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交流

『ワニのおじいさんのたからもの』と『桃太郎』

2011-11-27 19:29:00 | 担任雑記
11月27日(日)

先日、国語で『わにのおじいさんのたからもの』(作・かわさきひろし)という単元が終わった。
 帽子をかぶって、角を隠している鬼の子が、ある日、川沿いで年老いたワニに出会う。初めは呼びかけてもじっとして動かないので、死んでいるのかと思って、ホオの木の葉をかき集め、身体にかけてあげているうちに、身体が温まったワニには目覚める。 鬼の子と話すうちに、ワニは鬼の子の純粋で優しい気持ち、礼儀正しさを気に入り、何より、『たからもの』というものを見たことも聞いたこともないと真顔で言う鬼の子に、命がけで守り隠してきた自分のたからものを託そうとする。
 果たして、ワニのおじいさんから宝のありかを知らされた鬼の子は苦労の末、その場所にたどり着くのだが、鬼の子が見つけた宝物とは…。
ざっとそういう内容の話なのだが、この中に、この鬼の子は『桃太郎』に退治された鬼一族の末裔であるということが語られている。桃太郎に降参し、宝物をそっくり持っていかれてからというもの、鬼は『たからもの』とは縁のない生活をして来たという設定なのだ。
 そこで、最初の授業の時に、『桃太郎』の話を知っているかを聞いてみたところ、半分ぐらいの児童が、「題名は知っている」「話のあらすじはしっている」とは言っていたが、桃太郎がどこの民話か、きび団子とは何か?家来は誰誰が出てくるのか、っという話になると、いろんな民話とごっちゃになっている子が多かった。
 『桃太郎』の読み聞かせをした後、岡山県の話、瀬戸内海の倭寇の話、犬は『忠義』、猿は『知恵』、雉は『勇気』の象徴だと言うような内容の話をした。
 そうしたら、子どもたちは、
「桃太郎が持ち帰った宝物は、村から奪った宝物だけではなく、自分の目的のために、命がけで戦ってくれた『仲間』という宝物と、桃太郎が命までは取らなかったために、もう、村の人達には悪いことをしないと鬼が誓ってくれたから『平和』というたからものも持って帰って来たのだ」
というようなことを話し出した。
 私は、桃太郎の話を、小学校2年生の時に、ここまで深く読んでいただろうか。あどけなく、♪も~もたろさん、ももたろさん、おこしにつけたきびだんご~ ひとつわたしにくださいな~とか歌いながら、なぜ、家来が犬とか猿とか雉なのか疑いもせずにただのおとぎ話として覚えていただけだった。『仲間』とか、『平和』が、どんな金銀財宝よりもかけがえのない宝物だと言うことは、ずいぶんと大人になってから分ったような気がする。
 果たして、3組の子どもたちは、その授業の後、学級文庫や図書室に行って、『桃太郎』を読みあさり、何冊もの、いろいろな絵本や文庫で『桃太郎』の本があることをいちいち報告してくれるようになった。そのうち、岡山県に旅行して、桃や『日本一のキビ団子』をお土産に買ってくるのかしら?
 さて、肝心の『わにのおじいさんのたからもの』の方は、結局、ワニのおじいさんの埋めた宝物はなんだか分からないまま、その足元に埋まっていることを知らない鬼の子が、今まで見たことがない美しい夕焼けに脱帽するところで、このお話は終わるのである。

九九に燃える3組!

