TOLITON's WEB SITE

日記中心
 
情報提供(アニメ・映画・美術関係)

交流

アニメーションそして『ファンタジア』

2009-01-31 23:33:00 | 徒然なるままに
1月21日(水)

中学2年生の題材として、『アニメーション』を仕上げている。
『アニメート』とは『命を吹き込むこと』の意。ラテン語の『アニマ』(命)からきている。

導入として『ソーマトロープ』を作る。1枚の厚紙の両面に違う絵柄を描かせ、厚紙の両脇に穴を開けて紐を通し、ぶんぶんゴマの要領で高速回転させると、残像現象の作用で2枚の絵が一体化して1枚の絵に見える。
この残像現象を利用したのがアニメーションだ。
『ゾートロープ』はその最も基本的な原理を利用したおもちゃだ。
円筒の内側に連続したエンドレスの絵を順に並べて、回転させて、スリット(筒に開けられた狭い隙間)から、そのイメージを覗きながら動きを見ると絵が動いて見えるのだ。
1回転1秒の作品を作るのに、原理の説明、イメージの構成、下書き、彩色、組み立てと、滑らか動くエンドレスの作品を完成には8時間は最低かかる。(コツさえつかめれば、次回作からは短時間でできるが)
そうして、苦労した末に自分の絵が動いたときの感動と達成感、喜びはその本人とその苦労を体験したことのある者ならば生涯忘れられないほどのインパクトがある。

そうして、その苦労とその喜びを分かった上で、ディズニーの『ファンタジア』を鑑賞すると、当時のスタッフに読んでもらいたいほど 深い、感動的な感想を書くようになる。

1940年に後悔された『ファンタジア』。有名なクラッシック音楽にアニメーションの映像を後から作成したもので、当時は賛否両論あったそうだ。
11人の監督、60人のアニメーター、103人編成のオーケストラなどなど、投入されたスタッフはのべ1000人、書き上げられた原画100万枚、録音したテープの量42万フィート(うち映画で実際使用されたのは1万8千フィート)、制作日数3年と前例のないスケールでの製作となった。
この作品を制作している間には、1937年のスペインでは人類史上初無差別大量空爆のゲルニカ空爆があり、1939年には日本軍による真珠湾攻撃があり、世界はどんどん戦争一色になっていっている時代だ。
日本でもアニメーションを制作していたが、侵略戦争を肯定し、士気を煽る内容のものだった。

『ファンタジア』を鑑賞した後の生徒の感想は、本当に泣けてくる。さっきも書いたが、もし機会があるなら、当時製作したスタッフの人たち、そして誰よりウォルト・ディズニーさんに読ませてあげたいくらいだ。
もちろん、映像の美しさや動きや表現の面白さを素直に楽しんでいる感想のほうが圧倒的に多いのだが、中にはかなり深いところまで感じ入った感想もある。
『世界中が戦争をしているときに、こんな夢のある映像を創っていた人たちの、早く戦争が終ってほしい、自然を破壊したり、同じ人間同士で殺しあわないでと祈りながら、必死の思いで制作したであろう気持ちや、祈りのようなものを感じる。』
『あの時代に、敵国の音楽や踊りを取り入れるには勇気が行ったことだろう。命がけで作った作品なんだなあ』
『「春の祭典」をみていると、栄枯盛衰、恐竜たちの末路や地球の環境異変は大昔のことではなく、人類への警告のように思える』
『ミッキーが魔法を使って何でも意のままに操っているうちに、元に戻せなくなってあせっているのは、当時の権力者を揶揄しているようだ。調子に乗りすぎるとよくないと言う戒めか。』
『コンピューターのない時代に、1秒間に24コマのフルアニメーションを制作すること自体すごい。1枚の絵にもたくさんの動きがあって、どれだけの枚数を書いたのだろう。本当に情熱と夢を諦めない気持ちがあって書き上げたのだろう。出来上がったときは本当に嬉しかっただろうなあ』
『私は「くるみ割り人形』のときに我慢していたけれど20回ぐらい瞬きをしてしまいました。24枚×20回=480枚の絵を見ないでしまったのかと思うと悔しいです。何回も見て見逃した絵もしっかり見たいです』

