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交流

覚悟

2010-07-29 22:53:00 | 徒然なるままに
7月28日(水)

今日は午前中は、美術科の実技研修。
午後からは採用試験の2次試験対応面接練習の学習会に参加してきた。

正式な結果はまだ発表されていないが、今回は自己採点をするまでもなく惨敗は確定なので、来年に向けての参考にすべく参加した。

面接練習を受けて、またまた自分の課題を確認した。
面接の一番大切なポイントは、聞かれたことに、端的に的確に応えること。
結論、及び、自分の言いたいことを言って、さらにそれは何故かを尋ねられたらその理由を答える。
そういう面接官との言葉のキャッチボールを「楽しむ」ように受け答えができることが大切だ。
一人で熱くなって「語った」り、聞かれたことに対して頓珍漢な事を喋ったり、緊張しすぎて最後まで硬くなったまま、自分の意見が言えなかったり・・・。
これもまた、「訓練」が必要なことだと思った。

作文も、面接も、大切なのは、相手の立場に立つこと。独りよがりになってはいけない。
もっとこの人の文章を読んでみたい、この人と話していたい。
と、相手に興味を持ってもらえるような内容、書き方、話し方が大切なのだ。
そのためにも、特に面接では「聞き上手」にならなくてはならない。
何を聞かれているのか、なぜその質問を自分にしているのか、ちゃんと相手の目を見て、しっかり聞きとる。受け止めてから、「自分も考え」を相手に伝わるように話す。

なかには、面接練習を積んできたのか、いわゆる「模範解答」をスラスラ暗唱するように答える人もいるそうだが、それでは、自分の人間性を相手の伝えることはできないのではないだろうか。

かといって、ユニークすぎる答えでも、相手によっては興味より、不快感を持たせかねない。
今回、面接練習を受けて見て、私の課題はこれだと思った。
おそらく、私は、何一つ、「模範解答」的な答えはなかっただろう。
私の経歴や、受験年齢、志望動機、すべて、かなり周りの受験生徒とは違っている。
そういう意味では、一番興味を持たれる受験生のタイプだろう。

プライベートなこともかなり突っ込んで聞かれた。
面接を受ける前の説明で、
「いじわる役の面接官は、かなりこたえにくいことを突っ込んで聞いてきます。その人がどれだけプレッシャーやストレスに耐えられるかを見させてもらいます」
と言われた。

全体的にはちゃんと受け答えはできたと思う。
他の受験生には聞かないであろう、私だから質問される内容。答えながら、私は自分の課題を見つけていた。
私の課題。それは『覚悟』だ。
「授業中に震災に遭った時、あなたは学校に残らねばなりません。あなたはご自分のお子さんのところにはなかなか帰れません。その時の対策は?」
「子どもたちとは、大きな災害のニュースがあるたびに、そういう場合どうするかは話し合ってきました。
また、地域には「第2の母」~「第6の母」までいて、普段からいろいろお世話になったり、応援してもらっています。ご近所の方だたとの交流も大切にしています。その人たちに、いざという時には子どもたちのことを託してあります。
私も、自分にできることがあればその人たちのお子さんを預かったり力になったりして、お互いに助け合って、『困った時はお互いさま』と言う関係を作ってきました。
 私は、最後の生徒が無事、保護者のもとに引き渡せるまでは持ち場を離れず、それを見届けてから、子どもの所に向かいます。そのことは、子どもたちも十分承知してくれていますし、その覚悟はいつでもできています。」

言いながら、もし本当にそう状況になったら、そんなに冷静でいられるだろうか?と自問自答していた。
でも、それが、自分の使命なのだ。その覚悟がなくて、人さまのお子様を預かることはできない。反対の立場であれば、そういう覚悟のない教師に、自分の子供は預けられない。


面接が終わって、私は、来年の採用試験に向けて、専門的な知識や技能、文章力、自己表現力に加え、『教職に就く』という覚悟を固め、それを実証できるだけの実践と実績を更に積まなくてはならないと思った。1年間、それを意識しながら来年の受験を目指そう。
私の場合、年齢的にも『可能性』よりも、『覚悟』と『実戦力・実践力』を求められているのだなあと言うことがよくわかった。

貴重な体験と、自分の課題意識を明確に持てたことに、心から感謝する。

エール

2010-07-29 22:20:00 | 徒然なるままに
7月27日(火)

今日も午前中に、英語と数学の補習+選択美術の補習をした。

午後からは、前任校の野球部*(野球)*の県大会の応援に行った。
離任式の日に、
「県大会に行けたら絶対に応援に行くから」
と約束していたのだった。
彼らはちゃんと約束を守って県大会に出場した。
私も、何をおいても約束を果たさなくちゃと思った。
スタンドから球場中に響き渡る声でエールを送った。

結果は1回戦突破!*(チョキ)*
みんなに「おめでとう!」と声をかけに行ったら、私に気づいた生徒たちはびっくりしながらも、笑顔で挨拶を返してくれた。

明日の2回戦目は応援に行けないけれど、みんなの健闘を祈る!*(チョキ)*



夏の補習*(鉛筆)*とぬか袋で床磨き*(キラキラ)*

2010-07-28 23:52:00 | 徒然なるままに
7月26日(月)

