1月21日(水)
中学2年生の題材として、『アニメーション』を仕上げている。
『アニメート』とは『命を吹き込むこと』の意。ラテン語の『アニマ』(命)からきている。
導入として『ソーマトロープ』を作る。1枚の厚紙の両面に違う絵柄を描かせ、厚紙の両脇に穴を開けて紐を通し、ぶんぶんゴマの要領で高速回転させると、残像現象の作用で2枚の絵が一体化して1枚の絵に見える。
この残像現象を利用したのがアニメーションだ。
『ゾートロープ』はその最も基本的な原理を利用したおもちゃだ。
円筒の内側に連続したエンドレスの絵を順に並べて、回転させて、スリット(筒に開けられた狭い隙間)から、そのイメージを覗きながら動きを見ると絵が動いて見えるのだ。
1回転1秒の作品を作るのに、原理の説明、イメージの構成、下書き、彩色、組み立てと、滑らか動くエンドレスの作品を完成には8時間は最低かかる。(コツさえつかめれば、次回作からは短時間でできるが)
そうして、苦労した末に自分の絵が動いたときの感動と達成感、喜びはその本人とその苦労を体験したことのある者ならば生涯忘れられないほどのインパクトがある。
そうして、その苦労とその喜びを分かった上で、ディズニーの『ファンタジア』を鑑賞すると、当時のスタッフに読んでもらいたいほど 深い、感動的な感想を書くようになる。
1940年に後悔された『ファンタジア』。有名なクラッシック音楽にアニメーションの映像を後から作成したもので、当時は賛否両論あったそうだ。
11人の監督、60人のアニメーター、103人編成のオーケストラなどなど、投入されたスタッフはのべ1000人、書き上げられた原画100万枚、録音したテープの量42万フィート(うち映画で実際使用されたのは1万8千フィート)、制作日数3年と前例のないスケールでの製作となった。
この作品を制作している間には、1937年のスペインでは人類史上初無差別大量空爆のゲルニカ空爆があり、1939年には日本軍による真珠湾攻撃があり、世界はどんどん戦争一色になっていっている時代だ。
日本でもアニメーションを制作していたが、侵略戦争を肯定し、士気を煽る内容のものだった。
『ファンタジア』を鑑賞した後の生徒の感想は、本当に泣けてくる。さっきも書いたが、もし機会があるなら、当時製作したスタッフの人たち、そして誰よりウォルト・ディズニーさんに読ませてあげたいくらいだ。
もちろん、映像の美しさや動きや表現の面白さを素直に楽しんでいる感想のほうが圧倒的に多いのだが、中にはかなり深いところまで感じ入った感想もある。
『世界中が戦争をしているときに、こんな夢のある映像を創っていた人たちの、早く戦争が終ってほしい、自然を破壊したり、同じ人間同士で殺しあわないでと祈りながら、必死の思いで制作したであろう気持ちや、祈りのようなものを感じる。』
『あの時代に、敵国の音楽や踊りを取り入れるには勇気が行ったことだろう。命がけで作った作品なんだなあ』
『「春の祭典」をみていると、栄枯盛衰、恐竜たちの末路や地球の環境異変は大昔のことではなく、人類への警告のように思える』
『ミッキーが魔法を使って何でも意のままに操っているうちに、元に戻せなくなってあせっているのは、当時の権力者を揶揄しているようだ。調子に乗りすぎるとよくないと言う戒めか。』
『コンピューターのない時代に、1秒間に24コマのフルアニメーションを制作すること自体すごい。1枚の絵にもたくさんの動きがあって、どれだけの枚数を書いたのだろう。本当に情熱と夢を諦めない気持ちがあって書き上げたのだろう。出来上がったときは本当に嬉しかっただろうなあ』
『私は「くるみ割り人形』のときに我慢していたけれど20回ぐらい瞬きをしてしまいました。24枚×20回=480枚の絵を見ないでしまったのかと思うと悔しいです。何回も見て見逃した絵もしっかり見たいです』
一言もセリフはないのに、音楽や、動き、登場するキャラアクターたちの表情からたくさんのメッセージを受け取ってくれている。
私自身、ディズニーの『ファンタジア』は、ピカソの『ゲルニカ』にも匹敵し、それ以上の反戦メッセージを感じる。悲惨なシーンも戦闘シーンも、直接的な戦争のシーンはないのにもかかわらず。
この作品は、平和な時代に見る時は、平和な時代なりの楽しみ方があるだろう。
でも、この作品を1940年に公開した、そのことに大きな意義があるのだと思う。
この1940年版の鑑賞を終えたら、その60年後に制作された『ファンタジア2000』を鑑賞する。
デジタル化され、コンピューターを駆使して制作されたファンタジアを見比べて、生徒たちはどんな感想を持つだろう。楽しみだ。
