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交流

マヤ文明展

2003-05-08 22:06:00 | 徒然なるままに
5月8日(木)

上野科学博物館で開催中の「マヤ文明展」を見てきた。
結論。最終日の18日までに、出来たらもう一回見に行きたいぐらい充実した企画展だった!
これから見に行く人は、ぜひ、アコースティーガイドをつけて展示を見て、コパン遺跡VRシアターは、展示を見る前に見たほうがいいと思います。

展示物も充実しており、見やすい展示だった。ただ、車椅子の人にとってはあの位置はどうだっただろうか?展示物によっては改善の余地があったように思うが。

コパン遺跡VRシアターは、大型映像を使用して、空から遺跡に舞い降りたり、神殿を一気にのぼたっり、神殿の中を探検したり、現在から当時にタイムスリップしたり、コパン遺跡から見る星空も良かった~!

今回、マヤの神殿が、実は側面は赤く塗られていて、上部や床は漆喰で白く塗られていたと言うことを始めて知った。

マヤの人々にとって、「とうもろこし」がどれほど大切な作物だったか、「マヤ文字」の秘密、マヤ文明の興亡の謎etc・・・。
図録を隅々読んだら、もう一度じっくり見てみたいなあ~!!!でも、来週ずっと忙しいんだな・・・(涙)
それより何より、いつかきっと、バーチャルではなく、直接現地に行って、この目で遺跡を見、この手で本物のマヤ文字に触ってくるぞ~!!

授業参観

2003-05-08 21:26:00 | 徒然なるままに
5月7日(水)

中学校の授業参観&学年懇談会&学級懇談会。
仕方が無いこととはいえ、どうして中1と中3が全く同じ時間帯に、同じ内容をやるんだろう。
去年までは、自由参観で、朝からどの時間帯を参観しても良かったのに・・・。
結局、中1の「国語」の合間に中3の校庭での「体育」は窓から見て、学年懇談会は中3、学級懇談会は中1に出席した。

いよいよ受験生の母になってしまったが、つくづく自分の時の高校受験とはずい分趣が変わってしまったものだと思った。
一概にあの頃の受験体制が良かったとはいえないが、今のがいいとも言い切れない。
これは30年近く経っても、常に「過渡期」とか「暫定期間」と言われるものなのだろうか。
「ゆとり教育」とか「生きる力」とか言われて、その取り組みの努力はされているのは分るが、その成果は、即効性というよりは、20年20年の長いスパンで見ていかなければ分らないだろう。
学校を卒業した後に残ったものが、その人が本当に学習したことだから。

今日の授業で、心に残ったのは、中1の国語の授業。
自分の好きな詩を選んで、その理由と朗読を皆の前で発表すると言うものだった。
朗読は、ついこの間の卒業式の呼びかけ文をあんなにはっきりと大きな声で堂々と読み上げた同じ生徒たちとは思えないほど、皆、消え入るような声だったが、それだけ、緊張していたのだろう。行間も何も無かった。
でも、不思議なことに、同じ詩を選んだ生徒はなく、全員違う詩だった。
後で聞いたことだが、3クラス通して、同じ作者は合っても同じ詩を選んだ生徒はなかったと言うことだった。
それぞれの詩は、図書館などで各自がたくさんの詩集ののなかから選んだものだと言う。
その選ばれた詩は、なかなかの名作ぞろいで、選んだ理由もそれぞれの思い入れが感じられた。
出来ることなら、その詩を、暗誦できるぐらいに読み込んだものを、ぜひ、また発表する機会を持ってもらえたらと思った。

「声に出して」こそ分るテーマ・心情・情景・間・韻・リズムなどがあると思うから。


夏休みには・・・・!

2003-05-06 07:20:00 | 徒然なるままに
5月5日(月)子どもの日

今年も、弟夫婦のところの遊びに行った。
上の子二人は友達と約束があるとかで、末娘と二人きりの小旅行。
中学生ともなると、親と一緒に歩くのが嫌なのか、友達と一緒の方が楽しいらしい。

弟のところには8歳になる猫が二匹いて、これがまたでかい!7kgと5kg。両方とも雑種の茶虎だが美猫である。同じ兄弟で、性格が全く違う。人なつこくて食いしん坊のMと、こわがりやであまえんぼうのB。その差が体重に現れている。