2011-11-27 18:57:00 | 担任雑記
11月26日(日) 
 
 今、算数ではかけざんをやっているのだが、とにかくみんなやる気満々だ。毎日、熱い九九の発表会をやっている。
 去年、中学校で数学を教えた時に、中1で九九が全部満足に言えない生徒が何人もいた。美術室に昼休みに呼んで特別講座を開いて教えた。小学校ではどんなふうに教えているのだろうと疑問に思っていた。
 そして、今年、実際に小学校で九九を教えて、いろいろなるほどと思った。あえて詳しくは書かないが、とにかく、全員九九が言えて、九九の仕組みを理解させた上でクラス全員を3年生に進級させるのは一筋縄ではいかない大変なことなのだということだけはわかった。
 そこで、いろいろ試行錯誤の上、クラスで九九の授業をやっているわけなのだが、私は、全員、みんなの前でその段の九九を○×1~と○×9~の往復を唱えさせ、3問抜き出し問題を出して、答えられたら合格シールを貼ることにした。
 みんなもその子が前で唱えている間は、自分の頭の中でも唱えながら、その子がちゃんと言えるかどうかを固唾を吞んで見守り、その子ができた時は大喜びし、突っかかったり、間違えたときは盛大にがっかりする。それが楽しいのか、とにかく挑戦したがり、何度でもリベンジしたがる。おさらいプリントも喜んでやる。宿題の計算カードも1日に何枚もやってくるのだ。
 何も特別なことはしていないし、教室に九九の掲示物を貼ったり、できたらご褒美をあげているわけでもない。できなかったら昼休み勉強させているわけでもない。
 みんなに応援してもらえる。残念だった時は、「ドンマイ!」と言ってもらえる。できた時はみんなが拍手をしてくれ、皆の前で、合格シールを貼ってもらえるというそれだけのことなのに、2年3組の算数の時間は熱いのだ。
 算数の時間だけではない。朝教室に入ると、私を待ち構えていたように「先生、聴いて!○の段が言えるようになったよ!」と、みんなして口々に九九を唱え出すのだ。休み時間も、「先生、問題出して~!」と、トイレまで追いかけてくる。
 そこで、「班のみんなで問題出しあって、どこの班が早く全員その段が言えるようになるか競争だね」と言ったら、言えない子にできる子たちが一生懸命に九九を教えているのだ。*(グッド)*
 さあ、この調子でいけば、12月の初めには、全員が九九を言えるようになるのも近いかも!*(チョキ)*頑張れ!3組!*(グー)*

柿の実取りをしたよ!

2011-11-27 18:21:00 | 徒然なるままに
11月23日(木)

今日は勤労感謝の日。子どもたちは、働いてくれているお父さんやお母さんに、感謝状をわたすという「ミッション」をちゃんと果たしているかな?

 午前中は、去年、*(車)*車の免許を取った妹運転練習につきあった。車に乗ったとたん、
「お姉ちゃん、ブレーキってどっちだったっけ?」
と言われ、私は背筋が凍り*(青ざめ)*、全身に力が入ってしまった。その後の2時間は、緊張と恐怖の連続だった。助手席に座った私の右足は、あるはずのないブレーキを探して、終始、空中をさまよっていた。*(汗)*
 
 午後からは、庭の柿の実取りを頑張った。何年か前に、柿の木の枝払いをして、背中ギックリを患って以来、柿の実は鳥のえさになっていた。
 今朝、近所のおじさんに、
 「お宅の柿の木にはメジロがよく来ていますね。せっかくの渋柿、鳥のえさだけではもったいないですね。」
と言われ、この木とも今年限りになるかもしれないと思い、思い切って柿の実取りをすることにしたのだ。
 やってみたら、難しけれど面白くって、1時間ぐらい夢中になって取りまくった。半分ぐらいは鳥につつかれていたり、熟しきっていたり、取り損ねて落として傷つけてしまったりで、きれいな実はあまりなかったけれど、良さげなのをお爺さんのところに届け、喜ばれた。


photo by toliton717 from OCNフォトフレンド


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バザーで太鼓をたたいたよ!