中学2年生の題材として、『アニメーション』を仕上げている。
『アニメート』とは『命を吹き込むこと』の意。ラテン語の『アニマ』(命)からきている。
導入として『ソーマトロープ』を作る。1枚の厚紙の両面に違う絵柄を描かせ、厚紙の両脇に穴を開けて紐を通し、ぶんぶんゴマの要領で高速回転させると、残像現象の作用で2枚の絵が一体化して1枚の絵に見える。
この残像現象を利用したのがアニメーションだ。
『ゾートロープ』はその最も基本的な原理を利用したおもちゃだ。
円筒の内側に連続したエンドレスの絵を順に並べて、回転させて、スリット(筒に開けられた狭い隙間)から、そのイメージを覗きながら動きを見ると絵が動いて見えるのだ。
1回転1秒の作品を作るのに、原理の説明、イメージの構成、下書き、彩色、組み立てと、滑らか動くエンドレスの作品を完成には8時間は最低かかる。(コツさえつかめれば、次回作からは短時間でできるが)
そうして、苦労した末に自分の絵が動いたときの感動と達成感、喜びはその本人とその苦労を体験したことのある者ならば生涯忘れられないほどのインパクトがある。
そうして、その苦労とその喜びを分かった上で、ディズニーの『ファンタジア』を鑑賞すると、当時のスタッフに読んでもらいたいほど 深い、感動的な感想を書くようになる。
1940年に後悔された『ファンタジア』。有名なクラッシック音楽にアニメーションの映像を後から作成したもので、当時は賛否両論あったそうだ。
11人の監督、60人のアニメーター、103人編成のオーケストラなどなど、投入されたスタッフはのべ1000人、書き上げられた原画100万枚、録音したテープの量42万フィート(うち映画で実際使用されたのは1万8千フィート)、制作日数3年と前例のないスケールでの製作となった。
この作品を制作している間には、1937年のスペインでは人類史上初無差別大量空爆のゲルニカ空爆があり、1939年には日本軍による真珠湾攻撃があり、世界はどんどん戦争一色になっていっている時代だ。
日本でもアニメーションを制作していたが、侵略戦争を肯定し、士気を煽る内容のものだった。
『ファンタジア』を鑑賞した後の生徒の感想は、本当に泣けてくる。さっきも書いたが、もし機会があるなら、当時製作したスタッフの人たち、そして誰よりウォルト・ディズニーさんに読ませてあげたいくらいだ。
もちろん、映像の美しさや動きや表現の面白さを素直に楽しんでいる感想のほうが圧倒的に多いのだが、中にはかなり深いところまで感じ入った感想もある。
『世界中が戦争をしているときに、こんな夢のある映像を創っていた人たちの、早く戦争が終ってほしい、自然を破壊したり、同じ人間同士で殺しあわないでと祈りながら、必死の思いで制作したであろう気持ちや、祈りのようなものを感じる。』
『あの時代に、敵国の音楽や踊りを取り入れるには勇気が行ったことだろう。命がけで作った作品なんだなあ』
『「春の祭典」をみていると、栄枯盛衰、恐竜たちの末路や地球の環境異変は大昔のことではなく、人類への警告のように思える』
『ミッキーが魔法を使って何でも意のままに操っているうちに、元に戻せなくなってあせっているのは、当時の権力者を揶揄しているようだ。調子に乗りすぎるとよくないと言う戒めか。』
『コンピューターのない時代に、1秒間に24コマのフルアニメーションを制作すること自体すごい。1枚の絵にもたくさんの動きがあって、どれだけの枚数を書いたのだろう。本当に情熱と夢を諦めない気持ちがあって書き上げたのだろう。出来上がったときは本当に嬉しかっただろうなあ』
『私は「くるみ割り人形』のときに我慢していたけれど20回ぐらい瞬きをしてしまいました。24枚×20回=480枚の絵を見ないでしまったのかと思うと悔しいです。何回も見て見逃した絵もしっかり見たいです』
一言もセリフはないのに、音楽や、動き、登場するキャラアクターたちの表情からたくさんのメッセージを受け取ってくれている。
私自身、ディズニーの『ファンタジア』は、ピカソの『ゲルニカ』にも匹敵し、それ以上の反戦メッセージを感じる。悲惨なシーンも戦闘シーンも、直接的な戦争のシーンはないのにもかかわらず。
この作品は、平和な時代に見る時は、平和な時代なりの楽しみ方があるだろう。
でも、この作品を1940年に公開した、そのことに大きな意義があるのだと思う。
この1940年版の鑑賞を終えたら、その60年後に制作された『ファンタジア2000』を鑑賞する。
デジタル化され、コンピューターを駆使して制作されたファンタジアを見比べて、生徒たちはどんな感想を持つだろう。楽しみだ。