娘は、興味津々のくせに、最初は怖がって触れなかったが、双方でなれて来るにつれ段々に大騒ぎのおおはしゃぎになり、「お泊りしていく~」!状態になってしまった。
でも、翌日は学校があるということで、「夏休みに」ということで、納得。
娘の頭の中は今からもう「夏休みのお泊り」のことでいっぱいだ。

弟が、もう一つ、素敵な夏休みの企画を提案してくれた。
上の子二人の中学生達を、穂高に連れて行ってくれるというのだ。
いきなり3000m級の「登山」だ。
そのメンバーに、息子の親友で、別の中学校の生徒だが、中2の1学期後半から不登校になってしまったっ友達もいっしょに連れて行ってくれるという。
「これから『受験』に望む前に、自分の力で何か成し遂げる達成感を味わわせ、人生観がまるっきり変わってしまうぐらいの感動の大パノラマを見せてやる」と言ってくれた。
「中学生でスポーツをやっているのなら、特別な体力トレーニングはいらないが、靴だけは厚底のしっかりしたものを用意しておいてくれ」とも言われた。
「あとは、挑戦してみようというやる気と最後まで登りきる根性だけあればいい。」

帰宅後、子ども達に話したら、息子は「やってみたい」と言う。長女は黙ってしまった。その頃には私の妹が穂高の山小屋でバイトをしているので、一緒に登ることになるのだが、初めてのことなので、不安なのだろう。
来月、小笠原から妹が戻ってきたら、我が家で打ち合わせと言うことになっているので、それまでに考えると言うことになった。
息子の友人宅に電話したところ、「親としてはぜひ行かせたいと思うので、これから相談して、明日、お返事します。」とのことだった。

ぜひ実現できて、子供達が本当の「生きる力」と「やれば出来る」と言う自信を持てる最高の夏休みを過ごすことが出来ますように・・・!

私も夏休みには「スクーリング」でネットワークを広げて、日本各地からやってくる「同志」たちとしのぎを削って、単位を取得してくるぞ!

やっと日の目を見た愛読書たち

2003-05-04 17:56:00 | 徒然なるままに
3月30日(日)

午前中、注文していた書架が届き、引越し以来、ダンボール箱に詰め込んだままになっていた本を整理した。

学生時代から、捨てるに捨てられず、引越しのたびに持ち歩いてきた本たち。
たとえ、引越し以来、一度も開いたことのない本だとしても、欲しくて買った本なのであって、要らない本ではないのだ。
手にとって見やすい状態にあれば、気が向いてまた読むことだって、中学生になった子ども達が興味を示すかもしれないと思い、思い切って、書架を買った。

段ボール箱から本を取り出しながら、その本を買った時のこと、読んでいた頃のことを懐かしく思い出した。
私の「蔵書」といえば、演劇・美術関係、SF・歴史小説・伝説・民話・旅行関係などで半分はコミックス。と言う相当偏った傾向の本棚になった。
引っ越してから買った本を追加すると、子育て関係の本がずらり。
まさに、本棚を見ると「その人の頭の中がよく分る」と言われるような書架になった。

でも、棚板が微妙に足りず、無駄なスペースが出てしまったのが残念。
販売店に聞いたら、メーカーでの、棚板の別売りはないという。
ホームセンターで板を切ってもらってくるしかないか・・・・。

校長先生の志を受け継いで・・・。(離任式にて)

2003-05-04 06:04:00 | 徒然なるままに
3月31日(月)

小学校、中学校の離任式。
今回は中学校の方に出席した。
大変にお世話になった、校長先生と、美術の先生が転任なさることになった。

校長先生は、息子の入学と同時に赴任されてきた先生で、本当に、常に生徒達と共にあってくださった先生だ。
毎朝、スーパーのゴミ袋を何個も持って、ジョギングしながら、通学路のごみ拾いをしてくださっていた。
生徒一人一人に「おはよう!」と声をかけながら。
今日も、朝からそうされていたそうだ。
最初は、見ているだけの子ども達だったが、だんだんに先生と一緒に走りながら、ごみ拾いに参加する生徒が増えていった。
もちろん、強制されたわけではなく、自主的にだ。
「人を動かすには、まず、自らが実践して見せなくては。」ということを、先生と行動を共にしながら生徒たちは身をもって学んだに違いない。
学校行事にも積極的に自ら参加される先生で、運動会では、生徒と一緒に1500m走に参加、仮想大会も、女装が妙に(?)似合っていたり、PTAバザーでは、一緒に「ソーラン」を踊ってくださったり。
何時もデジカメを持って、生徒たちの表情や、活動の様子を追っていらっしゃった。
毎月発行される「校長室」便りが楽しみだった。

