4月30日(土)
4月も、早、最終日となった。
この年度末年度始めは、いつもの年以上に大変な1カ月だった。
中学校から小学校への転勤。
小学校の担任。
故郷石巻の被災。
教員免許取得の手続きと、採用試験を中学校と小学校のどちらで受けるか。
毎日が自信喪失と自問自答の連続、疲労の蓄積だった。
帰宅するなり、倒れこむように寝てしまい、そのまま気がついたら夜明け前で、飛び起きては持ち帰りの仕事を片付け、風呂に入り、朝食の準備をし、娘を駅まで送り届け、出勤。
朝の8時から4時に子どもたちを下校させるまで、給食を食べる時以外は、座ることもできず、トイレに行く暇も、職員室に戻る時間もない。
小学校は終礼で、夕方打ち合わせがあるのだが、座ったら最後、睡魔が襲いかかってくる。
それから採点やらゴム印押しやら翌日や一週間先の準備、打ち合わせ、教室環境作りなど、終わりが見えない細々した仕事が次々に湧いてくるようにある。
それらを着々と時間内に、手早く、でもきめ細やかにサクサクこなしていく他の先生方がとても優秀に見える。
それに比べて、何をやるにも畑違いと言うか、要領を得なくてモタモタしている自分のなんと無能なこと。
夜起きていられる時は、ニュースで流れる石巻の被災状況に、翌日泣きすぎて瞼が腫れあがるぐらい泣き、仕事があって駆け付けられない自分を責め、身を引き裂かれる思いだった。
ついには、体調を崩し、起き上がれなくなってしまい、病院で検査を受けることになってしまった。幸い、大したことはなく、咳止めと鉄剤とビタミン剤を処方された。
そんな時に、私を心配してくれる友人たちからは、叱咤激励の電話をたくさんもらった。
「泣き言は俺の前でだけ言え。いくらでも聞いてやる。でも、生徒の前では泣き顔は見せるな!おまえは教師だろう!毎日元気で笑顔でいろ。」
「全校生徒と一緒に津波に呑まれて亡くなった幼なじみのことを思えば、何だってやれる。がむしゃらに頑張れる。私は、そう思って頑張っている。
あなたにとっては教職は『天職』でしょう?何を弱気になって迷っているの?
あなたには、あなたを待っている子どもたちがいるんでしょう?元気に毎日学校に通ってきているんでしょう?
こんなに幸せなことはないでしょう?」
そして、被災地で教員をしている友人たちの頑張りは、私の想像を超えるものだった。
実家に震災直後とその後の大きな余震の後の2回帰省した弟からも、
「元気な地域の人が、普通に元気で日常生活をすることが最低限のボランティアになる。
しっかり働いて、消費して、物資や義援金を贈る。医薬品を被災地に回せるように健康でいることも、立派なボランティアなんだ。
風邪引いたり、疲れやストレスをためて具合悪くなっている場合じゃないぞ。被災地はその何倍のストレスや余震の恐怖や食料も燃料もないところでみんな頑張っているんだから!」
私にできることってなんだろう。
これは、私だけでなく、今、日本中の人が、世界中の人が、真剣に考えて取り組んでいることなんだと思う。
原子力発電に頼らない生活。
災害に強い街づくり。
明日は我が身と思っての、防災準備と訓練。
今回の震災を教訓にして、改めなければならないこと、新たに取り組まなくてはならないことが、国家レベル、地球レベルでたくさんある。
小学校2年生でも、子どもたちは真剣に話を聞いてくれる。自分の意見を言ってくれる。そしてそれを家庭に帰ってから、家族にも話してくれる。
私のミッション(使命)は、次の時代を担う子どもたちに、この震災や原発事故について、また、これまでの日本の歴史を正確に伝え、同じ過ちを犯さないことと、日本中、世界中が一つになって、この困難を乗り越えようとしていることを実感させてあげることなのだと思う。
それが、もしこの先、この子たちが大きな災害にあった時に、生き延びるための知恵となり、被災者になった後の復興への勇気となるだろうことを信じて。
*(学校)*学級だより*(笑顔)*
