私が最初に漫画本と言う存在を知ったのは、小学校1年生。きっかけは、父が買ってきた『アタック№1』の単行本。当時、TV.アニメ『アタック№1』が放映されており、小学生の女の子たちは皆こぞって鮎原こずえや早川みどりになりきってバレーボールごっこをしていた。
当時中学校の教師(美術)だった父がお土産に買ってきてくれた本。それまでは絵本ばかりだったのに、嬉しいよりも不思議な感じがしたのを覚えている。
その後、12歳年上のおばが読み終えた『少女フレンド』や『マーガレット』をまとめて段ボール箱で送ってきてくれるようになり、少女マンガに目覚めていく。
初めて自分で買った漫画は、小3のときで『少女コミック』だったような気がする。
小4から『小学4年生』を購読するようになり、川崎のぼるの『いなかっぺ大将』が大好きだった。
小5のときはお小遣いは『別マ』『別コミ』『別フレ』3誌購読につぎ込み、母に怒られた。
小6で一条ゆかりにはまり、『りぼん』が愛読書であり、バイブルだった。漫画の影響で本気でデザイナーを目指していたりする。当時は弟も『りぼん』ファンで、弓月光の大ファンだった。この頃の『りぼん』は本当にいろんなジャンルの漫画があって、クオリティが高かった。
中1の時、友達から漫画の似顔絵を頼まれ、見本に借りた『少フレ』『マーガレット』『少コミ』を読みまくり、勉強そっちのけで似顔絵を描きまくる。思えば、これが私の画力を上げる修行だったかもしれない。ゆえに、私は『模写』は大切な練習方法だと思っている。
中2で池田理代子の『ベルサイユのバラ』にはまる。フランス革命には俄然詳しくなってしまった。アンドレが死ぬシーンでは、本屋で立ち読みしながら友達と声を出して泣いてしまった。もちろん家に帰って読み返してまた泣いてしまった。
中3で萩尾望都にはまる。『トーマの心臓』『ポーの一族』は擦り切れるぐらい読んだ。以来、私の絵柄の基本的エッセンスは彼女のキャラクターに近いかもしれない。高校受験を控えながらも、SFと古代文明にはまり、萩尾望都の世界に浸っていた。
高1のとき、幼馴染と文通相手が作った漫画研究会に入った。初めてストーリー漫画を書く。レベルの高い絵を描く友人を多数得て、とにかく描きまくった。(何故か定期テスト前になると無性に描きたくなって、スケッチブック1冊描きつぶさないと勉強に入れなかった)
高2のときに購読していたのは『LaLa』だった。同じ高校に、その後長~い付き合いとなる漫画好きの友達ができ、彼女と幼馴染と私の3人でアニメ会社を作ろうと言う壮大な計画を本気で夢見ていた。
高3のときは、主に気に入った漫画の単行本を買っていた。吉田秋生が好きだった。
大學時代、アニメーター時代、塾講師時代は、忙しかったのだろうか、あまり漫画は買わなくなり、本当に気に入った漫画の単行本だけを買っていたように思う。
高橋留美子の『うる星やつら』は子どもたちが大きくなったら読ませたいと、夫婦で協力して全巻買った。
雁屋哲原作、花咲アキラ作画の『美味しんぼ』を最初に紹介してくれたのは実家の母で、以来、夫が必ず買ってくるようになった。
私が再び漫画に目覚めたのは日渡早紀の『僕の地球を守って』。きっかけはBSアニメ劇場。第1話を見て、すぐに本屋に走り、大人買いをしてしまった。子育て真っ最中で、乳児に幼児に小学生、戦争のような日常の中でオアシスを見つけたようだった。
その後、大和和紀の『あさきゆめみし』にはまり、源氏物語(瀬戸内寂聴・訳)に挑戦。が、いまだ54帖読み終えず・・・
そしてついに運命の出会いが訪れる。井上雄彦の『スラムダンク』だ。きっかけは生徒の書いた美術ファイルの絵。「せっかくだから色を付けたら?」と言ったら、「これは鉛筆描きだからいいんですよ」と返ってきた。その絵が、新聞広告として載った湘北高校のメンバーの一人、三井寿の絵だった。
あの夏、単行本31巻を読破、DVD17巻と映画版2巻も見た。
以来、その熱は冷めることなく、常に私の原動力となっている。
最近大人買いしたのは、手塚治虫の『ブッダ』。『阿修羅展』にちなみ、『仏像を100倍楽しむ見方』と言う授業の参考にと読み始めたら、面白くて一気に読んでしまった。
ここまで書いてきて、果たしてこれを共有・共感してくれる人がどれくらいいるのだろうかと思った。
私にとって、漫画は結構(私の人生の)時代の節目節目に、意味を持って出逢うようになっていたと思う。中には連載中には縁も興味もなかったのに、何かのきっかけで出会うようになっていて、それがそのときの私に大きな影響を与えてくれる。
今はまだ知らない、出逢っていない、縁がなかった名作もたくさんあるだろう。しかし、必要なときには向こうからやってくるような気がする。誰かの紹介だったり、何気なく本屋で手にしたり、昔読んだ本が、新たな意味を持って再び巡り会ったり。
