11月20日(土)
今日は、午前中は中3の末娘の中学最後の授業参観をした。
1校時目は美術で、木彫の箱作りだった。私も勤務校の3年生の選択美術で木彫の印箱作りの授業をしているので、大変参考になった。
2校時目は理科だった。『イオン結合』についての授業だったが、銅イオンと塩素が結びついて塩化銅になる仕組みを、寸劇仕立てで学習するなど、いろいろ工夫されていて楽しかった。
3校時は技術でキーホルダー作り。、シリコンで作った鋳型に金属を溶かし入れ、取り出した鋳金を磨きあげるという作業だった。
面白かったのは、先ほどの2時間の授業中立ち歩いたり、後ろを向いたり全然授業に集中できないでいた生徒が、無言で集中して金属磨きをしていたことだった。
午後からはバザーがあったのだが、私は、勤務校で演劇部の活動があるので、カレーを一杯頂いて部活に向かった。
12時から4時半までみっちり練習し、みんなセリフはどうやら覚えたようだ。
明日から定期試験前諸活動停止期間に入る。26日のテストが終わったら、即、2公演に向かって、猛練習と大道具・小道具作りだ。
夕方、久しぶりに帰ってきた息子を迎えに行き、末娘手作りの坦々鍋を頂いた。
来週の3者面談に向かって、大学生の息子に末娘へアドバイスしてもらうつもりで来てもらったのだ。
果たして、受験生の妹は兄のアドバイスをどう受け止めるだろうか???
その息子に、私も貴重なアドバイスを受けた。
私は今年の採用試験に一次試験で失敗し、二次まで行った同年代の講師仲間も残念だったことを、美大の同窓生に話したところ、
「ばっかだねぇ、採用する側だって、将来性のある若い講師の中から選ぶに決まってんじゃない。
いくら経験があったって、もう無理が利かない年代の講師を採用するなんてありえないよ。
そんなことに、時間と労力をかけるぐらいなら、別のことにエネルギーを使ったら?
現役で働けるなんて、あと何年もないんだよ、私たち」
と言われ、正直、かなりモチベーションが下がっていたのだ。
そしたら、息子が、
「ボーダーだったら若い人を採用する確率が高いかもしれないけれど、ボーダーじゃなければいいんじゃない。
経験も、学科試験も文句なしの点数を取っていればいいんでしょ。堂々と合格できんじゃない。
ボーダーなんか狙っていたら、受かるものも受からないよ。」
その通りだ。
自分が受からなかったことを、自分の勉強不足、認識不足を棚に上げ、いつの間にか年齢のせいにして現実から目をそむけて、勝手にモチベーションを落としていたのだ。
息子の言葉はガツンときた。
目が覚めた。
さすが、高校、大学、就職試験の難関を突破してきただけある。あいつは部活でも、常に逆境の中でも最後まであきらめないやつだった。
そう教えたのは私だったのに、いつの間にか「背負うた子に教えられ・・」か…。
今日、演劇部の生徒たちに、
「先生は、来年はいないの?」
と聞かれ、
「うん、1年契約の講師だからね。」
「何で、1年しかいられないの?他の先生方みたいにもっといられないの?」
「非常勤講師なら○○先生みたいに2,3年はいられるらしいなだけど、私のような常勤講師は、長くて1年間契約なのよ」
「いやだ、来年もいてください!」
みんなの質問やお願いは、どこの学校に勤務していても、この時期から毎年恒例のことになっている。
私も、残り少ない任期を気にしながら、私がいられるうちに、この子たちに何を教えてあげられるか、何をこの学校に残してあげられるか、寝食を惜しみ、休み返上でラストスパートをかける時期に入る。
うれしいのは、子どもたちもそれに応えてくれるのだ。美術の授業だけでなく、学校生活のあらゆる場面で。
そしてやがて迎える涙の離任式…。
運が良ければ、次の勤務校が決まっているのだが、さてさて、来年の今頃はどこの学校で何をしているのだろうか…。
もし、来年、採用試験に合格できてれば、現勤務校の1年生たちが3年生になる頃には、運が良ければ、「講師」ではなく「教諭」として戻って来れることも可能だろうか?
演劇部の1年生たちが最上級生として、最後の夏の大会に出場するのを顧問として応援することができるだろうか?
美術部のないこの学校に、美術部を作ってあげることはできるだろうか・・・?
息子のアドバイスや、演劇部の子たちのラヴ・コールが消えかけていた私の「ヤル気」に酸素を送り込んでくれた。
末娘にばかりハッパかけていないで、
「ママも夢を諦めないで頑張っているんだよ!」
という生き様を見せてあげられるように、まず、私が頑張らなくっちゃ!
