10月29日(土)
今日は、現勤務校の創立50周年記念式典があった。
去年から実行委員会が準備し、今年度に入ってからは、更にいろいろな準備が大変だったことだろう。
この2週間は、PTAの実行委員の方たちも、学校職員も、みな一丸となって、今日のこの日のために、夜遅くまで準備を進めてきた。
果たして本番は、見事に晴れ上がり、一期生をはじめとして、たくさんの同窓生や、この学校で教鞭をとられた先生方、地域のボランティアの方たちなどをお招きし、式典と祝賀会が行われた。
第一部は、高学年が参加しても厳粛な式だったらしい。
第二部は、低学年も参加しての卒業生によるコンサートや、全校合唱な、スライド上映などがあった。
第三部は、場所を近隣の駅のホテルでの盛大な祝賀会だった。
第二部が終わって、教室に帰ってから、子どもたちはいつか自分達が大人になった時には、今度は自分達がこういう式典を企画したり、記念誌を発行するんだと言う話で盛り上がった。
そしたら、子ども達が、
「その時、先生はいくつになっているんだ?」
「先生、今何歳?」
「高校生のお姉ちゃんがいるって言ってたから、40歳~だ?!」
「そしたら、百周年記念の時には、先生は90歳だ~」(実際には101歳ですが*(ニヤ)*)
「先生、その時、来てくれる?」
「その時まで生きていたら、どこに住んでいても、みんなに会いに来るから、忘れずに呼んでね。70周年でも80周年でも*(OK)*だよ」
子どもたちは、配布された50周年記念の記念誌を見ながら、自分たちが生まれるずっと前の小学校の様子を見たり、お父さんやお母さんたちも、自分たちの同窓生なんだと言うことを改めて実感していたようだった。
子ども達が何年か先に作る未来の記念誌には、輝かしい活躍や楽しい行事がたくさん書き込まれていきますように・・・。
どうぞ、大きな災害や、戦争などで多くの子どもたちの命が奪われたり、変わり果てた故郷になってしまうようなことがありませんように…。
もし、万が一そんなことが起きてしまったとしても、自分たちの故郷や母校、地域の人たちや同窓生たちで力を合わせて、頑張れる大人として子どもたちが成長して行ってくれますように…。
小学校2年生の時の担任を、みんなが大きくなっても覚えていてくれるかどうかはわからないけれど、私は、4月から受け持つことができた初めての自分のクラスの子どもたちの成長は、ずっと見守っていきたい。
今日は、その28人のメンバーの一人が転校して行く前の最後の日だった。昨日は彼のお別れ会だったのだが、その日の様子をデジカメで撮り、今までの写真やクラスメイト達からのメッセージをレイアウトしたアルバムをプレゼントした。
転校する彼への『2年3組卒業アルバム』だ。本人はもちろんご両親も大変喜んでくださり、クラスの子どもたちも大満足だった。
彼もまた、私のかわいい『うちのクラスの子』である。それは、彼がどこの学校に転向しようと、中学生になろうと変わることはない。
この学校が、60周年、70周年を迎える時にはぜひ、彼もまたどんなふうに成長しているのか、2の3のみんなと再会を喜び合いたいものだ。
それまで、私も元気でいないと。彼らの成長を見守り、見届けるのも、私の担任としての仕事であり、楽しみでもあるから…。
その時には、成長した彼らと一緒に、『世界がひとつになるまで』を大きな声で歌いたいものだ。
今日は、現勤務校の創立50周年記念式典があった。
去年から実行委員会が準備し、今年度に入ってからは、更にいろいろな準備が大変だったことだろう。
この2週間は、PTAの実行委員の方たちも、学校職員も、みな一丸となって、今日のこの日のために、夜遅くまで準備を進めてきた。
果たして本番は、見事に晴れ上がり、一期生をはじめとして、たくさんの同窓生や、この学校で教鞭をとられた先生方、地域のボランティアの方たちなどをお招きし、式典と祝賀会が行われた。
第一部は、高学年が参加しても厳粛な式だったらしい。
第二部は、低学年も参加しての卒業生によるコンサートや、全校合唱な、スライド上映などがあった。
第三部は、場所を近隣の駅のホテルでの盛大な祝賀会だった。
第二部が終わって、教室に帰ってから、子どもたちはいつか自分達が大人になった時には、今度は自分達がこういう式典を企画したり、記念誌を発行するんだと言う話で盛り上がった。
そしたら、子ども達が、
「その時、先生はいくつになっているんだ?」
「先生、今何歳?」
「高校生のお姉ちゃんがいるって言ってたから、40歳~だ?!」
「そしたら、百周年記念の時には、先生は90歳だ~」(実際には101歳ですが*(ニヤ)*)
「先生、その時、来てくれる?」
「その時まで生きていたら、どこに住んでいても、みんなに会いに来るから、忘れずに呼んでね。70周年でも80周年でも*(OK)*だよ」
子どもたちは、配布された50周年記念の記念誌を見ながら、自分たちが生まれるずっと前の小学校の様子を見たり、お父さんやお母さんたちも、自分たちの同窓生なんだと言うことを改めて実感していたようだった。
子ども達が何年か先に作る未来の記念誌には、輝かしい活躍や楽しい行事がたくさん書き込まれていきますように・・・。
どうぞ、大きな災害や、戦争などで多くの子どもたちの命が奪われたり、変わり果てた故郷になってしまうようなことがありませんように…。
もし、万が一そんなことが起きてしまったとしても、自分たちの故郷や母校、地域の人たちや同窓生たちで力を合わせて、頑張れる大人として子どもたちが成長して行ってくれますように…。
小学校2年生の時の担任を、みんなが大きくなっても覚えていてくれるかどうかはわからないけれど、私は、4月から受け持つことができた初めての自分のクラスの子どもたちの成長は、ずっと見守っていきたい。
今日は、その28人のメンバーの一人が転校して行く前の最後の日だった。昨日は彼のお別れ会だったのだが、その日の様子をデジカメで撮り、今までの写真やクラスメイト達からのメッセージをレイアウトしたアルバムをプレゼントした。
転校する彼への『2年3組卒業アルバム』だ。本人はもちろんご両親も大変喜んでくださり、クラスの子どもたちも大満足だった。
彼もまた、私のかわいい『うちのクラスの子』である。それは、彼がどこの学校に転向しようと、中学生になろうと変わることはない。
この学校が、60周年、70周年を迎える時にはぜひ、彼もまたどんなふうに成長しているのか、2の3のみんなと再会を喜び合いたいものだ。
それまで、私も元気でいないと。彼らの成長を見守り、見届けるのも、私の担任としての仕事であり、楽しみでもあるから…。
その時には、成長した彼らと一緒に、『世界がひとつになるまで』を大きな声で歌いたいものだ。