今日から夏休みの補習が始まった。
教科は英語と数学。補習対象者は、先日の定期試験で基礎的な問題が解けなかった1年生たち。
学年の先生方総出で、今日から1週間、毎朝90分間補習を担当することになった。

私は数学担当で、まず、九九、割り算、分数のおさらいから取りかかる。
約分、通分、公倍数、公約数の意味など、なかなか中1の範囲にたどりつけない生徒もいる。一人ひとりに丁寧に教え、できたところはもう1回小テストをして、満点取れたら次の課題と言うように、まるで基礎工事のレンガを一個ずつ積むような地道さで教えている。

教室ではやんちゃな連中だったり、分からないということを言えない大人しい子だったり。
45分間じっくり躓いているところまでさかのぼって教えてあげると、
「そうかぁ!」
「できたぁ!!」
と、いい笑顔になる瞬間がかわいい。
教える側も、教えられる側も結構忍耐がいる作業だが、
「やればできるじゃない!」
と言ってあげた時の顔を見てしまうと、やるっきゃないかなあと思ってしまうのだ。
とりあえず、30日までに1学期に習った範囲の基礎固めを頑張ろう!

     *(鉛筆)*     *(鉛筆)*     *(鉛筆)*     *(鉛筆)*     *(鉛筆)*

さて、補修の後は演劇部の部活動。
今日は部室兼稽古場の大掃除。
室内の荷物をすべて廊下に出し、猛暑の中全員で床磨きをした。
メラニンスポンジで汚れを落とし、水ぶきした後、ぬか袋で30?四方の板を50回ずつ磨いた。
ぬか袋は晒布で小袋を作り、米穀店から分けてもらってきたぬかを入れて、部員数分私が作ってきたものだ。

4月赴任当初、演劇部の顧問になって初めて部室を訪れた時、なぜか部屋にはブリーシートが敷いてあり、部員は制服を着てパイプ椅子に座って対面式用の台本を読んでいた。
なぜ、ブルーシートを敷いているのか聞いたら、
「床が汚いから」
と言うので、掃除しないのかと聞くと
「ゴミが目立ってきたら掃きます。」
と言う。
「まず、稽古場を掃除してから柔軟体操をしよう」
と言うと、
「雑巾で拭くと雑巾がまっ茶色になって汚いですよ。だからブルーシートを敷いてその上で柔軟をやるんです。」
と言うので、
「ブルーシートは、衣装を着替えるときとかに使うもので、普段は使わないからすぐ畳んで。今日はとにかく床掃除!床に顔を押し付けても平気なくらい、ぞうきんがけするよ!これから、部活の初めと終わりは必ず掃除して床拭きすること」
と言った。
これにはかなり反発があったが、私は引かなかった。その時、
「床がきれいになったら、ぬか袋で磨くと、床に顔が映るくらいピカピカ*(キラキラ)*になるよ。夏休みにみんなでぬか袋で磨き方やろうか?」

ぬか袋で床を磨く掃除法は、私が小学校2年生の時の担任の先生(男性)が、教えてくださった。
ノリのいいクラスで、毎日みんなで掃除のたびにおもしろがって磨いていたら、校内で一番教室も廊下の床も黒光りするクラスになった。

その話を教えたのを生徒たちは覚えていてくれたのだ。


猛暑の中、みんなで磨いた割にはみんなの想像したほどは光らなかった。そんな1日でピカピカになるはずもない。毎日丹念に磨いていってこその輝きなのだ。
でも、素足で歩く床はとても気持ちいい。
「今日からこの部屋、上履き禁止ね。廊下に上履きを並べておいて、素足か靴下で歩くように。」

4月当初とは見違えるようになった*(キラキラ)*床に車座に座り、先週の発表会の反省会をやり、私のおごりでみんなでアイスを食べた。
本当にお疲れさん。
冬の演劇コンクール*(チョキ)*目指して頑張ろうね、みんな!!

印旛郡市中学校美術部展と『佐倉・房総ゆかりの作家たち 鋳金って、なに?』展

2010-07-27 19:05:00 | 徒然なるままに
7月25日(日)

今日は、佐倉市立美術館に、印旛郡市中学校美術部展と同時開催中の『佐倉・房総ゆかりの作家たち 鋳金って、なに?』展http://www.city.sakura.lg.jp/museum/を見てきた。

