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交流

天国でみんなを見守っていてね。快くん・・・。

2004-06-29 01:00:00 | 徒然なるままに
6月28日(月)

今日は、午後6:00から快君のお通夜がある。

今朝、末娘を事故のあった交差点まで、手をつないで見送りに行った。
娘のクラスの先生を始め、小学校の先生方が横断旗を持って、子どもたちに信号待ちや、道路の渡り方を指導してくださっていた。

あの事故後、この交差点を渡れないでいる子がたくさんいると聞く。
娘はその事故を目撃したわけでも、事故後の惨状を見たわけでもないが、相当なショックを受けている。
目撃した子や、倒れている快君を見てしまった子どもたちの心の傷はどれほどのものだろう。

今日、小学校で合同追悼式があるそうだ。
先週の金曜日、元気楽しく一日を過ごし、明るく別れた友達が、その日の下校時に、通学路のいつもの交差点の横断歩道で、いつも見慣れたバスに轢かれてしまうなんて、誰が想像できただろう。

昨日、末娘が、縫合手術を施されてきれいになった快君が、葬儀社の車に乗って、いつも遊んでいた公園にお別れに来たと言っていた。
「快君の頭、つぶれてなかったよ。包帯もしてなかった。赤いいつものお洋服を着ていて、白い珠(数珠)を持ってたよ。眠っているみたいだった。」

1年生の快君。
ちっちゃくて、明るくて、かわいかった快君。
大きなバスのタイヤはどんなに怖かっただろうね。
やりたいこと、夢がいっぱいあったでしょうね・・・。
やっと落ち着いたお母さんは、
「快にはいつも、『男の子はみんなを守らなくちゃいけないんだよ。女の子にはやさしくするんだよ』といって聞かせてきました。
快は私の言うことを聞いて、みんなを守るために事故にあったんだと思います。」
とおっしゃっていたそうだ。

こんな悲しい、残酷なことは2度とおきてはいけない。

バスの運転手は、34歳の三児の父親でもあるそうだ。
本人ばかりではなく、その家族や会社関係者も、どれほどの悲しみと混乱の渦中に居ることだろう。

事故の原因は、双方の「思い込み」と「危険予測の甘さ」にあるのだが、死に至らしめる事故であり、相手は6歳とあれば、どんな状況や理由であっても加害者のほうに100パーセント責任があると思う。

子どもたちが登下校に限らずいつも使う信号。
青になったら渡れると思うのは当たり前。
同時に青になったからといって、左折車が優先されることがあってはならない。
巻き込み確認は、ドライバーの基本中の基本。
私も運転する立場の者として、肝に銘じなければならない。

「命の尊さ」を学ぶには、あまりにも大きな犠牲。
子どもたちが、この事実を受け止める心と、乗り越える気持ちが育つよう、明るい笑顔が戻るよう、学校でも家庭でも子どもたちの心のケアを十分にしていかなければと思う。

快君のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

息子の『青春』に送るエール!

2004-06-29 00:57:00 | 徒然なるままに
6月27日(日)

午前中、息子の高校のサッカー部の保護者会に出席。
めったに学校からのプリントなど見せない息子が、先日、職場まで携帯をかけてよこし、
「部の保護者会、出席してくれるの?」
ときいてきた。
珍しいこともあるものだ。何か大事な連絡があるのだろうかと、出席すると答えたのだった。

このサッカー部は、顧問の先生の方針で、90名を越す部員が全員が試合に出場する。
1年生32名のうち、高校に入ってからサッカーを始めた生徒も数名いる。
初めての子でも、伸びる子はどんどん伸びて、2年生では主力選手にまで成長する子もいるという。

トレーニングメニューも充実していて、怪我をした生徒も、怪我が回復するまでの専用のトレーニングメニューがあるし、卒業生が開業する接骨院との連携もあって、バックアップ体制がしっかりしている。

コーチ陣も、卒業生(大学生)が数名ボランティアで教えに来てくれているそうだ。
ハードなスケジュールやトレーニングをこなし、3年生の11月の大会まで出場しながら、志望校に現役合格した先輩は、その存在だけでも励みになるというのに、後輩の指導にも来てくれるなんて、その尊敬と信頼は絶大なものだという。