一言もセリフはないのに、音楽や、動き、登場するキャラアクターたちの表情からたくさんのメッセージを受け取ってくれている。

私自身、ディズニーの『ファンタジア』は、ピカソの『ゲルニカ』にも匹敵し、それ以上の反戦メッセージを感じる。悲惨なシーンも戦闘シーンも、直接的な戦争のシーンはないのにもかかわらず。
この作品は、平和な時代に見る時は、平和な時代なりの楽しみ方があるだろう。
でも、この作品を1940年に公開した、そのことに大きな意義があるのだと思う。

この1940年版の鑑賞を終えたら、その60年後に制作された『ファンタジア2000』を鑑賞する。
デジタル化され、コンピューターを駆使して制作されたファンタジアを見比べて、生徒たちはどんな感想を持つだろう。楽しみだ。

オバマ大統領の就任挨拶に思う

2009-01-31 19:44:00 | 徒然なるままに
1月20日(火)
オバマ大統領の就任挨拶を聞いた。
おそらく、ちゃんとスピーチを書いてくれるスタッフがいてのことだろうとは思うが、その言葉をしっかり自分の言葉として、説得力のある話し方で、アメリカ国民のみならず、全世界に発した彼の『言葉』を信じたい。

自分はボキャブラリーが豊富だと自負している人の多くは、専門用語や業界用語や外来語、略語をふんだんに使いたがる。聞いていて、なんだか鼻につく。
自分は言い回しが上手いと思っている人の中には、その論法に頼りすぎ、相手の理解度や感情を考えずに言いくるめてしまいがちな人が多い。聞いているほうはなんだか煙に巻かれたような感じで納得はしていない。
決まり文句やマニュアル的な言葉ばかり引用する人は、本心が見えずに、なんだか説得力がない。
美辞麗句ばかりならべて、調子のいいお世辞が上手な人はなんだか信用できない。
自分の言葉に酔って、自己満足・自己完結しているような人も、自己卑下や自分は悲劇のヒロイン的な内容も聞いていて疲れる。
 
オバマ氏のスピーチは力強く、誰にでも分かる言葉、内容、話し方で、心に響いてくる。
私は彼の言葉を英語で聞いてそのまま理解できるほど英語が達者なわけではなく、字幕を通してではあるが、彼の演説中の表情、視線、声のトーンは聴衆をひきつけるものがあると思う。
 アメリカだけでなく、世界的に厳しい経済不況問題、環境問題、人種問題、中東問題、エネルギー問題、宇宙開発などなどさまざまな難問・奇問が累積し、勃発している中で、黒人初の大統領として彼が登場したのは歴史的にも大きな出来事だと思う。
この重圧のような期待に応え、責任を果たすプレッシャーやストレスはどれだけのものだろう。
でも、彼は、家庭人としてもちゃんと夫として、父親としての顔も持っている。
外国ではパーティー出席は夫婦同伴、ホームパーテーを自宅でするときはホストとして家族が協力し合うと聞いている。
ミッシェル婦人の活躍にも期待する。

心配なのは、やはりケネディ大統領やキング牧師のように、志半ばで・・・と言うようなことにならないようにと祈るばかりだ。もちろん彼らの意思は引き継がれ、けして無駄死にではなかったとは思うが。
「出る釘は打たれる。」どうぞ、神のご加護を!