今年は美術部のない学校に赴任したので、今回は観客として見学に来た。
去年も美術部がない学校だったので、残念ながら、今年の展覧会には私の教え子の作品は1点もなかった。
今年の作品は立体が少なかったように思うが、それぞれ、時間をかけた個性的な作品ぞろいだった。
最終日の午後に行ったので、美術教員や講師仲間たちにも久しぶりに会えて、お互い近況報告をし合った。
みんな、美術以外の教科を兼任で担当したり、たくさんの校務分掌など多忙な毎日を送っているようだった。
私だけではないんだよな。みんなも大変な中がんばっているんだ。私も負けてははいられないぞ!
と思った。何より、そんな忙しい中で、自分の作品を制作している先生たちもいる。
「今年の自分の作品」
私は今年は何を描いただろう?作っただろう?
美術に携わる以上、指導者であると同時に、自分自身も表現者でありたい。
採用試験の方は、今年は二次試験はなさそうだから、この夏休みは来年に向けてデッサンや、ずっとやりかけのままの父への蔵書印作り、2学期の選択美術の参考作品用に木彫で印箱でも作ってみようかなぁ…。

生徒たちの作品に思わず触発された私なのだった。
来年はどこの学校で何の部の顧問になるのか分からないけれど、また美術部の顧問になったら、生徒たちと一緒に取り組んでみたい作品がたくさんある。

でも、まずはこの夏、私の「今年の作品」を完成させてみよう!

「鋳金て何?」展は面白かった。
あの細かいデティールはどうやってつくったのか、夏休みに見に来る小・中学生にもわかるようにその制作工程を、すごくわかりやすく面白い説明してあった。また、実際に梵鐘を叩いてみたり、呼び鈴を鳴らしてみたり、備え付けの手袋越しに作品に触ってみたりすることができ、「鋳金」の音の素晴らしさにしばし聞き入ってしまった。
ワークショップでは型と粘土を使って、「鋳金」の疑似体験ゾーンが用意されていた。

8月7日からは佐倉市が誇る鋳金作家のひとり、「津田信夫」展が始まる。
生徒たちに宿題に出した以上は私もしっかり見に行かなくては。

「目力」と吹奏楽コンクール

2010-07-27 06:08:00 | 徒然なるままに
7月24日(土)

今日は行動範囲がハンパないほど広範囲だったが、かなり充実した一日だった。

午前中は成田国際会館で行われた母と女性教師の会主催の勉強会に参加した。
私が参加した分科会は、自己表現のワークショップで、劇団員の方が講師だった。

コミュニケーションの取り方で大切なのは、目線、眼力、アイコンタクト。
誰を見て、誰に言っているのか、それが相手に伝わらなければ気持ちを伝えることも、自分を表現することもできない。
最初は目から始まった自己表現は、だんだん、手を使い、足を使って、体全体を使い、相手に身をゆだね、信頼感を強め合ったところで、無言の共同作業を全員で取り組む。なんの打ち合わせもなしに、自分の「立ち位置」を瞬時に自分で選択して、全員で何かの形を表現する。

たった1時間半の講座だったが、すごく楽しくて、その場に居合わせたまるっきり初対面の人たちと、とても濃くて深く、強く、コミュニケーションができたと思う。
今日習ったことは、演劇部の活動はもちろん、普段の授業や子育て、ごく普通の人とのコミュニケーションの中でも十分応用ができそうだ。

それにしても、「眼力」、「視線」って大切なんだなあとつくづく思った。
まさに、「眼は心の窓」、「目は口ほどにものを云う」だ。
日々衰えてきている「視力」を大切にしなくてはと思った。

     *(笑顔)*     *(うるうる)*     *(シャイ)*     *(怒り)*     *(ジロ)*     *(青ざめ)*     *(退屈)*     *(困る)*     *(キョロ)*     *(口笛)*     *(よだれ)*     *(驚き)*     

午後からは、千葉県文化会館で開催中の吹奏楽コンクールに、わが校の吹奏楽部の応援に行った。
結果は残念ながら銅賞だった。
でも、3年生たちの指揮者である顧問を見つめて、息を合わせて一生懸命演奏する姿は、この日を限りに引退する3年生たちの気持ちのこもった演奏で、聴いていてぐっときた。
それは、わが校だけでなく、どこの学校の吹奏楽部も同じ。
だから、聴いていて、途中でだれかがミスをしても、
「がんばれ!最後まで気持保って演奏しきって!」
と祈りながら聴いていた。

結果発表の時、会場で、前日演奏した前前任校の3年生を見つけた。すぐにそばまで席を移動してあいさつに行った。
前日のちょうどその時間は、演劇部の発表会の時間とかぶっていたので、応援に行けなかったことをわびた。
前前任校は昨日の中間発表では「金賞」を受賞しており、今日は本選に行けるかどうかの発表なのだ。
生徒たちと一緒に、祈るような気持ちで結果発表を待った。

この子たちが1年生の時、毎日美術室の前の廊下や隣の第2音楽室で、暑い夏も寒い冬も、何時間もパート練習をしていた生徒たち。私が通るたび、演奏をやめてあいさつをしてくれるので、あまり何度も行ったり来たりしないように気をつけながらも、時々、
「ずいぶん上手になったね」とか、
「このさびのところ素敵だね。この曲はなんて言う曲なの?」とか、
「ずっと立ちっぱなし?大変だけどがんばってね!」
なんて声をかけたものだった。
演奏会には欠かさず応援に行き、別の学校に行ってからも、定期演奏会には駆けつけた。
すると生徒たちは大歓迎してくれ、全員でお礼状まで書いて送ってくれた。

