どもたちにも、そういう「場」が必要なのだと思う。
気持ちが分かるからこそ、傷をなめ合うのではなく、励まし合えることだってある。
友人の娘さんが、理解ある先生方に恵まれ、友達もできて生き生きと高校生活をエンジョイしている様子が聞けて、本当にほっとし、希望が持てた。

2:00からは教育センターでのカウンセリング。
長女は4時間目から登校していったので、訪問指導の担当の先生にも同席してもらってのカウンセリングだった。

その後、港湾診療所に健康診断の予約。
お菓子問屋で、23日のお楽しみ会の駄菓子の買い出し。

6:30から市民会館の会議室で、よさこい連絡協議会代表者会議に出席。
今日は、リーダー講習会として、リーダーの仕事と適性について話し合い、「ワミレス美翔女隊」の練習風景の映像を見た。
一つの夢に向かって、みんなの心を一つにまとめていくことの難しさと素晴らしさがびんびん伝わってくる映像だった。

私たちのソーラン隊が目指すものは、
「見る人も踊る人も元気になるソーラン」であり、
「楽しくなければソーランじゃない!」
が、合い言葉だけれど、そこに
「感動しあえるソーラン」
という言葉がぴったりな踊りを踊れるような隊に成長させていきたいと思った。

9:30帰宅。
長女が作ってくれたカレーはとてもおいしかった。
朝から出ずっぱりのハードな1日だったけど、充実した時間を過ごせた。
寂しい思いをさせた子どもたちには、駄菓子問屋のおやつをおみやげに買ってきた。
みんな、ごめんね。そしてありがとう。

43歳の健康診断

2004-03-22 17:56:00 | 徒然なるままに
1月18日(木)

午前中は、息子の高校の入学資料提出とジャージや上履き、教科書を買いに行った。
学校説明会はなく、あっさりとしたものだった。
一緒に行った友人親子と、行き帰りの車の中でいろんなことを話した。
この二人のこれからの高校生活が充実したものになるように願ってやまない。

激しくなってきた雨の中、それぞれを送り届けた後、健康診断を受けに港湾診療所に向かった。
視力は、1.5と1.2。去年よりちょっと落ちたかな。
血液検査の結果は来週出るが、そのほかは健康優良児だった。
乳ガンと子宮ガン検診については今回はなかったので、市の検診を受けなくてはならない。

43歳。これから先の人生を元気に過ごして充実させていくためにも、体のメンテナンスは重要不可欠。若い頃のような無理は致命傷になりかねない。
いや、若い頃と違って、今は自分の体は自分だけのものではない。
家族の健康と生活を守り、家族の夢をかなえるためにも、健康維持につとめなければならない。
去年は、大学編入のための健康診断。
今年は、教員採用のための健康診断。
来年からも毎年受けることになると思うが、子どもたちと関わる仕事に就く以上、健康管理は最低限の義務である。
そして、体力維持と体力づくりもまた大事なことだと思う。
子どもパワーに負けないくらい、パワフルな先生目指してがんばろう!

かわいい子には旅をさせろ。

2004-03-22 17:26:00 | 徒然なるままに
3月21日(日)

長女は、7:19分発の電車に乗って、一人東京に旅立っていった。
出発前に何度も、乗り換えや乗る電車の路線を復唱させ、門限の7:00を破ったら、どうなるかも覚悟(?)させ、楽しんでこいと見送った。
母は、
「女子中学生が初めて会う友達に会いに、一人で東京に行かせるなんて!」
と大反対で、すごく心配をしていた。
それも、千葉からではなく石巻から新幹線を使ってという大旅行の大冒険。
私だって本音のところではすごく心配だ。
でも、長女は13歳。
仲良しの文通友達に会いに東京に行きたい気持ちは、かつての自分と重なり、すごく気持ちは分かる。
私は、彼女からその話を聞いたとき、日程がお墓参りと重なってしまった以上、娘だけ上京させるということを決心した。
娘も、最初は戸惑っていたが、友達に会いたい一心もあり、私の提示した条件をのんで、その冒険に挑戦してみることにしたのだ。

