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恩師の魂よ、安らかに…

2011-05-28 14:46:00 | 徒然なるままに
5月28日(土)

今日、恩師の訃報が届いた。
私が初めて赴任した中学校の校長先生だった。

すぐにでもお花を手向けに伺いたかったので、ご自宅に電話をしたところ、奥様が対応してくださった。

私が在任時代にお世話になった旨を話し、校長先生からどれほど励まされ、助けて頂いたか、救っていただいたかについてお話した。


講師になって2年目。一昨年は、小学校の図工専科の非常勤講師だったが、その年は、育児休暇中の先生の代用講師としての採用だった。
全校生徒650人を一人で担当し、週27コマの授業と美術部を担当した。
中学の教員で、週27コマで空き時間が1コマと言うのがどれほど過酷なことかを知らずに、それが当たり前だと思って、誠心誠意、全力投球で頑張った。

ある時、同僚の先生から、
「先生の頑張りは頭が下がるけれど、先生はあくまで育児休暇中の先生の代わりの先生だから、あんまり頑張りすぎると、戻ってきた時の先生が、あなたのようには頑張れなくて、比べられて苦労するから、あんまり頑張りすぎないで」
と言われたのだ。

私は『一期一会』の精神で、美術が嫌いな子も、少しは興味を持ってくれる、好きな子はもっと好きになってくれる美術を目指し、美術部にしか居場所のない子どもたちにもに自己肯定感を持たせられる活動をさせたくて、一生懸命だった。
それが、誰かを苦しめるだなんて・・・。

そんな時に、『校長面接』と言うのがあった。
校長先生は、私に
「何か困っていることはありますか?」
とお尋ねになり、私は自分の思いを打ち明けた。
すると、校長先生は、
「今の中学3年生にとっては、今、あなたが教えている美術の授業が、生涯で最後の美術の勉強になる子がたくさんいます。
その子どもたちのためにも、先生が教えられること、教えたいことを存分に教えてあげてください。
美術の楽しさ、面白さを教えてあげてください。
1年の任期は短いですが、たった1度の授業でも、それはできます。
後の人のことは、学校や本人が考えることです。

あなたがこの学校にいられる間は、あなたが美術の先生です。あなたにしかできない美術の授業をこの中学校の子どもたちにしてあげてください。」

この言葉は、以降、私が道に迷うたびに必ず私の指針となってくれ続けていた言葉だ。

私にしかできない授業。
そのためにも、日々、自己研鑽をし、私自身がだれよりも美術を好きになり、知識や技術を身につけていかなくては。

そのテーマで頑張ってきた。
毎年の年賀状でそれを報告し、先生からの励ましのお返事がうれしかった。


電話で奥様に、言われた言葉は、
「お父さん(校長先生は)は、あなたのことを心から応援していますよ。
あなたの信念で、どんな試練にも打ち勝っていってください。それだけの力と、それを回避する道は同時にあなたに与えられているはずですから。」
という内容のものだった。

「すぐにでもお花を手向けに行きたいのですが、この夏、結果を出せても出せなくても、精いっぱい頑張ったことを校長先生にご報告に伺わせていただきたいと思います」
と言うと、
「頑張ってください。お父さんと一緒に応援していますよ」
と励ましてくださった。

電話を切った後しばらくは、校長先生と言う心の支えを失った寂しさと、不思議な温かさの涙にくれた。


最後まで教育一筋の人生だった校長先生。
先生のご遺志を引き継いで、微力ながらも、先生の教えを守って、これからも教壇に立ち続けます。

ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。


赤いバレンと緑のウィンナー? そして、『始めたら、半分』

2011-05-03 07:33:00 | 徒然なるままに
*(おにぎり)*赤いバレンと緑のウィンナー?~なかよし遠足にて~ 


5月2日(月)


今日は大型連休の谷間の出勤日。
近隣公園への遠足だった。

昨日の雨で、お天気が心配だったが、朝から薄曇りの爽やかな5月の風が吹く、まさに遠足日和。

ところが、学校を出発して10分もたたないうちに音を上げる子が出始めた。
こんな天気なのに、厚着で、猫背で歩いている・・・。
これから1時間以上歩くと言うのに…。

少し行くと、田植えしたばかりの田んぼが見えてきた。
汗ばんできたた子どもたちが、休みたがり、水を欲しがるのを、
「今、9時15分です。出発したのは8時40分でした。何分経ったでしょう?」
とか、算数の問題を出したり、
「アメンボはきれいな水のところにしかいないんだよ。ここの田んぼの水はきれいなんだね」
とか、カエルやメダカの話もしたり、
『ことわざなぞなぞ』
をしたりして、なんとか無事に目的地に着いた。


