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今年の踊り納め 、『第2回かずさYOSAKOI木更津武尊(ぶそん)』

2003-11-22 00:12:00 | 徒然なるままに
11月16日(日)

美術館のお仕事の後、末娘と妹と一緒に『木更津舞尊』に参加するべく、車を走らせた。

木更津には、免許取ってから自力で行くのは初めてということで、インターネットで事前に調べているうち、地名の由来があんまりロマンチックだったので、紹介しようと思う。

<きみさらず>伝説
木更津という地名の起こりといえば、必ず語られるのが日本武尊と弟橘媛の悲恋の伝説です。
伝説によれば、日本武尊が東征の折、相模の走水から上総へ渡ろうとしたとき、にわかに強風が起こり、船が難破しそうになったところ、妃の弟橘媛が身をもって尊の命を救おうと海中に身を投じ、海神を慰めたので、怒濤はたちまちにしておさまり、無事に上総に渡ることができました。尊は太田山の頂から海を見下ろし、媛の末路を哀れみ、しばしこの地を去らず、後年この地方を「君去らず」と呼ぶようになったといわれています。

『木更津舞尊』とは、武尊の『武』と『舞』をかけたもので、『舞を尊ぶ者達の祭り』ということで、去年から、千葉よさこい連絡協議会が中心になって新しくできた祭りだ。
去年は1030人・20チームの参加だったが、今年は1100人、24チームの参加だった。
県内だけでなく、埼玉や神奈川からも、上手なソーラン隊がたくさん参加していた。
わがソーラン隊は、ちょうど同じ日に、別なイベントに参加しており、私は仕事が終わって、他のメンバーは、元気な『マダム』たち中心に夕方の総踊りからの参加だった。

私は、思いがけず今年の踊り納めを、こんなに華やかな舞台で踊れて、もう、はじけまくりだった。
このところ、いろんな板ばさみでちょっと元気が出なかったもんで・・・。
ビデオを撮っていてくださった方に、こんな顔して踊る私を見るのは初めてだと言われた。
「あなたって、本当に踊るのがすきなのね~。これ以上ないってくらい楽しそうに元気いっぱい踊っていたわね~!」
一体どんな顔して踊っていたのやら、ビデオを見るのが、こ、怖い・・・(汗汗)

来年は、もっとたくさんのメンバーとこの感動を共有したいなあ!!

記念に娘とおそろいで、『恋の森』の鈴を買った。
今度来るときは、木更津の歴史散歩もしてみたいな。

「色・色回る風車」(県立美術館のワークショップサポーター)

2003-11-20 01:16:00 | 徒然なるままに
11月16日(日)

今日は、県立美術館のワークショップサポーターのお仕事。
今回のテーマは、「色・色回る風車」
美術館の隣にあるポートパークに、200本の風車を並べよう!
ということなのだが、昨夜の豪雨が嘘のように晴れ渡ったのはいいけれど、海のそばということもあり、風がものすごく強い!
早朝から準備にかかっていたが、セットするそばからいろんなものが吹き飛ばされる!
制作時間になっても風はおさまらず、描いているそばから、うっかりすると風車がフリスビーのように飛んでいく。
でも、出来上がった風車は案外丈夫で、風を受けると、すごい勢いで回りだす。
今回の風車は、円盤に好きな色や模様を描き、園の周りに切り込みと入れて降り立たせた風車。風を受て回り出すと自動的に色が混ざり合うというもの。
親も子も夢中になって作っていたが、計算づくのものや、きれいに塗りつぶされたようなものより、幼児が「なんだかわかんないけど、いろんな色を使って楽しんじゃった!」と言う様な風車のほうが、すごくきれいだったり、面白い形が浮かび上がってくるから不思議!

最後にみんなの作った「風車の花畑」で記念写真。
その後、自分の風車をそれぞれ持ち帰ってもらって解散した。

結局、午前中は風はおさまらなかったものの、風車の混色には最適の風だったみたい!

サンタさんに「弟」をお願いしたのに、「オットット」が靴下に入っていた?!