去年、学校で、いろんな事件が多発し、そのたび、校長先生はじめ、先生方は一生懸命だった。
ある事件のとき、夜、保護者説明会が開かれた時、校長先生が、私達保護者に、「ぜひ、学校に来てください」とおっしゃった。他の先生方も、それぞれ「生徒たちの実態をご自分達の目で確かめてください」とおっしゃった。
私は、自分の子どもをはじめ、中学校で勉強をはじめる以前の、家庭の問題(躾、動機付け)を感じ、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。

その後、母親達で話し合って、参観日とは別に学校の様子を校内パトロールをしに行ったのだが、結果はメリット半分、デメリット半分と言うところだった。
メリットとしては校舎内の様子、授業の様子が、自分の子どもと違う学年、クラス、選択・専門科目教室の様子まで見ることができ、おおよその現状を把握できたこと。
事務の先生や、養護の先生とお話できたこと。
デメリットととしては、授業中徘徊している問題の生徒たちが警戒して、わざと威嚇行為に出るような刺激を与えてしまったこと。

以上の反省を元に、PTAで話し合い、子ども達を刺激したり、警戒させないよう、また、たくさんの父兄が参加しやすいような校内パトロールの仕方を考えた。
それが、「図書ボランティア」と「校内清掃ボランティア」だった。
学校をより綺麗に使いやすくする活動をしながら、子ども達を見守る。決して見張りに行くのではないが、何事かあったらすぐに駆けつけられるように。

校長先生は、子ども達と、花や農作物を育てようと、校舎の裏の荒地を耕していらっしゃった。
「生き物を育てようとする子は、生き物から、その作業から多くの事を学び、心優しい子に育つから。」とおっしゃって・・・。

離任式の時、一番残念がっていたのは校長先生だった。
かつての問題児だった生徒たちが別れを惜しんでたくさん出席していた。
もちろん、校長先生だけでなく、その他にも、長年勤められて転任される恩師に会いに来ていたのだろうが。
でも、その子たちが、先生方を囲んで、別れを惜しむ姿を見て、先生方の気持ちは、この子達には、ちゃんと届いてはいたのだと思った。
その当時は反発して、反抗的な態度だったとしても。
世の中に出て、たとえ、まだ高校生だったとしても、あんなに体を張ってまで、全力で子ども達を守ろう、止めようとしてくれるような先生とは出会えないだろう。

帰宅して、残念がっている息子に、
「校長先生は、後の事を、今度中3になるあんた達に『託して』行ったんだよ」
と言った。
息子は、じっと黙って聞いていた。
「継続こそ力なり」を全身で示してくださっていたような先生だった。


寒い最中でも、「校長室はいつも開けっ放しにしておりますので、いつでも気軽にいらして下さい」とおっしゃっていた。
あの校長室にもう、あの校長先生はいらっしゃらないのかと思うと寂しくてたまらない。

最後の挨拶で、「またこの中学校に呼んでください」とおっしゃっていた。
末娘(小2)の時にはぜひ、またお願いしたいと思う。
そして、また一緒に「ソーラン」を踊れたらいいなあ!

校長先生はじめ、転任される先生方の、ますますのご活躍を心よりお祈りいたしております。

「PLAYtoPLAY」(遊玄社)を見て

2003-05-02 14:32:00 | 徒然なるままに
3月29日(土)

市民会館で「PLAYtoPLAY」(遊玄社)を見た。
以前「イソップらんどのどうぶつたち」という公演を見た同じ劇団だった。

前回は「布の魔術師」関谷幸雄氏の演出ならではの布を使った「動物ごっこ遊び」は、まだ小さかった上の子2里と主人が、家に帰ってきてからも、一緒になって「まねっこ」して遊んでいたっけ。

今回もテーマは「ごっこ遊び」
ストーリーは3人組の変な格好をしたおじさんが、ゲームに熱中したり、集団遊びが苦手だったり、戦いごっこと称して、「いじめ」にしか見えないような遊び方をしている子どもたちに対して、身近にあるものを使って、大道芸のようなことをして見せたり、いろんなものに見立てていろんなごっこ遊びをしながら、子ども達を「遊びの世界」に引き込んでいく。

