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交流

未来の子どもたちとの再会は…。

2011-10-31 01:32:00 | 担任雑記
10月29日(土)

今日は、現勤務校の創立50周年記念式典があった。
去年から実行委員会が準備し、今年度に入ってからは、更にいろいろな準備が大変だったことだろう。
この2週間は、PTAの実行委員の方たちも、学校職員も、みな一丸となって、今日のこの日のために、夜遅くまで準備を進めてきた。
果たして本番は、見事に晴れ上がり、一期生をはじめとして、たくさんの同窓生や、この学校で教鞭をとられた先生方、地域のボランティアの方たちなどをお招きし、式典と祝賀会が行われた。
第一部は、高学年が参加しても厳粛な式だったらしい。
第二部は、低学年も参加しての卒業生によるコンサートや、全校合唱な、スライド上映などがあった。
第三部は、場所を近隣の駅のホテルでの盛大な祝賀会だった。

第二部が終わって、教室に帰ってから、子どもたちはいつか自分達が大人になった時には、今度は自分達がこういう式典を企画したり、記念誌を発行するんだと言う話で盛り上がった。
そしたら、子ども達が、
「その時、先生はいくつになっているんだ?」
「先生、今何歳?」
「高校生のお姉ちゃんがいるって言ってたから、40歳~だ?!」
「そしたら、百周年記念の時には、先生は90歳だ~」(実際には101歳ですが*(ニヤ)*)
「先生、その時、来てくれる?」
「その時まで生きていたら、どこに住んでいても、みんなに会いに来るから、忘れずに呼んでね。70周年でも80周年でも*(OK)*だよ」

子どもたちは、配布された50周年記念の記念誌を見ながら、自分たちが生まれるずっと前の小学校の様子を見たり、お父さんやお母さんたちも、自分たちの同窓生なんだと言うことを改めて実感していたようだった。
子ども達が何年か先に作る未来の記念誌には、輝かしい活躍や楽しい行事がたくさん書き込まれていきますように・・・。
どうぞ、大きな災害や、戦争などで多くの子どもたちの命が奪われたり、変わり果てた故郷になってしまうようなことがありませんように…。
もし、万が一そんなことが起きてしまったとしても、自分たちの故郷や母校、地域の人たちや同窓生たちで力を合わせて、頑張れる大人として子どもたちが成長して行ってくれますように…。
小学校2年生の時の担任を、みんなが大きくなっても覚えていてくれるかどうかはわからないけれど、私は、4月から受け持つことができた初めての自分のクラスの子どもたちの成長は、ずっと見守っていきたい。

今日は、その28人のメンバーの一人が転校して行く前の最後の日だった。昨日は彼のお別れ会だったのだが、その日の様子をデジカメで撮り、今までの写真やクラスメイト達からのメッセージをレイアウトしたアルバムをプレゼントした。
転校する彼への『2年3組卒業アルバム』だ。本人はもちろんご両親も大変喜んでくださり、クラスの子どもたちも大満足だった。
彼もまた、私のかわいい『うちのクラスの子』である。それは、彼がどこの学校に転向しようと、中学生になろうと変わることはない。
この学校が、60周年、70周年を迎える時にはぜひ、彼もまたどんなふうに成長しているのか、2の3のみんなと再会を喜び合いたいものだ。
それまで、私も元気でいないと。彼らの成長を見守り、見届けるのも、私の担任としての仕事であり、楽しみでもあるから…。
その時には、成長した彼らと一緒に、『世界がひとつになるまで』を大きな声で歌いたいものだ。

アイコンタクト ~以心伝心?~

2011-10-23 01:52:00 | 徒然なるままに
10月22日(土)

今、私は小学校の体育の授業の指導案作りをしている。

書いても書いても、指導案検討会ではダメ出しが出て、その度に全面書き直しとなる。

もともと中学校美術科が専門の私には、畑違いの難題であるのだが、引き受けた以上、長年小学校で教鞭をとってきた先生方が書くものに匹敵するような内容のものを書きあげなくてはならない。