『部活動と勉強の両立』
これは、中・高生の永遠のテーマだ。
保護者会では、そのことについて多くのお母様方が心配されていた中で
「うちでは4年計画で大学進学を目指させています。高校3年間は、サッカーに燃え、一浪して受験。というパターンで、上の子は進学しました」
とおっしゃるお父様がいた。

息子は1年生。大学受験はまだまだ先のことと思っていたが、高校の3年間は短い。
進学校で授業についていくだけでも大変なところに、ハードな部活動と往復2時間の通学時間。
勉強は自覚の問題。気力・体力が続くよう、スタミナ作りのパックアップとサポートを考えてあげなければと思った。

息子は指導に当たる先生方も、先輩たちも1年生のメンバーもみんないい人たちばかりだという。
3年間、どんなドラマが待っていることやら。
『青春』だね~!

愛車との別れを決断した日。

2004-06-29 00:56:00 | 徒然なるままに
6月26日(土)

今日、ついに、車を買い換えることにした。
6月6日に追突事故に遭い、台車に2週間乗った。
台車は、トヨタのスプリンター。最初は『こんな大きな車、運転しずらそう・・・』と思った。
ところが、やはり、軽自動車とは違う加速の良さはもちろんだが、なんと言うか包み込まれた『安心感』がある。
軽自動車は、燃費もよく、税金など維持費はリーズナブルである。
でも、2週間乗用車に乗った後、改めて乗ったときの第一印象は『怖い』ということだった。
車内の狭さも、成長した子どもたちを乗せて走るには余裕がない。
何より、トランクルームがないというのは、またもし追突事故に遭ったときには相手のスピードによっては命に関わることになるかもしれない。

軽自動車には愛着がある。まだまだ立派に走れる。
でも、末娘が言った。
「まだちゃんと走れるうちに、よその人に大事に乗ってもらって、うちはみんなでゆったり乗れる大きな車と交換してもらおうよ。」
小学3年生とは思えないこの冷静な言葉。
『廃車』になるまで乗りつぶすのもいいけれど、愛着のある車がぺちゃんこにされるよりは、誰かにまた大事に乗ってもらえるうちに新しい車と買い換えるほうが良いというのだ。

私は決心し、買い換えることにした。
家族の命を守り、安心して乗れる車。
思い切った買い物だが、今度の事故から学んだこと、教訓として、多少維持費が高くなるのは『保険代』と思うことにした。

3年間乗った愛車との別れを惜しみつつ、大事に乗って、きれいにお掃除してあげようと思う。
2週間後には我が家にマツダのファミリアがやってくる。

通いなれたいつもの道で・・・

2004-06-29 00:55:00 | 徒然なるままに
6月25日(金)

今日、幼い命が天に召された。
下校時、小学1年生がバスに轢かれて亡くなったという事を聞いたのは、職場から直行したソーランの練習が終わってからだった。
今日の練習メンバーが少ないのは、そのことで親子でパニックになって来られない人がたくさんいるからなのだという。

急ぎ家に帰り、友人に問い合わせたところ、名前を聞いても最初は顔を名前が一致しなかった。
でも、お母さんの特徴を聞いて、いつも挨拶をしている顔見知りの方で、昨日の授業参観でも話したばかりの方のお子さんだということがわかった。
末娘に聞くと、いつも公園で一緒に野球をやって遊んでいる友達だという。

事故の状況は詳しくはわからないが、一緒に下校した何人かの子達が、その一部始終を見、近所の人が家からタオルケットを持ってきてくれるまでの間、かなりの子どもたちがその惨状を見てしまったらしい。
その中に、亡くなった子の年子のお兄ちゃんがいて、ポツリと一言弟の名を呼んだ後は、その場に呆然と立ち尽くしていたそうだ。
救急車が到着しても、搬送されず、遺体はそのままの状態でシートをかけただけ、パトカーの到着も遅れて、現場はパニック状態だったそうだ。

知らせを受けて駆けつけたご両親はその場に泣き崩れ、お母さんは、
「何でうちの子なのよ~!」
と叫んでいたそうだ。
でも、そのおかあさんを落ち着かせようと近所の人の車で近くの病院に運ばれたときには、うわごとのように
「皆さんにご迷惑をおかけしてすみません。一緒にいた子どもたちは大丈夫だったのですか」
と、周りへの気遣いの言葉ばかり言っていたのだそうだ。
でも、あまりにもショックが大きくて今晩は自宅ではなく、友達の家にとまっているそうだ。お兄ちゃんもお友達の家に泊めてもらい、弟の死は今のところ知らされてはいないらしい。