2年生の4月の算数は『時こくと時間』を学習した。
みんな、1年生でもやっているので、時こくは読めるのだが、時間の計算が苦手だ。
「学校まで20分かかります。8時に学校に着くには、遅くとも家を何時何分に出ればよいでしょうか? 」
「公園について、サッカーを始めた時こくは10時です。サッカーを終えた時こくは11時45分です。サッカーをやっていた時間はどれだけですか?」
「水族館に着いたのは10時です。イルカショーが始まる10時50分までは、何分間あるでしょう?」
と言うような文章問題になるとみんなこんがらがってしまうようだ。
先日、一通り授業をやった後のテストの点数は惨憺たるものだった。
翌日
「皆さんに聞きます。時間の計算ができるようになりたい人は手を挙げてください」
と言ったら、28人中27人が手を挙げた。上げていない一人に理由を聴くと
「読めた方がいいとは思うけど、分からないから考えていると気持ち悪くなるし、面倒くさくて嫌になっちゃうから。」
そこで今度は、「時計が読めるといいこと」「時計が読めないと困ること」について各自考えてもらい、発表してもらった。
それを聞いているうちに、めんどくさがっていた子も、顔つきが変わってきた。
そして、今度は、グループになって2枚のテスト問題を全員で解かせた。
「算数セットでも、今までのプリントや教科書を見ても、他人に聞いてもなんでもいいから、とにかく班全員で話し合って100点を目指そう!
発表するこが分からなくなったら、半のメンバーで助けてあげてね。」
結果は上々。その本当の成果は翌日のテストに出るはずだ。
テスト当日。前の日に黒板に書いておいた
「算数のテストで70点以上取った人は、G,W中は算数の宿題はなし。
取れなかった人は、全部できるまで、やり直してくるのが宿題」
を見たのだろう。
朝、私が教室に行くなり、男の子が進みでてきて
「先生、午前中の授業を全部算数にしてください!」
と言ってきた。
「何で?他にもやらなくちゃならないお勉強があるから、全部は算数にできないよ。」
「ぼくたちは、G.Wには遊びたいんです。
どうしても、今日70点以上取りたいので、算数を教えてください!」
と言ったら、クラス中が
「「「算数!算数!!算数!!!」」」
の大算数コールになってしまった。
「分かった、分かった。じゃあ、連休明けの6日の算数と今日の2時間目の生活科の授業を取り替えるのならいいよ。1時間しかあげられないから、この1時間で覚えられるように、みんな集中できる?」
「「「はい!!!」」」
その時間は、みんなよく頑張った。
教科書やプリントに乗っている問題ではなく、5月2日の全校遠足のシュミレーションを兼ねて問題を出した。
「8時半に学校を出発して、公園に9時25分につきました。学校から公園までは何分間かかったでしょう?」
と言うように、当日の自分の行動とリンクさせた問題をたくさん出した。
その甲斐あってか、次の時間の算数のテストは、前回に比べて、ほとんどの子が点数が上がった。
中には相変わらず苦手な子もいたが…。それはまた、この先、機会を見つけては日常生活の中でわかるように支援して行こうと思う。
去年、中学校で数学のTTをやった時も、からない生徒を集めて、昼休みの美術室で教えたりしていたが、そのうち、分からない生徒はもちろん、分かっている生徒たちまで美術室にやってきて、問題の出し合いや教え合いっこをしてたっけ…。
みんな、分からないままでいいなんて思ってはいないんだ。分かりたいし、分かるようになりたいと思っている。
分かっている子は、分かっているということを認めてもらいたがっている。
それを人に教えることで、また自分のできていない所や説明不足の事に気がつくのだ。
それにしても、朝からのクラス全員の算数コールには驚いた。
でも、あれだけシュミレーションしておけば、遠足当日にはみんなスケジュールどおりに行動できると思うのだが…。
連休3日間が明けたら、忘れているかなあ…?