2003-11-20 00:39:00 | 徒然なるままに
11月15日(土)

お昼前、末娘と一緒に近くの養護学校の文化祭に行って来た。
小学部~高等部までそれぞれに趣向を凝らしたコーナーや、作品の展示及び販売があった。
『ほおじろ焼き』や、紙すき、木工作品、ビーズ、縫製品などは、本当にていねいに作ってあり、子ども達の一生懸命さと、先生方の熱意が感じられる展示販売だった。

末娘は、小さい子も楽しめる一回10円とか20円のゲームで景品をもらいまくり、大満足だった。

午後から、その娘を連れて、久々にコーラスの練習に参加した。
曲は、クリスマスバージョンで『ジングルベル』と『ママがサンタにキッスした』
このところのソーランの本番続きで、すっかり声枯れ状態の私だが、コーラス用の声は何とか出るから不思議。
私の場合、地声が嗄れて出ていないほうがみんなとちょうどいい音量でハモれるみたい(?)

休憩時間に『我が家のクリスマスサンタのプレゼント大作戦物語』で盛り上がった。
どこのうちも大変な『努力』をしているんだなあ・・・。

我が家も、息子がまだ幼稚園だった頃、北欧のサンタさんの国へ手紙を出したことがある。
そしてちゃーんと返事も来たのだ。
そのときの息子と長女の『お願い』は「赤ちゃんが欲しい」だった。
それまで、クリスマスプレゼントだけは、毎年自分達の希望の品物が届くというようにやってきた。
クリスマス当日、息子の靴下の中に入っていたのは・・・?
弟ならぬ「おっとっと」だった!(←今や伝説!)
「でも、サンタさんは、ちゃんとママのポケットに赤ちゃんの卵を入れていってくれたから、スイカの美味しい季節に赤ちゃんがやってくるよ」
それが末娘でした。

翌年のクリスマスには、弟や妹を欲しがる息子達の友だちが、サンタさんにお手紙を出していたっけ・・・。本当に赤ちゃんがやってきたお家もあったようですが・・・。

巷にはクリスマスソングが流れ、トイザラスのカタログが届く季節になりました。
今年は、兄と姉は末娘のために、サンタさんのお手伝いをしてくれるかしら・・・?
親にとってはクリスマスならぬ、「クルシミマス」だけど、そんな時って、過ぎてしまえばあっという間なんだよね・・・。
そのうち子どもたちも大きくなれば、♪恋人がサンタクロースになって、クリスマスは恋人とディズニーシーなんてパターンになっていくんだろうな・・・。
サンタさんを信じて、一生懸命お手紙を書いて、サンタさんの分のケーキやご馳走を靴下のところにセッティングしていたあの頃が、一番可愛くて幸せだったのかも・・・。

現実を知ってしまったときはさぞがっかりしたことだろう・・・。
でも、大人になったら、子ども達の夢を育める人になっていってほしいな。

『あなたが生まれるまで』

2003-11-16 01:35:00 | 徒然なるままに
11月14日 (金)

夜、『あなたが生まれるまで』と言う人形劇を見た。
つげくわえさんという方の『くわえパペットシアター』の作品。
この人形劇団は、一昨年、『かたっぽかたっぽどこいった?』と言う作品をみて、いっぺんでファンになってしまった。
今回も、前評判よろしく、実際に期待以上の作品だった。
最初の無言劇から、すでに会場の心を鷲掴み!
芋虫や小鳥達の台詞の無い擬音だけの短い劇でも、子どもも大人ももう夢中!
本編の『あなたが生まれるまで』に至っては、人形の可愛らしさはもちろんのこと、人形の操作や小道具使いの上手さ、パパ役ママ役(人間)のリアルなコントは実に軽妙!
『あなたが生まれるまで』と言うタイトルどおり、赤ちゃんが生まれるまでの、夫婦愛、お母さんの体調や、赤ちゃんの発育状況を、楽しく、分かりやすく演じてくれていた。