小さいころ、風呂敷を羽織って、「パーマン」ごっこをしたり、お面をかぶっただけでバレリーナになりきったり、ギターを持ったらすっかり「キカイダー」になりきっていたり・・・。
誰にでもそんな思い出があるはず。
子どもたちにはそんな自由で奇想天外で、アイディア一杯の「想像力」がある。はずなんだと思う。これは子どもの特権なのだ。

泥んこ遊びだって、ちゃんばらごっこだって、ままごとだって、「子ども時代」だからこそ思いっきり遊べるんだと思う。

そんな子ども達を、家の中にこもらせ、服を汚さず、友達同士対面することもなく、ストレス発散に、弱い子をターゲットにした遊びに興ずる、やたらに金がかかる遊具を欲し、持って居ないと仲間に入れてもらえない。
どこかおかしい。子どもが変わったのか?便利な時代になったのか?

劇の中の子供たちは、そのうち自由な発想で遊びだし、いろんな遊びが繰り広げられたり、チームワークが出来てくる。

会場の子どもたちは、一歳児から中学生ぐらいまでの年齢層がいたが、皆夢中になってその展開を見ていたと思う。
大人達にとっては懐かしい、今の子供たちにとっては珍しい遊び・・・。

もしかしたら、大人達のほうが「遊ぶ」楽しさを忘れてしまったか、遊び方を知らないまま大人になってしまったのかも知れない。
だって、昔は、近所には凧揚げ名人も、ベイごま名人も、けんだま名人も居た。
町内の仮想大会には、町を上げて趣向を凝らし、町内運動会は、小学校の先生方も加わって、大人気ないまでに興奮した。
秋祭りは、その年齢に達した子どもは、町内の「師匠」たちから、踊りや太鼓や、笛の手ほどきを受けた。
海開き前に住人総出の浜掃除。
地引網の日は、大人も子どもも入り混じって皆で力をあわせて声を掛け合う。
私の小さいころ育った海辺の小さな町は、そんなところだった。

今日の劇を見て、遊びを知らない、遊ぶ楽しさを知らない子どもたちに、一緒になって遊び方や、遊ぶ楽しさを伝えてあげられる大人でいたい。と思った。

ビデオや、ゲームに子守りをさせて子育てしてきた「しわ寄せ」が大きくならないうちに・・・。

小さい頃、『バグダッド』は、不思議な魔法の夢の都だった。

2003-05-02 13:23:00 | 徒然なるままに
3月27日(木)

戦争がはじまりましたね。今日の朝日新聞の1面に、不安そうに窓の外を眺めているイラクの子供たちの写真が載っていました。
同じような年頃の子どもを持つ身としては見につまされる様な写真でした。
小さい時、アラビアンナイトやシンドバッドの冒険に夢中だった頃、『バグダッド』は、不思議な魔法の夢の都だった。
その町が空爆、誤爆にあって、多くの人の血が流れ、メソポタミア文明の遺跡が危機に瀕している。

毎日、暗澹たるニュースと映像に憤りと、自分自身をも含めての、情けなさを感じながら、アカデミー賞の話は、明るいニュースであり、また、受賞の場で反戦を訴えた受賞者に、敬意と拍手を送りたいです。

今回は、こういう世界情勢で、おおっぴらに喜び合えない受賞になってしまったけど、近い将来この戦争が終結する頃には、世界中の人がその受賞を喜び合えるような素晴らしい作品を、ぜひ、宮崎駿監督に作って頂きたいです。

             Mariさんへのメールより

温故知新―鎌倉にて

2003-05-02 13:15:00 | 徒然なるままに
3月26日(水)

お彼岸を過ぎて、いよいよ本格的に春がやってきましたね。

20日から昨日まで実家の母がきてくれて、いていろいろ相談に乗ってくれたり、家中を魔法使いのようにピカピカにし、庭木や草花をよみがえらせていってくれました。
本当に、親ってありがたいです。

昨日は、その母と、妹、子どもたちを連れて鎌倉の親戚の家に行ってきました。
行く途中、あいにくの雨でしたが、木蓮や梅が満開で古都鎌倉は春爛漫でした。

親戚のおじさんは、今年80歳を迎えますが、9年前に大手術をし、社会復帰し、また去年6月に危篤状態から奇跡の生還を果たし、その後、ガンの死術をし、今は自宅療養をしています。
現役時代は消防のレスキュー隊で活躍したその気力と体力と生命力には、本当に驚かされます。
第2次世界大戦にもかり出され、南方に送られる途中の船の中で肺を病み、物資と一緒に本国に送り返され、生き残ることが出来た。