彼の演説の中での中東問題について『イラクからの撤退』と『アフガンの平和回復』と言う項目があった。本当の平和は、自国の『膿』を出し切るところから始まると思う。体裁をつくろい、大義名分の下、くさいものに蓋をしていては『完治』はできないのだ。
そして、彼の英断は、ライバルを重要ポストに迎えたことだ。人種や学歴にこだわること以上に、力や才能のある人を主義が違うからと言って敵対し、排除することほど愚かしいものはない。同じ目標に向かって価値観の違いを互いに理解し合い、生かし合い、協力し合わなければ、何も変わらない。まさに「CHANGE」の時は来た。
そこで、日本人として、今こそ、世界の情勢にアンテナを張り巡らせ、自分たちの方向性をしっかり持たねばならない。『アメリカがくしゃみをすれば、日本が風邪引く』とか『風見鶏』なんていわれる国家体制から早く「CHANGE」しなければ。
本当に世界の中の日本として一目おかれたければ、アメリカのよきパートナーとして認められたければ、一国の総理大臣の揚げ足ばかり取っているような国会答弁や報道なぞしている場合ではない。
国民にとって、必要な情報、国家にとって、あるべき姿(ビジョン)を打ち出し、次代を担う子どもたちにとって、夢と希望のある未来のために、私たち大人は立ち上がらなければならない。
一生懸命就職活動をし、勉強を頑張ってきた学生を、いとも簡単に内定を取り消すな!
身を粉にして、ただ働き同然でも必死に会社のために頑張ってきた古参の社員の首を切り、不当な扱いにも耐えて頑張ってきた派遣やパート、アルバイターを情け容赦なく切り捨てるな!
高度成長期、企業戦士として家庭を顧みる暇もなく日本の再建に尽くした世代を不安にさせるな!
産めよ増やせよと多産を奨励し、男子は戦争に取られ、女子は進学を諦めさせられ、戦火の中、子育てで国に貢献した世代を見捨てるな!

今、ジャポニズムを勉強しているが、生徒たちは『世界に認められ、世界の芸術を変えるほどの文化を持つ日本を誇りに思い、日本人に生まれてきてよかったと思います。』と感想を書いてくれた。この子達を失望させてはいけない。

ヴォイス 第2話

2009-01-31 18:58:00 | 徒然なるままに
1月19日(月)

第2話『卵を持って感電した男』
(あらすじはこちらhttp://www.fujitv.co.jp/voice/story/story02.html)

見終わって、夫婦喧嘩の後ご主人をなくした友人のことを思い出していた。
彼女は長いこと、いや、今も、喧嘩別れしたまま逝ってしまったご主人を思い、後悔にさいなまれている。
必死で残された一人娘の子育てと老いた義母の介護をしながら、絵画教室を開いて頑張っていると言っていたのは4年前の夏だった。今年は年賀状が来なかった。

きっとご主人も彼女や娘さん、お母さんに言い残したいことはたくさん会ったはず。いや、それよりもこんなに突然命を終えてしまうことへの無念、妻との喧嘩別れが最後の別れになってしまったことへの後悔。『死人に口なし』とは言うけれど、もし、遺体となっても、幽霊になっても伝えたいことがあったことだろう。

法医学とは、死因を特定するだけでなく、その人が最後にどんなことを伝えたかったのかをイマジネーションすることができる素晴らしい医学だと思った。

前回もそうだったが、今回も、(魂が)救われたのはなくなった人だけでなく、残された遺族たちの心も救われたのだと思う。
愛された記憶に蓋することなく、生きよう、関係を取り戻そうと努力していたご主人の心を知ることで、心の中にしっかりとその人を生き続けさせることができたのだと思う。

人は2度死ぬのだと思う。
肉体の死。それは人として生を受け、この世に誕生した以上、誰もがたどり着く終焉である。それは自然の摂理。運命だ。
2度目の死は、人に忘れ去られてしまうことによる死。
自分の存在自体が記録はあっても、誰にも記憶されない、思い出してももらえないと言うのは、肉体の死よりもさびしいと思う。

お墓や仏壇というのは、亡くなった人のためにあるのではなく、残された遺族や個人に関わりのあった人々のためにあるのだなあとつくづく思った。
亡くなった人に語りかける行為、その人との思い出をたどり、懐かしむ行為。その中にこそ、その人に魂はずっと生き続け、語り継がれていくのだろう。

久しぶりに友人の声が聞きたくなった。会いたくなった。
今年の夏休みは友人と愛娘に会いに行こう!