毎回、大変勉強になっている。が、他にやらなくてはならないことと疲れが蓄積してきて、身体がきつい。

この終わりが見えない指導案作りにも締め切りがある。
とにかく、そこにたどり着くまでは、最優先で頑張らねば…。

と、無理を重ねたからか、昨日から声が出なくなってしまった。
一昨日、徹夜で指導案を書きあげた後、3時間ぶっ続けで声を張り上げなくてはならない状況だったのがたたってか、朝起きたら、声がかすれて全く音声にならなくなっていた。
風邪なのか、声帯ポリープができたのか、普通に話そうとすると、声にならない。
低い声で話そうとすると、ところどころ音になる程度だ。

そういうわけで、昨日は、朝から歌は『口パク』で、授業は『筆談』で行った。
子どもたちも心配してくれて、私が大声を出さなくて済むよう、お互い注意し合ったり、私を気遣い、労ってくれた。
私は、アイコンタクトとゼスチャーで指示を出し、それを受け取った子どもが、気付かないでいる子どもに教えてくれたりして、すごく助かった。
普段から、『以心伝心』を教えてきたが、目だけで気持ちを伝え合えるというくらい、子どもたちとの『絆』ができてきたことを嬉しく思った。

5時間目は体育だった。
本来は校庭での体育だったので、子どもたちは楽しみにしていたのだが、私の体調を気遣って、授業変更を覚悟していたようだった。
私は、今書いている指導案のオリエンテーションを教室で行うことにした。
黒板に図解をし、張り上げない程度の声を振り絞って説明をし、運動会でリレーの選手だった児童にバトンタッチの見本を実演してもらった。

子どもたちは、熱心に授業に参加し、大いに盛り上がったのだが、私が声が出せるようになったと思って気が緩んだのか、勝手なおしゃべりが多くなっていった。

しばらくだまって様子を見ていると、気が付いた児童から注意し合ってだんだん静かになって行った。
私は、静かに話し出した。
みんなはじっと聞いていた。
「私は、この授業をみんなと一緒にやりたくて、毎晩その計画を練っています。
どうやったらみんなが上手になるか。
どんなことをすれば、楽しく取り組めるか。
どれだけやれば、みんなの力が伸びるか。
先生は2年生の体育は初めてなので、いろんな先生がいろんなことを教えて下さっています。
中には、
「うちのクラス子たちを貸してあげましょうか?」
と言ってくださる先生もいます。
今、先生が作っている授業計画は、2年生全クラスがやる体育の授業です。
11月16日には、体育の専門の先生に授業を見て頂くことになっています。
私は、その授業をこのクラスのみんなと一緒にやりたいのです。
でも、今のように、先生のお話を静かに聞けない、勝手なおしゃべりをするようなクラスでは、ケンカが始まったり、砂遊びをする人たちがいたのでは、決まった時間内に準備から後片付けまでできないばかりか、授業自体も計画通りにはできないかもしてません。

そうなったら、せっかく授業を見にいらしてくださった体育の専門の先生に、授業の大切なアドバイスをもらえなくなってしまいます。
これから他のクラスもこの授業が始まります。
本番までに、ちゃんと先生が立てた計画通りに授業ができて、先生のお話をきちんと聞けるクラスが、16日の授業をやることになるでしょう。

私は、みんなが3年生になるまでに、体育だけでなく、勉強も、お掃除も、給食も、いろんなことがちゃんとできるようになってほしいと思っています。
まずは、他人の話を静かに聞けるようになってください。」

「はい!」

「どうでしょう。11月16日、その授業をうちのクラスではなく、他のクラスでやればいいと思う人はいますか?」

「・・・」

「うちのクラスでやりたいと思う人は手を挙げてください」

「「「はい!!」」」

「では、来週の体育から、本番に向けての練習が始まります。すぐに授業ができるように朝のうちに体操服に着替えて、体育の授業前には、自分のチームの分担と準備体操を済ませておけるように準備をしてください。」