対象は幼児・低学年向けだったのだが、内容的な前評判もあり、高学年や中・高校生の女の子達もたくさん来ていた。

お母さん達にとっては、自分達の経験してきたことであり、女の子達にとっては、これから経験する未来のことであり、小さな子たちにとっては、『懐かしい』(?)お話・・・。

劇中、赤ちゃんが、
『僕、生まれてもいいのかなあ?』
と悩むシーンがあったり、いよいよ産み月になり、陣痛が始まる頃、赤ちゃんが自分の意思で、
『僕は生まれたい!』
と決断するシーンが印象的だった。
『産道』を必死で潜り抜け、産声をあげたとき、会場から拍手が沸き起こった。
『ママ』が、会場のみんなに赤ちゃんを見せてくれたとき
「おめでとう!」
と声がかかった。
なんだかとっても感動した。

公演後の子ども達の顔も、お母さん達の顔も、みんなとっても幸せそうだった。

『あなたが生まれるまで』
これはお母さんのための物語だったのかもしれない。
母になることの心の準備と不安、喜び、元気で生まれてくれることだけを願って、10月10日頑張ったあの頃を思い出したら、今、この子が元気で生きていてくれるだけでありがたいと思える。
その『原点』、『初心』に帰れる作品だった。

命のバトンタッチ。
娘達が母になる頃に、またこんな作品にめぐり会えたらと思う。

家庭教師 2

2003-11-15 10:52:00 | 徒然なるままに
11月13日(木)

1:00、約束の時間通りにY先生がいらしゃった。
午前中に、娘には、
「ママの友人で、中学校の先生になる勉強をしている友達がいる。
その人は今、4年生で、後輩達にもそう言う仲間がいて、中学生を家庭教師などして実際に教えてみたいのだが、みんな地方出身で、中学生を教える機会になかなか恵まれない。
塾の先生のアルバイトをしている人もいるが、できればマンツーマンで、じっくり勉強のやり方を教えてあげたい。
みんなで、そう言う勉強法を研究している。

その友人から、中学生の母でもあるママの所に相談があったの。
ママは、あなたの勉強のことも心配だったから、もし、あなたが家庭教師という勉強法をやってみたいと言うのであれば、協力してあげようと思っているの。
どうかなあ?やってみる?
でも、あなたとの相性が一番大事だから、今日、友人があなたの『こんな先生がいいなあ』という希望を聞きに来てくれるから、会ってみてくれる?
嫌だなあと思ったら、断ってもいいし。無理にとは言わないから。」

娘は会うことを了解してくれた。

娘にとっては、大学生ぐらいの年齢の女性と話すなんてことは、日常的にも機会は無い。
娘はかなり緊張しているはずだ。
でも、そこはさすが!という感じで、12歳の女子中学生が話しやすい、興味のありそうな話題で、どんどん話し掛け、フレンドリーな関係を作っていく。
だんだんに勉強の話に入って行き、たとえ、学校に行けなくても、中学3年間の勉強がどれだけ大切かと言うことを分かりやすく説明する。
不登校児の不安や心配、ジレンマの心境をを抑えた説明のしかたはとても説得力があった。
娘の場合は、学校に行きたくないのではなく、行く勇気が無いのであれば、
「教科書を理解し、授業についていけるようになる」
ことで、自信を回復していこう。
そして学校に戻れるようになったら、次は、高校進学を目標にして勉強の習慣づけと、やり方のコツを身に付けていこう。
今のままなら、
『本当はここに行きたいけど、ここにしかいけない』
と言うような志望校選びになってしまう。
とりあえず、学校を選ばなければ、『高校生』にはなれるが、そう言う決め方では3年間卒業まで通いきれるかどうか。
いくつか候補があって、その中で、ここにしようと自分で選んだ学校だったら、自分の責任。
2年後の三者面談では、
『行ける学校はたくさんあるけど、その中から、志望校としてその学校を選び、受験に向かう』
と言う状況に持っていこう。
今のままでは2年後の今は、
「あの時からやっておけばよかった・・・」
と、必ず後悔する。
今から頑張れば、遅れた分を取り戻すのにそんなに大変じゃない上に、2年後には
「あのときからやっていて良かった」
と必ず思えるようになる。
そのためには、先生だけが頑張っても、先生が来る日だけ頑張るのでも効果は無い。
先生が来ない日の勉強が大事。
その効率のいいやり方を教えてあげるね。

