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交流

もうひとつのHP作り 近日公開予定!

2003-09-30 22:44:00 | 徒然なるままに
9月30日(火)

今日は、もうひとつのHP作りに悪戦苦闘した。
今年の1月30日にこのHPを立ち上げてから9ヶ月が経った。
ソーラン隊のHPも立ち上げようと計画してからは半年も経ってしまった。
先日、今更ながらHP作成のマニュアル本を買ってきて、あれやこれやと頑張ってみたものの、なかなか思うようにことが進まない。
なんとかとりあえずのページだけは作ってみたものの、今度は表示されない。
半日がかりで、何とか、24時間以内には表示できるところまで言ったが、本当にこれでよかったのだろうか???

それにしても、HPって奥が深いというか、自分でやろうと思うとほんとに、専門用語からシステムの仕組みから分かっていないと先に進まない。
自分のPCの基礎知識を付けるためにもはじめたことなので、徐々にでもいろんなことが出来るようになって、コンテンツの方も充実させていきたいと思う。

『もどっておいで 私の元気!』今日手術の友人に送るエール!

2003-09-30 22:26:00 | 徒然なるままに
9月29日(月)

今日は、HPで知り合った友人の手術の日だ。
昨日入院。前日の日記には授業参観の様子が書き込まれてあった。

HP上での出会いだから、直接会ったことも、声を聴いたこともない。
でも、彼女のHPには明るくて、人をほっとさせるような、彼女に人柄を彷彿とさせるような楽しいコンテンツがたくさんある。
日記も、彼女の故郷の言葉で書かれたものがあり、同郷の人でなくても、充分癒されるページである。
9月に入ってから、その抱腹絶倒のような日記に、「疲れる」とか、なんだか弱気な書き込みが増えてきていた。
気になっていたのだが、ついに、今月末に手術することになったという知らせがあったときには本当にショックだった。
主婦が入院するとなると、家のことや、子ども達のことなど、自分の体と同じぐらい気にかかることがいっぱいある。その上、彼女は仕事にも全力投球な人だ。入院直前まで病む体をおして頑張っていた。
家で一人でいると不安が増してくるから、働いていた方が気がまぎれたのかもしれない。

「麻酔から覚めなかったらどうしよう・・・」と不安がっていた。
今頃はきっと、麻酔が覚めて、傷口が痛んでいる頃だろうか・・・。痛みながらも、麻酔から目覚めたことでほっとしているかもしれない。

一日も早く元気になって、いつもの生活に戻れて、また楽しいHPの復活させてくれることを心より祈るばかりだ。

彼女に紹介した詩をここに改めて書き込み、手術の成功と彼女の健闘を祈る。


   『病気』

 あなたが 自分の心とからだを痛めつけるような生き方をしているとき

 不自然な生活習慣をやめないとき

 心が葛藤で苦しんでいるとき

 からだは 病気という手段を使って あなたのいのちを救おうとする

 それは悲しいほど正確ないのちのシステム

 病気は 大自然のいのちのリズムや
 
 自然なままのあなたの姿から遠く生きていることへの警告

 からだがあなたを生かすために投げかけた命綱

 病気は どこまでもあなたのいのちを守ろうとする

 あたたかな いのちのシステム
 

   『苦しみ』

 自分の前に新しい世界が開かれようとするとき、
 
 それを本当に受け取る準備ができているかどうかを試すように、

 心とからだに、耐えがたいほどの苦痛がやってくるときがある。

 自分が最も望まない状況を深く味わうことで、

 自分が本当に望んでいるものは何なのかに気づかせるために、

 この苦しみがやってきたのではないかと思うような体験。

 深く大きな苦しみ、悲しみの体験は、

 生き方の軌道修正が必要なときがきたというサイン。

 新しい世界に足を踏み出す時がきたというメッセージ。

 自分の経験した苦しみが、

 自分自身を救う道を作ったり、

 誰かを癒したり、

 自分を生かす世界に導いてくれる。


                  
    『気付きのノート もどっておいで 私の元気!』(岡部明美・著 善文社)

ドラマ『さとうきび畑の唄』

2003-09-30 13:12:00 | 徒然なるままに
9月28日(日)

