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交流

図工専科の仕事

2005-02-07 23:32:00 | 徒然なるままに
2月7日(月)

今日は、6年生のドライポイントの仕上げ。
先週インフルエンザでお休みしていた子達も復活して、がんばって仕上げていた。
終わった子から、卒業制作の下絵に入る。

小学校の図工専科の講師を引き受けたとき、現職の小学校教諭の友人に、
『小学校の図工は、図工嫌いにしないこと』
とアドバイスを受けた。
それをどのくらい果たせただろうか・・・。

今日、みんなが仕上げてくれたドライポイントにメッセージを書きながら、私のこのコメントで、一人でも図工が好きになって、中学校に行っても、美術に意欲的に取り組んでくれる子がいてくれますようにと願わずにはいられない。

卒業まであと28日。
本当に後わずかなんだね・・・。
みんながこの1年間の図工を楽しく思い出せるような卒業制作になるよう、私も風邪なんか引かずにがんばらなくっちゃ!

コマのおっちゃんの『コマのサーカス』

2005-02-06 22:32:00 | 徒然なるままに
2月6日(日)

今日は、子どもネット八千代の鑑賞例会で
『コマのおっちゃんのサーカス』を見てきた。

日本独楽博物館(http://www.m.ehime-u.ac.jp/~tateishi/Tops/musium/JapanTopsMusium.html)の館長でもある藤田由仁さんによる コマ回しの実演。
本当に日本中、いや、世界中に、いろんなコマがあるものだと感心してしまった。
1時間ほど、いろいろなこまのまわし方を見せてもらった後、参加者全員でこま回しをやった。
私も、この年になって、子どもたちよりも夢中になってまわしているうちに、何とか手乗りゴマまでできるようになった。手のひらに5秒以上のせられるようになったら、『燕返し』、『綱渡り』ができるようになるんだけど・・・。
参加者には、日曜日と言うことも会って、お父さんの姿もチラホラ見え、ベーゴマなど、童心に返って遊んでいた。
「コマを回せるお父さん」って、子供たちから尊敬されるかも???

【こまはどうしてお正月なの】 
お正月近くになるとみんな独楽をまわし始めますね。
でも、どうしてお正月なんだろう? ほかの季節に遊んではだめなの?
こんな疑問をもったことはありませんか
こまは本来、戸外で遊ぶものです。でも、あまり体の温まる遊びではありません。
実は、これは、おもちゃ屋さんの陰謀?(いんぼう)なんです。
ほかの季節は戸外での遊びも多いし、玩具も多いですが、冬に売るものが少なく、
そこで、おもちゃ屋さんは考えました。
「心棒(辛抱)は金(お金)」「一本立ち(一人前になる)」等、縁起的なので正月にだけ売るようになりました。
(このように期間限定のおもちゃをキワモノ玩具と呼んでいます)
その後、「お正月にはタコ揚げて、こまをまわして遊びましょう」の歌が作られ
新聞やテレビ等が、この時期に多く取り上げ、完全に季節感が出来てしまいました。
子供達は寒くてしょうがないので、手に乗っている時、どれだけ遠くまで行けるか。とか、
乗っている間だけ、追いかけたり、逃げたり出来る「こまオニ(イっこ)」等の遊びを考え出しました。
いつでも遊べるので、一年中遊んでネ。    
        ~コマのおっちゃんのHPより~


創立30周年記念式典

2005-02-06 22:00:00 | 徒然なるままに
2月5日(土)

今日は、勤め先の小学校と隣接の幼稚園のの30周年記念音楽会と記念式典。
午前中の音楽会は、習志野文化ホールで、各学年の発表と、PTAコーラス、朝鮮学校3年生の友情出演と盛りだくさんだった。
私は、オープニングで4年生の『谷津囃子』で、図工で作ったひょっとこのお面を付けて子ども達と一緒に『バカ面踊り』を踊った。
本番直前に、生徒に教えてもらってのぶっつけ本番だったが、何とかコミカルに踊れたようだ。
1年生の『ドレミの歌』は遠くからでも絵が見れて、音階ごとに絵が出てくるたびに会場からいろんな反応があって、面白かった。
子ども達も、地域のお年よりグループの人たちと一緒に元気いっぱい歌ってくれた。
2年生は、朝鮮学校のお友達と一緒に、『カエルの合唱』をハングル語で歌い、とても良かった。
3年生は、谷津の昔話の寸劇と手話の振り付けで『切手のない贈り物』を合唱した。
手話の振り付けは、とても上手で、歌声もとてもきれいだった。
4年生は、器楽合奏で『マンマミーヤ』も披露してくれ、特訓の成果を十分発揮してくれた。
5年生は、『八木節』の歌と演奏。みんなノリノリだった。
6年生は、『シルクロード』のテーマをリコーダーとフルートで演奏。ラストは、『フェニックス』の合唱を心にしみわたる歌声で締めくくってくれた。
幼稚園児の『キッズソーラン』も、元気いっぱい踊ってくれた。
特に私がアドバイスしたところは 何度も練習したのか、掛け声も動きバッチリ決まっていて、見ているだけで ウルウル来てしまった。

