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交流

背負うた子に教えられ

2010-11-20 22:52:00 | 徒然なるままに
11月20日(土)

今日は、午前中は中3の末娘の中学最後の授業参観をした。
1校時目は美術で、木彫の箱作りだった。私も勤務校の3年生の選択美術で木彫の印箱作りの授業をしているので、大変参考になった。
2校時目は理科だった。『イオン結合』についての授業だったが、銅イオンと塩素が結びついて塩化銅になる仕組みを、寸劇仕立てで学習するなど、いろいろ工夫されていて楽しかった。
3校時は技術でキーホルダー作り。、シリコンで作った鋳型に金属を溶かし入れ、取り出した鋳金を磨きあげるという作業だった。
面白かったのは、先ほどの2時間の授業中立ち歩いたり、後ろを向いたり全然授業に集中できないでいた生徒が、無言で集中して金属磨きをしていたことだった。

午後からはバザーがあったのだが、私は、勤務校で演劇部の活動があるので、カレーを一杯頂いて部活に向かった。

12時から4時半までみっちり練習し、みんなセリフはどうやら覚えたようだ。
明日から定期試験前諸活動停止期間に入る。26日のテストが終わったら、即、2公演に向かって、猛練習と大道具・小道具作りだ。

夕方、久しぶりに帰ってきた息子を迎えに行き、末娘手作りの坦々鍋を頂いた。
来週の3者面談に向かって、大学生の息子に末娘へアドバイスしてもらうつもりで来てもらったのだ。
果たして、受験生の妹は兄のアドバイスをどう受け止めるだろうか???

その息子に、私も貴重なアドバイスを受けた。
私は今年の採用試験に一次試験で失敗し、二次まで行った同年代の講師仲間も残念だったことを、美大の同窓生に話したところ、
「ばっかだねぇ、採用する側だって、将来性のある若い講師の中から選ぶに決まってんじゃない。
いくら経験があったって、もう無理が利かない年代の講師を採用するなんてありえないよ。
そんなことに、時間と労力をかけるぐらいなら、別のことにエネルギーを使ったら?
現役で働けるなんて、あと何年もないんだよ、私たち」
と言われ、正直、かなりモチベーションが下がっていたのだ。

そしたら、息子が、
「ボーダーだったら若い人を採用する確率が高いかもしれないけれど、ボーダーじゃなければいいんじゃない。
経験も、学科試験も文句なしの点数を取っていればいいんでしょ。堂々と合格できんじゃない。
ボーダーなんか狙っていたら、受かるものも受からないよ。」

その通りだ。
自分が受からなかったことを、自分の勉強不足、認識不足を棚に上げ、いつの間にか年齢のせいにして現実から目をそむけて、勝手にモチベーションを落としていたのだ。
息子の言葉はガツンときた。
目が覚めた。
さすが、高校、大学、就職試験の難関を突破してきただけある。あいつは部活でも、常に逆境の中でも最後まであきらめないやつだった。
そう教えたのは私だったのに、いつの間にか「背負うた子に教えられ・・」か…。

今日、演劇部の生徒たちに、
「先生は、来年はいないの?」
と聞かれ、
「うん、1年契約の講師だからね。」
「何で、1年しかいられないの?他の先生方みたいにもっといられないの?」
「非常勤講師なら○○先生みたいに2,3年はいられるらしいなだけど、私のような常勤講師は、長くて1年間契約なのよ」
「いやだ、来年もいてください!」

みんなの質問やお願いは、どこの学校に勤務していても、この時期から毎年恒例のことになっている。
私も、残り少ない任期を気にしながら、私がいられるうちに、この子たちに何を教えてあげられるか、何をこの学校に残してあげられるか、寝食を惜しみ、休み返上でラストスパートをかける時期に入る。
うれしいのは、子どもたちもそれに応えてくれるのだ。美術の授業だけでなく、学校生活のあらゆる場面で。
そしてやがて迎える涙の離任式…。
運が良ければ、次の勤務校が決まっているのだが、さてさて、来年の今頃はどこの学校で何をしているのだろうか…。

もし、来年、採用試験に合格できてれば、現勤務校の1年生たちが3年生になる頃には、運が良ければ、「講師」ではなく「教諭」として戻って来れることも可能だろうか?
演劇部の1年生たちが最上級生として、最後の夏の大会に出場するのを顧問として応援することができるだろうか?
美術部のないこの学校に、美術部を作ってあげることはできるだろうか・・・?