この夏はどんな作品に出逢うのか、楽しみだ。
もちろん、漫画だけでなく、小説を始め他のジャンルの本や映画、ドラマ、舞台、アニメ、歌、人物とかもね。
当時中学校の教師(美術)だった父がお土産に買ってきてくれた本。それまでは絵本ばかりだったのに、嬉しいよりも不思議な感じがしたのを覚えている。
その後、12歳年上のおばが読み終えた『少女フレンド』や『マーガレット』をまとめて段ボール箱で送ってきてくれるようになり、少女マンガに目覚めていく。
初めて自分で買った漫画は、小3のときで『少女コミック』だったような気がする。
小4から『小学4年生』を購読するようになり、川崎のぼるの『いなかっぺ大将』が大好きだった。
小5のときはお小遣いは『別マ』『別コミ』『別フレ』3誌購読につぎ込み、母に怒られた。
小6で一条ゆかりにはまり、『りぼん』が愛読書であり、バイブルだった。漫画の影響で本気でデザイナーを目指していたりする。当時は弟も『りぼん』ファンで、弓月光の大ファンだった。この頃の『りぼん』は本当にいろんなジャンルの漫画があって、クオリティが高かった。
中1の時、友達から漫画の似顔絵を頼まれ、見本に借りた『少フレ』『マーガレット』『少コミ』を読みまくり、勉強そっちのけで似顔絵を描きまくる。思えば、これが私の画力を上げる修行だったかもしれない。ゆえに、私は『模写』は大切な練習方法だと思っている。
中2で池田理代子の『ベルサイユのバラ』にはまる。フランス革命には俄然詳しくなってしまった。アンドレが死ぬシーンでは、本屋で立ち読みしながら友達と声を出して泣いてしまった。もちろん家に帰って読み返してまた泣いてしまった。
中3で萩尾望都にはまる。『トーマの心臓』『ポーの一族』は擦り切れるぐらい読んだ。以来、私の絵柄の基本的エッセンスは彼女のキャラクターに近いかもしれない。高校受験を控えながらも、SFと古代文明にはまり、萩尾望都の世界に浸っていた。
高1のとき、幼馴染と文通相手が作った漫画研究会に入った。初めてストーリー漫画を書く。レベルの高い絵を描く友人を多数得て、とにかく描きまくった。(何故か定期テスト前になると無性に描きたくなって、スケッチブック1冊描きつぶさないと勉強に入れなかった)
高2のときに購読していたのは『LaLa』だった。同じ高校に、その後長~い付き合いとなる漫画好きの友達ができ、彼女と幼馴染と私の3人でアニメ会社を作ろうと言う壮大な計画を本気で夢見ていた。
高3のときは、主に気に入った漫画の単行本を買っていた。吉田秋生が好きだった。
大學時代、アニメーター時代、塾講師時代は、忙しかったのだろうか、あまり漫画は買わなくなり、本当に気に入った漫画の単行本だけを買っていたように思う。
高橋留美子の『うる星やつら』は子どもたちが大きくなったら読ませたいと、夫婦で協力して全巻買った。
雁屋哲原作、花咲アキラ作画の『美味しんぼ』を最初に紹介してくれたのは実家の母で、以来、夫が必ず買ってくるようになった。
私が再び漫画に目覚めたのは日渡早紀の『僕の地球を守って』。きっかけはBSアニメ劇場。第1話を見て、すぐに本屋に走り、大人買いをしてしまった。子育て真っ最中で、乳児に幼児に小学生、戦争のような日常の中でオアシスを見つけたようだった。
その後、大和和紀の『あさきゆめみし』にはまり、源氏物語(瀬戸内寂聴・訳)に挑戦。が、いまだ54帖読み終えず・・・
そしてついに運命の出会いが訪れる。井上雄彦の『スラムダンク』だ。きっかけは生徒の書いた美術ファイルの絵。「せっかくだから色を付けたら?」と言ったら、「これは鉛筆描きだからいいんですよ」と返ってきた。その絵が、新聞広告として載った湘北高校のメンバーの一人、三井寿の絵だった。
あの夏、単行本31巻を読破、DVD17巻と映画版2巻も見た。
以来、その熱は冷めることなく、常に私の原動力となっている。
最近大人買いしたのは、手塚治虫の『ブッダ』。『阿修羅展』にちなみ、『仏像を100倍楽しむ見方』と言う授業の参考にと読み始めたら、面白くて一気に読んでしまった。
ここまで書いてきて、果たしてこれを共有・共感してくれる人がどれくらいいるのだろうかと思った。
私にとって、漫画は結構(私の人生の)時代の節目節目に、意味を持って出逢うようになっていたと思う。中には連載中には縁も興味もなかったのに、何かのきっかけで出会うようになっていて、それがそのときの私に大きな影響を与えてくれる。
今はまだ知らない、出逢っていない、縁がなかった名作もたくさんあるだろう。しかし、必要なときには向こうからやってくるような気がする。誰かの紹介だったり、何気なく本屋で手にしたり、昔読んだ本が、新たな意味を持って再び巡り会ったり。
この夏はどんな作品に出逢うのか、楽しみだ。
もちろん、漫画だけでなく、小説を始め他のジャンルの本や映画、ドラマ、舞台、アニメ、歌、人物とかもね。