「「「はい!!」」」

「11月16日は、研究授業の本番ですが、みんなのゴールはその後のリレー大会です。
長縄に続いて、2連覇できるように、みんなで協力して頑張りましょう!
先生も、この土日で声が出るように治してきます。
月曜日の体育、みんなで頑張りましょうね!」

「「「はい!!」」」


これだけしゃべったせいか、その後の学年での指導案検討会の時には、全く声が出なくなっていた。

体育科の講師の先生の
「先生が疲れていては、良い授業はできません」
という言葉が身に沁みた。

「休むことも仕事のうち」
今日は、体中が悲鳴をあげていて、一日中布団から起き上がれなかったが、頭の中は指導案がぐるぐる回っていた。

指導案完成までラストスパート!
私を応援してくれているクラスの子どもたちのためにも、最後まであきらめないで頑張るぞ!!

雨の遠足~終業式を終えて・・・

2011-10-08 15:16:00 | 徒然なるままに
10月8日(土)

庭の金木犀が満開だ。

photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

あっという間に、10月も一週間が過ぎた。
怒涛の一週間だった。
通信簿付けと指導案作りで、毎晩残業深夜帰宅のほとんど睡眠不足のうえに、10月5日には遠足があった。
前日はピーカンだったのに、その日は朝から雨で、晴れプロは中止。雨天案のコースで行ったのだが、もう、心身ともにくたびれ果て、その日も深夜まで仕事をし、帰宅した頃には生き倒れのようになていた。

7日は、後期の終業式。
無事、通信簿を渡すことができ、最後の授業には、なんとか「お楽しみ会」もできた。

子どもたちの遠足の日記を読みながら、2つのことを後悔している。
1つ目は、晴れプロの、船橋アンデルセン公園に連れて行けなかったこと。
毎日、アンデルセンの童話を読み聞かせ、シンボルタワーの岡本太郎作のタワーの話や、アンパンマン銅像、アルキメデスの泉など、すっかり頭の中は、アンデルセン公園でいっぱいだった子どもたち(私も)を、連れて行ってあげたかった・・・。
たぶん、行きたい子は、この連休中にでも家族でいくかもしれないが、やっぱり、2年3組のみんなで行きたかったなあ…。

2つ目は、雨天案で行った葛西臨海水族園と、地下鉄博物館について、もっと事前に情報を得ておけばよかったということ。
水族園の方は、15年ぐらい前に行ったことがあり、なんとなくわかっていたので、子どもたちにも見所は話してはいたが、地下鉄博物館は初めて行った場所だった。
滞在時間が短いわけだから、事前にいろいろ話してあげていれば、もっといろんなことがわかったりして、短時間の滞在でも、もっと楽しめただろうに…。

でも、子どもたちの日記を読むと、雨でも十分楽しかったみたいで、たくさんいろんなことを書いてくれていた。
地下鉄博物館にしても、
「時間がなかったので、今度はかぞくで来て、いっぱいあそびたい」
と書いてあった。
葛西臨海水族園のメインの回遊大水槽が調整中で見られなかったのも残念だった。
子どもたちに、
「カツオやマグロは、止まったら死んじゃうから、生きている間中、死ぬまでずっと寝ていても泳ぎ続けているんだよ。」
と教えていたので、太刀魚のように、静止しているような魚や、鰈やヒラメのように、海底の砂の色に同化して動かない魚のことを
「動かないでいても死なないの?」
と聞いて来たのがかわいかった。
とにかく、水槽ごとに、何か発見する度に、
「先生!来て来て!!ここになんかいるー!」
「何でこんな変な顔なの?」
「この魚なんて名前なの?」
「サンゴって、動くんだー!」
もう、大騒ぎだった。