はじめて「さとうきび畑」の歌を聴いたのは、中学時代のNHK「みんなのうた」で、当時はちあきなおみの歌だった。
沖縄戦についてはあまり知識がなかったが、1972年に返還された沖縄に、憧れと興味だけは持っていた。

ざわわ ざわわ ざわわ・・・
夏の日差しの中でさとうきび畑が風になびく音・・・
それは、その下で眠る、あの日、鉄の雨に打たれて死んでいったたくさんの人たちの無念の溜息なのか・・・。

今夜、この歌をモチーフにしたドラマが放映された。
日本で唯一地上戦が繰り広げられた沖縄の悲劇を、主演の明石家さんまが好演していた。

仲間由紀恵扮する小学校教師の紀子が、夫の訃報を受けた直後の最後の授業で、子ども達に、「戦争では何も解決しない。あなた達は生きて、戦争のない国を作って!」と訴えるシーンは印象的だった。
「あなた達がこの世に生まれてくるには、2046名のご先祖様が必要だったの。」
命のバトンタッチ・・・この尊い命の繋がりを次の世代に確実につなげることが、人が生まれ生きていく意味なのだと思う。
それが、戦争という、最も愚かしいことで人の命を奪い、自分の命までも無駄に落とすような過ちは繰り返してはならないし、この世から一掃しなければならないと思う。

明石家さんま扮する幸一は、上官から怪我をして無抵抗の敵兵を撃てと言われて、「私には出来ない」と銃を落とすシーンで、
「私はこんなことをするために、生まれてきたのでも生きてきたのでもない。私は写真屋だ。
私の望みは、自分の子ども達が、自分の家族に負けないような家族を作ることと、愛する家族に囲まれて天寿を全うすること、それだけなんです」
幸一はどんな時にも笑いを忘れず、周りを明るくし、家族を誰よりも大切にしていた。
「アメリカ兵だって同じ人間です。アメリカ兵にだって家族がいるんです」

当時、本当にそう思っている人がいたとしても、けっして言葉には出せなかった台詞を、
ドラマの中で、幸一が平和への祈りを込めていうシーンが心に染みた。

私は沖縄にはまだ行ったことはないが、あの、美しい海と島で、あんなに過酷な悲劇が繰り広げられた事実を、私たちはけっして忘れてはならない。そして、悲劇は二度と繰り返してはならない。

娘達と一緒に見ていたのだが、小2の娘に
「(召集令状が来た時)、どうしておめでとうございますっていうの?」
と質問された。
なるべく彼女が理解できる言葉を使って説明はしたが、私自身が納得できていないことを8才の子に分からせるのには無理がある。
このことは、これから機会を見ては母子で一緒に考えていこうと思う。

中1の娘は、上戸彩扮する二役の少女を追っていた。現代の役は不登校の高校生。戦時中の役は学徒看護婦。
このドラマから彼女はずい分多くのことを学んだと思う。

平和を願う作り手の思いは、このドラマを見た全ての人の心にしっかりと届いたと思える、素晴らしいドラマだった。

ここに改めて、あの不幸な戦争の犠牲になった全ての人々のご冥福をお祈りします。

STEP BY STEP!

2003-09-29 23:58:00 | 徒然なるままに
9月27日(土)

久し振りに今日は、小学校の体育館でのソーランの練習。
今日は、発声練習を取り入れてみた。
子ども達の踊りは元気いっぱい、何より、声が出ていて、見ている、聴いている方も元気になるソーラン。
でも、「声を出して!」というと、どうしても、喉からのがなり声になってしまう。
これでは3曲連続で踊るときには声が続かない。
「腹式呼吸」と言っても、幼児や小学生にはよくわからない。
とにかく、おなかから声を出すことと、がならないことを指導した。
子どもチームと大人チームに分かれて、掛け合いのように声出しを練習した。
練習の甲斐あってか、踊りながらの練習の時も気合いが入っていて、「覇気」を感じる踊りになって来ていた。
3色のガムテープのうち、黄色の子の頑張りが目覚しい、その日のうちに青色の昇格できた子もいる。
具体的な目標があると、その進歩の速さはたいしたものだと思う。

一ヵ月後に行われる学校のバザーの体育館のステージで、同級生や先生達の前で、自分達のソーランを披露しようと、みんな踊りに気合いが入っていた。
私は、初心者担当なのだが、今日は5歳の女の子が本当に真剣に練習していた。
学校のバザーには間に合わないが、11月の本番をめざして1つ1つ頑張って覚えようね!