午後からは、記念式典。
市長初め、教育長、各小・中学校の校長先生方、歴代PTA会長などお歴々が出席。
なかなか盛大な、でも、アットホームな祝賀会だった。

役員決め懇談会

2005-02-06 21:09:00 | 徒然なるままに
2月4日(金)

午前中は、3年生と5年生の授業。
3年生は、『のこぎりギコギコ、組み立てたら何が出来るかな?』、5年生は『三次元絵画』。
両方とも、終わっている子とまだまだかかりそうな子との差がちょと開いてきたかな・・・。
ここまできて途中で投げ出したり、仕上がりが雑にならないように声かけが大切だ。

今日は末娘の授業参観と懇談会出席のため、早々に帰宅。
学年最後の授業参観ということで、参観者はたくさんいたのに、懇談会は、今年度役員と、次年度役員候補者だけと言う寂しい参加人数だった。
私は、4月からの雇用状況が今年と同じように講師で有れば、と言う条件付きで、4年生の役員を受けることにした。
他にも、4年生で受けると言う人が何人かいて、割合スムーズに決まったと思う。


夜は、ソーランの練習。
13日の本番まで後2回しか練習日がない!と言うことで、出席状況が心配だったが、何とかフォーメーションの練習が出来るくらいの参加だった。
マダムの部はほとんど完璧。みんなやる気満々!
後は、本番、みんなが風邪を引かずに元気に参加できますように・・・!

『ドレミの歌』で眠気もふっ飛んじゃった!

2005-02-05 19:25:00 | 徒然なるままに
1月28日(金)

3年生の図工は、のこぎりで角材を切る授業の2回目。
みんな怪我も無く、一生懸命取り組んでくれた。
鑢のかけ方も丁寧で、来週はいよいよ色づけ。
釘打ちは金槌が足りなくて全員は取り掛かれなかったが、熱心に取り組んでいた。
何度もやり直して、バルサ材が裂けてしまった子もいた。
『失敗は成功の元』になるよう、最後まであきらめずに仕上げさせるのはなかなか難しいが、そこは腕の見せ所。
来週はみんなの達成感あふれる笑顔が見られるよう、がんばろう!

5年生は、三次元絵画の2回目。
なかなか面白い作品が仕上がりつつある。
遠景・中景・近景をどう組み合わせるか。
仕上がりが楽しみだ。

昼休み、幼稚園の年長組のソーラン節を指導。
先週からがんばって練習した成果を、元気いっぱい披露してくれた。
校長先生から聞いてはいたが、私の一言でどう踊りが変わったのか・・・。
子ども達の素直さと一生懸命さに感動してしまった。
本番が楽しみだ。

午後は、30年式典の1年生の出し物『ドレミの歌』のイラストの仕上げ。
風邪引き娘達の看病と、朝練の息子を送り出すために5時起きで寝不足が続いているせいか、一人で絵を描いているとものすごい眠気に襲われる。
事務室にコーヒーを入れに行こうとしたとき、1年生が4人ほど図工室に遊びに来た。
図工室掃除の1年生に聞いて、私の絵を見に来たのだと言う。
それぞれ、自分の担当の『音階』の絵を持って、元気に歌いだし、私もみんなと一緒に『ドレミの歌』を大合唱したら、眠気も吹っ飛んでしまった。
こちらも本番が楽しみだ。

最後の1枚を仕上げた頃には5時を回っていた。
6年生の先生がいらして、卒業式と入学式に使えるような会場装飾の絵を描いてほしいとお願いされた。

初めて教えた6年生を送る卒業式と、一生懸命ソーラン節を踊ってくれている年長組の入学式のために、一肌脱ぐことにした。
講師ということで、この学校には1年間しかいられないけれど、卒業式や入学式のたびに私の絵が飾られれば、絵を見てみんな思い出してくれるかなぁ・・・。
時間的には余裕が無いのではあるが、思いをこめて描かせていただこう。

インフルエンザの猛威!