今年は予選には行けなかったけれど、本戦には行こうと思っていたのだが・・・。
結果は「金賞」止まりで、本選出場は果たせなかった。
頑張り屋のこの子たちがどれほど頑張ったのか、きっと私の想像以上だったことだろう。
願わくは「本戦」での演奏を聴きたかった。そして、東関東大会にも出場してほしかった。
生徒たちには、
「金賞」なんて簡単に取れるものではないよ。去年は出場できたのに、今年はメンバーが足りなくて出場できないで引退して行く中学3年生たちもいる中で、3年間頑張って自分たちの演奏をやりきったあなたたちはえらいよ!胸張って学校に帰りな。
体育祭での最後の演奏は、思い切って楽しんで演奏しなね。日にちが家の学校とかぶらなかったら、あなたたちの最後の体育祭、開会式から見に行くから。
それが終わったら受験モードに気持ち切り替えて、絶対志望校合格目指して頑張れ!
そんで、高校の吹奏楽部に入って、全国大会を目指せ!」
みんな涙目で頷いてくれていた。

     *(音符)*     *(ギター)*     *(音符)*     *(ドラム)*    *(音符)*


今日はなんだか心も身体も解放され、中学生たちの渾身の演奏を聴いて感動し、本当に充実した1日だった。
よ~し!私も暑さに負けないで頑張ろう!

演劇部発表会

2010-07-25 01:11:00 | 徒然なるままに
7月23日(金)

夏休みに入り、21・22日はびっしり早朝から夕方まで演劇部の指導。
23日は3校合同演劇発表会があった。
特訓の成果もあり、顧問のよく目ではないが、本番は3校のうち一番いい出来だったと思う。

4月当初は、顧問が代わって何となく私に対して反抗的だった2年生たち。
何を言っても、「去年は・・・」とか「うちの演劇部は・・・」とか新しいことは一切受入れない雰囲気があった。
とりあえず、「今までのやり方」を尊重しながらも、部活動は体操服で活動することと、活動前と活動後は、稽古場兼部室を掃除することから教えた。
芝居の稽古も、いろいろアドバイスをしても、プライドが高いのか、なかなか素直に受け付けない。自分ではやっている、できているつもりらしいのだが、全然動けていない。
母親役の生徒にいろいろアドバイスしても、
「私はまだ子どもを産んだり、子どもを亡くしたりしたことがないからわからない」
と言う。
体験したことがないことや自分と違う人間を「演じる」とはどういうことかから、丁寧に言って聞かせた。

セリフが入って、体育館を使って立ち稽古ができるようになってから、舞台の様子をビデオで撮って見せた。
そうしたら、「百聞は一見に如かず」の通り、私が指摘したことにようやく納得したようだった。
今まで、自分の演じている姿を客観的に見たことはなかったのだろう。
声の大きさ、滑舌、顔の向き、目線、前髪が顔にかかって影になり、表情が見えるか見えないか、手の癖、手の表現、自分の位置、動き、舞台の広さを生かして動けているか・・・
自分ではやっているつもり、できているつもりだったはずが、ビデオを見れば一目瞭然。
自分を客観視する目を持てたのだと思う。
その日の反省会は長かった。私があれこれ言わなくても、彼女達は自分で「自分の課題」を見つけていた。
それからは、私に対して素直に、積極的にアドバイスを聞いて来た。そして、それを一生懸命実践しようと努力しているのが見えた。
そうなると、どんどんアドバイスを吸収して、どんどん演技が良くなっていった。
私とだけでなく、部員同士でもぶつかり合い、トラブったこともあった。でも、話し合って誤解を解いてからは、逆にそれがあったからこそ分かり合え、チームワークも部の雰囲気も良くなっていったと思う。

本番はみんながそれぞれの「仕事」をきっちりやって、達成感のある舞台をみんなで作り上げることができたと思う。
2学期は初めての中学校演劇コンクールに出場するために、基礎訓練と脚本選びをがんばるぞ!
もう、「影の薄い演劇部」なんて誰にも言わせない。校内でも一目置かれる部活動としてみんなに認められるような演劇部を目指すぞ!
冬のコンクール、2月の予餞会では、今までで最高の舞台になるよう、みんなで頑張ろう!
そして、来年度はたくさん部員を増やして(特に男子!)大道具や小道具、衣装などのスタッフも充実させて、いつかは「大作」や「名作」に挑戦できる部活動ができるように頑張ろう!
私の任期もあと7か月。私がかつて演劇部や劇団、人形劇で学んだり会得したことをしっかり生徒たちに伝授して、3月の離任式を迎えたい。

ゴッホとゴーギャンと夏休みの宿題と…。

2010-07-23 04:23:00 | 徒然なるままに
7月20日(火)

今日は終業式。それでもしっかり午前中は授業があり、1年生の美術と数学を教えた。
1年生の美術は、現在、オルセー美術館展が開催中であり、この秋にはゴッホ展が開かれるのにちなんで、『ゴッホとゴーギャン』の作品と生涯についての鑑賞授業を3回シリーズでやった。今日はその最後の授業だった。