息子のアドバイスや、演劇部の子たちのラヴ・コールが消えかけていた私の「ヤル気」に酸素を送り込んでくれた。

末娘にばかりハッパかけていないで、
「ママも夢を諦めないで頑張っているんだよ!」
という生き様を見せてあげられるように、まず、私が頑張らなくっちゃ!

     初心、忘るべからず。
  
     いつも、ここから。

     諦めたら、そこで試合終了ですよ。

チバリヨ~!演劇部!ファイティーン!

2010-11-15 20:03:00 | 徒然なるままに
11月14日(日)

午前中、演劇部の活動があった。
現在、完全下校が16:45なので、6校時ある日などは、16:00に帰りの会が終了しても、部活動ができる時間はたった30分だ。朝練をいれても、朝から声は出ないので、読み合わせがせいぜい。
土日に活動をいれなければ、1本通した芝居の練習ができない。

久しぶりに部員たちと柔軟、発声練習をし、12月に2つある公演の本読み練習をした。

1本目は、12月19日にある中学校演劇コンクールで上演する『海賊』(作・加藤のりや)、2本目は12月24日、隣接する保育園のクリスマス会の出し物の一つとして上演させてもらう『3匹のかわいいオオカミ』(原作・ユージーン・トリザビス 脚本・私*(酔払い)*)

台詞が棒読み状態、声が出ない、台詞の読み方に変な節をつける癖があるなど、部員たち一人一人に演技指導し、何とか2本一通りの演出を付けた。
キャラクター設定と役作りなど、初めての生徒もおり、『朗読』と『セリフ』の違いからの指導は疲れたが、皆、頑張っていた。

さて、リハーサルまであと1カ月もないのだが・・・。
まずは、全員、風邪などひかず、ベストコンディションで本番を迎えられるように頑張ろう!

マオリ語ブーム

2010-11-14 06:57:00 | 徒然なるままに
11月13日(土)

今日は5時間目に、勤務校で授業参観があった。
私は、今回は美術の授業ではなく、1年生の数学のTT(ティーム・ティーチング)としての授業展開だった。

今、「比例」について学習しているところなのだが、午前中のクラスも、導入のところなので、生徒たちは割と集中して授業を受けていた。

土曜日の参観と言うこともあって、お父さんや小学生たちも来ていて、どの階もにぎやかだった。

私が昨日がんばって作った『マオリ族』の掲示物も好評で、とくに、生徒たちは、早速マオリ語で『Kia ora (キア オラ - こんにちは』と挨拶を交わし合っていた。それを聞いて、まだ掲示板を見ていなかった生徒たちもみんなで見に行き、ちょっとしたマオリ語ブームが始まった。来週、本物のマオリ族の人たちが来校されるまで、みんな挨拶ぐらいはマオリ語で話しかけれるようになっているといいなぁ*(酔払い)*

授業参観の後で、学校職員、地域の学校評議員、民生委員、PTA役員をはじめとする保護者の、『ミニ集会』があった。
『○○中のいいところ、悪いところ、みんな見せます』
というタイトルで、アンケートなどをもとに、学校の歴史、現状、未来への課題について、校長がパワーポイントで作成したスライドを見て、グループ分けされた参加者たちでフリートークをした。

参加者は少なかったが、それでもさすがに学校の現状について意識の高い方たちが参加していただいただけあって、活発な意見交換が行われた。

来年は、もっとたくさんの保護者の参加を期待したい。(その頃、私はこの学校にはいないけれど・・・)


*(椰子)*マオリ族がやってくる!

11月12日(金)

今日は、一斉下校の後、明日の授業参観に向けて、学習環境のチェックと掲示物作りを頑張った。

授業や夏休みの宿題で生徒たちが取り組んだ作品や、各種コンクールで入賞した作品の展示をしたり、来週来校する『マオリ族』やニュージーランドにつての掲示物を作成したりした。

そう!なんと来週、学校に『マオリ族』がやってくるのだ。
生徒たちは「マリオ族?」なんてふざけたことを言って、勝手な妄想をしているので、交際交流として、相手に失礼な態度や不愉快な思いをさせないためいも、『マオリ族』について、予備知識が必要だと思った。
で、掲示物作りを自分から買って出た。最初は1年生用にと思っていたのだが、ぜひ、「3学年分も!」もと言われ、一気に仕事が増えてしまったのだが、どうせなら全校生徒が「Tena koutou テナ コウトウ (こんにちは、ようこそ)」の気持ちで、楽しみにその日を迎えられた方がいいと思い、引き受けた。