2005-02-05 08:00:00 | 徒然なるままに
1月31日(月)

末娘は、今日から晴れて登校開始。
5日間は長かった~。
休んでいる間に、2桁の掛け算の勉強のプリントが毎日届き、昨日はたまったプリントを必死で仕上げていた。。

今日は、6年生のドライポイントの印刷。
ところが、2組は11名、1組は3名の欠席者がいて、来週も印刷の授業をしなければならない。
授業中も、咳をしている子が多く、授業後に、熱が上がって早退していった子もいた。
放課後、何人かの保護者からTELがあり、
「病院に連れて行ったところ、インフルエンザと診断されました。」
と連絡が入った。
4日には6年生最後の校外学習で、国会議事堂や上の浅草見学をしてくる予定だと言うのに、インフルエンザと診断された子は参加できなくなるだろうに・・・。
卒業まであとわずか、早くみんなの元気な顔がそろって、卒業制作を完成させられますように・・・。

ドライポイントの印刷の方は、思ったよりもスムーズに、楽しくできたと思う。
凸版版画しか経験のない子達にとって、プレス機を使っての凹版印刷はものめずらしいのか、結構意欲的に取り組んでいた。
思うように線が出なかったりすると、彫りなおしたり、タッチを加えたり、インクの調整をしたり、工夫をしている姿に、子ども達の成長を見た思いだった。

放課後、教員美術展に出品する自分のドライポイントの作品を印刷してみたが、どうも思うようなタッチが出ない。
普通の絵とは違って、刷ってみないとわからないこともあるわけで、ま、搬入まで間があるし、じっくりかかって制作するか・・・。

ヨン様巻き

2005-02-03 22:55:00 | 徒然なるままに
2月2日(水)

今日、仕事の帰り際、5年生の先生から、「ヨン様巻き」と言うマフラーの巻き方を教えてもらった。
これがなかなか暖かくて、マフラーが邪魔にならない。
『冬のソナタ』を見ているといろいろなバージョンのマフラーの巻き方が出てくる。
今まで箪笥の肥やし状態になっていたマフラーやスカーフを取り出していろいろ巻き方を試してみた。
今まで、『おしゃれ』と言う感覚が冷凍焼けするぐらい忘れていたけれど、なんだかウキウキしてきて、お出かけしてみたくなっちゃった。
いつもより、2センチ高いヒールの靴を履いて、メイクもバッチリ決めて、ちょっとおしゃれして映画でも見に行ってみようかな・・・。
リフレッシュもたまには必要だよね。

最近、6年生からサイン帳のレフィルを貰って書き込むことが多い。
年齢を書くところや、結構プライベートなことを書くことが多くて、ちょっと惑うときもある。
改めて聞かれるとすぐには書けないこともあったりして。
それを子ども達が夢中になって読んでいるのを見るのも面白いのだが・・・。
今日は、私の年齢の話になって、私が
「私は本当は荒地の魔女に呪いをかけられてこんな姿になっているの。本当は24歳なのよ~」
と言ったら、特に4年生がウケまくり!
中には、
「うそ~!先生、家のママと同じ年じゃない!」
「でも、先生まだ30代にしか見えないよ!」
と真顔で言ってくれる子もいて楽しい!

私は、おばあちゃんと若いコーチがテニスをする「ハウルの城」のCMが好き!
実年齢なんて世を忍ぶ仮の姿。
精神年齢と、実年齢を感じさせない体力、体形を維持する努力を怠らなければ、見た目+内なる若さは維持できると思う!

よく、実年齢には見えない人に若さの秘訣を聴くと、
「くよくよしないこと」
「いつも恋をしていること」
と言う言葉が返ってくる。
明るく前向きに、ストレスをためない。
娘時代のスカーフを巻いてみて、
「今のほうが似合うじゃない?まだまだいけるかも???」
と言う幸せな勘違いも時には必要かも?