こんな事故がどうして起きてしまったのだろう。
いつも、私たちが朝の交通指導で、横断旗を持って子どもたちを渡らせている横断歩道だ。
いつも、最寄り駅に行くときに乗るバスが、通学路の横断歩道を横断中の児童を轢いてしまうなんて・・・・。

亡くなったお子さんも、その後遺族も、あまりにお気の毒でならない。
そして、一緒に帰っていた子どもたち。目の前で事故の一部始終を目撃してしまった心の傷は想像もつかない。

子どもたちの心のケアを十分に考え、二度とこんな事故が起きないよう、安全対策に真剣に取り組み、実践していかなくてはならない。

命と引き換えに大切なことに気づかせてくれた、快くんの死を無駄にしないためにも。

声枯れ

2004-06-14 02:52:00 | 徒然なるままに
6月10日(木)

午前中は、教育センターでのカウンセリングを受けに行ってきた。
この何日間かは胃痛と疲れがひどく、声もますます枯れてきている。
カウンセラーの先生からは、声は精神のバロメーターだと言われた。
私の声枯れは、仕事やソーランで使いすぎたからではなく、心労・ストレスから来る精神的なものらしい。
早めの咽喉科と心療内科の受診をすすめられた。

私程度でもこんなに辛いのに、1日に起きた佐世保の事件に関わる人たちの心痛や心労はどれほどのものだろう。

先日、被害児童のお父様の手記が発表された。
事件直後は、まだ信じられない、現実味のない事件が、日を追うごとに、事あるごとに、事実を認めたくない、受け入れられない、計り知れない喪失感に、責めさいなまれていらっしゃるのだろう。
本当に、心よりお悔やみを申し上げます。

また一方で、加害児童のご両親も、どれほどの心の傷を負われたことであろう。
この事実を受け止めつつ、プライベートなことや生育暦のことなどは、義務であり責任の取り方だとはいえ、どんなに辛くても、いやでも明らかにしていかなければならない。
また、今後は、冷たい世間の目に耐えながらも、わが子の更生を信じて生きていかなくてはならない。
この悲劇を繰り返さないためにも、どんなに辛くてもくじけずに頑張っていただきたいし、捜査に協力していただきたいと願わずにはいられない。

担任の先生は、生徒が登校しているのに入院しているとは何事かと顰蹙をかっていると聞いた。
先生だって人間だ。
惨状を目の当たりにして、その時間、何も気がついてあげられなかったという後悔と責任の重さに、体調を崩してしまっても仕方がないのではないだろうか。
早く立ち直って、子どもたちのところに帰って行ってほしいとお見舞い申し上げます。

遠く離れた千葉の子どもたちも、大きな衝撃を受けている。
同じ小学校に通う子どもたち、ましてや同級生たちはどんなにか衝撃を受けたことだろう。
今は混乱しているであろう加害児童自身も、近い将来、事の重大さと犯した罪の重さを実感する日が来るだろう。
その十字架の重さにつぶされないよう、周りがしっかり支えてあげてほしいと願わずにはいられない。
それはけして、『ファンクラブ』などという非常識なものであってはならないのだ!

今の子どもたちが置かれている状況や、抱えている問題、悩み、SOSは、時に私たち大人の想像を絶するものがある。

私も、頭の中をリセットして、今一度、長女の言葉に耳を傾け、彼女の求めているもの、行動の背景を見つめ直さなくてはならないと思う。

いつかまた、2人で大きな声で『島唄』を歌える日が来ることを信じて。

ワイヤークラフトと愛鳥週間のポスター

2004-06-13 16:38:00 | 徒然なるままに
6月9日(水)

1・2時間目は4年生の授業。
今日から18本のカラフル針金細工を使った工作に入った。
針金は、細くて一見扱いやすそうに見えが、制作に入るとこれがなかなかどうして思うように角ができなかったり、形が決まらなかったりして、皆苦労していた。
結局、アイディアスケッチどおりには行かず、形も決まらないまま2時間たってしまった子がたくさんいた。