インターネットでいろいろ検索して記事を書いているうちに、『マオリ族』に会えるのを、誰より何より私が一番楽しみにしている。
生徒たちも、掲示物を読んで『マオリ族』について興味・関心を持ち、
「『マオリ語』で話しかけてみよう!」
と思ってくれたらいいな*(ニヤ)*


*(鉛筆)*新米『数学教師』とたまごちゃん達

11月11日(木)

今週は、前回の小テストで0点を取った「たまごちゃんたち」を少人数教室に呼んで、取り出し授業をやったり昼休みに美術室で補習をした。
「たまごちゃんたち」は、最初のほうこそ、嫌がったり、他の生徒たちにからかわれたりして恥ずかしがってはいたが、少しずつ出来なかった問題が解けるようになってくると、生徒たちは、授業前になると、自分から少人数教室に行きたがったり、
「おれは行かなくていいの?」
「僕も分からないところがあるから、教えてください」
と、「たまごちゃんたち」でない生徒たちまで来たがるようになった。
昼休みは、わざわざ遠い美術室に補習会場を移したのに、なんだか関係ない生徒(たまごちゃんではないが、おしりや頭にまだ卵のからがくっついているような生徒)まで来て、
「先生、俺にも問題出して!」
とせがんだり、
私が「たまごちゃんたち」に出した問題を解きたがったり、黒板一杯に方程式の問題を書いて、あーだこーだとそれはそれはにぎやかな昼休みの美術室になっている。
そのうち、けっこうできる生徒たちまでやってきて、私が対応しきれないでいる生徒たちに教えてくれたりするのだ。

今のところ男子が多いのだが、女子も、
「私も補習に行きたい」
「でも、男子がいっぱいいて行きにくい」
とかいうので、
「あなたたちはちゃんと授業に集中していれば大丈夫だよ。クラスには数学得意な女子がたくさんいるから、その子たちに教えてもらえば?」
と言ったら、女子はけっこうお互いに勉強を教え合うようになった。

とにかく、
九九が言えないから割り算もダメ、
分数を見ただけで拒絶反応、
小数点が付いているだけで面倒くさい、
『絶対値』ってなんだっけ?
2×□=10 □=5 はできるのに、2x=10 x= になるとパニックを起こしてしまう
方程式の応用問題にいたっては、外国語のように聞こえて、何を言われているのかわからない、教科書や黒板に何が書かれているのか読もうともしない。

こういう生徒と、塾で方程式なんかとっくに終わっている生徒たちが、同じ教室で勉強するのだ、生徒たちも大変だが、教える方も大変なのだ。
2,3年生になると、習熟度別にクラス分けするのだが、1年生はこれから学習していく基礎を勉強するので、一斉授業+TT(ティーム・ティーチング)体制で授業をするのが一般的だ。

そして、私は、今年度はなぜか美術は1年生と2,3年生の選択美術の他に、1年生の数学のTTをやっている。
数学なんて全くの専門外なのだが、生徒たちは私のことを数学教師だと思っている。それも、小学校までさかのぼって教えなくてはならないような生徒に、今習っていることを『同時通訳』してあげるのだ。
これはけっこう大変な仕事だ。でも、視点を変えれば、とても重要な仕事で、私自身、大変勉強になっている。それに、何より、目立たない生徒、授業について行けてない生徒を中心に、励ましたり、説明したりしているうちに、そのクラスの生徒たちの様子を知ることができる。それは、本来の美術の授業だけでなく、給食指導、清掃指導、委員会活動、部活動に至るまであらゆる場面で生かされている。

その一方で、生徒たちは良く言えばわたしに「甘え」「親近感を持っている」だが、口うるさいお母さんに反抗するような感じで生意気な口を聞き、生徒になめられているようなところがある。
休憩時間の私は、ほとんど『着ぐるみ』状態だ。夏は私の二の腕をつまみに来たり、寒くなってくると抱きついきて温まりに来る。(小学校で教えていた時は、おんぶやだっこもせがまれた)
腰パン男子に至っては、変わり番こに、日替わりでパンツの柄まで見せに来る。
「この補色効果、いいカンジでしょ?」
「見てみ!今日は、ハリネズミ柄だよ!」
普通、男の先生にも、ましてや女の先生にはパンツの柄なんて見せないでしょう?
美術の先生仲間にだって聞いたことがないんだけど…?

まあ、私も腰パン指導をしながら、律儀にパンツの地の色とプリントされたモチーフの色合いなんかをアドバイスしてあげるんだけどね。(それでか!!)