10年前の自分、10年後の自分

2005-02-03 14:24:00 | 徒然なるままに
2月3日(木)

今、6年生の子ども達と「未来に生きる自分」と言うテーマの作品を制作している。
自分も。と思い、作品を作りながら、10年前も、20年前も、30年前も、同じ夢を描いていた自分に気がついた。
これって、すごいことであると同時に、年齢的なことを考えると、そろそろ実現化しないとただの絵に描いた牡丹餅で終わってしまいかねない焦りを感じる。
30年前、中学生だった私は、古代文明オタクで、愛読書は「赤毛のアン」将来の夢は考古学者か中学の国語の先生だった。
自分と同じ誕生日の男の子にひそかに恋心を抱いていた、「恋に恋する乙女」で、5月の中体連に向けて卓球部の部活に明け暮れていた。
20年前、アニメの背景の仕事をやめ、芝居の道もあきらめ、塾のインストラクターとして、不眠不休で、小1~中3までの子どもたち100名近くを2つの教室で教えていた。
プロポーズを受け、人生の大きな転換期に立とうとしていた頃だ。
10年前は、8月に生まれる末娘をおなかにかかえ、悪阻と花粉症に悩まさされながら、長女の通う幼稚園の人形劇団や、息子の通う小学校のPTAとして八面六臂、がんばっていたっけ。

どの時代も、私の夢は「マチュピチュ」にあった。
かつて、一緒に行こうと約束した人は今はそばにいなくなってしまったが、私はそれでも行かなければならない。
気がついたら、人生も折り返し地点。
これからは、気力も体力も落ちていくのが自然だとしたら、10年後には私は「マチュピチュ」に立っていなければならない。
今まで漠然と、「いつか行けたら・・・」と思っていたことを、「この日にはそこにいるんだ!」
と言えるぐらい、具体的な行動をとっていかなければならない。
まず、先立つお金。1ヶ月は滞在することを考えたら、100万円は用意しておかなければ。
         10年で100万円。諸費用入れて120万円として、1ヶ月1万円の貯金だ。
次に、体力づくり。「空中都市」と言われる「マチュピチュ」だけに、高山病対策や、登山に必要な体力、足腰を鍛えるための訓練をしなくては。
言葉の問題。   英語はもちろん、スペイン語やポルトガル語の日常会話ぐらいはできなくては1ヶ月の滞在はできないだろうし、友達も作れない。
歴史の勉強。   古代文明だけでなく、現代文化・風習についても、また時事問題・治安問題の基礎知識は必須だ。
ケーナの練習。  何をしに行くかって、「マチュピチュ」の遺跡に立って、ケーナを吹くのが目的なのに、お粗末な音色では情けない。
         できれば、現地のフォルクロ―レのバンドとセッションしたり、お祭に参加できるぐらいの腕前になって乗り込んでいきたい。

なんてことを具体的に書き出して、10年後にすべてクリアさせるためには、5年後、3年後、1年後と言うチェックポイントで、どこまで達成できていなければ成らないかという目標を立てねばならない。
でも、情けないことに、まず、お金の問題からして、今の育ち盛りの金食い虫の3人の子どもをかかえての貯金は非常に厳しいのである。
だから、5年間は、「つもり貯金をしながらでも」毎月5000円の貯金は覚悟し、がんばり、5年後には長男・長女も自活させ、もっと収入が増えて支出が抑えられるような生活ができるようにして、15000円ずつ払えるような仕事に就いているようがんばることにしよう。
後は、やる気、根気、勇気だ。
10年後の私、待っててね!
夢は叶えるものだということを、子ども達に見せてあげるためにもがんばるぞ!

ちなみに、10年後に夢をかなえたら、その後は・・・?
それはそのとき考えるか・・・と言うわけには行かないかもね。
でも、きっと、そこにたどり着くまでに、いろいろな出会いがあり、いろんなことに興味を持って、「マチュピチュ」から降りて来る時には、新たな夢に向かって一歩一歩踏み出しているだろう。
たくさんの仲間とお土産を得て。

教員美術展に向けて。

2005-02-01 23:59:00 | 徒然なるままに
2月1日(月)

ついに高1の息子が風邪でダウン。
「すわっ!インフルエンザか?!」
と病院に連れて行ったら、陰性と出て、普通の風邪薬を処方してもらい、夕方には回復した模様。

午後から、習志野教育研究会造形部会に出席。
一年間の反省と役員決め、そして、3月の教員美術展の打ち合わせをした。
「自分達も創造者であろう」
と言う趣旨で、図工・美術の先生方による作品展。
一人何点でもOK. と言うことだが、毎年、なかなか作品が集まらないとか。
展覧会に出品なんて、学生時代以来なので、ちょっとドキドキ!
子ども達に見に来てもらうためにも、来年度の採用のためにも、ちょっと気合いを入れてがんばらねば!