12月26日(土)
今日は、上野国立博物館で現在開催中の『土偶展』を見てきた。http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=6908
午後から、教員のためのガイダンスがあり、学芸員の方に今回の展覧会の鑑賞のポイントなどを詳しく解説してもらった。
今回の展覧会は、イギリスの大英博物館で2009年9月10日~11月22日(日)まで開催されたTHE POWER OF DOGUの帰国記念展で、国宝の土偶3展が同時に公開される貴重な展覧会なのだそうだ。
教科書でおなじみの土偶から初めてみる土偶まで、けっこう見応えがあって面白かった。
土偶はほとんどが女性の形をしており、豊穣と子孫繁栄を願って作られたということになっている。
他にはその場所を予め壊すように作られており、壊した箇所を天然のアスファルトで接合することにより、怪我や病平癒を願っていたと思われる土偶もあった。
私が泣けたのは、人型の骨壷だった。
母親の姿を似せて作られた中空の土偶の中には、赤ちゃんの骨が入っていたのだという。
我が子の再生を願ってその骨を入れて埋葬したのであろう母親の気持を思うと、涙があふれてきた。
かつて、岡本太郎が縄文土器からインスピレーションを得たように、私も縄文人のインパクトのある造形表現にすごく触発された。
私は毎年、中学1年生には土器作りの授業をしているのだが、来年、また採用があって講師が出来るなら、ぜひ、土偶作りもやってみたいと思った。
展覧会を観て、もったいないなあと思ったことを、生意気にも2、3アンケートに書いてきた。(小・中学生に見せるならという視点で)
1.出土した場所は地名だけでなく、ぜひ、小さくてもよいから地図をつけて表示して欲しい。出来れば、どんな状態で発見されたのか、その時の写真も一緒に掲示して欲しい。
2.遮光器土器の命名の由来の『遮光器』とはどんなものか、説明文だけでなく、イヌイット族が実際に使用している『遮光器』を展示してはどうか?
3.せっかくの土偶が単なる陳列品になっている。祭礼で使われていたり、どうやって作られたのか、当時の縄文人の暮らしぶりや、衣装、化粧の仕方などをバーチャルリアリティーで再現した映像などがあるとより理解と興味が深まるのでは?
などなど・・・。でも、はっきりしたことはまだ何も分かっていないのに、想像だけで映像を作って見せてしまっては、余計な先入観を与えてしまう恐れもある。
ビジュアル重視ででデジタルな思考回路になっている現代っ子が、アナログ的な想像力で縄文時代を想像するにはかなり材料不足だと思う。
なんてったって、中学生の歴史の教科書の縄文・弥生時代はたった見開き2ページで、先生によっては教えない人もあるくらいなのだから。(現に、私の知り合いは『奈良時代からしか歴史は教えられない』と言っていた)
美術の教師で、土器作りを中学生に教えている先生も片手に余るぐらいしか知らない。
だから、紐作り、輪積み、板作り、加飾なんて言葉を言っても経験のない子はチンプンカンプンだと思う。
縄文の名前の由来の縄目の跡をつけるやり方だって、ひも状のものをドベ剥れないに貼り付けて加飾するやり方だって、やったことなければわからない。
だから、制作の工程の映像や、実際に加飾を体験できるコーナーとかあると、より、親近感を持って見ることが出来るのに・・・。
せっかくの珍しい展覧会なのに、よっぽど考古学に興味のある子しか面白くないような展示はもったいないなぁ・・・と思った。
*(ジョリー)* *(ラブリー)* *(イージー)* *(コム)* *(カインド)* DOG ドッグ どぐ 土偶・・・なんちゃって・・・*(酔払い)*
今回の収穫はもうひとつ。国立博物館のミュージアムシアターで「法隆寺献納宝物 国宝 金銅灌頂幡 飛鳥の天人」上映 を観たことだ。
国立博物館の敷地内にある法隆寺宝物館第1室にある国宝 金銅灌頂幡を、バーチャルリアリティーで制作当時の金色の姿に再現したり、展示会場では絶対に観ることの出来ない天蓋の上部の彫刻などをどアップで見ることが出来るのだ。
一昨年の薬師時展の水煙(塔の屋根の上の飾り)や日光・月光像の光背をはずした背面を観た時にも思ったことだが、誰も見ることのできない場所に掲げたり、光背を取り付けたら絶対に誰も見るはずのない所まで、けして手を抜かず完璧に仕上げている。
まるで、その作品を見るのは、地上にいる誰でもない、天にいる『その人』に見てもらいたいという思いがこめられているような仕仕上がりだ。
映像を見終わった後、法隆寺宝物館に行き、金銅灌頂幡の実物を見たときは本当に感動した。
山背大兄王の妹が作らせ、奉納したといわれる金銅灌頂幡。当時、輸入に頼るしかなかった銅を40kgも使い、金メッキと素晴しい彫刻を施したこの作品にこめられた、無念の死を遂げた兄を想う妹の心が時を越えて私の心に響いてくるようだった。