取り出し授業と昼休み補習の成果は、少しずつだが授業にも反映されてきているようで、「たまごちゃん」たちも授業中ちゃんとノートを取ったり、説明の時は集中して聞くようになったような気がする。

2週間後の定期テストに向かって、
せめて、2桁の点数は取ろう!
前回の点数より10点アップを目指そう!
「たまごちゃん」を卒業しよう!
を目標に、頑張るぞ!!!


*(車)*合宿免許

11月10日(水)

今日、妹が、合宿免許から帰ってきた。
合宿所は静岡。パンフレットには富士山が見えていたのだが、実際は違ったそうな。

43歳の妹は、合宿所で娘や息子のような年ごろの若者たちに「お母さん」と慕われ、『ボス』と呼ばれていたのだとか。
若い子たちに囲まれ、お互いに励まし合って、頑張った16日間。
仲間と一緒に撮った写真や試験の前や卒業の時に送ってもらったメールなども見せてもらった。

合宿中に私の携帯に届いていた妹からのメールは、教官に怒られて落ち込んだり、教本を覚えられなくて落ち込んだりしたような内容のものが多かったので、心配していたのだが、けっこう楽しくやってきたようで安心した。

妹が
「運転て、その人の人柄が出たり、まさに、人生そのものだね。目先のことにとらわれて、周りや進行方向を見れてないと大変なことになる。教官に、「考え過ぎるな。肩の力をぬいて」と何度注意されたことか。」
と、なんだか哲学者みたいなことを言っていた。

行く前は自信なさげで、なかなか前に踏み出せずにいたのだが、
「思い切って行ってみてよかった」
と言えるような合宿で本当に良かった。

早く免許センターで免許を取って、休みの日には私の車を使って練習して、もっともっと運転上手になろう!
 

若きミュージシャン*(ギター)*たちとの出会い♪

2010-11-07 18:57:00 | 徒然なるままに
11月6日(土)第2弾

模擬試験帰りの中3の末娘と人形劇を見た後、一緒に焼き肉店で夕食を済ませ、彼女は買い物して帰宅。私は、前前任校の同僚の先生に誘われてライブハウスにライブを聴きに行った。

今日は、濱田耕平さんという29歳フォークシンガーと、19歳の高橋君(教え子のお兄さん)のギター演奏と歌を聴かせてもらった。
どちらも中3からギターを始めたということで、10年のキャリアとテクニックの差こそあったが、歌魂に関しては、どちらも負けていないほど熱いものを感じた。

濱田さんの歌は、『ふきのとう』が好きだというだけあって、まさにフォークソングの神髄のような歌と歌い方だった。
女性の立場で歌った歌や、嫁ぎゆくいとこの結婚式に歌うという歌、音楽の道を目指しながら、白血病で急逝した少女への歌など、いろいろな視点でのラブバラードや、ソウル、ロック、ブルース的要素を感じる歌や歌い方など、バラエティーに富んでいた。特に、ギターを打楽器のように演奏していたのはカッコ良かった。
鹿児島から単身上京してくるときに、お父さんから頂いたギターの話や、帰省するたびに、お父さんの好きな歌を練習していって一緒に歌う話、『ふきのとう』はじめ、往年のフォークシンガーたちとの交流の話はとても興味深かった。

高橋君は客として来ていたのだが、濱田さんとマスターに頼まれて、急遽ゲスト出演。自作の歌2曲と、尾崎豊と、矢沢永吉の歌を歌ってくれた。
高橋君の声がまたいい。尾崎豊の歌を歌えるキーのシンガーはそういないと思う。
すごく、素直で透明感のあるそして情熱的な歌い方だった。
なかなかのイケメンで、眼力もあって、シャイな感じなのに、歌っているときは、一途な感じの目で一生懸命歌う姿に惹きこまれてしまいそうだ。

ライブ終了後、私の帰る方向の駅に行くという高橋君を私の車で駅まで送った。
道々、いろんな話をして楽しかった。
19歳。人生の選択肢はたくさんある中で、音楽の道を選ぶのか、今一つ覚悟が決まらないでいる彼。ご両親は大学受験を勧めていらっしゃると言っていたっけ…。
私は、大学はやりたいことを探しに行くところではなく、学びたいことを勉強しに行くところだと思っている。
やりたいことが今から決まっているのなら、思い切ってその道に進んでみる。そのうち、壁にぶち当たる。自分に足りないものと必要なことが分かってくる。
その時に初めて学びたいことを学べる学校に挑戦するなり、師匠となる人の門をたたけばいい。
人は何と出会うか、何がきっかけになって、ある時その出会いが、時に人生に大きく影響することになるかわからない。
道は一つではない。
大学は一つの通過点でしかない。