私は私で、マグロ、カツオ、シマアジ、金目ダイ、カニ、エビ、ウニ、何を見ても、
「おいしそう!」
というので、子どもたちはそのたび、大ウケだった。

遠足の日記を書くのに、ペンギンが描けない、サメが描けないと言うので、私がパンフレットや図鑑に載っている写真を黒板いっぱいに拡大して描いてみせ、特徴を説明したり、描く時のコツを教えてあげると、子どもたちは熱心にそれを見ながら描いて、なかなか上手だった。

私も、写真を見ながら、ひと筆(チョークだけど)で、リクエストされた魚や動物を描けて楽しかったし、描くたびに、子どもたちが、
「先生、じょうず~!」
「ほんものみたい~!」
「動き出しそう!」
なんて褒めてくれるものだから、得意になって、黒板に描いたら、休み時間には、黒板いっぱいに子どもたちの絵が描き加えられて、面白かった。
今度は、大きな紙に思いっきり描かせてあげようかなあ…。

小学校2年生の遠足の引率は、疲れ果てたけど、過ぎてしまえば、楽しかったし、もっといっぱい体験させてあげたかったなあ。
でも、みんな良い思い出になったみたいだし、我がクラスは全員参加で、迷子もけが人も病人も出ないで、元気に無事に帰ってこられたのだから、結果オーライかな?

通信簿を渡しながら、一人一人と短いお話をした。
所見は漢字で書いてあるし、保護者向けに書いてあるので、一人一人にいいところやがんばったことをほめてあげ、後期に頑張ってほしいことを伝えた。
みんな素直に聞いてくれていた。
私が毎晩頑張ってみんなに書いた「うれしくなる言葉」を、お家の人に読んでもらって、いっぱいほめてもらってほしい。
そして、後期のスタートの日には、みんなのヤル気満々の元気な顔を見たい。


うれしくなる言葉

2011-10-01 08:38:00 | 徒然なるままに
9月29日(金)

小学2年生の国語科の題材に、『うれしくなる言葉』という学習がある。
お友達から言われてうれしかった言葉は、いつ、どんな時言われたどういう言葉か、その言葉を言われた時、どんな気持ちになったかを、カードに書いて発表し合うというものだ。

まず、どんな言葉が「うれしくなる言葉』なのかを聞いたところ、ほとんどの子が褒める言葉を選んだ。
「上手だね。」
「頭いいね。」
「すごいね。」
など。だから、一人ずつ聞いて行ったところ、半分ぐらいの子が『うれしくなる言葉』を言われたことがないと言った。
ところが、一人だけ、
「お母さんに、『いつも食器の後片付けをしてくれてありがとう』」と言われたこと。」
と紹介してくれた子がいた。

褒められるだけではなく、感謝の気持ちを言われたり、挨拶をされるのも、うれしくなるということに気がついた子どもたちは、
「ありがとう。」
「さっきは、ごめんね。」
「ともだちになろう」
「ひとりじゃないよ」
「ずっとなかよしでいてね」
「がんばって!」
「どんまい!」
「がんばったね」
「大きくなったね」
「お洋服似合うね」
「髪型かわいいね」
出てくる出てくる、さっき、うれしくなる言葉は「ない」と言い切った子たちも、それこそ、うれしそうに、自分の体験を語りだした。

黒板の半分に、いっぱい書きだした後、
「では、反対に、言われてうれしくない、傷つく、嫌な言葉は?」
と聞いたら、これもまたたくさん出てきた。
黒板一杯に書かれたそれらの言葉は、目で読むだけでも、いやな言葉たちだった。
それを、私は、あえて、声に出して読んでみせた。
すると、子どもたちは、なんとも言えない表情で、傷ついたような眼をして私を見、中には、
「うぜぇ・・・」
と吐き捨てるように言った子もいた。

今度は、最初に出たうれしくなる言葉達を、ちょっと大げさに、身振り手振りや、表情や、声、言い方に、気持ちを込めて言って見せた。
たちまち子どもたちの顔は、生き生き、ニコニコ、ちょっと照れくさそうに、でも、誇らしげに、本当にうれしそうな顔になった。