私はよくその時にやっている美術の授業内容にちなんだり、現在開催中の展覧会にちなんだTシャツを着て授業をする。
仏像の時は、仏足石とか、薬師如来や阿修羅像がプリントされたTシャツ、土器作りの時は埴輪がいっぱいプリントされたエプロン、『龍馬伝展』の時はばっちり3種類の龍馬Tシャツを着まわしていた。
今回はもちろん、ゴッホとゴーギャンのTシャツだ。
最初は何の絵か分からなかった生徒も、授業が終わった後は、興味津津。ひまわりの絵のTシャツを着て行った時は、会う生徒会う生徒、みんなでひまわりの本数を数えるのだ。
「先生、14本あるね」
「そうだね。でもね、15本の絵もあるんだよ。その15本目はね、テオの分なんだ。弟のテオは絵は描かなかったけれど、テオが仕送りしてくれたから自分は絵がかけているんだと、ゴッホは感謝をし、黄色い家の14人目にテオの事を描いたんだね。」

画家のユートピアを作ろうとしたゴッホは、アルルに「黄色い家」を買い、13人の画家仲間を「黄色い家」に招待した。その仲間を待ちわびていたころに描いていたのがひまわりの絵だ。自分を入れて14本。ゴッホが理想に燃え、どれほど仲間を待ちわびていた気持ちが痛いほど伝わってくる絵だ。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
廊下や昇降口、校内のいたるところで、鑑賞授業の続きをやっているみたいだ。
私のお気に入りのバックは美術館でゴッホの「夜のカフェテリア」の絵が丸ごとプリントされている。
生徒たちはこの絵が大好きだ。
この黄色と青のバランスの良さがまた切ないゴッホの気持ちをとてもよく表現している。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

ゴーギャンはそのアルルの黄色い家にやってきてくれた唯一の友だった。
その強烈な個性とたぐいまれなる才能の持ち主たちの共同生活は2年で破たんし、ゴッホの「耳切り事件」の後、ゴーギャンは新天地タヒチに渡り、その後二人は2度と生きてこの世で会うことはなかった。(文通は続いていたらしいが)
ゴッホがゴーギャンと別れてから描いた2脚の椅子の絵が切ない。この椅子に座って、二人はどんなことを語り合ったのだろう・・・。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

オルセー美術館には、ゴッホとゴーギャンの絵だけの展示室があるという。今回の展示もそうだ。それらの絵たちは、1つの部屋でどんなことを語り合ってきたのだろう。ぜひ、その部屋でじっくり二人の絵を鑑賞してみたい。

*(ひまわり)*    *(ひまわり)*    *(ひまわり)*    *(ひまわり)*    *(ひまわり)*    *(ひまわり)*    *(ひまわり)*    *(ひまわり)*    *(ひまわり)*    *(ひまわり)*    *(ひまわり)*    *(ひまわり)*     *(ひまわり)*    *(ひまわり)*    *(ひまわり)*

今回の1年生の夏休みの宿題は、「美術館、博物館に行ってみよう!」というものだ。
毎年、ポスターや読書感想画を描かせていたのだが、夏休み明けは10日後に体育祭があり、コンクールに出品する前の手直し作業をさせる時間が取れないので、今年は宿題にはしなかった。
その代わり、1学期に習った土器作りにちなんで、博物館に本物やレプリカの土器を見に行ったり、縄文体験をやってみたり、ゴッホの本物の絵を見に行ったり、『借りぐらしのアリエッティ』の世界を実体験してみたり、チョコレートを使った鋳金体験をしてみたりして、それをレポートにまとめてくるという宿題にした。
夏休み中に開催中の展覧会やワークショップの一覧表を配布して説明したところ、
「夏休みに親戚の家に行くんだけど、その近くの美術館とかでもいいですか?」
「OKだよ。ぜひ、私やみんなにそこの美術館を紹介してね!」
「先生、忙しくて行けそうにないんですけど絶対行かないといけないんですか?」
「どうしても無理な時は仕方がないから、TVの「日曜美術館」を観たり、PCで検索したり、図書館で画集を見て書いてもいいけど、映像や印刷物で見る絵と本物は全然違うよ、大きさとかタッチとか。その人がどんな思いで描いたのか、ひと筆ひと筆にどんな思いが込められているのかは、本物見ないと分からないかもしれないよ。」
「行かないと成績下がりますか?」
「下げはしないけど、「A」は付かないかも。」
「1つしか行けないんですか?」
「レポート用紙は1枚ずつ配ったけれど、行けるならいろいろ行ってみるといいよ。用紙が足りなかったらコピーして使って」

さてさて。夏休み明け、生徒たちはどんな「本物」たちと出会って、どんなレポートを仕上げてくるか楽しみだ。

人生の師匠

2010-07-21 05:15:00 | 徒然なるままに
7月19日(火)