4月も、早、最終日となった。
この年度末年度始めは、いつもの年以上に大変な1カ月だった。
中学校から小学校への転勤。
小学校の担任。
故郷石巻の被災。
教員免許取得の手続きと、採用試験を中学校と小学校のどちらで受けるか。
毎日が自信喪失と自問自答の連続、疲労の蓄積だった。
帰宅するなり、倒れこむように寝てしまい、そのまま気がついたら夜明け前で、飛び起きては持ち帰りの仕事を片付け、風呂に入り、朝食の準備をし、娘を駅まで送り届け、出勤。
朝の8時から4時に子どもたちを下校させるまで、給食を食べる時以外は、座ることもできず、トイレに行く暇も、職員室に戻る時間もない。
小学校は終礼で、夕方打ち合わせがあるのだが、座ったら最後、睡魔が襲いかかってくる。
それから採点やらゴム印押しやら翌日や一週間先の準備、打ち合わせ、教室環境作りなど、終わりが見えない細々した仕事が次々に湧いてくるようにある。
それらを着々と時間内に、手早く、でもきめ細やかにサクサクこなしていく他の先生方がとても優秀に見える。
それに比べて、何をやるにも畑違いと言うか、要領を得なくてモタモタしている自分のなんと無能なこと。
夜起きていられる時は、ニュースで流れる石巻の被災状況に、翌日泣きすぎて瞼が腫れあがるぐらい泣き、仕事があって駆け付けられない自分を責め、身を引き裂かれる思いだった。
ついには、体調を崩し、起き上がれなくなってしまい、病院で検査を受けることになってしまった。幸い、大したことはなく、咳止めと鉄剤とビタミン剤を処方された。
そんな時に、私を心配してくれる友人たちからは、叱咤激励の電話をたくさんもらった。
「泣き言は俺の前でだけ言え。いくらでも聞いてやる。でも、生徒の前では泣き顔は見せるな!おまえは教師だろう!毎日元気で笑顔でいろ。」
「全校生徒と一緒に津波に呑まれて亡くなった幼なじみのことを思えば、何だってやれる。がむしゃらに頑張れる。私は、そう思って頑張っている。
あなたにとっては教職は『天職』でしょう?何を弱気になって迷っているの?
あなたには、あなたを待っている子どもたちがいるんでしょう?元気に毎日学校に通ってきているんでしょう?
こんなに幸せなことはないでしょう?」
そして、被災地で教員をしている友人たちの頑張りは、私の想像を超えるものだった。
実家に震災直後とその後の大きな余震の後の2回帰省した弟からも、
「元気な地域の人が、普通に元気で日常生活をすることが最低限のボランティアになる。
しっかり働いて、消費して、物資や義援金を贈る。医薬品を被災地に回せるように健康でいることも、立派なボランティアなんだ。
風邪引いたり、疲れやストレスをためて具合悪くなっている場合じゃないぞ。被災地はその何倍のストレスや余震の恐怖や食料も燃料もないところでみんな頑張っているんだから!」
私にできることってなんだろう。
これは、私だけでなく、今、日本中の人が、世界中の人が、真剣に考えて取り組んでいることなんだと思う。
原子力発電に頼らない生活。
災害に強い街づくり。
明日は我が身と思っての、防災準備と訓練。
今回の震災を教訓にして、改めなければならないこと、新たに取り組まなくてはならないことが、国家レベル、地球レベルでたくさんある。
小学校2年生でも、子どもたちは真剣に話を聞いてくれる。自分の意見を言ってくれる。そしてそれを家庭に帰ってから、家族にも話してくれる。
私のミッション(使命)は、次の時代を担う子どもたちに、この震災や原発事故について、また、これまでの日本の歴史を正確に伝え、同じ過ちを犯さないことと、日本中、世界中が一つになって、この困難を乗り越えようとしていることを実感させてあげることなのだと思う。
それが、もしこの先、この子たちが大きな災害にあった時に、生き延びるための知恵となり、被災者になった後の復興への勇気となるだろうことを信じて。
*(学校)*学級だより*(笑顔)*
2年生の4月の算数は『時こくと時間』を学習した。