幸せは自分が決める

2009-01-31 17:24:00 | 徒然なるままに
1月18日(日)

今日は皮膚科の帰り、妹とランチ。
まあ、パン食べ放題のレストランで愚痴を聞いてもらった。

7歳年下の妹は派遣のデザイナーの仕事をしながら、山開きから閉山(?)までは山小屋でアルバイトをしながら、山の風景や高山植物の写真を撮っている。年に一回、友達とグループ展をやっている。
未婚。
両親から見れば、まったくの自由人。一人でオーストラリアで1ヶ月生活してきたり、内緒で中東へも行ってしまう。
両親にとっては『心配の種』でもあるが、楽しみな娘でもある。何といっても、生まれたときに
「この子は男にうまれていたら『徳川家康』。大器晩成の相がある」
と言われた娘だ。
波乱万丈で破天荒。おっとりした外見にそぐわず、行動的で情熱的。
この娘を理解し、ともに人生のパートナーとして歩んでくれる男性が現れるのを、姉としてとても楽しみにしているのだが・・・。

まあ、そんな妹に、いろいろ愚痴愚痴と聞いてもらいながらも、なぜか最後は生徒や我が子自慢になってしまう私。
そんな私に、
「お姉ちゃんは、子どもたちからお金では買えない大切なものを返してもらっているんだよ。
 好きで選んだ道でしょ。お金のためなら、もっと楽で、自分の時間も充分持てる仕事もあるのに、自分から好き好んでやりすぎるくらい頑張って。ただでさえ、手が抜けない正確な上に、自分で仕事増やして大変な思いをしてる。
 でも、子どもたちはそうやって本気で関ってくれたり、必死で頑張っているお姉ちゃんのことを、先生としても、母親としても応援してくれているはずだよ。
反抗してくるんだって、コミュニケーションのひとつなんだって。
お姉ちゃんはそういう子を切り捨てたりしないの分かっているから。
ただ、身体はひとつしかないから、優先順位と年齢は考えて行動しないと。
マチュピチュに行けなくなるよ」
と言ってくれた。

まあ、話してしまえばスッキリするもので、人と比べてもしょうがない。かの相田みつをさんも言っているではないか。「しあわせはいつも  自分のこころが きめる」
離任まであと2ヶ月半。息切れしないで走り抜けるぞ~!!

子どもネット新年会

2009-01-31 16:53:00 | 徒然なるままに
1月17日(土)

今日は、久々に『子どもネット』のサークル会&新年会。

私の一品持ち寄りメニューは『豚汁』。皆で手料理を持ち寄り、手巻き寿司で盛り上がった。

子どもたちも部活動帰りや、試合会場から直行でにぎやかに参加。
久しぶりに会うメンバーは、ちょっと見ないうちに大きくなって、おしゃれになって、きれいになっていたり、たくましくなっていたり。成長を感じるな~・・・。
子どもが成長していると言うことは、それだけ母親である私たちは年をとっているということで・・・。
話題は成人式にどれだけ費用がかかったかなんて現実的な話から、仕事の話、子育ての話、将来の話、夢の話、娘時代の思い出話etc…。
毎日『先生』としての日常を送る中で、こういう母親仲間とのたわいのないおしゃべりはとても貴重な場と時間だ。
生徒たちと接するとき、私はどうしても教師とだけでなく、母親の立場として接していると自覚するときがある。
職員室でも、教職員の立場でいながら、P保護者の立場で考えたりして注意されることが良くある。それだけでなく、教職以外の職業人の感覚で素朴に疑問を持ち質問しては注意されることもある。
『教員』としての私は、相当『変わった先生』なのだろう。

思春期・反抗期真っ盛りの中学生たち。
私も長男、長女が中学生のときは毎日がバトルで、出口のない子育てジレンマ・トンネルでもがきながら、いっぱいいっぱいになっていた悩める母親だった。もちろんそれは現在進行形でもあるが・・・。
そんな時、共感してくれたり、叱咤激励してくれて、一緒に頑張ってくれたのが、この『子どもネット』のメンバーだ。
だから、『子どもネット』の子どもたちは「他所」の子ではない。『他人の子も自分の子』と同じようにほめ、叱り、成長を見守るお母さんたち。
実の母の前では見せない我が子の意外な面や嬉しい面を,しっかり見届けて伝えてくれる仲間たちだからこそ、安心してわが子を託しあえる。そういう中間の意見だからこそ素直に聞ける。
こういう仲間たちに出会えたこと、こういう場に関れるのは、子どもを生んだおかげだと素直に思える。
一生付き合える大切な『仲間』であり『戦友』だ。
がんばれ、お母さん!
ガンバレ、同志たち!!