彼と話していると、私と音楽の趣味がすごく合うので、ご両親がそれらの歌やアーティストが好きなのかと思ったら、TVやラジオで見たり聞いたりして、いいなと思って、興味を持って、自分でも歌ってみたら、どんどん好きになっていった。ということだった。
やはり、『名曲』は時代を超え、国境を超え、世代を超えて、巡り会うべくして巡り会うようになっているのだ。
そして、『名曲』は『名曲』を生むのだ。

まあ、志の高い若きミュージシャンたちに出会って、彼らの歌を聴いて、ハートが熱くなったひとときだった。
今日、明後日の定期テストのために連れてこられなかった末娘。28日の高橋君たちのライブには連れて行ってあげようと思う。
あ、でも、それに触発されて、受験勉強そっちのけでギター*(ギター)*の練習に夢中にならないように気をつけてやらなくちゃ*(シャイ)*

芝居と人形劇と・・・。

2010-11-07 16:33:00 | 徒然なるままに
11月6日(土)

今日は盛りだくさんの1日だった。
午前中は、演劇部の引率で、薬円台高校文化ホールで開催された高校演劇の秋のコンクール地区予選を観劇した。

高校の演劇部の日常を題材にした芝居で、高校生のピュアな心や、お笑いがあったりして、部員たちは真剣に、ウケるところは思いっきり大ウケで見ていた。

私は午前の部だけで抜けて、午後からは我が子たちが通った幼稚園の『作品展』を観に行った。
この幼稚園で、私は、10年間、人形劇活動をしていた。
今年の秋公演で、私が在籍中に脚本を書いた『ヘンゼルとグレーテル』リニューアル版をやるということで、楽しみにして来た。
私は、当初、グリム兄弟の原作通りの脚本を書いた。
飢饉続きの貧しい家の二人の幼い兄弟が、継母に虐待されて、森に捨てられ、1度目は兄の機転で無事に帰宅できるが、2度目はうまくいかず、森の魔女に捕らえられてしまう。
が、兄の機転と妹の勇気でピンチを切り抜け、魔女を倒し、無事家に帰ることができた、というおなじみの話だ。

でも、その当時も、幼稚園児に『子捨て』と言う幼児虐待を見せてよいものか迷った。

その頃、新聞に『美智子皇后の子供の本を通しての平和--子供時代の読書の思い出-』というコメントが掲載された。(全文http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/koen-h10sk-newdelhi.html)

その中で、美智子皇后が、ご自分の子ども時代の読書体験を振り返り、
『読書は私に,悲しみや喜びにつき,思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には,さまざまな悲しみが描かれており,私が,自分以外の人がどれほどに深くものを感じ,どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは,本を読むことによってでした。

自分とは比較にならぬ多くの苦しみ,悲しみを経ている子供達の存在を思いますと,私は,自分の恵まれ,保護されていた子供時代に,なお悲しみはあったということを控えるべきかもしれません。しかしどのような生にも悲しみはあり,一人一人の子供の涙には,それなりの重さがあります。私が,自分の小さな悲しみの中で,本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。本の中で人生の悲しみを知ることは,自分の人生に幾ばくかの厚みを加え,他者への思いを深めますが,本の中で,過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは,読む者に生きる喜びを与え,失意の時に生きようとする希望を取り戻させ,再び飛翔する翼をととのえさせます。悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには,悲しみに耐える心が養われると共に,喜びを敏感に感じとる心,又,喜びに向かって延びようとする心が養われることが大切だと思います。』

と言うコメントを読だ時、、残酷なシーンや怖いシーンなどの毒気を抜き、すべてハッピーエンドに脚色してしまう児童演劇に疑問を抱いていた私にとって、とても勇気づけられるものだった。

『ヘンゼルとグレーテル』は、お兄ちゃん子で甘えん坊の泣き虫グレーテルの成長物語として脚本を仕上げた。
こんな時代があったということや、どんな困難にも、兄弟で力を合わせてそれを乗り越えていってほしいという思いを込めて…。

あれから10年の時が過ぎ、日本は随分厳しい時代になった。
豊かな時代と言いながら、耳をふさぎたくなるような幼児・児童虐待のニュースが日常茶飯事のように流れてくる。
子どもたちを取り巻く家庭環境も複雑化してきている。
「継母」や『子捨て』は、貧しかった時代の昔話ではなくなり、現実の社会問題になっている。

リニューアルされた『ヘンゼルとグレーテル』は、家族は仲良く、たまたま木の実を取りに行って森で迷った子どもたちが、魔女をやっつけて、心配している両親のもとに無事帰ってくる。というものだった。
『兄弟で、力を合わせて困難に打ち勝つ』というテーマは大いに生かされていたと思う。