そうして、自分で、どこが分からなくてつまづいているかを上手に聞き出して、簡単な問題でポイントを掴ませ、計算力や、基礎がどれだけできているかをチェックしていく。
そばで見ていて、娘のつまづいている部分が手にとるように分かる。
そこのポイントを教えてあげるだけで、すぐに応用問題ができるようになっていく。
それが「実力」として身についていくには「反復学習」が必要になっていくのだが。
「分からなかったことが分かるようになった」
「解けなかった問題が解けるようになった」
分かる喜びと、解けた達成感を上手にほめたり励ましたり、わずかな時間だったが、娘は集中的に勉強した。
今まで、自分で1時間かけてやっていた問題が、もし正解しても、本当に分かったのかどうか自信がないまま進めていていた。
それが、もっと短時間で、要点が抑えられ、理解できたと言う実感の元に次の単元に進めたり、忘れてしまっていたら、どこに戻って見直すべきかの指示を出してもらえる。
自信なさそうに固かった娘の表情が、見る見る変わっていった。

そうこうしているうちに、妹や兄が帰ってきた。
兄も妹も学校に行って留守の時間に来てもらったのだが、そんな時間になっていた。
今日は妹のピアノの日で、途中10分間ずつぐらい、送迎で私が席をはずしていた間、娘と先生はいろんなことを話していたらしい。

娘の了解を得、契約をし、Y先生を駅まで送っていく車内で、そのときの娘との話の内容を聞いた。
初対面にもかかわらず、学校のことや、家庭のこと、自分のことなど、かなり込み入った話までしたらしい。
帰り際、娘の希望の先生のタイプを聞いていたが、
「たとえば、Y先生が教えると言うことだったら条件にあっているか」
と言う質問に対して、娘は
『OK』
を出した。

「OOちゃんは、学校に行かない自分を嫌い、学校に行けない自分を責めています。
今日の出会いで生まれたOOちゃんとのとの貴重な信頼関係を壊さないよう、OOちゃんが学校に戻り、志望校の進学できるよう、みんなで頑張ります」
という力強い言葉。
「これから今日の資料をもとに、ミーティングをし、後輩の指導にあたります」
と言って、Y先生は改札口に向かって行った。

帰宅後、娘は、自分でもまだ上手く気持ちの整理がついていないようではあったが、暗い顔はしていなかった。
「決めてよかったのかな?やってみる?」
「うん」
「来週の水曜日に、あなたの希望に合いそうな先生と一緒にまたいらっしゃるそうよ」
「そう」

この出会いが、娘の大きな一歩に繋がるよう、願ってやまない。

子ども達の『おませ』で純粋な反応に、微笑ましくも心洗われる思い

2003-11-15 10:41:00 | 徒然なるままに
11月14日(金)

今日は午前中には、小学校の「芸術鑑賞会」で『サウンドオブミュージック』の舞台を、夜は、子どもネット八千代の鑑賞会で人形劇を見るという贅沢な日だった。

劇のほうは、低学年の保護者として見たので、劇もさることながら、子ども達の反応が、楽しくって可愛くって、面白かった。
劇団の人たちも、あんなに反応が良いと、ノリノリで演技ができるだろうなあ・・・という感じだった。
みんなの知っている『ドレミの歌』のときは、会場全体で歌う趣向が凝らしてあって、『ド』~『シ』に振り付けをしてみんなで大合唱するときも、低学年ならではのノリの良さと素直さが出ていて微笑ましかった。
トラップ大佐が『エーデルワイス』を歌い、子ども達がそれに合わせて歌うシーンで、祖国オーストリアへの『愛国心』を語るのだが、子ども達はシーンとして聴いていた。
そのトラップ大佐が、子ども達の応援を受け、マリア先生が部屋にいるとは知らずにプロポーズの練習をするシーンは大うけで、それが成功したときには会場中拍手が沸き起こった。
結婚式の最中にドイツ軍がやってきて、みんなでスイスに逃げる途中、子ども達がマリアにプレゼントしたブーケがくしゃくしゃになったとしょんぼりするシーンでは、泣いている子もいた。
子ども達の『おませ』で純粋な反応に微笑ましく、心が洗われる思いだった。

