5月28日(土)
今日、恩師の訃報が届いた。
私が初めて赴任した中学校の校長先生だった。
すぐにでもお花を手向けに伺いたかったので、ご自宅に電話をしたところ、奥様が対応してくださった。
私が在任時代にお世話になった旨を話し、校長先生からどれほど励まされ、助けて頂いたか、救っていただいたかについてお話した。
講師になって2年目。一昨年は、小学校の図工専科の非常勤講師だったが、その年は、育児休暇中の先生の代用講師としての採用だった。
全校生徒650人を一人で担当し、週27コマの授業と美術部を担当した。
中学の教員で、週27コマで空き時間が1コマと言うのがどれほど過酷なことかを知らずに、それが当たり前だと思って、誠心誠意、全力投球で頑張った。
ある時、同僚の先生から、
「先生の頑張りは頭が下がるけれど、先生はあくまで育児休暇中の先生の代わりの先生だから、あんまり頑張りすぎると、戻ってきた時の先生が、あなたのようには頑張れなくて、比べられて苦労するから、あんまり頑張りすぎないで」
と言われたのだ。
私は『一期一会』の精神で、美術が嫌いな子も、少しは興味を持ってくれる、好きな子はもっと好きになってくれる美術を目指し、美術部にしか居場所のない子どもたちにもに自己肯定感を持たせられる活動をさせたくて、一生懸命だった。
それが、誰かを苦しめるだなんて・・・。
そんな時に、『校長面接』と言うのがあった。
校長先生は、私に
「何か困っていることはありますか?」
とお尋ねになり、私は自分の思いを打ち明けた。
すると、校長先生は、
「今の中学3年生にとっては、今、あなたが教えている美術の授業が、生涯で最後の美術の勉強になる子がたくさんいます。
その子どもたちのためにも、先生が教えられること、教えたいことを存分に教えてあげてください。
美術の楽しさ、面白さを教えてあげてください。
1年の任期は短いですが、たった1度の授業でも、それはできます。
後の人のことは、学校や本人が考えることです。
あなたがこの学校にいられる間は、あなたが美術の先生です。あなたにしかできない美術の授業をこの中学校の子どもたちにしてあげてください。」
この言葉は、以降、私が道に迷うたびに必ず私の指針となってくれ続けていた言葉だ。
私にしかできない授業。
そのためにも、日々、自己研鑽をし、私自身がだれよりも美術を好きになり、知識や技術を身につけていかなくては。
そのテーマで頑張ってきた。
毎年の年賀状でそれを報告し、先生からの励ましのお返事がうれしかった。
電話で奥様に、言われた言葉は、
「お父さん(校長先生は)は、あなたのことを心から応援していますよ。
あなたの信念で、どんな試練にも打ち勝っていってください。それだけの力と、それを回避する道は同時にあなたに与えられているはずですから。」
という内容のものだった。
「すぐにでもお花を手向けに行きたいのですが、この夏、結果を出せても出せなくても、精いっぱい頑張ったことを校長先生にご報告に伺わせていただきたいと思います」
と言うと、
「頑張ってください。お父さんと一緒に応援していますよ」
と励ましてくださった。
電話を切った後しばらくは、校長先生と言う心の支えを失った寂しさと、不思議な温かさの涙にくれた。
最後まで教育一筋の人生だった校長先生。
先生のご遺志を引き継いで、微力ながらも、先生の教えを守って、これからも教壇に立ち続けます。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
今日、恩師の訃報が届いた。
私が初めて赴任した中学校の校長先生だった。
すぐにでもお花を手向けに伺いたかったので、ご自宅に電話をしたところ、奥様が対応してくださった。
私が在任時代にお世話になった旨を話し、校長先生からどれほど励まされ、助けて頂いたか、救っていただいたかについてお話した。
講師になって2年目。一昨年は、小学校の図工専科の非常勤講師だったが、その年は、育児休暇中の先生の代用講師としての採用だった。
全校生徒650人を一人で担当し、週27コマの授業と美術部を担当した。
中学の教員で、週27コマで空き時間が1コマと言うのがどれほど過酷なことかを知らずに、それが当たり前だと思って、誠心誠意、全力投球で頑張った。
ある時、同僚の先生から、
「先生の頑張りは頭が下がるけれど、先生はあくまで育児休暇中の先生の代わりの先生だから、あんまり頑張りすぎると、戻ってきた時の先生が、あなたのようには頑張れなくて、比べられて苦労するから、あんまり頑張りすぎないで」
と言われたのだ。
私は『一期一会』の精神で、美術が嫌いな子も、少しは興味を持ってくれる、好きな子はもっと好きになってくれる美術を目指し、美術部にしか居場所のない子どもたちにもに自己肯定感を持たせられる活動をさせたくて、一生懸命だった。
それが、誰かを苦しめるだなんて・・・。
そんな時に、『校長面接』と言うのがあった。
校長先生は、私に
「何か困っていることはありますか?」
とお尋ねになり、私は自分の思いを打ち明けた。
すると、校長先生は、
「今の中学3年生にとっては、今、あなたが教えている美術の授業が、生涯で最後の美術の勉強になる子がたくさんいます。
その子どもたちのためにも、先生が教えられること、教えたいことを存分に教えてあげてください。
美術の楽しさ、面白さを教えてあげてください。
1年の任期は短いですが、たった1度の授業でも、それはできます。
後の人のことは、学校や本人が考えることです。
あなたがこの学校にいられる間は、あなたが美術の先生です。あなたにしかできない美術の授業をこの中学校の子どもたちにしてあげてください。」
この言葉は、以降、私が道に迷うたびに必ず私の指針となってくれ続けていた言葉だ。
私にしかできない授業。
そのためにも、日々、自己研鑽をし、私自身がだれよりも美術を好きになり、知識や技術を身につけていかなくては。
そのテーマで頑張ってきた。
毎年の年賀状でそれを報告し、先生からの励ましのお返事がうれしかった。
電話で奥様に、言われた言葉は、
「お父さん(校長先生は)は、あなたのことを心から応援していますよ。
あなたの信念で、どんな試練にも打ち勝っていってください。それだけの力と、それを回避する道は同時にあなたに与えられているはずですから。」
という内容のものだった。
「すぐにでもお花を手向けに行きたいのですが、この夏、結果を出せても出せなくても、精いっぱい頑張ったことを校長先生にご報告に伺わせていただきたいと思います」
と言うと、
「頑張ってください。お父さんと一緒に応援していますよ」
と励ましてくださった。
電話を切った後しばらくは、校長先生と言う心の支えを失った寂しさと、不思議な温かさの涙にくれた。
最後まで教育一筋の人生だった校長先生。
先生のご遺志を引き継いで、微力ながらも、先生の教えを守って、これからも教壇に立ち続けます。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。