11月27日(日)
先日、国語で『わにのおじいさんのたからもの』(作・かわさきひろし)という単元が終わった。
帽子をかぶって、角を隠している鬼の子が、ある日、川沿いで年老いたワニに出会う。初めは呼びかけてもじっとして動かないので、死んでいるのかと思って、ホオの木の葉をかき集め、身体にかけてあげているうちに、身体が温まったワニには目覚める。 鬼の子と話すうちに、ワニは鬼の子の純粋で優しい気持ち、礼儀正しさを気に入り、何より、『たからもの』というものを見たことも聞いたこともないと真顔で言う鬼の子に、命がけで守り隠してきた自分のたからものを託そうとする。
果たして、ワニのおじいさんから宝のありかを知らされた鬼の子は苦労の末、その場所にたどり着くのだが、鬼の子が見つけた宝物とは…。
ざっとそういう内容の話なのだが、この中に、この鬼の子は『桃太郎』に退治された鬼一族の末裔であるということが語られている。桃太郎に降参し、宝物をそっくり持っていかれてからというもの、鬼は『たからもの』とは縁のない生活をして来たという設定なのだ。
そこで、最初の授業の時に、『桃太郎』の話を知っているかを聞いてみたところ、半分ぐらいの児童が、「題名は知っている」「話のあらすじはしっている」とは言っていたが、桃太郎がどこの民話か、きび団子とは何か?家来は誰誰が出てくるのか、っという話になると、いろんな民話とごっちゃになっている子が多かった。
『桃太郎』の読み聞かせをした後、岡山県の話、瀬戸内海の倭寇の話、犬は『忠義』、猿は『知恵』、雉は『勇気』の象徴だと言うような内容の話をした。
そうしたら、子どもたちは、
「桃太郎が持ち帰った宝物は、村から奪った宝物だけではなく、自分の目的のために、命がけで戦ってくれた『仲間』という宝物と、桃太郎が命までは取らなかったために、もう、村の人達には悪いことをしないと鬼が誓ってくれたから『平和』というたからものも持って帰って来たのだ」
というようなことを話し出した。
私は、桃太郎の話を、小学校2年生の時に、ここまで深く読んでいただろうか。あどけなく、♪も~もたろさん、ももたろさん、おこしにつけたきびだんご~ ひとつわたしにくださいな~とか歌いながら、なぜ、家来が犬とか猿とか雉なのか疑いもせずにただのおとぎ話として覚えていただけだった。『仲間』とか、『平和』が、どんな金銀財宝よりもかけがえのない宝物だと言うことは、ずいぶんと大人になってから分ったような気がする。
果たして、3組の子どもたちは、その授業の後、学級文庫や図書室に行って、『桃太郎』を読みあさり、何冊もの、いろいろな絵本や文庫で『桃太郎』の本があることをいちいち報告してくれるようになった。そのうち、岡山県に旅行して、桃や『日本一のキビ団子』をお土産に買ってくるのかしら?
さて、肝心の『わにのおじいさんのたからもの』の方は、結局、ワニのおじいさんの埋めた宝物はなんだか分からないまま、その足元に埋まっていることを知らない鬼の子が、今まで見たことがない美しい夕焼けに脱帽するところで、このお話は終わるのである。
先日、国語で『わにのおじいさんのたからもの』(作・かわさきひろし)という単元が終わった。
帽子をかぶって、角を隠している鬼の子が、ある日、川沿いで年老いたワニに出会う。初めは呼びかけてもじっとして動かないので、死んでいるのかと思って、ホオの木の葉をかき集め、身体にかけてあげているうちに、身体が温まったワニには目覚める。 鬼の子と話すうちに、ワニは鬼の子の純粋で優しい気持ち、礼儀正しさを気に入り、何より、『たからもの』というものを見たことも聞いたこともないと真顔で言う鬼の子に、命がけで守り隠してきた自分のたからものを託そうとする。
果たして、ワニのおじいさんから宝のありかを知らされた鬼の子は苦労の末、その場所にたどり着くのだが、鬼の子が見つけた宝物とは…。
ざっとそういう内容の話なのだが、この中に、この鬼の子は『桃太郎』に退治された鬼一族の末裔であるということが語られている。桃太郎に降参し、宝物をそっくり持っていかれてからというもの、鬼は『たからもの』とは縁のない生活をして来たという設定なのだ。
そこで、最初の授業の時に、『桃太郎』の話を知っているかを聞いてみたところ、半分ぐらいの児童が、「題名は知っている」「話のあらすじはしっている」とは言っていたが、桃太郎がどこの民話か、きび団子とは何か?家来は誰誰が出てくるのか、っという話になると、いろんな民話とごっちゃになっている子が多かった。
『桃太郎』の読み聞かせをした後、岡山県の話、瀬戸内海の倭寇の話、犬は『忠義』、猿は『知恵』、雉は『勇気』の象徴だと言うような内容の話をした。
そうしたら、子どもたちは、
「桃太郎が持ち帰った宝物は、村から奪った宝物だけではなく、自分の目的のために、命がけで戦ってくれた『仲間』という宝物と、桃太郎が命までは取らなかったために、もう、村の人達には悪いことをしないと鬼が誓ってくれたから『平和』というたからものも持って帰って来たのだ」
というようなことを話し出した。
私は、桃太郎の話を、小学校2年生の時に、ここまで深く読んでいただろうか。あどけなく、♪も~もたろさん、ももたろさん、おこしにつけたきびだんご~ ひとつわたしにくださいな~とか歌いながら、なぜ、家来が犬とか猿とか雉なのか疑いもせずにただのおとぎ話として覚えていただけだった。『仲間』とか、『平和』が、どんな金銀財宝よりもかけがえのない宝物だと言うことは、ずいぶんと大人になってから分ったような気がする。
果たして、3組の子どもたちは、その授業の後、学級文庫や図書室に行って、『桃太郎』を読みあさり、何冊もの、いろいろな絵本や文庫で『桃太郎』の本があることをいちいち報告してくれるようになった。そのうち、岡山県に旅行して、桃や『日本一のキビ団子』をお土産に買ってくるのかしら?
さて、肝心の『わにのおじいさんのたからもの』の方は、結局、ワニのおじいさんの埋めた宝物はなんだか分からないまま、その足元に埋まっていることを知らない鬼の子が、今まで見たことがない美しい夕焼けに脱帽するところで、このお話は終わるのである。