今日は、上野国立博物館で現在開催中の『土偶展』を見てきた。http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=6908
午後から、教員のためのガイダンスがあり、学芸員の方に今回の展覧会の鑑賞のポイントなどを詳しく解説してもらった。
今回の展覧会は、イギリスの大英博物館で2009年9月10日~11月22日(日)まで開催されたTHE POWER OF DOGUの帰国記念展で、国宝の土偶3展が同時に公開される貴重な展覧会なのだそうだ。
教科書でおなじみの土偶から初めてみる土偶まで、けっこう見応えがあって面白かった。
土偶はほとんどが女性の形をしており、豊穣と子孫繁栄を願って作られたということになっている。
他にはその場所を予め壊すように作られており、壊した箇所を天然のアスファルトで接合することにより、怪我や病平癒を願っていたと思われる土偶もあった。
私が泣けたのは、人型の骨壷だった。
母親の姿を似せて作られた中空の土偶の中には、赤ちゃんの骨が入っていたのだという。
我が子の再生を願ってその骨を入れて埋葬したのであろう母親の気持を思うと、涙があふれてきた。
かつて、岡本太郎が縄文土器からインスピレーションを得たように、私も縄文人のインパクトのある造形表現にすごく触発された。
私は毎年、中学1年生には土器作りの授業をしているのだが、来年、また採用があって講師が出来るなら、ぜひ、土偶作りもやってみたいと思った。
展覧会を観て、もったいないなあと思ったことを、生意気にも2、3アンケートに書いてきた。(小・中学生に見せるならという視点で)
1.出土した場所は地名だけでなく、ぜひ、小さくてもよいから地図をつけて表示して欲しい。出来れば、どんな状態で発見されたのか、その時の写真も一緒に掲示して欲しい。
2.遮光器土器の命名の由来の『遮光器』とはどんなものか、説明文だけでなく、イヌイット族が実際に使用している『遮光器』を展示してはどうか?
3.せっかくの土偶が単なる陳列品になっている。祭礼で使われていたり、どうやって作られたのか、当時の縄文人の暮らしぶりや、衣装、化粧の仕方などをバーチャルリアリティーで再現した映像などがあるとより理解と興味が深まるのでは?
などなど・・・。でも、はっきりしたことはまだ何も分かっていないのに、想像だけで映像を作って見せてしまっては、余計な先入観を与えてしまう恐れもある。
ビジュアル重視ででデジタルな思考回路になっている現代っ子が、アナログ的な想像力で縄文時代を想像するにはかなり材料不足だと思う。
なんてったって、中学生の歴史の教科書の縄文・弥生時代はたった見開き2ページで、先生によっては教えない人もあるくらいなのだから。(現に、私の知り合いは『奈良時代からしか歴史は教えられない』と言っていた)
美術の教師で、土器作りを中学生に教えている先生も片手に余るぐらいしか知らない。
だから、紐作り、輪積み、板作り、加飾なんて言葉を言っても経験のない子はチンプンカンプンだと思う。
縄文の名前の由来の縄目の跡をつけるやり方だって、ひも状のものをドベ剥れないに貼り付けて加飾するやり方だって、やったことなければわからない。
だから、制作の工程の映像や、実際に加飾を体験できるコーナーとかあると、より、親近感を持って見ることが出来るのに・・・。
せっかくの珍しい展覧会なのに、よっぽど考古学に興味のある子しか面白くないような展示はもったいないなぁ・・・と思った。
*(ジョリー)* *(ラブリー)* *(イージー)* *(コム)* *(カインド)* DOG ドッグ どぐ 土偶・・・なんちゃって・・・*(酔払い)*
今回の収穫はもうひとつ。国立博物館のミュージアムシアターで「法隆寺献納宝物 国宝 金銅灌頂幡 飛鳥の天人」上映 を観たことだ。
国立博物館の敷地内にある法隆寺宝物館第1室にある国宝 金銅灌頂幡を、バーチャルリアリティーで制作当時の金色の姿に再現したり、展示会場では絶対に観ることの出来ない天蓋の上部の彫刻などをどアップで見ることが出来るのだ。
一昨年の薬師時展の水煙(塔の屋根の上の飾り)や日光・月光像の光背をはずした背面を観た時にも思ったことだが、誰も見ることのできない場所に掲げたり、光背を取り付けたら絶対に誰も見るはずのない所まで、けして手を抜かず完璧に仕上げている。
まるで、その作品を見るのは、地上にいる誰でもない、天にいる『その人』に見てもらいたいという思いがこめられているような仕仕上がりだ。
映像を見終わった後、法隆寺宝物館に行き、金銅灌頂幡の実物を見たときは本当に感動した。
山背大兄王の妹が作らせ、奉納したといわれる金銅灌頂幡。当時、輸入に頼るしかなかった銅を40kgも使い、金メッキと素晴しい彫刻を施したこの作品にこめられた、無念の死を遂げた兄を想う妹の心が時を越えて私の心に響いてくるようだった。