後輩たちや、当時からずっと活動を続けて私の脚本を大事にして上演し、今回はまた素晴らしい脚本リニューアルしてくれたくれた劇団員の仲間たちに、心からの感謝とエールを送りたい。

私は、また、かつて、『3匹のこぶた』も、ジェイコブスの原作にこだわった脚本を手掛けた。二人の兄たちはオオカミに食べられ、オオカミとの知恵比べに勝った末っ子は、オオカミを釜ゆでにして食べてしまうという、衝撃的なラストシーンだった。
ディズニー版の『3匹のこぶた』しか知らない園児やそのお母さんたちまで、そのラストシーンはショックだったのか、初演の時は幕が下りても、一瞬シーンとなってしまったのを覚えている。

毒気を全部抜いたゆるゆるのヌルイ話も悪くはないが、『本当は怖い…』と言うぐらいグロくない程度の寓話は必要だと思っている。

ところで、私は今、『3匹のかわいいオオカミ』と言う絵本で、『3匹のこぶた』のパロディー版の脚本を書いている。
いじめっ子にはいじめっ子の言い分があり、いじめをなくすには、いじめられている子はもちろんだが、いじめている子を救わなければ、問題は解決しない…。という思いを込めて。


長くなっちゃったので、夜の部の『ちょっといい話』は第2弾として書くことにする。

演劇コンクール

2010-11-07 11:36:00 | 徒然なるままに
11月5日(木)

今日は、放課後、演劇部の顧問会に出席するために、千葉市土気まで出かけて行った。

我が校演劇部は、今年初めて中学校演劇コンクールに参加するのだ。

参加校13校でくじ引きして公演日と組み合わせを決めた。

我が校は、12月19日(日)のプログラム2番目。(リハーサルは11日)
この間に定期テストのため、4日間の部活動停止期間があり、朝練40分、放課後は4時30分までしか部活動はできないから、6時限目まである日やいいかいがある日は活動できない。
12月初めには保育園での公演もある。
となると、これからの土日は毎週部活動があることになる。
運動部並みのハードスケジュールに、あののんびり屋の彼女たちが、この1カ月どんな頑張りを見せてくれるか。

顧問として、部活動が仕事の支障にならないよう、一方で、仕事で部活動に出られなくならないよう、もし、私が出られなくても、部活動がちゃんと機能するよう、効率よくやっていかなくては…!

私の『文化の日』~『東大寺音舞台』と早慶戦

2010-11-07 06:18:00 | 徒然なるままに
11月3日(水)*(日本)*文化の日

今日は、朝から天晴な*(晴れ)*秋晴れで、洗濯をしたら、休日出勤をして、美術室で1年生たちに返却する土器の作品の撮影に行く予定だった。

さて、出かけようとして、たまたまTVで時間を見ようとしたら、『東大寺音舞台』と言う番組をやっていた。
http://www.mbs.jp/oto/

聖武天皇の発願で東大寺に大仏が建立され、大仏開眼(大仏の目に筆で瞳を描いて魂を迎え入れる儀式)の際には、盛大な開眼供養会が催された。
それにあやかり、光明皇后1250年御遠忌の年の今年は、世界の歌姫ソプラノ歌手のサラ・ブライトマンやシルク・ドゥ・ソレイユ「ゼッド」、HY 他による、国際色豊かな供養会が催された。

沖縄在住の5人組インディーズアーティストHYは、沖縄の歴史と命の尊さをうたう「時をこえ」を、エイサーの踊りを加えて披露した。供養会にふさわしい内容の歌と舞いだった。

シルクドソレイユの男女二人による、天と地の出会いを表現する「ハンド・トゥ・ハンド」という高度なアクロバット演技には息をのんだ。
どれだけの腹筋力・背筋力と腕の力、そして練習量が必要なのだろう。
それ以上に、一瞬の気の緩みや呼吸の乱れで、死にもつながる危険な演技を完成させるのには、お互いの絶大に信頼感が不可欠だ。
そして、その集中力を助けるのが、見守る人達の集中力だ。その場に居合わせる全員の呼吸と『気』が一体となった緊張感がなければ、あの演技は完成しないだろう。
あの演技をぜひ、生で見たいと思った。


サラ・ブライトマンの歌声は、聞きしに勝る『天の声』だと思った。大仏殿前の舞台で歌う『アヴェ・マリア』は、華厳経の『あまねく人々を救う盧舎那大仏』と光明皇后をたたえる歌としてふさわしく、宗教の違いを超えたテーマは一緒だと思った。