公演後、末娘を含め、娘の友達何人かに感想を聞いたところ、みんな「おもしろかった~!」と、印象に残ったところを興奮気味に話してくれたり、覚えたての歌を歌って聞かせてくれた。

残念なことに、平日の午前中だったせいか、保護者の参加は10名程度だった。
『小さい子を連れての参加はできません』ということで参加できなかった保護者もいたが、小さい子も十分楽しめた内容だっただけに残念だ。
もし、途中で泣いたり騒いだりしたら途中退席をすればよいわけで、劇団の要請があったというわけでないのなら、その辺の配慮などは今後検討してほしいと思う。

家庭教師 

2003-11-15 05:23:00 | 徒然なるままに
11月12日(水)
 
長女の不登校はいまだに一進一退で、本人も、周りも先が見えない状態が続いている。
先週のスクールカウンセリングで、カウンセラーの先生から、長女の今の段階の場合、
「サポート教室や、昼間の塾よりも、家庭教師というのは有効かもしれない。」
と言うアドバイスを受けた。

と言うことで、今日、家庭教師のサークルを運営している大学生と面接をした。

娘に直接会わせる前に、まず私が事前に会って、娘の今の状況や、性格などを伝えた。
娘が抵抗無く家庭教師を受け入れる作戦を立てるために。

娘は、今、多少、対人恐怖症が入っていて、特に男子に苦手意識を持っている。
部屋は、9月に私が片付けてからはその状態をキープしてはいるが、私と限られた友達しか部屋に入れない。
でも、不登校が始まった当初に較べれば、部屋は片付けられる、友達は呼べる、担任の先生とは玄関先ではなく、居間で向き合って話を聞けるぐらいまでにはなってきた。
先日の『合唱コンクール』でも、ステージにこそ立てなかったけど、クラス自分の席で、同級生達と一緒に他の学年やクラスの発表を聞いていることもできた。

娘は、
「クラスに行く勇気がない」
と言う。
「行きたくない」ということではなく、「行く勇気がない」というのは・・・?
「またいじめられるかもしれない」
と言う心配もあるのだろうが、それよりも、6ヶ月に及ぶブランクが大きすぎて、授業についていけない不安の方が大きいのではないか?
10月2日に、初めて一歩踏み出せたとき、自分では、通信教育の教材を使って、一通りやってきたつもりでも、いざ、学校に行ってみたら、その授業についていけなかったこともあったのか、翌日からまたずっと休むだけでなく、勉強もやらなくなってしまった。

「学校に行く勇気がない」とは、「自分に自信がない」と言うことなのではないだろうか・・・。
その、なくした自信の中に、「学力」があるとすれば、その抜け落ちた分は学校ではなく、私が何とかして付けさせて上げなければならない。
塾は嫌、通信教育も成果が分からず、私が教えれば、我がまま気ままが出て、お互いにに感情的になってしまう。
家庭教師という選択肢・・・。
まず、勉強をみてもらうということがメインなのではあるが、娘の年齢に近く、自分よりもちょっと先の未来を歩んでいる「お姉さん」に、いろいろ相談に乗ってもらう。という人間関係を気づきながら、外の情報を取り込めていけたら・・・と思うのだ。

面接した学生さんは、「教える」と言うことにとても熱意のある方のようで、とりあえず明日、娘に会ってもらう事にした。

私も教員を目指し、教育に携わる者として、彼女達の指導法に共感し、また興味もあったからだ。

明日、娘がどんな風に彼女を迎え入れるか・・・。
作戦通りに行くことを願って・・・!