2011-11-27 17:30:00 | 徒然なるままに
11月26日(土)

 学校のバザーがあった。オープニング・セレモニーで、お祭りクラブの子ども達と太鼓を叩いた。練習不足は、掛け声でカバー。クラスの子どもたちが見に来てくれて、
「太鼓、迫力あって、先生かっこよかった!」
「『わっしょい!』って言ってスキップするところ、先生、子どもみたいだった
と、なんだか私ばかり見ていたみたいな感想だった。

 その後は、休憩所の図書室で、折り紙で独楽を作ったり、オリジナル栞作りのワークショップを手伝い、読み聞かせのボランティアをした。
以前、クラスで『おまえ、うまそうだな』(宮西達也作・絵)を読んだのだが、あのティらノザウルスが恋をする『あいしてくれてありがとう』(宮西達也作・絵)を読み聞かせているうちに、感動して涙声になってしまった。*(汗)*子ども達も、シンとなって最後まで息を詰めるようにして聞いてくれていた。
図書室のコーナーは例年になく大盛況で、図書ボランティアのお母さんたちや、他学年の子どもたちとも交流ができてとても楽しかった。

スタートライン

2011-11-20 13:17:00 | 担任雑記
11月20日(日)

今朝は、昨日のどしゃぶりも上がって、久しぶりに、日曜日~!という感じで、ゆっくり目覚めることができた。
16日に授業研究会が終わった。10月は、指導案が決まるまで、1週間に2日は完全徹夜、毎日深夜まで残業し、日付が変わってからの帰宅状態が続き、休日出勤は当たり前で、そういう日も帰宅は夜の10時過ぎになってしまっていた。睡眠時間を削り、ほとんど給食だけで生きているような状態で、心身ともに不健康極まりない状態だった。
加えて、ガン検診で引っかかり、再検査やその結果待ちという期間も精神的にきつかったし、家庭の問題もあったりして、まさに試練の連続だった。
11月に入ってからは、指導案をもとに、いよいよ障害物リレーの授業が始まった。
突っ込みどころ満載の私の授業の盲点弱点,死角については、授業をやるたびに、子どもたち自身が教えてくれた。私の段取りの悪さ、指示の曖昧さ、危険予測の甘さ、ルールの不明確さ、時間配分のいい加減さ等など、私の指導案は、まさに、「机上の空論」でしかなかったことが、毎時間痛いほど分かった。
その失敗を反省し、さらに効率よく、的確に、安全に授業が進められるように毎回改良、訂正し、指導案を書き直した。子どもたちも、毎回の振り返りカードに、初めの頃よりできるようになったことや、友だちに励まされてうれしかったことなどをたくさん書けるようになってきた。
そうして迎えた16日本番の授業研究会。子ども達も朝から、いや、昨日からやる気満々で、3時間目に、最後のシュミレーションをした時も、返事の仕方ひとつにでも、やる気が感じられた。
でも、たった一人、朝からトラブルばかり引き起こしては友だちを泣かせ、私に怒られてばかりの児童がいた。(それは今日に限ったことではないのだが=年がら年中)
何度目かの注意も功を奏さず、彼は、給食の準備の時にも体操服袋で友だちを叩いていたので、頭にきた私はその給食袋を中庭に放り投げた。
「あなたは、今日のリレーには出しません!見学していなさい!」
 研究授業に入る前に、彼に最後の最後に、
「私に、何か言いたいことはある?」
と聞いてみた。
 そしたら、
「僕もリレーに出してください。」
と言うので、
「その前に言わなければならないことは?」
と言うと、彼は、朝からの自分の『罪状』をあげ、謝り、2度としないと約束をした。(そんなことを言ったって、彼の場合は、3歩歩く前に全部忘れてしまうのだが…。)
「分かった。でも、ただではリレーには参加させられない。先生と3つの約束をして。1つ目。今すぐ着替えて、掃除をがんばること。2つ目。次の自習時間は、立ち歩かずに、ちゃんと課題のプリントを仕上げること。3つ目。体育の時間は、チームのためになることをすること。先生の話を聞くことも、用意をみんなと協力することだって、チームのためになることだよ。3つ守れるなら、リレーに出してあげる。守れる?」
「ハイ!」
 果たして1つ目は彼なりに頑張った。2つ目は・・・・。
そして研究授業本番。2つ目がちゃんと守れなかったので、3つ目は頑張ろうとハリキリすぎたのか、一人一つの道具を持ち運んで準備することになっているにもかかわらず、彼は一人で4つも5つも道具を運んできてしまい、
「先生、○○君が僕の分まで持っていった~!」
と、初っ端からトラブル発生だ。
「うん、○○くんは今日はチームのみんなのために働こうと思って張り切りすぎちゃったんだね。みんなも協力して、仲良く準備しようね。」
と、双方なだめながら、内心は先が思いやられる思いだった。
 ところが、子どもたちはそれぞれ頑張り、トラブルも喧嘩も怪我もなく、無事にドリル運動も、試合の準備も対戦相手の確認もできた。
 