この1年、小学校の卒業、中学校入学、そして5月からの不登校に始まる彼女の心の葛藤は、私の想像を遙かに超えるものだったろう。
だが、年が明けてからの彼女の「さなぎ」から抜け出そうという様々な試みを、私は希望を持って見守ることができるようになってきた。
ここで、「野放し」にするのでも「放り出す」のでもなく、「かわいい子には旅をさせる」のも必要なのでは。と思った。

学校に行けない自分を責め、理想とプライドの高さと現実の自分とのギャップに苦しみ、自信をなくし、自己嫌悪に陥っている娘。
『思い』や『目的』があって、それを実行し、それに向かって努力する、困ったときには人に聞くなり、知恵を絞る。達成感を味わう。そういう体験を通して、自信を持ってほしい。挑戦する気持ちを持ってほしいと思った。

4:30。娘から連絡が入った。
「お友達とはぐれちゃったから、30分ぐらい遅れるかも」
「わかった。でも、約束を守るための最大限の努力はしなさいね。気をつけて。」
「ママ、ありがとう!」

7:30。最初の約束には30分遅れたが、娘は無事帰宅。
友達との初対面も、一緒に見た映画『ピカンチ・ダブル』も感動ものだったらしい。
「『青春』の大切さがわかった!」とかいうようなことを興奮気味にしゃべりまくっていた。

この「大冒険」が、2年生への「自信」につながるのか、味を占めて、しょっちゅう都内に遊びに行くようになるきっかけになってしまうのか気になるところだが、とりあえずは「無事帰宅」。
『自分の人生は自分で切り拓く』たくましさをもってほしい、という母の願いが理解できるようになるには、まだまだ時間がかかるのかもしれないが・・・。

里帰り・お墓参り

2004-03-22 17:25:00 | 徒然なるままに
3月20日(土)

朝、従妹からTELが入った。
今、お墓参りをし終えたので、こちらに寄りたいという。
来るのは明日と聞いていた母は慌てていた。

12年前、叔母が亡くなって以来の再会だ。
年賀状や電話では何度か連絡を取り合い、近況を知らせあい 、相談にものってあげている15歳下の従妹。
彼女が生まれたとき、叔母に頼まれ、私と弟が名付け親になった。
その彼女も、今は2児の母。
私なんかよりずっとしっかりとした子育てをし、妻としても、嫁としても可愛がられるよう、努力を惜しまない。
彼女は、ご主人に出会うまでのいろいろな境遇を乗り越えてきた経験もさることながら、子どもを産んでからの苦労も、大変なものがある。
にもかかわらず、なんと前向きに、周りを明るく元気付け、どんな困難にも立ち向かい、周囲に協力を求めるバイタリティーは見習うべきものがある。

今回、従妹一家に初めて会って、一緒に何時間かを過ごして、彼女がここまで立ち直れて、余裕を持って子育てに専念できるのも、このご主人あってのことなのだと改めて思った。

従妹の子どもたちは、初めてにもかかわらず私になれてくれたが、1年生の男の子と2歳の女の子のパワーには、さすがの末娘も圧倒され気味だった。
でも、だんだんになれてきて、一緒にカルタをしたり、近所の公園に遊びに行った。

帰り道、男の子が
「今日はとっても楽しかったです!」
と繰り返し言ってくれたのがすごくうれしかった。

しばらくしてようやく弟たち一行が到着し、12年ぶりにみんなで再会を喜び合った。
今回は従妹の弟が、婿入り先の家の田植の準備で同席できなかったのが残念だった。

夕方、長女は明日の早朝には東京に発つということもあって、みんなで墓参りに出かけた。
我が家と夫の実家のお墓参りを済ませた頃には、すっかり日は落ちた後だった。

久しぶりに、みんなで「中華楼」のラーメンを食べた。
石巻に来たら、これを食べないではいられないのだ。
餃子もチャーハンもおいしかった。
今度ここに、またみんなで食べに来られるのはいつのことになるだろう・・・。

婆ちゃんの十三回忌、おじさんの一周忌の法事はこうして終わった。
どんな豪華な法事より、遠くからみんながそろって駆けつける、それが何よりもの供養なのだと思う。
お墓には、まだ墓参りに来てはいないのか、花のあがっていないところもあって、周りがきれいに飾ってあるだけに、いっそう寂しそうに見えるお墓がいくつかあった。