町たんけん 2

2003-11-15 04:33:00 | 徒然なるままに
11月11日(火)

今日は、小2の娘の『生活科』の授業の『町たんけん2』の引率をした。
朝から小雨が降り、肌寒いお天気。
私の担当は、『中央公園』グループ。
探検するにあたって子ども達は、公園で遊んでいる親子連れや、公園を利用している人たちへのインタビューなど、事前にいろいろ調べることを用意してあった。
が、公園に行ってみると、遊んでいる親子どころか、人影が無い!
たまに通り過ぎていく人にインタビューを申し込むと、
「この辺の人間じゃないから」
と、断られてしまう。
仕方なく、どんな遊具があるか、公園の使い方などをチェック。
私は、この公園が「広域避難所」であることの説明や、夏祭りや、町民体育祭や、マラソン大会の会場に使われることなどを話した。
そうこうしているうちに、人影がないせいか黒い大きな犬をグラウンドに放している人がいたので、子ども達の安全を考えて、寒くもなってきたしで、図書館に行った。

図書館に行ったら、ちょうど図書館を「たんけん」し終わったグループとすれ違い、一緒に職員の方にご挨拶をしたら、2階の事務室と閉架の中なども 案内していただいた。
子ども達の
「今、一番人気のある本はなんですか?」
と言う質問に、
「ハリーポッターです。」
と言う答えが返ってきた。

みんなが一番行きたがっていた交番でのやりとり。
Q。どうしておまわりさんになろうと思ったのですか?
A.悪いことをする人を捕まえようと思ったからです。
Q.おまわりさんをやっていて、大変なことは何ですか?
A.悪いことをする人を捕まえるときです。
Q.そういう時は怖くありませんか?
A.事件にもよりますが、怖いときも勇気を出して立ち向かうようにしています。
などなど、他にも、服装のことや、道具のこと、乗り物のことや、交代制のことなど、子ども達の物怖じしない質問に、おまわりさんは的確に答えてくださった。
本物の警察手帳を見せてもらったり、
「ここには本物の拳銃が入っています」
と言われたときは、みんな
「おおっ!!」
と興奮気味だった。

学校に戻る途中、養護学校の授産施設の店舗の前を通りかかったとき、お店の人が、
「○○小学校のお友だち、ぜひ、見学していってください!」
と声をかけてくださり、思いがけず、見学させてもらうことが出来た。
リサイクル・手作りコーナーでは、結婚式場で使われたろうそくを貰い受けて作ったと言う、いろいろな色や形のキャンドルや、廃油を利用して作った石鹸など、子ども達の興味津々な作品がたくさん置いてあった。

本当は、公園だけのたんけんだったのだが、お天気が悪かったおかげで、他のグループよりもたくさんの場所を「たんけん」できた。
でも、こんなに盛りだくさんで、みんな、ちゃんとレポートまとめられるのかなあ・・・。
ちょっと心配。
27日の学習参観日では、「町たんけん」の発表をするのだとか。
わが子の発表もさることながら、前回引率した「ふるさと農園チーム」と今回の「中央公園チーム」の発表も今からとても楽しみだ。
みんな、頑張ってまとめてね~!

三者面談。いよいよ受験を控えて・・・!

2003-11-15 01:31:00 | 徒然なるままに
11月10日(月)

今日は、中3の息子の三者面談。
はじめ、二者面談の再演(?)で、息子の志望校の確認後、家庭での話し合いの結果を聞かれた。
息子の志望校は県立1本。
特色化選抜も受けるが、10倍の倍率を考えれば、とにかく、本試験に向けての調整が必須だ。
私立の併願も、すべり止め受験もなし。
本試験不合格の場合は、通信制か、定時制に通いながら、翌年の受験に備える。(私自身の時もそういう覚悟で臨んだ)
先生の、
「特色化選抜が不合格だった場合のショックとプレッシャーの方は克服できるか?」
との問いに、息子は、
「大丈夫です。プレッシャーには強い方ですから」
と答えたが、
「本試験には面接があるぞ」
と言われ、ちょっと苦笑い。