今朝、とっても素敵な偶然があった。
自分と同じ誕生日*(ケーキ)*の人と会ったのだ。

いや、厳密にいえば、知り合いが、実は、自分と同じ誕生日*(ケーキ)*だったのだ。

その人は、お向かいの奥さんで、おそらく私より7~8歳年上の方だ。
今朝、ちょっと世間話をしている中で、
「私おととい誕生日*(ケーキ)*で…」
と言ったら、
「え?一昨日?17日?誕生日*(ケーキ)*だったの?」
「はい」
「え~~~~?!私も17日なのよ!!かに座!!!」
「えー?!○○さんで3人目です。身近な人で同じ誕生日*(ケーキ)*の人!一人は中学の時の初恋の人、2人目は主人のおばあちゃん、○○さんで3人目!」
「本当?!きゃー!!こんなに近くにいたのね。同じ誕生日*(ケーキ)*の人!!!」

朝っぱらからお互い手を取り合って、その場でピョンピョン飛び回ってしまった。

この家に引っ越してから13年目にして、実は、お向かいの方が同じ誕生日*(ケーキ)*だということを知ったのだ。
どうりでやたら話の合う女性だなあとは思っていたのだ。
その日も
「あと何年かしたら、私も○○さんのような充実した毎日を送ってみたいです。私の目標です。」
みたいなことを話している最中での出来事だった。

思えば、子どもたちのことや、家のことで悩んだり、落ち込んだりしているときに、さりげなく、背中を押してくださるような言葉をかけて下さったり、ご自分の経験談や、これから先の見通し的なことをお話しして下さり、そのたび、どれだけ心が軽くなったことか…。
かといって、家のことに干渉してくるというわけでもなく、いつも、見守っていて下さる感じなのだ。

先日も、家の外からずっと警報のようなブザーが一晩中聞こえていたので、その出処を早朝から調べていたら、お隣から聞こえてきていた。
まだかなり早朝だったので、どうしようかと家の前で悩んでいたら、ちょうど庭木の剪定に出ていらしたお向かいの奥さんに
「夜中じゅう聞こえてくるから、家の中ではもっと大きな音なはず。何の警報か分からないけれど、車があるからかなり遠くへお出かけなのか、中で動けなくなっていらっしゃるのか、心配で…。電話をかけるにも気付いたのは夜中で、今はまだ朝早いし…」
と相談したところ、
「『音』のことだから直接言いにくいし、ましてお隣同士だと気まずいでしょ?本当は自治会長さんから言っていただくのがいいんだけど、まだ寝てらっしゃるだろうから、今年度は家が『環境』担当だから、主人を起こして言ってあげるから」
と言って下さった。
『音』の正体は、冷蔵庫の開けっぱなしだったとかで、お隣の方は大丈夫だだったと聞いてほっとした。
でも、一晩中家の中であの音が鳴っていたのだが、気付かないものなのだろうか・・・?夜中の11時ごろからだったから、2階の寝室でドアを閉めて冷房をかけていたら気がつかないかもしれないけれど…。

その日は、つくづく「遠くの親戚より近くの他人」のありがたさを感じた日だった。
と言うか、お向かいの奥さんの気さくな性格と、気配りに感謝だった。

ご家族を大事にし、家のこともこなしながら元気に仕事をし、いろんなネットワークを持ちながら、常に新しい出会いがあり、古くからのお付き合いも大切にして、海外の方とも情報交換している。
時々、珍しい外国旅行のお土産をいただいたり、私のお土産には絵手紙のお礼状が届いたりする(お向かいなのに!)

「あなたと同じ年ぐらいの時は、子どもや旦那のことが優先で、仕事もやっていたら、自分のことなんは2の次3の次だったわ。でも、子どもも独立し、旦那は定年で悠々自適な生活になって、やっと私、自分の時間を生きているの。
自分のために仕事をし、やりたいことやって、行きたい所に行って、友達を増やしてその友達つながりで世界がどんどん広がって、面白いわよ~。
あなたにもそういう時代が来るから、今は子どもが手元にいるうちはしっかり関わってあげなさいね。」

そして、彼女は確信を持っていうのだ。
「強い願いは必ずかなう*(キラキラ)*」
と。

彼女だって、順風満帆でここまで来たわけではないだろう。
でも、常に前向きに頑張ってきた人なのだ。
小柄な体ながらバイタリティのある方で、いつも笑顔で、毎日早朝から庭仕事、洗濯、掃除を済ませ、颯爽とカブに乗って仕事に出かける姿は、お世辞抜きでかっこいいと思う。

10年、20年後も、彼女のように、若々しく情に篤く、アクティブな人生を送っていたいと思う。
遅ればせながら、お誕生日、*(ケーキ)*おめでとうございます。
来年はぜひ、一緒にお祝いし合いましょう*(ワイン)**(ビール)**(クローバー)*

最後の夏~中学校総合体育大会~

2010-07-19 06:43:00 | 徒然なるままに
7月18日(日)

今日は、久々に1日中お休み。
午前中は、7月23日に行われる、演劇部の発表会の会場の下見に行った。
千葉県八街市と言えば、「落花生」で有名なところ。
会場までの道路の両側に、落花生畑が青々と元気に繁っていた。