愛され方も愛し方も知らない少年の孤独

2003-09-29 22:16:00 | 徒然なるままに
9月26日(金)

夜、「TEAM4」(フジテレビ系9:00~)を見た。
最初のシリーズから見ているが、少年犯罪をモチーフにしたこのドラマの内容には、毎回考えさせられることが多い。

《金曜エンタテイメント》
「ドラマスペシャルTEAM4・お母さんごめんなさい…殺人を犯した17歳少年の孤独とその裏に潜む歪んだ親子愛にあのチームが挑む!」草なぎ剛 西村雅彦 水野美紀 戸田菜穂 黒木瞳

今回の少年犯罪の背景にあるのが、虐待の連鎖、つまり「アダルトチルドレン」である。
今回の犯人の少年は、「人に愛されたことが無い」「人の愛し方を知らない」という生い立ちの持ち主で、実の親や、預け先の親戚の子などから、小さい頃から虐待やいじめを受けて育ってきた。

少年の言葉で、胸がえぐられるような思いをしたのは、実の父親から「しつけ」と称し、折檻(虐待)を受けている時、
「この人はお父さんじゃない。この人は、よその人か宇宙人なんだ。お父さんがこんなことをするはずが無い」と思うことで、自分の心がこれ以上傷つかないですむようにしているうちに、何も感じなくなっていた。そして、笑うことも忘れてしまった・・・」
というくだりと、
自分を捨てたお母さんが、今度の事件のことを知って、もし面会に来てくれたとしたら、7年ぶりに会ったお母さんにどうしてほしいかという質問に対して、
「抱っこして欲しい」
といった台詞に、やりきれない思いがした。

そして少年は、自分を虐めていた父や従兄弟もまた虐待を受けて育ち、その怒りや恨みを自分より弱い少年に向けることで晴らしていたのを知ったとき、同情するような顔になるのだ。
そして、自分より、新しい男との生活の方をとって、自分を捨てた母に7年ぶりで会ったら、「抱っこしてもらいたい」と望む少年の孤独・・・。

どんな理由があろうと「殺人」は許されない行為だ。
だが、「しつけ」と称し、子どもの身体や心に一生消えないような傷をつけたり、子育てを放棄するような親は、絶対に許せない!
ラストで、丹波肇(西村雅彦)と風見勇助(草なぎ剛)が、
「栄太は、まだ、自分を愛してくれる人に出会っていないだけだ。これからそういう人に出会うんだ。それは親でなくてもいいんだ」
というような台詞のやり取りがあった。

なんだか救いようの無いドラマ展開の中で、少しは救われる思いがしたやり取りだった。

「虐待の連鎖」「アダルトチルドレン」「ドメスティックバイオレンス」などの「暴力」の中で子どもが育つことの恐ろしさと悲劇性を痛感させるドラマだった。

草なぎ剛扮する風見勇助がなかなかの好青年である。

親も子どもも白熱!体育館で「オセロゲーム」

2003-09-29 22:15:00 | 徒然なるままに
9月26日(金)

午後から、小2の娘の「学年活動」に参加した。
「学年活動」とは、年に一回、各クラスのPTA役員が企画して、先生・子どもたちと保護者が一緒になって活動をする時間だ。
たいてい、体育館を使って、クラス対抗の親子ミニ運動会といったものが多い。

でも、上の子たちの時は学年によっては、親子で陶芸をしたり、収穫した稲わらを使ってリース作りをした年もあった。

今回はミニ運動会形式のものだった。
最初は、お玉にピンポン玉をのせて走るレース。
次の○×ゲームもなかなかの盛り上がりだったが、最後の「オセロゲ―ム」はかなりの盛り上がりだった。
赤・白に分かれて、床にばら撒かれたカードを自分のチームの色にひっくり返していき、その数を競うという、超単純なゲームなのだが、結構いい運動になる上に、親も子も夢中になって、なかなかの白熱戦だった。
終わりの合図がなってもズルしている子がいるので、要チェック!