みんな、1年生でもやっているので、時こくは読めるのだが、時間の計算が苦手だ。
「学校まで20分かかります。8時に学校に着くには、遅くとも家を何時何分に出ればよいでしょうか? 」
「公園について、サッカーを始めた時こくは10時です。サッカーを終えた時こくは11時45分です。サッカーをやっていた時間はどれだけですか?」
「水族館に着いたのは10時です。イルカショーが始まる10時50分までは、何分間あるでしょう?」
と言うような文章問題になるとみんなこんがらがってしまうようだ。
先日、一通り授業をやった後のテストの点数は惨憺たるものだった。
翌日
「皆さんに聞きます。時間の計算ができるようになりたい人は手を挙げてください」
と言ったら、28人中27人が手を挙げた。上げていない一人に理由を聴くと
「読めた方がいいとは思うけど、分からないから考えていると気持ち悪くなるし、面倒くさくて嫌になっちゃうから。」
そこで今度は、「時計が読めるといいこと」「時計が読めないと困ること」について各自考えてもらい、発表してもらった。
それを聞いているうちに、めんどくさがっていた子も、顔つきが変わってきた。
そして、今度は、グループになって2枚のテスト問題を全員で解かせた。
「算数セットでも、今までのプリントや教科書を見ても、他人に聞いてもなんでもいいから、とにかく班全員で話し合って100点を目指そう!
発表するこが分からなくなったら、半のメンバーで助けてあげてね。」
結果は上々。その本当の成果は翌日のテストに出るはずだ。
テスト当日。前の日に黒板に書いておいた
「算数のテストで70点以上取った人は、G,W中は算数の宿題はなし。
取れなかった人は、全部できるまで、やり直してくるのが宿題」
を見たのだろう。
朝、私が教室に行くなり、男の子が進みでてきて
「先生、午前中の授業を全部算数にしてください!」
と言ってきた。
「何で?他にもやらなくちゃならないお勉強があるから、全部は算数にできないよ。」
「ぼくたちは、G.Wには遊びたいんです。
どうしても、今日70点以上取りたいので、算数を教えてください!」
と言ったら、クラス中が
「「「算数!算数!!算数!!!」」」
の大算数コールになってしまった。
「分かった、分かった。じゃあ、連休明けの6日の算数と今日の2時間目の生活科の授業を取り替えるのならいいよ。1時間しかあげられないから、この1時間で覚えられるように、みんな集中できる?」
「「「はい!!!」」」
その時間は、みんなよく頑張った。
教科書やプリントに乗っている問題ではなく、5月2日の全校遠足のシュミレーションを兼ねて問題を出した。
「8時半に学校を出発して、公園に9時25分につきました。学校から公園までは何分間かかったでしょう?」
と言うように、当日の自分の行動とリンクさせた問題をたくさん出した。
その甲斐あってか、次の時間の算数のテストは、前回に比べて、ほとんどの子が点数が上がった。
中には相変わらず苦手な子もいたが…。それはまた、この先、機会を見つけては日常生活の中でわかるように支援して行こうと思う。
去年、中学校で数学のTTをやった時も、からない生徒を集めて、昼休みの美術室で教えたりしていたが、そのうち、分からない生徒はもちろん、分かっている生徒たちまで美術室にやってきて、問題の出し合いや教え合いっこをしてたっけ…。
みんな、分からないままでいいなんて思ってはいないんだ。分かりたいし、分かるようになりたいと思っている。
分かっている子は、分かっているということを認めてもらいたがっている。
それを人に教えることで、また自分のできていない所や説明不足の事に気がつくのだ。
それにしても、朝からのクラス全員の算数コールには驚いた。
でも、あれだけシュミレーションしておけば、遠足当日にはみんなスケジュールどおりに行動できると思うのだが…。
連休3日間が明けたら、忘れているかなあ…?