初心、忘るべからず。
いつも、ここから。
諦めたら、そこで試合終了ですよ。
今日は、午前中は中3の末娘の中学最後の授業参観をした。
1校時目は美術で、木彫の箱作りだった。私も勤務校の3年生の選択美術で木彫の印箱作りの授業をしているので、大変参考になった。
2校時目は理科だった。『イオン結合』についての授業だったが、銅イオンと塩素が結びついて塩化銅になる仕組みを、寸劇仕立てで学習するなど、いろいろ工夫されていて楽しかった。
3校時は技術でキーホルダー作り。、シリコンで作った鋳型に金属を溶かし入れ、取り出した鋳金を磨きあげるという作業だった。
面白かったのは、先ほどの2時間の授業中立ち歩いたり、後ろを向いたり全然授業に集中できないでいた生徒が、無言で集中して金属磨きをしていたことだった。
午後からはバザーがあったのだが、私は、勤務校で演劇部の活動があるので、カレーを一杯頂いて部活に向かった。
12時から4時半までみっちり練習し、みんなセリフはどうやら覚えたようだ。
明日から定期試験前諸活動停止期間に入る。26日のテストが終わったら、即、2公演に向かって、猛練習と大道具・小道具作りだ。
夕方、久しぶりに帰ってきた息子を迎えに行き、末娘手作りの坦々鍋を頂いた。
来週の3者面談に向かって、大学生の息子に末娘へアドバイスしてもらうつもりで来てもらったのだ。
果たして、受験生の妹は兄のアドバイスをどう受け止めるだろうか???
その息子に、私も貴重なアドバイスを受けた。
私は今年の採用試験に一次試験で失敗し、二次まで行った同年代の講師仲間も残念だったことを、美大の同窓生に話したところ、
「ばっかだねぇ、採用する側だって、将来性のある若い講師の中から選ぶに決まってんじゃない。
いくら経験があったって、もう無理が利かない年代の講師を採用するなんてありえないよ。
そんなことに、時間と労力をかけるぐらいなら、別のことにエネルギーを使ったら?
現役で働けるなんて、あと何年もないんだよ、私たち」
と言われ、正直、かなりモチベーションが下がっていたのだ。
そしたら、息子が、
「ボーダーだったら若い人を採用する確率が高いかもしれないけれど、ボーダーじゃなければいいんじゃない。
経験も、学科試験も文句なしの点数を取っていればいいんでしょ。堂々と合格できんじゃない。
ボーダーなんか狙っていたら、受かるものも受からないよ。」
その通りだ。
自分が受からなかったことを、自分の勉強不足、認識不足を棚に上げ、いつの間にか年齢のせいにして現実から目をそむけて、勝手にモチベーションを落としていたのだ。
息子の言葉はガツンときた。
目が覚めた。
さすが、高校、大学、就職試験の難関を突破してきただけある。あいつは部活でも、常に逆境の中でも最後まであきらめないやつだった。
そう教えたのは私だったのに、いつの間にか「背負うた子に教えられ・・」か…。
今日、演劇部の生徒たちに、
「先生は、来年はいないの?」
と聞かれ、
「うん、1年契約の講師だからね。」
「何で、1年しかいられないの?他の先生方みたいにもっといられないの?」
「非常勤講師なら○○先生みたいに2,3年はいられるらしいなだけど、私のような常勤講師は、長くて1年間契約なのよ」
「いやだ、来年もいてください!」
みんなの質問やお願いは、どこの学校に勤務していても、この時期から毎年恒例のことになっている。
私も、残り少ない任期を気にしながら、私がいられるうちに、この子たちに何を教えてあげられるか、何をこの学校に残してあげられるか、寝食を惜しみ、休み返上でラストスパートをかける時期に入る。
うれしいのは、子どもたちもそれに応えてくれるのだ。美術の授業だけでなく、学校生活のあらゆる場面で。
そしてやがて迎える涙の離任式…。
運が良ければ、次の勤務校が決まっているのだが、さてさて、来年の今頃はどこの学校で何をしているのだろうか…。
もし、来年、採用試験に合格できてれば、現勤務校の1年生たちが3年生になる頃には、運が良ければ、「講師」ではなく「教諭」として戻って来れることも可能だろうか?
演劇部の1年生たちが最上級生として、最後の夏の大会に出場するのを顧問として応援することができるだろうか?
美術部のないこの学校に、美術部を作ってあげることはできるだろうか・・・?
息子のアドバイスや、演劇部の子たちのラヴ・コールが消えかけていた私の「ヤル気」に酸素を送り込んでくれた。
末娘にばかりハッパかけていないで、
「ママも夢を諦めないで頑張っているんだよ!」
という生き様を見せてあげられるように、まず、私が頑張らなくっちゃ!
初心、忘るべからず。
いつも、ここから。
諦めたら、そこで試合終了ですよ。