終わってから、子ども達はジュースとお土産(なわとびと竹とんぼ)をもらって、親子で仲良く下校となった。

が、体育館を出たところで、コーラスのメンバーに会い、すっかり今日の活動を忘れていた私は慌ててPTA室に向かったのだった・・・。
発表会まで後3週間!

十勝沖地震お見舞い申しあげます。

2003-09-29 22:12:00 | 徒然なるままに
9月26日(金)

午前4時50分頃、釧路沖を震源に発生した震度6弱、マグニチュード8.0の地震。その後も余震が続き、最大の余震は、6時8分頃のM7.1(暫定)の地震(最大震度6弱)。
千歳空港の天井が落ちたりと、被害は広範囲で出てはいるが、未明のことで、大惨事はまぬがれた模様。けが人は時間を追うごとに増えている。
津波や、苫小牧市の出光興産?北海道製油所から出火した火も心配だ。

寒さに向かう北海道。早く余震がおさまり、一日も早いライフラインの復旧を願います。

それにしても今年は地震が多い。それも、一日に2度、3度の震度6が襲うなんて・・・。
5月26日に起きた宮城地震。
7月26日には一日3回も震度6が襲った宮城地震。
9月26日は、今回の十勝沖地震。
この間隔で行くと、次は11月26日にどこかでまた起きるかもしれない?

地震の備えは、物だけでなく気持ち、心がけも大事だと思う。
私の経験(高3のときの宮城県沖地震)から、直下型の震度5~6の地震の時は、棚の上や本棚・食器棚から落ちてきたり、飛び出してくるものは全て凶器だ。
一番困ったのはやはりライフライン。
・水の汲み置きは必須!トイレも流せなくなるのは本当に困りもの。
・暖かい食べ物、飲み物はありがたい。ガスボンベは常備していたい。
・真っ暗な中で、ろうそくの光を見ると気持ちが落ち着く。ろうそくや、懐中電灯、電池はすぐに取り出せるところで、家族みんなが置き場所を知っていること。
・停電時の情報源は、トランジスタラジオ!携帯できる電池型ラジオは必須アイテム!
・地下鉄構内や列車内で地震に遭遇した時のために、バックの中にペンライトを入れておくと心強い。

後は、本当に、その場になったら落ち着いて行動することだと思う。
そして、家族とはもしそうなった場合のシュミレーションを常に話し合っておくのも大切なことだと思う。

TVで気になることを言っていた。
宮城地震の起きる確立は98%、十勝沖地震は60%、東南海地震は75%と出ていたが、東海地震の空欄は「いつおきても、おかしくない」から数字は出さないということだった。

震災の時、わが身を守るのは自分自身。大きな災害でも、最小の被害で食い止められるよう、家族ともども心がけたいと思う。

このたびの震災に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます

「育児不安」からくる「少子化問題」と「子育て支援」?

2003-09-29 08:43:00 | 徒然なるままに
9月25日(木)

NPO法人子どもネットや千代(Linnks参照)主催による、子育て支援スキルアップ講座の
講演会「子育て支援について」(講師/深谷昌志先生―東京成徳短期大学幼児教育科・教授)
に参加してきた。

深谷先生は、「子育て支援」と「子どものサポート」という研究テーマの中で、特に、「育児不安と少子化の関係」について、日本だけでなく世界各国の「お母さんの子育て」調査をなさっている。

「少子化」が騒がれて久しくなるが、一向に終息しないばかりか、深刻さは増すばかり。
その背景と傾向を考えると、どこかで歯止めをかけないと、これからの未来は相当暗いものになることが予想される。