次の空き時間に、自分で作ってみた。
なかなかやりごたえがあった。
ベビーカーに乗った赤ちゃんを作ってみた。
赤ちゃんは紙粘土だが、籠も内蔵された本格的なものだ。

昼休みや掃除の時間に子どもたちが見に来た。
1箇所も切らずに針金をよじったりねじったり組み合わせて作ったベビーカーに驚いていた。

5・6時間目は6年生の『愛鳥週間』のポスターの仕上げ。
なかなかの力作ぞろいだ。
5年生のポスターは、ストーリー性が高いが、さすがは6年生、『目立つ・わかりやすい・視覚的に美しい』というポスターの基本を踏まえた作品が多い。
放課後まで残って何人か仕上げたが、今日中に仕上がらなかった子が2名いた。
「(私の出勤日の)金曜日の昼休みに描きに来いいですか?」
といってくれた。
2人とも凝った作品だけに、仕上がりが楽しみだ。

子どもネットサークル会

2004-06-13 16:36:00 | 徒然なるままに
6月8日(火)

午前中は子どもネットのサークル会。
何とか次期サークル長が決まって、めでたしめでたし。
大変なのは皆同じ。
関わる以上はみんなが少しずつ荷物を持ち合って、サークル長という世話役は、入った順番で持ち回りと言うのが基本だと思う。
どうしてもできない事情や時期はみんなで助け合ったり、やる順番を交代するもよし。
そういう大事なことを決める日に、いきなりお休みする人がいて、とても残念だった。。
お休みするならするで、みんなが納得する理由と、自分ができないのであれば、代わりの人になってもらえるよう交渉するとかあってもよかったんじゃないかな。

楽しいことばかり、楽しいときばかりではないけれど、自分たち・子どもたちのための会。
どういう関わり方をしていけばいいか、みんなで考える好機と考えよう。

小さな芸術家たち

2004-06-13 09:28:00 | 徒然なるままに
6月7日(月)

1・2時間目は6年生の、テラコッタ風紙粘土を使っての「土器作り」。やはり、最初に粘土を捏ねるのに時間がかかりすぎたのもあり、結局、3時間目も使っての制作となった。
子どもたちの発想力&創造力にはいつも驚かされる。技術がないだけで、ちょっとヒントをあげたり、コツを教えてあげたり、一言声をかけてあげるだけで、格段に腕を上げる子や、どんどん発想を広げる子、大人が及びもつかない創作力を発揮する子がいる。
一方で、何を作ろうか、どう作ろうか、悩みっぱなしで時間だけが過ぎていってしまう子もいる。
得意不得意、好き嫌いもあるだろう。
でも、子どもたちは誰しも、絵でも工作でも取り掛かった以上は描き上げたい、作り上げたいだろうし、想像通りのものにならなくても、創作活動は楽しんでやりたいと思うのは誰も一緒だと思う。
「評価」にもかかわってくることではあるが、私は、それ以上に、子どもたちが時間をかけて取り掛かった作品に対して、自信と達成感と愛着が持てるような指導をしていきたいと思う。
「秋津式土器」と命名された作品たちは、ちょっと照れくさそうに廊下に展示された。なかなかの傑作が生まれたと思う。

3・4時間目は、別の6年生のクラスの手のデッサン。
「手にも表情がある」といったら、初めきょとんとしていた子どもたちも、自分の手をじっくり眺めるなんて経験がなかったわけだが、1時間取り組んでみて、手こずりながらも何とかデッサンを仕上げた。
来週は着彩。絵の具の「はだいろ」を使わずに、どう「肌色」を作るのか。
1番最初に着彩に入った子が、パレットに色を作っては、直接自分の手の甲に塗っていたのが印象的だった。

6時間目は、5年生の合唱練習の授業を参観させてもらった。
「一本の樹」と「エール」という歌を聞かせてもらった。3部合唱で、きれいにハモった子どもたちの声に心が洗われる思いだった。
その歌声に刺激されて、来月の歌が「君をのせて」と聞き、そのイラストを描くのを引き受けてきてしまった。
帰宅するなり、一気に模造紙2枚分の下描きを描き上げた。