班に分かれて遊びをするも、最初の遊びが『けいどろ』警察と泥棒になって、お宝を攻守するというものなのだが…。
その日は、近隣の小学校5校の全校生徒が遠足に来ており、公園内には2000人以上の同じような服装の子どもたちが『ウォーリーを探せ!』状態でうじゃうじゃいた。
その中で、あっという間に散らばっていった子どもたち。
すぐにお宝は『泥棒』に奪われてしまい、即、ゲームセット。なのに、みんながそれを知らずに、戻ってこないのだ。
一人二人帰ってはきたが、最後に私のクラスの子3人が戻ってこない。
6年生が探しに行ったが見つからない。
遊びの時間はどんどん過ぎてゆく。
リーダーに、あまり遠くに散らばらない遊びをしているように伝え、私は一人で子どもたちを探しに行った。

ほどなく、木陰のベンチで涼んでいる3人の子どもたちを見つけて戻る。

子どもたちは、『だるまさんの1日』をして遊んでいた。
『だるまさんが転んだ』のアレンジ版なのだが、鬼が
「だるまさんが本を読んだ」とか
「だるまさんがトイレした」とか
「だるまさんが寝た」とかいうと、みな、瞬時にストップモーションで言われたポーズをとるのだ
ところが、鬼が早口で言った瞬間にすぐに振り向くので、みんなが動いてしまうのだ。

これって、本来のだるまさんが転んだのおもしろさが半減しているのではないか?と思ったんだけど…?


木陰で班ごとにお弁当を食べる時、いつもやんちゃで手のかかる子が、
「先生ここ思いっきり空いているよ!ここ、ここ!」
と自分のそばに呼んでくれたのだが、私の大きなお尻が入るわけもなく、そばの高学年の女の子のシートに座らせてもらった。
みんなでいろんな話をしながら盛り上がった。
私は、先生用の幕の内弁当が出たのだが、緑のバレンと毒々しいまでに真っ赤なウインナーを見てひらめいた。*(キラキラ)*

白い私のTシャツに緑のバレンを持ってきて、子どもたちに、
「この緑のバレンを30秒間見ててね。これを取った後にTシャツに何か見えてくるよ。」
30秒後、子どもたちの大歓声!
「あ~!ピンクの何かが見えるよ!」
「すごい!これって魔法?」
「違うよ、マジックだよ!」
「さて、今度は、この赤いウィンナーをじっと見ててね。ウィンナーを取った後に何が見えるかな~?」
「あ~!!!青いウィンナーが見える!!!!」
「青じゃないよ!緑色だよ」
「これはな、青みどりっていうんだよ」
「え~っ!!不思議、不思議!!!」
「今度、すっごくお天気のいい日に、自分の影をじっと見て、青空を見てごらん。自分の影と同じ形の入道雲が見えるよ。今日みたいな薄曇りの時は見えないけどね。」

私は、この実験を、中学生の校外学習で、鎌倉に行くときに、必ずやっている。
大仏さんの前で、自分の影をじっと見て、パッと大仏の顔近くの青空を見ると、大仏をいい子いい子していたり、パンチしていたり、チューをしているような入道雲が見えるのだ。
生徒たちはそのたびに
「見えた!見えた!!」
と大喜びするものだから、周りの観光客はみな不思議がるのだ。なぜなら、その入道雲は、影を見ていた本人にしか見えないのだから。