少子化の傾向の最大の原因は、「育児不安」にあると考えられる。
「働く主婦」への対応はかなり充実してきていると思う。その後の親子関係についてはその家庭の事情によるだろうが・・・。
だが、妊娠・出産・育児のために、仕事をやめ、核家族で、都心部の高層マンションや、郊外の団地・ベットタウンで子育てをやっている、いわゆる「専業主婦」たちが陥っている「密室育児」状況からくる「育児不安」はかなり深刻だ。
それも、高学歴で、キャリアウーマンの高齢出産の人ほど重症になる傾向が強いのだそうだ。
また、その子が、望んで生まれた場合と、望まぬ妊娠で生まれた場合では、更に状況は変わってくる。
前者の場合は、産み月までの間に母になる心構えや、赤ちゃんへの関心が強まっていく。
一方、後者の場合は、ギリギリまで働き、母になる覚悟も準備も出来てい無いところで出産を迎える。
生んだ後も、早めの社会復帰が優先され、すんなり戻られれば良いが、そうではない場合、自分だけ損したような、社会に取り残されたような気持ちになってしまう。
育児不安と仕事をやめたときの気持ちとの関係を見てみると、止めたときの「残念」な気持ちが強いほど、育児不安傾向は強い。
更に、妊娠した時にあまり嬉しくなかった人は、出産後の、
「自分の子が可愛く思えない」とか、
「この子さえいなければ・・・」と言うマイナスの気持ちに転化していってしまう傾向が強い。
そのはなはだしい結果が、「育児ノイローゼ」となり、「幼児虐待」に繋がっていく場合があるのだ。

たとえ、核家族でも、夫が育児を夫婦の共同作業だと考えてくれるような人なら大丈夫。
人生経験の少ない若いお母さんでも、農村部では育児不安が少ないそうだ。
育児不安の背景の中には、「不慣れ」と「不安」(核家族による孤立)の連続性が考えられる。
最初の子どものとき、大変ながらも、夫を始めたくさんの周りの人の協力と理解を得られて、育児の楽しさや、我子ならではの可愛さを実感することが出来れば、その子が2~3歳ぐらいになれば、自然と兄弟が欲しくなってくるものだと思う。
それが、「もう、子どもはたくさん!」「育児は大変なだけで、楽しくない」「どうして私だけが大変で、痛い思いをしなきゃならないの?」「自分の子どもが可愛く思えない」などと言う気持ちに陥っていたら、とても第2子、第3子を生みたいという気持ちにはなれないのも無理はない。

また、育児不安の背景の中に、その母親が育ってきた環境と言うのがある。
その人の「親性」が育つかどうかは、どういう母親にどう育てられてきたかでかなり違ってくる。
将来母親になるための必要な心構えよりも、自立したキャリアウーマンになるための学歴を重視した教育だったかどうか・・・。
小さい子が好きな母親に育てられたかどうか・・・。
たとえ、フルタイムで働いていたとしても、親戚付き合い、近所付き合い、地域活動やPTA活動などに積極的な母親に育てられたかどうか・・・。
実際、赤ちゃんや小さい子に対して、どう接していいかわからず、出産直後の参院で、泣いている赤ちゃんの隣で耳をふさいで泣いている新米ママの姿はあまりに痛々しい。
そういう人の多くは、自分が出産するまで、赤ちゃんに1度も触れたことが無いと言う人が多い。

子どもは、子ども時代、自分の親には良くも悪くも人格形成上、多大な影響を受けて育つ。
大人になる過程で、それは、指針ともなり、反面教師にもなっていくのだが、不思議なことに、家庭を持ち、親になると、良くも悪くも、自分が親に育てられたように子育てをしようとする。
若い頃は、親の育て方を否定し、批判していたのに、自分が受けたと同じ虐待を繰り返してしまう「アダルトチルドレン」は、その最も悪い例だ。
そういう夫と結婚してしまった場合、その嫁ぎ先との関係も考えると、「育児不安」は決定的なものとなる。

「少子化」によるさまざまな方面での悪影響は、国の根底を揺らがせ、ひっくり返すほどの深刻さを感じる。
「経済政策」や「政治改革」も大事だが、「少子化問題」や、「教育問題」にも目を向け、早急に対応策を考えなくてはならないと思う。

講演の中で、先生は、「それぞれの社会に、それぞれの子どもの問題がある」ということで、調査に訪れられた諸外国が抱える問題を話された。
例えば、韓国・・・・・受験問題
    中国・・・・・一人っ子政策
    欧・米・・・・離婚・再婚による複合家族問題
    アジア・・・児童就労問題
そして、日本・・・・・少子化と、学力低下(値打ちが下がる一方の学歴)

そして今の日本の子どもの問題として、「子ども達が地域に参加していない」ことを指摘されていた。子ども達はどうしたら地域で生活していけるかと言うことは、同時に、家庭教育の低下のみならず、地域の教育力の低下も大きな問題だ。