いよいよチーム対抗リレーが始まると、皆の本気の走りの中にも、ドリルで練習した成果や、けがをしてチームに迷惑をかけないように気をつけて走っていることが、見ていても良くわかり、一生懸命応援し合う声が体育館中に良く響き、ふざけた態度の子どもは一人もいなかった。
 勝敗も、勝ち負けがはっきりしているところはいいが、同点とか、勝ったけど、フライングがあったところなど、ルールに従い、お互いにもめたりしないで、話し合って勝敗を決めたりなど、とても立派だった。
 何より、先ほどの○○くんが、クラスでも足の速い男子とアンカーで競った時に、ちーム全員が大きな声で応援し、僅差で勝った時に、相手チームからも拍手が起きたのだ。 教室に帰ってからも、
「○○くんすごかったね」
「頑張ったね」
とみんなに声かけてもらう度に、
「△△君が速かったから、負けたくなくて頑張ったんだ。でも、やっぱり△△君は速いね」
と言ってたら、当の△△君は、
「○○くんも速いよ。今日はコーンを回るとき、滑っちゃったけど、次は負けないからね」
なんて会話が聞こえてきた。

 私がこの授業を通して、子ども達に身につけさせたかったことは、3年生の『ハードル』の実技につながる技能や走力はもちろんだが、それよりも、自分たちで決めたルールを守ろうとする意識と、お互いに見合って、良いところをほめ、失敗したら励まし、教え合う気持ち、そして、勝敗にかかわらず、互いの健闘をたたえ合うことができる気持ちを育てたかったのだ。
そして、いっぱい運動して、皆で協力して、
「楽しかった~!」
「できなかったことができるようになって、褒めてもらってうれしい!!」
「次の体育もがんばるぞ~!!!」という表情で、教室に戻って来れるようにしたかったのだ。

 指導案検討会では、
「技能面のどんな力をつけさせたいのかという視点と手立てがない」
とか、
「精神論ばかりが優先されている指導観だ」
という指摘が多かった。
「その前の授業の時、けが人続きだったので、本番はけが人が出なくて良かった」
と言ったら、
「怪我がなくて当たり前です。体育の授業でけが人が出るのは今までの指導の仕方に問題があるからです。」
と一喝された。
「いつもはみんなに迷惑ばかりかけて、ルールも守れない子が準備も後片付けもがんばって、本番も大活躍だったので、皆も褒めてくれて、私も『良く頑張った』と抱きしめてあげました。」
と言ったら、
「それは、公平性がありません。他にも頑張った子たちがたくさんいたのに、28人全員抱き締めてあげましたか?」
と言われた。 私も、授業が終わったばかりでうまく頭の中でまとまらないまま、感想のような反省を口走ってしまったことを反省した。