光明皇后は、当時、病に苦しむ人々に、自ら治療にあたり、シルクロードから日本に渡ってきた高価な薬を民のために使ったと言われている。その、日本では手に入らない薬は、現在でも、正倉院に保管されている。
光明皇后には仏教の庇護者としてさまざまな伝説も伝えられており、光明皇后が、重症の癩病(らいびょう。ハンセン病)患者の膿をみずから吸ったところ、その病人が阿閦如来(あしゅくにょらい)であったという話はよく知られている。国立ハンセン病療養所である邑久光明園はこの逸話から名付けられている。
また、興福寺の『阿修羅像』をはじめとする仏像は、光明皇后の命によりつくられた。
帝釈天との何千年もにも渡る勝ち目のない戦いを続ける阿修羅を、あのような憂いを含んだ少年の姿に表させた光明皇后は、あの像に、どんな思いや願いを託したのだろう。

TVで見ただけでも、こんなに充実した気持ちになれたなんて、ラッキーだった。
まさに、私にとっても『文化の日』だった。

     *(野球)*     *(野球)*     *(野球)*     *(野球)*     *(野球)*

午後からは、職員室で学年だよりをPCで打ちながら、TVで『早慶戦』を観戦。
我が息子は、同期の斉藤祐樹主将をはじめとする野球部の大学生活最後の戦いを、神宮球場まで応援に行った。
『ハンカチ王子』の、『仲間』を思うコメントには、息子も感涙していたことだろう。
リアルタイムで、同期の彼を応援し続けることができた息子をうらやましく思う。
私も、息子と同じ学年と思うだけで、斉藤選手の活躍はとてもうれしく、『仲間』を大切にする彼のコメントには本当に感動した。
プロになってからも、今のこの気持ちを忘れずに、『仲間』を大切に、活躍して行ってほしい。
その姿に触発されて、我が愚息も勇気とやる気を持って、4月からは社会人として頑張ってほしいと思う。

自己完結

2010-11-03 08:01:00 | 徒然なるままに
11月2日(火)

このところ、1学年で問題が勃発している。
思春期・反抗期特有の問題とばかりともいえない。
複雑な背景や家庭環境、人間関係も絡んできている。

私自身も対応や判断に困ったり、迷ったり、悩んだりすると、同僚や上司に相談し、アドバイスを受けたり、愚痴を聞いてもらったりするのだが・・・。
時には我が子たちに聞いてもらって、子どもの立場や、かつての中学生の気持ちになって考えてもらったりする。すると、けっこう、鋭い視点の的確なアドバイスが返ってきたりする。

先月、校長先生が、
「問題を起こす生徒は、我々教師に『問題を提起してくれている』と思って、あきらめずに向き合い、関わってほしい。最終的にその子を救わなければ、問題は解決されないのだから」
とおしゃった。

まさに、その通りだと思う。
我が子を振り返っても、今まで関わってきた教え子たちもそうだった。
彼らが抱えている問題や、引き起こす問題に共に悩み、振り回され、気力・体力ともに消耗させられはしたが、それ以上に彼らから教えられること、得るものは大きかったし、何より、それを一緒に乗り越えたという達成感と自信は、自分にとって教師を続けるうえでのかけがえのない土台になっている。
また、1年間という任期の中で解決できなかったこと、期限切れで、後任に託すしかなかったこと、数々の失敗経験なども、それを繰り返さないための貴重な経験として、自分の中で、時にストッパーとなったり、起爆剤になったりしている。

私は、生徒たちには『ウザい』『口うるさい』先生で、でも、怒っても怖くない『ヌルイ』先生に思われている。
子どもは正直で、人によって態度を変える。
怖い先生の前では緊張して、借りてきた猫みたいになって神妙にしているが、怖くない先生の前ではふざけたり、反抗したり、無視したりする。
罰を与えられると、逆恨みするような者もいる。

ある男子生徒が、
「怖い先生には謝れるけど、○○先生(私のこと)はぬるいから恥ずかしくて謝れない。」
と言っていたと聞かされ、
ある女子生徒は私には面と向かって、
「先生が怒っても、顔が怖くないから迫力ない」
と言われた。