昼から今度は、末娘の*(テニス)*総体の応援に、千葉市の青葉の森へ。

昨日から始まった中学校総合体育大会。県内各地で、中学校3年生たちにとっては、部活動「最後の夏」をかけての戦いが繰り広げられている。
とにかく、負けたら、その時点で「引退」なのだ。勝てば、その分負けるまで「引退」が引き延ばされる。
「初戦敗退」ではなく、せめて1勝でもして引退したい。
でも、悲しいかな、勝負の世界というのは、勝者があれば敗者がある。
大切なのはどう勝ったか、どう負けたかだ。
精いっぱい戦って、自分の仕事をやり、チーム一丸となって、最後まであきらめずにベストを尽くせたか。
後を託す後輩たちに、恥ずかしくない戦い方を見せられたか。


青葉の森は、野球*(野球)*場もテニス*(テニス)*コートも、陸上*(スニーカー)*競技場も、中学生たちとその応援の保護者達でいっぱいだった。
梅雨明けの炎天下*(晴れ)*、「最後の夏」をかけて頑張る生徒たち。戦い終わって、泣き腫らして帰り支度をしている生徒たち。
悲喜こもごものドラマが繰り広げられていた。

娘の中学校のテニス*(テニス)*部は、午後からの3試合を連続休みなしで戦い、2回戦は突破したが、3試合目の去年の準優勝校に負けてしまった。
練習試合からどうしても勝てないチームだった。
でも、みんなかなり疲れていただろうに、最後まで球を追いかけ、打ち返し、よく頑張ったと思う。
終わってからも選手たちの顔はどの子も泣いておらず、むしろやりきったというようなさわやかな顔をしていた。
本当に、お疲れ様!
後は、21日の個人戦。その日が最後。悔いのないように頑張ってほしい。

末娘は、先日の選手決めの試合のときに英検の2次試験に行ったため、今日は控えの選手として応援に回っていた。
彼女は、試合中ずっと大きな声で応援していた。
負けが込んできたときなどは特に、「あわてないで!」「落ち着いて!」「入るよ!」「ナイスキャッチ!」と励まし、ボレーやスマッシュが決まった時は「ナイスプレー!!!」と大喜びで拍手していた。

試合が終わった時、娘がわたしのところにきて、
「試合、終わったよ。応援に来てくれてありがとう。」
「みんなよく頑張ったね。ピッピも応援頑張ってたね。ここまでずっと聞こえていたよ」
「うん。頑張ったよ。
これから審判があるんだ。先に帰ってていいよ。」
「審判も大事な仕事だよね。暑いから帽子かぶって、しっかり頑張ってきな」
「うん。じゃ、気をつけて帰ってね。バイバ~イ!」

何度も辞める、辞めないで悩んで続けてきた部活動だった。
顧問やメンバーともいろんなことでぶつかった。
もともと入りたかった陸上部が入学してきた途端、廃部になり、目標を失っていたところに、友達から誘われ、他に入りたい部がなかったから入った、という消極的な入部動機ではあった。
朝が苦手で、朝練がきつい、土日に遊べない、不平ばっかり言いながらも、なんだかんだ3年間よく頑張ってきたと思う。
顧問からしてみれば、
「筋はいいので、もうちょっとテニス中心にヤル気を出してほしいのですが」
と期待をかけられても、もうひとつ、彼女が頑張っている子どもネットのサークル活動を優先することは最後まで譲らなかった。

先日、卒業アルバムの撮影があったそうだ。
それに写らなくてもいいから辞める!と泣きながら悩んでいたのは6月に入るころだった。
「総体まであと1か月なんだから、最後までしっかり関わりなさい。何も、今辞めなくても、「引退」の日はやってくるんだから」
「その1か月が辛いんじゃない!私はどうしても、みんなのように、総体に向けて気持ちが集中できない。子どもネットの夏のキャンプを成功させるために、やることや打ち合わせすることの方が今の自分には大切なの。そのために、部活を早退したり休むようなテンションの低い自分が選手なんかになれない。なっちゃいけない。頑張れない」
「部活動って言うのは、選手になるならないか、試合に出る出ないだけじゃないでしょう?
あなたたちは部員数が少ないから、選手になれない人の方が少ないからそんなふうに悩むんだね。
昔は部員数が多くて、選手になれる人はほんの一握り。補欠に選ばれるだけでも難しい。でも、3年生は、後輩に指導したり、選手になれなくても、基礎練習は欠かさず頑張っていたし、試合のときはしっかり応援していたよ。勝ったらみんなで大喜びし、負けたら大泣きし、先生に怒られる時は全員で怒られ、みんなでミーティングをして、強くなるためにいっぱい話し合った。それが『部活動』だよね?
入部動機とか習い事とか、みなそれぞれ事情を抱えていたり、テニスや部活動に対しての温度差があるのは当たり前。でも、関わった以上はやりかけたことは途中で投げ出さず、最後までしっかり関わりきりなさい。
卒業アルバムを見るたび、後悔が残るような「引退」はしない方がいいよ。」