 小学校の体育の授業の経験も浅く、初めての小学校担任で、全く畑の違う未知の領域での指導案作りと授業だった。
学年の先生方のご指導、ご協力、そして、子どもたちにも随分と助けられた研究授業だった。
 素人の私がつけてあげられる技能などはたかが知れているが、この研究授業への取り組みを通して、私と子ども達の絆がより一層強まった手ごたえは、私だけでなく、子どもたちも皆感じていると思う。
 授業後の、反省会ではかなり辛辣な、でも貴重なご意見、アドバイスをいただいた。それだけ、真剣に私の授業を見てくださっていたのだと、心から感謝し、それを残り3回の授業だけでなく、普段の授業にも生かしていきたいと思う。
 指導案を作っている最中は、苦しくて、辛くて、逃げ出したくて、放り投げたくて、やめたくてもう、どうしようもないくらい、心も体もボロボロだったけど、授業後に見た子どもたちの笑顔や、うれしくなることがいっぱい書かれた「振り返りカード」を読んでいたら、今までの苦労なんて、いっぺんに吹き飛んでしまった。
 指導主事の先生からは、
「レベルの高い授業をされていますね。去年の研究授業の反省点の改善点も、安全への配慮も、子ども達の運動量の確保も良くできていました。ルールに対しての子ども達の態度や、一生懸命応援している姿も良かったです。先生の話を良く聞いて、指示も通っていたのは、先生と子ども達の関係が良好だからですね。このクラスの児童はとても元気があるので、あんな狭い体育館ではかわいそうです。ぜひ、外で思いっきり走らせてあげてください。」
とおっしゃっていただいた。 体育部の先生方からも、
「お疲れ様でした。3組はみんないい表情で、元気にいい動きをしていましたね。あのクラスをあそこまで育てたのはあなたですよ。自信を持ってくださいね!」
と言ってもらえた。
 泣きたくなることもいっぱいあった。書き直しても書き直しても、真っ赤に書き直され、駄目出し満載で、満足な指導案が書けなくて、悔しくて泣いて眠れない日もあった。頑張らなきゃいけない時に、睡眠不足から声も出なければ、体も思うように動かないときもあった。
 家事だけでなく、家庭も自分の健康も、時間も全部『犠牲』にして頑張ることに疑問と不満ばかりが募っていった時期もあった。
 誰のための指導案?何のための指導案?なんで講師の私がこれをやらなきゃいけないの?私の専門の美術なら指導案だって授業だって自信持って書けるのに、何で体育なの?それも、去年の研究授業の内容よりバージョンアップされたものって??私、去年の授業を知らないのですが。こんな事情も分からない、体育素人の私が、研究授業なんてやっていいのでしょうか?
 体育だけが授業じゃないのに、私が体調を崩すことによって、毎日の授業に支障が出始めていた。当初、グラウンドでの展開という設定だったのだが、雨天だったら研究授業の公開は中止だと言われていた。
 でも、他校の小学校の先生をしている友人たちからもアドバイスをもらい、励ましてもらった。
「体育は、普段の授業がそのまま表れるからね。研究授業の時だけきちんとなんかできないから。授業や生活場面で普段どう指導しているのかを見られるからね。」
「いい体育をした後の子どもの顔って、いい顔しているよ。いい顔していると、他の授業も、いい顔して一生懸命できるようになるよ。」
 この言葉に支えられ、励まされて頑張れたと思う。それと
「気負うことなく、素のままのあなたを出すことができれば、きっとうまくいきますよ」
という、友人の言葉と、直前の校長先生の
「いつものあなたで、のびのびやりなさい」
 という言葉にも背中を押してもらった。そして、何より、私のことを1/29ピースだと言ってくれるクラスの子ども達の頑張りに支えてもらった。突っ込みどころ満載の不完全な授業だったかもしれないけれど、今の私は、始めた頃より、ずっと体育の授業が好きになってきた。子どもたちのことも良く見てあげられるようになったし、子どもたちもちゃんと話を聞いて、指示通り動き、指示がなくても自分たちで考えて動けるようになってきた。
 ここが私の、2年3組の本当のスタートライン。クラスの子ども達と一緒にいられるのも、後4カ月。ここからもっともっと良くなるように、クラス皆で頑張るぞ!苦しかったけれど、この研究授業に取り組むチャンスに恵まれたことに、心から感謝します。

久々、まとめ日記(10月30日~)