そのためにも、第一子が3歳になるまでの子育て支援の問題への対応と充実化は、早急に取り組まねばならないことだと思う。

プチ・ホームステイ・プラン

2003-09-29 00:10:00 | 徒然なるままに
9月25日(木)

昨日の深谷先生のお話の中で、面白いなあと思ったことを番外編として書き留めておこうと思う。

少子化で、一人っ子が多くなってきている。
兄弟、従兄弟がいないばかりか、近所にも、同い年や異年齢の遊び仲間がいない。
核家族化で、高齢者との生活経験も少ない。
こう言う環境で育っている子ども達の未来って、本当に豊かな世の中なのだろうか・・・。
先生が紹介してくださったプランは、実際にアメリカで行われていることで、近所に義兄弟・義従兄弟を作るプラン。

近所の家に、いわばホームステイをさせてもらうのだ。
そのときは、子ども達は、お世話になる家のルールに従うのが鉄則。
いろいろな家のルールや、人間関係、家庭料理の味から、子供たちを通してお互いの家族が学ぶことは多いと思う。
それが、外国から引っ越してきた家族だったりすれば、立派な国際交流である。

各家々のプライバシー問題などもあり、よその子を受け入れるというのはそんなに簡単なことではない。
でも、地域社会の教育力を高めると言う意味では、取り組む価値のあるプランだと思う。
例えば、子育てが一段落して、老夫婦だけのお宅とかに、小学校の低学年のうちから、時々お世話になるとかすれば、高学年や、中高生になっても、さほど抵抗は無いかもしれない。
もちろんお客さんではないのだから、、その家の手伝いなどもその家の子ども同様やるのだ。
『遠くの親戚より近くの他人』と言う言葉があるが、震災など、大きな災害が起きたときに一番頼りになるのはご近所である。
「隣の人は何するひとぞ」と無関心を装うのではなく、「おたがいさま」「おかげさま」と声を掛け合える近所付き合いこそが、最強の「防災対策であると私は考える。

まずは、いきなり話したことも無い近所の方ではお互いに気を遣うので、まずは、気心の知れた家族同士で試みるのもいいだろう。
家ではわがまま放題で、横柄な態度や言葉づかいをする反抗期の子でも、よその家ではそうは行かないだろう。
よその家での家族の会話などから、よその家族を知り、自分の家を客観的に見る眼も持てるだろう。
夏休みなど、時間的に余裕のあるときなどに、自治会や子ども会などが主体になって企画するのも良いのではないだろうか。
わざわざ、遠くの県の農村部にホームステイさせるプランもあるが、近くのお家にお泊りするプチ・ホームステイプランと言うのも、なかなか面白い試みだと思う。

『車は走る凶器』だからこその任意保険

2003-09-28 22:29:00 | 徒然なるままに
9月24日(水)

朝、友人から「久しぶりに会いたい」という電話が入った。
彼女は、教習所時代の友人で、私より一回りぐらい年上の方だ。
いつもは、人が尋ねてきてくれても、対人恐怖症のようになってしまった長女を気遣い、玄関先だったり、外で会うようにしていた。
しかし、昨日のことがあって、思い切って、娘に
「友達を家に呼ぶから」
と話したところ、嫌な顔はしなかった。
実際、彼女が来たときには、2階から降りてきて、ちゃんと挨拶もしてくれた。
本当に成長したものだと思う。

さて、彼女との話の中で、気になったことは、交通事故の補償の問題だ。
彼女は去年の11月、玉突き事故に夫婦で巻き込まれ、ムチ打ち症になってしまった。
その怪我の状態や、治療の大変さもさることながら、相手側の態度や、事故に対しての保険会社の対応の仕方や、法律の矛盾点など、さまざまな精神的ストレスが、彼女の健康状態をますます悪化させることとなったいきさつを聞くにつけ、事故の恐ろしさを痛感した。

『車は走る凶器』
そして、任意保険は、被害者に手厚い保険に入るべきだとつくづく教えられた。

幸い、彼女は、事故後、間もなく1年を迎えようとしているが、だいぶ快方に向かって、こうして出歩けるようにもなったと言う。
これから寒さに向かう季節、一日も早く、彼女が痛みの無い以前の生活の戻れることを祈ってやまない。