当時、いろいろあって、とげとげしかった息子が去年お見舞いに行ったとき、そのおじさんの
『自分に負けるなよ。最後まで諦めてはダメだぞ。自分の人生は自分が決めるんだ』
の言葉が、彼の心の中にストーンと落ちて、いつか芽を出す日を待ちわびている種となって息づいているのでしょうか。
「おじさんのところにいく?」
と聞いたら、素直についてきてくれました。

あの戦争を生き抜いて、人の命を救う仕事に命と誇りをかけて生き抜いてきた『男気』は、私なんかの中途半端な口うるさい母親のどんな言葉や、行動よりよっぽど説得力があるのですね。

今回の戦争についても、『戦争を知らない子ども達』世代の私たちには、経験者の話はとても貴重でした。

『歴史は繰り返す』。『温故知新』で、繰り返してはならない、でも、貴重な体験をしてきた人たちが存命のうちに、多くを学ばねばと思います。そして、時代を担う子ども達に、伝えていかなければと思います。

早く、『千と千尋の神隠し』アカデミー賞受賞を素直に大っぴらに喜び合える、平和な世の中にするために・・・。

             yukiさんへのメールより


「ミュージック・オブ・ハート」を見て

2003-05-02 12:56:00 | 徒然なるままに
3月20日(木)

夕べ、送別会が終わって帰ってきたら、妹が起きていて、TVで映画を見ていた。
メリル・ストリープが出ていた。
途中までのあらすじを聞いて興味を持ち、一緒に見た。


「ミュージック・オブ・ハート」
             99年 米 123分    ウエス・クレイブン 監督
二ューヨーク・イースト・八一レムに臨時の音楽教師ロべルタ(メりル・ストリープ)がやって来た。夫に逃げられ、男の子二人を育てるために職を探しに来たのだ。貧困、犯罪、暴力、人種問題の渦巻く八一レムの子供たちにバイオリンを通じて音楽を教えようというのだ。先輩教師は言う。「ドレミすら覚える根気がないんだぞ。」そんな子供たちに立ち方の基本から教え始めるロべルタ。やがて八一レムに「人の心」を動かす大きな波紋が広がって行く。これは実在の人物を映画化した感動の物語である

見終わって、この話が実話であると言うことに感動した。
それと、主人公の前向きさ、子ども達をはじめ、音楽で心が結ばれた人たちの、音楽を愛する心とと、その演奏するという表現に対しての純粋さに、心を打たれた。
今、私は、中学の美術教師を目指し、試行錯誤の毎日を送っているのだが、芸術系教科に対しての時間数が減り、子供たちの表現や、創作活動に対しての、今の教育のあり方に疑問を抱いていた時だけに、人事ではない内容だった。

これを見て、思ったことは、その大切さをみんなに分ってもらうためには、最後は理屈ではないと言うことだった。
まずは、表現することの、難しさも、喜びも、身をもって経験すること。
練習したり、指導を受けたり、仲間と励ましあうことで、自分の課題をクリアしていき、発表する。
本番は、練習どおりには行かないかもしれない。でも、それまで必死に積み上げてきた努力は残る。
上手い下手は二の次、心をこめて表現できるか。それが大切。
それは必ずや見るもの、聴く者の心に届き、響く。
そして拍手。
達成感と、会場との一体感。自己存在の確認。
これは、ペーパーテストでは計り知れない、その子の可能性と達成度である。
映画ではその表現手段はヴァイオリンだった。
それは、どんな楽器でも、絵でも演劇でも、スポーツでも同じことが言えるだろう。
子供たちが、自分を表現できるものであれば。

主人公の前向きさは時に、母親の立場から見ると、痛々しく、身につまされる。
でも、その主人公が、いつも、自分を支え、見守っていてくれた母親に、感謝の言葉を言うシーンが印象的だった。
その母親はこう言うのである。
「感謝するのなら、彼(女に逃げた夫)にしなさい。彼があなたにチャンスをくれたのよ。」

実際、彼女はこのコンサートの成功と、この実話が話題を呼んで、このような映画となり、現在も活躍している。

「ハリー・ポッター」の作者J.K.ローリング氏は、夫と離婚後、ベビーカーで喫茶店に入り、そこでこの物語を書いたという。

母は強し。逆境にあって屈しない。自分のポリシー。プライド、夢を捨てずに立ち向かう。そしてその前向きな意欲とひたむきさ。

とても勇気と希望をもらった映画だった。