2011-11-13 13:48:00 | 徒然なるままに
*(カクテル)*宮城県立石巻女子高等学校(現・好文館高校)東京支部同窓会

10月30日(日)

今年で50周年になる東京支部の同窓会に参加してきた。
卒業以来の友人に会ったり、演劇部の先輩後輩にもあって、ミニ演劇部同窓会もできた。
現校長先生が、3月11日の東関東大震災による津波の被災時や、その後の避難所としての母校の様子を詳しく教えてくださり、本当に大変な中、先生方や後輩たちの無事と、その後の母校のみならず故郷石巻の復興に向けての努力に、頭が下がる。亡くなられた方も少なくはなく、皆で黙祷を捧げた。


*(ドラム)*がんばれ!金管部

11月1日(火)

今日は、全校朝会の後、市民音楽発表会に出場する金管部の発表があった。小学生でもこのぐらい吹けるんだというような演奏で、とても良かった。毎日、朝連や放課後練習の時に聞こえてくるメロディーが、こんなに素敵な合奏になるなんて。
金管部にお兄ちゃんお姉ちゃんがいる子たちの表情は、心持誇らしげに演奏を見ていた。
この子たちもやがて、5,6年生になったら、こんなふうに演奏するようになるんだろうなあ…。
そして、中学校で吹奏楽、高校でオーケストラというように、音楽で結ばれた仲間と一緒に、人を感動させ、癒やす素敵な演奏ができるような人たちに育っていってほしいと願う。


*(スニーカー)*チャレンジマラソン

11月2日(水)

今日から、業間休みの時間に『チャレンジマラソン』が始まった。
一周200mのトラックを2年生は4周する。
私は、無謀にも寝不足であったのにもかかわらず、いきなり走ったせいか、動悸や息切れがして気持ちが悪くなってしまった。
初日の失敗は繰り返してはならない。次回からは、早寝早起き朝ごはんで、しっかり体調を整えて臨まねば!



*(音符)*「被災地にピアノを届けるネットワーク・チャリティーコンサート」と『311失われた街展』

11月3日(木)文化の日

今日は、友達の知り合いの方が企画されたという、代々木のオリンピック青少年センターで行われた「被災地にピアノを届けるネットワーク・チャリティーコンサート」に言ってきて、生のクラッシックを聴いてきた。
特に、被災直後から被災地を回って、歌ってきたというオペラ歌手の方が歌う「故郷」と「アヴェ・マリア」は実に感動的で、聴いていて、涙が止まらなかった。
最後に、この運動を推進されている方が、ピアノを届けに石巻に行った時の話は、道路の状況が悪くて、せっかく持っていったピアノを届けられなかったり、届けに行くはずのお宅が余震で崩れてピアノが置けなくなっていたりなど、聴いていているだけで胸が痛んだ。でも、その方は、
「何年かかっても、被災地にまたピアノの音色が響き渡るようにこの運動を続けていきたいです。」
とおっしゃってくださっていた。僅かばかりだが、感想を添えて、募金にも協力してきた。

その後、乃木坂のTOTO GALLERYで開催中(~12月24日)の『311失われた街展』を見てきた。
3月11日に、何が起こったのか。「正しく知る」ことから、復興への道のりを考えたい。というテーマで、震災と津波で大きな被害を受けた岩手県、宮城県、福島県の各都市から14の街区が選べレ、1/500スケールの白模型で復元されていた。その中には、わが故郷石巻市の日和山から見下ろした北上川の下流中瀬の様子が忠実に再現されていた。今は見る影もない門脇地区の街並みや、今は営業していない中華楼も、その白い街にはちゃんとあった。
見ていて、すごく涙が出てきた。この街はもうなくなってしまったけれど、ここにいた人たちもたくさん亡くなってしまったけれど、また、この街に、活気を呼び起こさなければならないと思った。
係の人に、この模型はどのくらいの時間かかって作られたのか聞いたところ、各大学の建築科の学生さんたちが、開催日の朝までかかって作って展示人美をされていたそうだ。
「この模型を見て、懐かしさとともに、また街に活気を戻さなくてはならないと勇気ももらえます。模型だけれど、この中には、震災前の石巻が生きているようです。」
と言ったら、
「学生さんたちに伝えます。みなさん喜んでくださるでしょう。」
とおっしゃっていた。
「この作品は、この後どうなりますか?」
「各地で巡回展をしたいとは聞いておりますが…」
「ぜひ、たくさんの方に見ていただきたいです。特に、被災地の方たちにとっては、何よりもの励みになると思います」