帰り道、こんな天気なのに、長袖を2枚も着ていた1年生が、汗だくで顔を真っ赤にして転んでしまった。
熱中症のようになっていて、フラフラだった。水筒は空だった。
他のみんなをサポートで来ていた大学生に頼んで先に行かせ、私はその1年生の衣類を脱がせて水分を取らせ、小休止した。
「おんぶしなくても自分で歩ける」と言うので、歩き出したのはいいが、道に迷ってしまった。
1年生も、自分の家の近くではなく、初めての遠足なので、良くわからない。
ふたりして途方に暮れていると、遠くに、最後尾の児童を発見したので、急いで追いかけ、迷いながらも無事到着。
解散式で、今日の反省と、来年への教訓として、1年生の児童が
「来年は、お天気がいい時は半そでで、遠足に行きます。行きは重くても、水筒にはお水を多めに入れて行きます」
と、発表してくれ、6年生のリーダーも、
「来年は、なるべく班のみんなが散らばらずに、みんなで楽しめるゲームをしてください」
と、探し回り、待ったり、待たせたりという、ロスタイムと疲れるだけだった「けいどろ」の反省から、来年へのアドバイスを話してくれた。

帰宅後、妹と「極楽湯」に行って、アカスリをしてもらった。
水をもはじく、ぴちぴちのお肌がよみがえり*(酔払い)*、リフレッシュできたぞ~!!*(キラキラ)*
明日から3日間、試験勉強も、家の片付けも、岡本太郎展も盛りだくさんのスケジュールをがんばってこなして、有意義に過ごそう!


*(ペン)*『始めたら、半分』


5月3日(火)*(日本)*憲法記念日

7月3日の採用試験まであと2カ月となった。

今年の受験は、諸事情で、去年よりはるかにハードルの高いものとなってしまった。

何度も断念しようと思った。受ける前からだめだ、無駄だ、あきらめようとも思った。

でも、今年もしだめだったとしても、その理由を、震災のせいにしたり、仕事の忙しさや、体調不良のせいにしていいのだろうか?
それは私にとっては言い訳でしかなく、やってみもしないで、仮想敵を作っておびえているだけじゃないのか。

私は、今までにそう言う生徒たちをどう励ましてきたのだろうか?
大会やコンクールや、受験に向かう子どもたちを・・・。


今、自分は試されているのだと思う。
止めることだってできる。
諦めることだってできる。
他にもやらなければならないことはいくらでもある。
違う生き方だっていくらでもある。
年齢的なことを考えれば、元気でいられるうちに、やりたいことはたくさんある。
睡眠時間や、貴重な休みを削ってまで、いまさら勉強だなんて、他にもその時間を有効に使うことはあるだろう?
何も、この年になって、自分から苦労を買って出なくても、もっと楽な生き方があるじゃないか・・・。

でも、自分で立てた志を、あの時の気持ちを宙ぶらりんにしておいていいのか?
今年が無理でも、また来年受ければいい。
そのためにも、今から少しずつでも前進して行かないと、自分のなりたい自分、行きたい未来には永遠に近づけない。

SMAPの草薙剛君が、こんな素敵な韓国語を教えてくれた。
『시작하면, 반 』(どう発音するのかは忘れたが…)
『始めたら、半分』という意味だそうだ。
「何かを始めたら、それだけで、もう半分まで来ているのだから、あと半分、やるっきゃない!』と言う意味なのだそうだ。

私も、今年も採用試験に挑戦しよう!と決意するまでずいぶん悩んだ。
でも、決意した。
いろいろな手続きや説明会にも行った。
現実は甘くないことや、ハードルの高さと、試験までの時間のなさを思い知らされた。
でも、そんな時、この言葉に出会った。


『始めたら、半分』


思いつきで始めたわけではない。ここまで来るのに、かなりの回り道もし、迷い道だったが、今思えば、『一本道』として、今につながっているように思える。
GOALまではまだまだだけど、この道は、きっと必ず、5年後、10年後のなりたい自分、行きたい未来に続いているはずだ。
そして、今の目標はただの通過点でしかない。私の未来はずっと先にある。
でも、今できること、今持っている力、今までの経験で、ベストを尽くすしかない。
なぜなら、『現在』は『過去』の延長線上にあり、『未来』は『現在』の延長線上にあるから。
今できることから、確実に1歩1歩前進するしかないのだ。


今朝、久々に早朝ウォーキングをして、弁天様に合格祈願をして来た。

前進あるのみ!


と言うわけで、7月3日の夜に、よい報告ができるまで、しばらくCafeの更新をお休みさせていただきます。

もしかしたら、進捗状況報告や、どうしても日記に書き残しておきたいようなことがあったら書きこむかもしれませんが…。