特色化選抜でも、『自己推薦文』というのがある。
確かに息子はプレッシャーに強いというより、いつでも、どんな場合でも、見ているこちらがはらはらするほどマイペースな奴である。
が、自分を表現するのがめっぽう苦手なのである。
『自己表現』『自己PR』と言うのは、受験に限らず、これからの時代、『生きる力』としては重要な力だと思う。
特色化選抜を、
『早めに受かってしまえば、後が気が楽だから』
とか、
『10倍の倍率では、落ちるほうが当たり前』と、落ちるつもりで受けると言うのはどうか・・・。
受けるんなら、
『こんな自分ですが、こう言う人物こそ、貴校に必要だとは思っていただけませんか?』
ぐらいの気持ちで強気で望んでほしい。(←図々しいほど親バカ?)
でも、万が一、合格できたとしても、あの『夜更かしの朝寝坊』の息子が、電車を使って計1時間の通学距離を、3年間通いきれるのだろうか・・・?

まずは受験に向けて、朝方に切り替えていかねばならないのに、全く改めていこうと言う意識が無い。
受験のためだけではなく、その後の高校生活にも続いていくことなのに・・・。

まあ、周りでやきもきしたところで、ウザッたがられるだけ。
息子の人生だ。
受けるのも息子。
努力が実れば合格だが、努力が足りなくて不合格になったとしてもそれは自分の責任。
私が代わりに受験できるわけではないのだ。
親はハッパをかけかけ、見守るしかないのだろう。
たとえ、望んだ結果が出なかったとしても、それを乗り越えて成長するのは息子自身である。
わが子の乗り越える力を信じて待つしかないのだろう。

半年後、彼自身の努力が報われ、選択も間違いなく、充実した高校生活をスタートさせられていることをひたすら祈るしかない。

これから受験・卒業まで、家族全員の健康管理に気をつけて、息子自身もベストコンディションで試験に向えるよう、応援していこうと思う。

『エコメッセちば2003』でソーラン踊り納め

2003-11-13 01:57:00 | 徒然なるままに
11月9日(日)

今日は、幕張新都心で行われた『エコメッセ』でソーランを踊ってきた。
海浜通りを海を見ながら車を走らせ、摩天楼の町に入っていくのはすごく気持ちがよかった。
この広い車線を使って、札幌のよさこいソーランのような大きなお祭りができたらいいなあ!!

会場に着いたら、すでにフリーマーケットやいろんなお店に人だかりができていた。
太鼓の演技が終わってから、私達の出番。
今日は各団体とも出演者が少ないので、混合チームになった。
ソーランのHPで知り合った方達の隊とも一緒に踊れて、とっても嬉しかった。
摩天楼に囲まれたロケーションでのソーランと言うのも、なかなか新鮮だった。
ただ、お天気が今にも振り出しそうで寒かったのと、足場が砂利だったので、みんな思いっきり踊れたかどうかは「?」かな?
でも、会場からはたくさんの拍手をもらい、それなりに盛り上がったと思う。

私個人としては、今日が今年のソーランの踊り納め。
本当に今年はいろいろなイベントに招かれて、大活躍のソーラン隊だった。
私は夏休みこそスクーリングで出られなかったが、本番を迎えるたび、みんな踊り込んで上手になり、新しい人も増えて踊りの輪も広がってきた。
いろいろな意味で「過渡期」を迎えている。
来年は更に飛躍し、より魅力あるソーラン隊になれるように、みんなでアイディアを出し合って、いい活動を続けていきたいと思う。

踊り終わって、そろそろ汗が引いて寒くなってきた頃、末娘がくじで食事券1000円分を当てた(でかした!)。それが西千葉の『壁の穴』と言うことで、早速その日のランチを食べに行った。

西千葉のゆりのき通り商店街は『地域通貨』というのを広めていて、今回の『エコメッセ』への参加はそのキャンペーンだったらしい。
会計の時に食事券を出したら、お店の人に
「盛況でしたか?」
と聞かれたので、
「千葉大生みんなで頑張っていましたよ。早速この券を使わせてもらいに来ました」
と答えて、商店街の合言葉の
「アミーゴ!」と言って、握手をして帰って来た。