7月31日(日)
いよいよ、今日の夜行バスで、故郷石巻に向かう。
明日8月1日は、川開き本祭。夜には花火大会がある。
この度の震災で、多くの命も、地元の経済を支えていた花火大会のスポンサーも失った石巻市が、この川開きを目標に、町の復興に尽力し、気持ちの整理を付けてきたと思う。
私は、震災後、まだ一度も帰省していない。
義援金や物資の支援は送っても、私自身がまだ石巻に行っていないのだ。
自分にできることはなんだろう。
いつも自問自答して、身動きの取れない自分の置かれている状況の中で、ジレンマと戦ってきた。
夏休みに入り、部活動のない小学校勤務。個別面談を終え、試験も終わった。
一次試験を受ける前から、もし、二次試験に進めなかったら、ボランティア活動に行こうと思っていた。
万一、合格したとしても、1日でもいいから、何か役に立ちたいと思っていた。
だから、一次試験が不合格だとわかった時、がっかりはしたが、内心、これで心おきなく働いて来れると思った。
川開きが終わったら、ボランティア登録をして、再び千葉に戻ってくる。
8日の日直と研修を終えたら、その日の夜行で再び石巻に向かい、今度は「帰省」ではなく、一ボランティアとして、派遣された被災地で泊まり込んでも働いてこようと思う。
私の第一希望は、渡波地区。
地盤沈下が起きて浸水している地域だ。
危険区域で、復旧が遅れているとのことだ。
私が小学4年生まで暮らした私の父の実家も、土台と水道栓だけを残して、何もかも津波に流されてしまった。
そこに頑張って根を張り、葉を茂らせていると言う、亡き叔母が植えたバラの木に水をやりたい。
通学路の瓦礫撤去を手伝いたい。
いつも遊んでいた、盆踊りをした松林や広場をきれいにしてあげたい。
避難所になっている小学校で、未だ仮設住宅に移れないで大変な思いで生活している人たちを手伝いたい。
亡くなった友人達、お世話になった方々に手を合わせたい。
命が助かり、そこで復興を目指して頑張っている地元の人たちを応援したい。
泣きたくても、泣けない、泣いてもどうしようもない、泣かずに踏ん張って、その日その日を懸命に生きている故郷の人たちと、同じ臭いの空気を吸い、埃にまみれ、ヘドロを片付け、瓦礫を撤去し、豊かな海の幸を育み、活気のある港町渡波が再生するお手伝いをしたい。
たとえ、9日間の短いボランティア活動だとしても、みんなと一緒に頑張りたい。
そして、千葉に戻ってきたら、自分の目で見、耳で聞き、心や身体で身を持って感じたことを、メディアでは放送されない、見ることも嗅ぐこともできない被災地の状況や空気感を、たくさんの人に伝えたい。
今、何が必要か、これからどんな支援を必要としているのか、しっかり聞いてこようと思う。
それはまた、いつか近い将来に必ず起こる、関東・東海大震災への貴重な教訓となることだろう。
ああ、それにしても、8月1日の天気予報は曇りだ。
雲の中に隠れた花火大会になってしまうのだろうか…。
それでも。
雲の上から、あの日亡くなったたくさんの人たちが石巻の心意気の花火を楽しんでくれるといい。
地上の生き残った人たちは、花火の音を聞きながら、来年こそ、夜空を彩る花火大会にするために、また頑張るぞ!と元気を出してくれるといい。
私も、泣きなくなったら、花火の音と一緒に、大きな声で、海を見ながら泣こう。
海に沈む、多くの尊い命と大切な思い出たちに向かって・・・。
いよいよ、今日の夜行バスで、故郷石巻に向かう。
明日8月1日は、川開き本祭。夜には花火大会がある。
この度の震災で、多くの命も、地元の経済を支えていた花火大会のスポンサーも失った石巻市が、この川開きを目標に、町の復興に尽力し、気持ちの整理を付けてきたと思う。
私は、震災後、まだ一度も帰省していない。
義援金や物資の支援は送っても、私自身がまだ石巻に行っていないのだ。
自分にできることはなんだろう。
いつも自問自答して、身動きの取れない自分の置かれている状況の中で、ジレンマと戦ってきた。
夏休みに入り、部活動のない小学校勤務。個別面談を終え、試験も終わった。
一次試験を受ける前から、もし、二次試験に進めなかったら、ボランティア活動に行こうと思っていた。
万一、合格したとしても、1日でもいいから、何か役に立ちたいと思っていた。
だから、一次試験が不合格だとわかった時、がっかりはしたが、内心、これで心おきなく働いて来れると思った。
川開きが終わったら、ボランティア登録をして、再び千葉に戻ってくる。
8日の日直と研修を終えたら、その日の夜行で再び石巻に向かい、今度は「帰省」ではなく、一ボランティアとして、派遣された被災地で泊まり込んでも働いてこようと思う。
私の第一希望は、渡波地区。
地盤沈下が起きて浸水している地域だ。
危険区域で、復旧が遅れているとのことだ。
私が小学4年生まで暮らした私の父の実家も、土台と水道栓だけを残して、何もかも津波に流されてしまった。
そこに頑張って根を張り、葉を茂らせていると言う、亡き叔母が植えたバラの木に水をやりたい。
通学路の瓦礫撤去を手伝いたい。
いつも遊んでいた、盆踊りをした松林や広場をきれいにしてあげたい。
避難所になっている小学校で、未だ仮設住宅に移れないで大変な思いで生活している人たちを手伝いたい。
亡くなった友人達、お世話になった方々に手を合わせたい。
命が助かり、そこで復興を目指して頑張っている地元の人たちを応援したい。
泣きたくても、泣けない、泣いてもどうしようもない、泣かずに踏ん張って、その日その日を懸命に生きている故郷の人たちと、同じ臭いの空気を吸い、埃にまみれ、ヘドロを片付け、瓦礫を撤去し、豊かな海の幸を育み、活気のある港町渡波が再生するお手伝いをしたい。
たとえ、9日間の短いボランティア活動だとしても、みんなと一緒に頑張りたい。
そして、千葉に戻ってきたら、自分の目で見、耳で聞き、心や身体で身を持って感じたことを、メディアでは放送されない、見ることも嗅ぐこともできない被災地の状況や空気感を、たくさんの人に伝えたい。
今、何が必要か、これからどんな支援を必要としているのか、しっかり聞いてこようと思う。
それはまた、いつか近い将来に必ず起こる、関東・東海大震災への貴重な教訓となることだろう。
ああ、それにしても、8月1日の天気予報は曇りだ。
雲の中に隠れた花火大会になってしまうのだろうか…。
それでも。
雲の上から、あの日亡くなったたくさんの人たちが石巻の心意気の花火を楽しんでくれるといい。
地上の生き残った人たちは、花火の音を聞きながら、来年こそ、夜空を彩る花火大会にするために、また頑張るぞ!と元気を出してくれるといい。
私も、泣きなくなったら、花火の音と一緒に、大きな声で、海を見ながら泣こう。
海に沈む、多くの尊い命と大切な思い出たちに向かって・・・。