先生冥利

2009-01-31 12:48:00 | 徒然なるままに
1月17日(土)

今日は前任校のバスケット部が練習試合に来るというので、たまった採点もあることだしと休日出勤をかねてバスケの練習試合の応援に行った。

試合が終って、ちょうど美術室前の芝生でお弁当を食べていた前任校の生徒たちが「先生~!」と声をかけてきた。

前任校では憎まれ口ばかり利いていた受け持ちの生徒もいたが、少しは大人になったのか、きちんと挨拶をしてくれ、懐かしい話に花が咲いた。
廊下の窓から、現勤務校の生徒たちの作品が見えていた。
「先生の授業、面白かった。私たちもああいう作品作りたかった」
「1年生の最後に作ったカレンダー飾ってあるよ。○○ちゃんのカレンダー上手だったよね~」
 「あなたたちの作品は全部デジカメで撮って私のパソコンに保存してあるよ『土器作り』のときも『カレンダー作り』のときもみんなの作品は参考作品としてすごく役に立ったの。ありがとね。」
「先生、来年度はどこの学校に行くの?私たちの学校には戻れないの?」
「う~ん、3月にならないと分からない。もし、違う市に行って、卒業式が同じ日じゃなかったら、あなたたちの卒業式には必ず行くからね。」

そう、講師の私にとってはもしかしたら最初で最後の担任をしたクラスの子達。
あの子達を卒業するまで関ってあげられずに、1年契約で離任せざるを得なかった切ない思いは、いまだ消えることはなく・・・。
どこに行っても、いつも、みんなのことは忘れない。
出会えた奇跡に感謝する。
その渦中にいたときは毎日が大変だったけれど、時が経つほど愛おしく、なつかしい宝物の様な日々。
あの日々があったからこそ、これからどんなことがあっても、逃げない、ブレない、投げ出さないで乗り越えらレそうな気がする。
皆と会えたからこそ、これから出会うどんな生徒たちとも正面から向き合い、とことん関っていけると思える。
そういう自信を持たせてくれた1年3組のみんな。
みんなも、ちょっとでもそう思っていてくれたら嬉しいな・・・。

とにかく、今は、3年生副担任として、今の受け持ちの生徒たちが全員志望校に入学できるように、頑張るのみ!

GOOD LUCK

2009-01-31 12:14:00 | 徒然なるままに
1月16日(金)
私立高校前期入試当日。朝7時前に、試験に向かう生徒を激励しにJR駅に立ち寄った。
その駅には、現在勤務している学校の生徒だけでなく、前任校の生徒たちも集まっていた。
懐かしい学ランとセーラー服。私の頭の中ではまだ中学2年生のままの前任校の生徒たち。皆大きく、大人っぽくなっちゃて・・・。
ネームプレートを見ないと顔と名前が一致しない。
「なんだ、先生俺の名前、忘れちゃったの?」
と言われ、
「ごめんね、もう『アルツ』入ってるから、ネームプレート見ないと名前出てこないのよ。でも、あなたたちが作った作品は覚えているよ。○○君が作ったゾートロープ、ヘディングのだったよね。」
と言ったらビックリしていた。

そう、これは私の”特技”かもしれない。
作品を見ると、その作者の生徒とどんな会話をしながらその作品を制作したのか、まるで昨日のことのようにありありと思い出すことができる。
それは5年前でも、学生時代の教育実習で教えた生徒作品でも同様だ。

両校の生徒たちに向けて、出発のたびに改札口でエールを送った。
周りの人は不思議そうに見ていたが、生徒たちは照れながらも手を振って応え、ホームに向かって行った。

『頑張れ~!!最後まで諦めるな~!勝ちに行け!!健闘を祈る!!!GOOD LUCK』

がんばれ、ふたりっこ!

2009-01-31 10:28:00 | 徒然なるままに
忙しすぎて日記の更新をためてしまった。1月も今日で終わり。思い出しながらこの2週間のダイジェスト版を書き込んでみよう。

1月15日(木)

今日の昼の放送は、1年生の放送委員の企画で、今学期のALTの先生の生出演インタビューだった。
最後にオーストラリア出身のALTの先生のオススメの曲を流した。
双子の姉妹デュオ「ザ・ヴェロニカズ」の「Hook Me Up 」。今年は日本にもヴェロニカズ・ブームが上陸しそうとか。楽しみ~!(え?もう上陸してるって?)双子だけあって息が合ってハーモニーがばっちりだなあ~と思って聞いていた。
今、NHKの朝ドラでやっている『だんだん』のヒロイン、まな・かなちゃんも双子デュオ。『ふたりっこ』の時から応援しています!