『言霊』という文字を黒板に書き、言葉には『魂』が宿ることを話した。
たった一言で、人を元気にすることも、生きる目標を持たせることもできるが、
たった一言が、その人を傷つけ、時には死に至らしめることもある。
更に、思っても口に出してはいけない言葉や、『放送禁止用語』についても触れた。
差別や、嘘、陰口、噂、・・・。
子どもたちは、真剣に聞いていた。


次の時間、班のお友達一人一人と、私にに向けてのメッセージカードを書かいてもらった。

その次の時間は、それらをそれぞれの子どもに渡し、誰に書いてもらったどんな言葉が、どううれしかったのかを書いてもらった。

そして、今日、そのカードを書き手の名前を伏せて私が読み上げた。
すると、書かれた本人、読まれた本人もうれしそうだったが、聞いているみんなの顔も興味津々で、なおかつ、自分が書いたのが読まれるのでは?という照れくささと期待で、眼はキラキラだった。

子どもたちからのメッセージの中には、
「『いつもやさしくしてくれてありがとう』と言われて、これからはもっとやさしくなろうと思った」
とか、
「『いつも注意してくれてありがとう』といわれて、びっくりした」
「『ねんど、じょうずだね』と言われて、がんばったところをちゃんと見てくれたんだと思ってうれしかった。」
「『正直なところがいいね』と言われたのははじめてで、そう思ってくれていたなんてうれしかった」
など、まさに煌めく言葉がたくさん書かれてあった。

最後に、みんなが私に書いてくれた『うれしくなる言葉』を紹介した。
いろいろ照れくさくなるような言葉があった中で、
「先生は、おこるとこわいけど、だめなことはだめって、ちゃんとしかってくれる」
とか、
「ぼくたちが、いけないことをしておこる時、地しんの話とかしてくれて、よくなくところ」
「まだならっていないかん字の意味や、せかいの国や、むかしのことなど、むずかしいことでも分かりやすく教えてくれる。」
「いろんなことを教えてくれる、あたまがいい人」
「読み聞かせがじょうずで、おもしろい。もっといっぱいご本を読んで」
というのもあった。

中には、いつも怒られてばかりいる子と私について、「○○くんとラブラブなところ」と書いてあるメッセージを読んだところ、クラス中が大騒ぎになった。
一番興奮していたのは、書かれていた○○君だった。
みんなは、私がその子のことを厳しく叱っていても、けしてその子のことを嫌いで怒っているのではないということを、みんなも、その子自身も、ちゃんとわかっていてくているのだと言うことを教えてくれた。

それは何より、私をうれしくさせ、2年3組の担任として教師という職業に、自信を持たせてくれる言葉だった。


さて、今は通信簿つけに毎日深夜まで学校に残って仕事をしている。
一番大変なのが『所見』だ。
通信簿は、子どもの粗探しでも、現実を突き付けるものでもない。
その子どもを更に伸ばすためのものでなければならない。
通信簿は、印刷物として一生『残るもの』であり、家族みんなで見るものだ。
言葉はよくよく吟味し、慎重に書かなくてはならない。
読んだ本人も保護者も、うれしくなって
「もっと頑張ろう!」
「こういう所をちゃんと認めてもらっているんだ」
と思ってもらえるように。


ちなみに、私が最近言われてうれしかった言葉をいくつか書き記しておこう。

「一番尊敬する人はお母さん。私たち3人をここまで育ててくれた人だから」

「ママは、お世辞を言わないから、たまに褒められると照れる。」

「ママが教えてくれることは、言われている時はうるさいけど、後で必ず役に立つ」

「先生に言われた言葉、教わったこと、一緒に勉強できたこと、一生忘れません」

「あなたの元気が、みんなを元気にする」

「おまえのいいところは、明るくて、前向きで、笑った顔がめんこいところだ」

「あなたとの出逢いを、神に感謝している」


みんなからもらった『元気玉』に応えられるように、これからも頑張ろう!