末娘に、お彼岸の意味と、今日が昼の長さと夜の長さが同じだということを教えた。
先祖を敬う気持ちと、先祖がいてこその命のバトンタッチであり、亡くなった後も自分たちを見守ってもらっているという意識は、私が小さい頃、祖母から何度となく話して聞かせられたことだった。

千葉の我が家には仏壇はないが、出窓には祖父母や義父の写真が飾ってあり、命日やお盆、お彼岸には花を添えて手を合わせる。
私は、その写真に、うれしいことがあったときには報告を、困ったときには相談をする。
そういう姿を見て子どもたちは育った。

来年は、今朝来た従妹のお母さん、つまり、私の父の妹の十三回忌。去年父を亡くして両親ともにいない従妹。
私が叔母に会った最後の時に、従妹のことを頼まれている。私は叔母に、
「おばちゃんが私にしてくれたように、○○を助けていくから心配しないで。」
と約束した。

来年、また従妹一家に会えるのが楽しみだ。

「法事」というのは、故人を偲ぶだけではなく、残されたもの同士が疎遠にならないよう、直接会ってお互いに息災を確かめ合うように個人が残してくれた「贈り物」なのかもしれない。
世の中には、面倒なことだと感じる人もいるのだろうが、私はこういうことは人間の営みの中でもとても大切なセレモニーとして、子どもたちに伝え、自分でも実践していきたいと思う。

「円山応挙展」

2004-03-22 17:12:00 | 徒然なるままに
3月19日(金)

今日の夕方は石巻に発つというのにも関わらず、「円山応挙展」に行ってしまった。
21日までの会期ではあるが、今日を逃したらみることはできないからだ。

結果、無理してでも行ってよかった~!
なんと目の保養、創作意欲の刺激になったことだろう。
入館してすぐのL字に展示してある滝の絵は、床の部分が本当に滝壺のように見える!
鶴の群団の絵は、1羽1羽が丹念に描かれ、その描写力のすごさ!細密画というよりも、図鑑のようで、図鑑よりも詳しい!
描かれた当時は、まるで生きているようなので逃げ出さないように金網をかけてという曰く付き(実際の金具の後付き)のついたて。
モデルは猫と敷物の毛皮という「虎の絵」の緊迫感力!
龍の絵は天空の空間を感じさせるスケールの大きさと迫力があった。
山水画は、水の流れやうねりが襖いっぱいに描かれ、躍動感があった。
驚いたのは、梅や松の枝が、襖を閉めたときにも絵がつながるように計算されて描かれていることだった。
狗子(子犬)の絵もかわいらしくて見るものをいやしてくれる。
一番印象に残っているのは、大乗寺「芭蕉の間」の「郭子儀図襖」に描かれている郭子儀の目線だ。それぞれの襖で、思い思いに遊ぶ童を暖かなまなざしで見守る郭子儀の目線は構図上たいへん重要な役割を担う。
いつか、是非とも機会を作って、大乗寺に行ってみたいと思う。

中1の時、国語の教科書で丸山応挙の若い頃の話を習った。
応挙がイノシシの絵を描いたとき、それを見た漁師が、
「これは死んだイノシシの絵だ」
と見抜いたそうだ。
どうしてわかったのかと聞いたら、動物は生きているときと死体とでは、毛の生えている感じが違うのだそうだ。
そうして、応挙は真の「写生」に目覚めて行くのだ。という内容だったと思う。
そのときから、すごく気になる画家だった。
今回、念願かなって、大満足である。

夕方はばたばたと忙しく、何とか新幹線に間に合い、仙石線の終電に乗り込めた。

末娘との小旅行。実家に着いたのは夜中の12:30を回っていた。
息子と長女は、私の弟が明朝東京から車で迎えに来てくれて、順調にいけば昼過ぎには実家に到着する。
20日には、久しぶりに両親・兄弟・孫が集まる。にぎやかになりそうだ。

卒業おめでとう

2004-03-12 21:15:00 | 徒然なるままに
3月12日(金)