そして、この模型を作ってくださった学生さんたちに、ぜひ、自分の作った被災地の町を訪ねて見ていただきたい。マンガッタンの石ノ森章太郎記念館の実物の大きさや高さ、内海橋、この模型のモデルになった写真を撮った日和山を・・・。


*(ギター)*不思議な帽子秋公演とラピスラズリ5周年記念コンサート

11月5日(土)

今日は、昼間は人形劇を見て、夜はリンクでも紹介している『ラピスラズリ』の5周年記念コンサートに行ってきた。
子どもたちが在園中、トータル10年以上人形劇サークルに所属していたのだが、講師の仕事を始めてからは、OGとして公演を見に行くのがやっとという関わりになってしまった。
今日は、私のデビュー作の『三枚のお札』と音楽劇は『赤鬼と青鬼のタンゴ』『ホネホネロック』だった。とっても楽しくって、凝っていて、ここまでの作品に仕上げ、公演するまでに、皆がどれだけ頑張ったかが痛いほど伝わってきた。
去年までは、公演を見た後は、自分もまたやりたくてやりたくてたまらない気持ちになったのだが、今年は違った。ここは、私が戻る場所ではないと思った。
ここは、私がやりたかったことをおもいっきりやれる場所だった。たくさんの仲間ができた。いろんなことを学んだ。わが子たちは、ここで貴重な幼少期を過ごし、私の子育ての原点になった。道に迷ったら、いつでもここに帰ってこられた。私の居場所だった。
 ここには、私が心血を注いで作って残していったものが大切に扱われ、そしてバージョンアップして受け継がれている。そして、それを受け継いで行ってくれているかつての仲間も、新しい人たちもたくさんいる。戻りたい。またみんなと一緒に人形劇をやりたい気持ちは今も同じ。
でも、それは、もう、今子育て真っ最中の若いお母さんたちにバトンタッチしよう。私がかつてそうやって学び、子育てをしてきたように…。私は、ここで学び、身につ方ことを、まだ人形劇を知らない、生の舞台を知らないたくさんの子どもたちのところへ出かけて行って、TVや絵本とは違う、生のお話の世界を見せてあげたいと思った。
公演の後、実家の被災状況を心配してくださって、声をかけてくださった園長先生に、この夏娘たちと被災地にボランティア活動に言ったことと、先ほどのことを伝えた。
「たくさんの子ども達に、人形劇の楽しさ、いいお話を見せてあげてください。あなたならきっとできます。頑張ってください!!」
と、エールをいただいた。

まずは、2年3組の子ども達に。たくさんのいいお話を紹介して、読み聞かせしてあげよう。


夜は、ラピスラズリのライブを聴きに行ってきた。
現役の中学校の国語の先生とギター教室の先生をやっていることもあってか、会場にはお二人の教え子たちもたくさん応援に駆け付け、盛況だった。
この日を記念して本日発売のCDも、記念に買ってきた。4枚目のアルバムということで、ジャケットにあしらった四つ葉のクローバーが素敵だった。
ライブの最後に歌った「福島が好き」は、会場中が大合唱だった。
3日のクラッシックコンサートも、生の演奏も歌も良かったが、こちらも歌もギターもとても良かった。
まさに芸術の秋を堪能できた。
身体も心もしっかり休養も栄養もとったので、16日の授業研を目指して、最後まであきらめないでがんばるぞ!