現在受け持っている3年生にも二組の双子の姉妹がいる。
これから受験に向かって、姉妹二人とも合格することを切に願う。頑張れ!

『15歳の自画像』

2009-01-16 21:20:00 | 徒然なるままに
1月14日

今日は、学年の先生が急病ということで、急遽クラスに入り、公立高校入学願書の下書きの指導をした。

明後日の私立高校前期入試に向けての事前指導をしながら、みんなの顔がどうにもさえない。
給食もカレーだというのに、食が進まないのか食缶の底が見えない。
朝の会に出席していた生徒が、帰りの会までに2人も早退していた。
本命は2月の公立なのだろうに、今からこんなんで良いのか?!
給食の時間、お昼の放送で、三年生の応援ソングとして2年生がリクエストしてくれた『きっと大丈夫』と『サクラ咲け』をかけた。

美術では『15歳の自画像』と銘打ち、自画像を書かせた。
そっくりに書く必要も、美化したり上手に書く必要もない。
まず、鏡の中の自分とじっくり向き合うことが重要なのだ。

ゴッホもピカソもたくさんの自画像を描いた。自分自身と向き合うために。その人生の節目節目に。

孟宗竹が10メートルを越す高さでも、折れることなく丈夫に育って天を目指して伸びているのは、たくさんの節としなる弾力性があるからだそうだ。

受験・卒業は人生の中では最初の大きな節目だ。
『吾十有五にして学に志す』
来年、5年後10年後に自分はどうなっていたいか、現実から目を背けずに、今の自分とじっくり向き合う時間も必要だと思う。

頑張れ!受験生!
気持ちで負けるな!
『夢にときめけ!明日にきらめけ!!』
『夢から逃げるな、諦めるな!!』
『諦めたらそこで試合終了ですよ』
健闘を祈る。GOOD LUCK!

お誕生月のカレンダー

2009-01-13 23:21:00 | 徒然なるままに
1月13日

今、1年生は、『お誕生月のカレンダー』を制作している。
今日は、冬休みに仕上げてきたカレンダーのデザイン画とカレンダーを、色画用紙の台紙に貼り付けるための、色画用紙選びをした。
台紙の色や、貼り付ける余白の取り方も作品の一部である。
絵の中で一番目立たせたいものを印象付けるには何色の台紙が良いか。
1学期に習った色の3要素の知識・理解がここで発揮される。
どんなに良い作品でも台紙の色で失敗すると、絵の魅力は半減してしまう。反対に成功すれば、絵の魅力はさらに増幅する。

3年生の水墨画のとき、作品を群青色の台紙に張り、篆刻を捺印しただけで、作品としての品格というか、質が上がる効果を実感した。

この課題を1年生に与えたきっかけは、去年の3年生の『自分を励まし、見る人も励まされる水墨画・言葉』という作品の中で、
『生まれてきてくれてありがとう私。あへへへ・・』
という作品だった。その作品を見て、私はすごく泣けて、感動してしまった。
その頃、学年のいじめ問題ですごく悩んでいた私は、自分の命と同じように、他の人の命も同じように大切だということ、自分を大切にできない人は、他人を大切にしない。そういう人は他人からも大切にされない。そのことを皆に考えてほしくて、『お誕生月のカレンダー』に取り組ませた。
できたカレンダーは1枚1枚デジカメで撮影し、各クラスごとに全員分貼り付けてクラスカレンダーを作って、終業式に全員に渡した。
いじめ問題には焼け石に水だったかもしれないけれど、『命の大切さ』は少しは伝わったと思う。

今年も、カレンダーを作る際に、去年の生徒の作品は良い参考資料となり、励みにもなった。
冬休み、自分なりに頑張ってきたのであろう、誇らしげに見せに来る生徒の作品は、どれも気持ちがこもっていて、なかなかレベルの高いものも多く、出来上がりが楽しみだ。