私も自分でも甘いかな、ぬるいかなと思う時はあるが、自分自身、権力で押さえつけたり、キュウキュウに締め付けられるのが嫌いなので、その甘さや緩さが出ているのかもしれない。
でも、ここだけは譲れないというか、自分でも人格が変わるぐらいに怒る時はある。
他人の失敗を嘲笑すること。
他人を陥れるような卑劣な行為。
いじめ。
刃物の誤った扱いをした時。
自分の作品も他人の作品も大切にしないとき。
命にかかわるようなふざけた行為。
そういうことを見つけたり、そう状況になった時は半端じゃない怒り方をするらしい。(生徒談)

『ウザい』『うるさい』と言われるのは、靴紐がほどけていたり、授業中の姿勢が悪かったり、目にかかりそうな髪型、配膳の際の髪の毛や、手洗い、掃除のチェックなど、生活面での指導が細かいからかもしれない。
ああ、『うるさい』のは声が大きいせいもあるかなあ…。(演劇部顧問だし)

でも、時に、まるで怒ってほしいの?と言うぐらい、『かまってかまってオーラ』全開の生徒もいる。(わざわざパンツの柄を見せに来たり)
私が他の生徒と話していたり、注意していると、わざと割って入ってきたり、そばで何かやらかしていく奴、もとい、生徒もいる。
挙句の果てに、「ママ、後はよろしく~!」とやりっぱなしで走り去っていく輩まで…。
女子には格好のからかいネタになっているときもある。
妹には、
「お姉ちゃんは、見た目(体型)も仕草も歩き方まで着ぐるみみたいだから。」
と言われた。
末娘には
「ママ、生徒になめられてるね。」(そう言うあんたが一番なめてる!)


いまさら、眉毛剃って目を釣り目にメイクして強面にしたところで、
「何のイベントメイク?」
と笑われるのがオチだから、自分のキャラは変えずに、『ウザい』言われようが、『しつこい』と言われようが『うるさい』と言われようが、『ヌルイ』と言われようが、『着ぐるみ』と言われようが、譲らないところは譲らず、己の信念を貫きとおすしかない。

基本は、
『逃げない、ブレない、諦めない』(by前前任校校長)で、
『生徒にとって一番いいこと』を考える。(by現勤務校校長)
かつて長男に言われた『終わってない先生になってね』を目指して。


なんだか、愚痴に始まって、しょうもない自己完結で終わってしまった。
読んでくださってありがとうございます。そしてごめんなさい。



*(ラーメン)*

進路説明会

2010-11-03 06:54:00 | 徒然なるままに
11月1日(月)

今日、午後から特休(育児休暇)を頂き、末娘の学校の進路説明会に参加してきた。

長男・長女の時は特色選抜試験制度だったが、末娘たちの代から公立高校の入試制度がガラリと変わる。
先生方も、先が読めず戸惑っているが、生徒はもちろん、親も不安だ。
説明会では、いろいろなシュミレーションでわかりやすく解説してもらったが、会場には今日の時間の都合がつかなかったのか、また、自分も子は大丈夫だから説明会に参加する必要がないと思ってなのか、ちらほら空席もあった。
でも、その空席の隣で船をこいでいる生徒の後姿を見て、他人事ながら、「説明聞いていなくて大丈夫?お母さんに説明できるの?」と心配になった。

公立。私立高校受験の説明もさることながら、就職希望者への説明も世相が反映していた。

来年度の中卒者の求人状況は、現時点で千葉市内で4名、千葉県内では14人だという。

それも、次の条件を満たしている者に限る。
1.学校を休まない者。
2.受け答えがハキハキしている者。
3.自分は就職するんだという意思の固い者。

どんな受験よりも厳しい条件だ。
「高校なんて…。働くから、勉強なんてしくていい」
なんて寝ぼけたことを言って、授業中に寝ている者、平気で遅刻したり、だらしない格好、挨拶もできないものたちにこの現実を突きつけてやりたい。

社会に出て、現実の壁にぶつかり、世間の冷たい風に吹かれて、立ち止まり、振り返って、その時、彼らは何を感じるのだろうか…。

入試まで後3カ月。
今が頑張りどころだ。
自分だけが辛いのでも、怖いのでも、苦しいでもない。
不安なのは皆同じ。
時間がないのも皆一緒。
ここから逃げ出したい。早く楽になりたい。
夢を叶えたい…。
さあ、みんなで頑張るしかない。
今頑張らないで、いつ頑張る?
夢は逃げない。
夢から逃げるのはいつも自分。
諦めたら、そこで試合終了ですよ…。


夏休み前の進路説明会の時は余裕ぶっこいていた末娘も、さすがに今の自分の状況が危機的だと再認識できたのか、帰宅後の漢字検定に向けての勉強には真面目に取り組んでいた。

焼け石に水の3日坊主にならないよう、健闘を祈る*(グー)*