今日は昨日と打って変わって雨まじりの寒い一日だった。
でも、今日の息子達の卒業式は心温まる、感動的な卒業式だった。
何とか熱も下がり、咳き込みも軽くなった息子を、朝の7:00に同級生が迎えに来てくれた。
2人は、答辞を読む担当と、ピアノ伴奏担当だ。
このところ、放課後も遅くまで練習をし、今朝も、3年生が登校する1時間半前に登校して練習をしようというのだ。
この2人は5年生からの付き合いで、中1のときは一緒にイギリスにホームステイをし、ソーランを踊り、合唱コンクールでは指揮者とピアノ伴奏者であり、同じサッカー部員だった。
息子の2度の家出の時には、2度もお世話になった。
高校は分かれてしまったが、最後の一緒の大仕事。
本番は、本当に立派にそれぞれの役割を果たしてくれた。

卒業式は二部構成になっていた。
一部は、卒業証書授与や挨拶・祝辞など。
二部は、在校生による卒業を祝う会で、在校生・卒業生による答辞・送辞と合唱曲で進行していった。
卒業生はステージに全員並び、一部の卒業式の時に卒業生が座っていた席に保護者が座った。
対面式で、卒業生達が先生方や保護者、在校生達に向かって歌う歌は、どの曲も気持ちがこもっている『本気の歌』だった。
刻一刻近づいてくる中学生活最後の瞬間まで、3年間の思いやメッセージを歌に託して一生懸命歌う姿は、本当に感動的だった。
1年生のときからいろんなことがあった学年だった。
正直、こんな穏やかな気持ちでこの卒業の日を迎えることなんか不可能かもしれない、と思った時もあった。
この1年の彼らの努力もさることながら、先生方、PTAも一丸となって取り組んできた成果が実っての今日の晴れの日と思う。
PTA会長が、挨拶の終わりに涙声で
「思い出をたくさんありがとう」
と言った時には、在校生からもしゃくりあげる声が聞こえた。

実際、1年生の娘は、不登校で、特別3年生の先輩達にお世話になったわけでも共通の思い出があるわけでもないけど、涙がこぼれて仕方がなかったと言っていた。
3年生が泣きながら一生懸命歌う姿に感動して、練習の時にはあまり声が出ていなかった在校生達もそれに答えるように一生懸命歌っていたと言う。

2年後、娘も、こんな感動的な卒業式を迎えられることを願ってやまない。

お世話になった先生方に挨拶をし、保護者の方達と別れを惜しんだ後、いつも自治会館で集まっていた「母ネット」のメンバーでお別れ会をした。
きっかけは、入学後間もなく暴力事件で1年生の男子が被害に合い、息子達が
「親も先生も警察も何もしてくれないなら、俺達で敵を討つ、俺達が守る」
と息巻いていたのを、
「地域の子どもは地域が守る」と立ち上がった母たちで学区を越えて作ったネットワークだった。

メンバーのほとんどが第一子の母たち。みんな初めての中学生活思春期・反抗期に戸惑い、不安を感じていたので、このネットワークの情報や悩み相談や問題のディスカッションは、本当に心の拠り所だった。みんなで励まし合ってこの難しい年頃の子育てを乗り切ってきた。
子どもたちも、そういう母たちの取り組みをうるさがらず、むしろ応援してくれていたように思う。自分の親のいうことは聞かなくても、ネットのお母さんたちとは良く話したり、素直に注意を受けていたと思う。

このメンバーも、ほとんどが別々の高校に進むのだが、ぜひ、高校進学後も、このネットワークは続けていこうと言うことで話がまとまった。お互いにそれぞれの高校の情報交換をしたり、高校生をもつ親の悩みを打ち明けあう場としてもぜひ残したい。
兄弟に在校生がいる親からは、弟・妹の学年で、こんなネットワークを持つことはちょっと難しいので、その後の中学の様子について相談にのってもらうためにも、こういう場は必要だと言う話も出た。

「育児は育自」それを実感し合える、貴重な仲間達だ。

子ども達はそれぞれのクラスでのお別れ会を開いた。

私は息子に、3年間、言い続けてきたことがある。
「中学時代の同級生は、その後の人生においてとても大事な存在になる。
故郷の幼なじみを大切にするんだよ。
いつか、同級会を開く時、同級会に出られないとか出たくなくなるような嫌な思い出や仲間はずれだけは作るな。」

果たして彼がその意味をどれだけ理解してくれていたかは分からないが、3年間、友達には恵まれた中学生活だった。
この友だちの輪が、それぞれの道に進んでも変わらず続き、更に大きくなっていくことを願う。

卒業おめでとう。
そして、たくさんの思い出と、出会いをどうもありがとう。