昨日の試合会場で、キャプテンのお母さんと話したとき、
「3年生から顧問に贈るメガホンにみんなの寄せ書きが書いてあるのを見せてもらったんだけど、何人もの子が
『何度もやめようと思ったけれど、最後まで続けてこれて良かったです』
と書いてあったの。」
と教えてくれた。
「○○ちゃん、キャプテンとしてみんなをまとめるの、大変だったよね。よく頑張ってきたよね。○○ちゃんに励ましてもらって、うちのピッピもここまで頑張れてきたと思うの。本当にありがとうございました」
と言ったら、お母さんは涙ぐんでいた。
「みんな辞めずに頑張ってこれて本当に良かった。卒業アルバム、楽しみだね。
21日は仕事で応援に来れないので、ここで御挨拶させてね。3年間大変お世話になりました。本当にありがとうございました。」
他のお母さんたちも、
「あと1日。あなたの分も応援頑張るから。」
と言ってくれた。

帰り道、私の頭の中ではあの「栄光の架け橋」が流れていた。

♪想い出せば こうしてたくさんの 支えの中で歩いて来た


中学3年生。総体が終わったら、今度は受験モードに切り替えて、次の目標『志望校合格』に向かって始動だ。
『夏を制する者は、受験を制す』
暑さに負けず、「自分」に負けず、この夏を元気に乗り切ろう!


『借りぐらしのアリエッティ』を観てきたよ~ん」*(クローバー)**(青ハート)*

2010-07-18 06:49:00 | 徒然なるままに
7月17日(土)

今日、娘二人と一緒に、『借りぐらしのアリエッティ』を見てきた。http://www.karigurashi.jp/index.html

この物語の原作は、メアリー・ノートン作『床下の小人たち』舞台はイギリスだ。

観終わった後は、私はその終わり方の余韻はなかなかの演出だと思ったのだが、娘たちは納得しなかった様子だった。
「続きが知りたかったら、原作本があるから読んでみれば?でも、その前に、自分なら、あの続きはこう書くだろうといろいろ予想してから読むと面白いよ」
と言った。
確かに、いろいろな「その後の展開」を予想させる思わせぶりな終わり方だった。(おそらく続編はないと思うが)

観ながら、私はとても懐かしく作品(特に背景画)を見ていた。
身長10センチメートルの小人の目線から見た世界。
それは私がかつて、アニメーター時代に手がけていた『スプーンおばさん』そのものの世界だった。
『スプーンおばさん』は、普段は普通の人間の身長なのに、突然、身長がティースプーンぐらいに縮んでしまうのだ。
不思議なことに、その身長になると、おばさんは動物や昆虫の言葉がわかってしまうのだ。
動物たちは小さくなったおばさんに、おばさんの『人間の知恵』で、いろいろな事件や問題を解決してもらうのだ。

普通のおばさんの身長と、身長10センチになったおばさんとの大きさの違いを出すには、背景美術は大きな役割を担う。
手のひらにのるぐらいの小さい人にとっては、テーブルの高さは、まるで4階建てのビルのような大きさに見えるだろう。
その大きさの違いの描き方は、難しかったけれどとても楽しく、勉強になった。

私は小さい頃から、一寸法師や、親指姫をはじめ、小人が出てくるお話が大好きだった。
親指姫が、チューリップの花びらの小舟に乗って…なんてくだりに胸ときめいたり、ニルスの冒険は、すごくワクワクして読んだ。
自分でドールハウスを作っては、夢中で遊んでいた。

観終わった後、娘たちに、
「あなたたちが小さかった頃、うちにも小人がいたんだよね。特に、クリスマス近くになると、そのサンタさんのお使いの小人たちは、、その家の子どもたちが「4つのお約束」をちゃんと守っているか家のどこからかちゃんと見ていて、サンタさんに報告していたんだよね。」
と言ったら、
「そうそう、そんなことあったけ」
と、娘たちは懐かしそうに、幼稚園の頃のことを話していた。

その「4つのお約束」というのは幼稚園で教わってきたらしく、クリスマスプレゼント欲しさに、子どもたちは一生懸命いい子にしていたっけ。

何かがなくなっていたりすれば、
「これは夜中にいたずらな小人さんがやってきて食べちゃったり、どこかに持っていたのかしら?」
とカマをかけたり、
いつの間にか何かが出来上がっていたり、きれいになっていたりする時も、
「うちにも靴屋の小人さんが来て、夜中にやっておいてくれたのかなぁ」
なんて具合に話していたものだから、小人さんの存在は、あの頃の子どもたちにとっては、とても現実味のあるものだったに違いない。

特に、「ティンカーベル」が大好きな長女にとっては、憧れの世界だったことだろう。

『借りぐらしのアリエッティ』の主人公のアリエッティは、なかなか魅力的な女の子だ。
宮崎駿が描く少女たちはどの作品もみなたくましく、りりしく、優しい。
13歳という年齢も魅力的だ。
今、思春期・反抗期まっ盛りの感受性の強い中学生たちと一緒にいて、ぜひ、彼らに見せたい作品だと思った。
本当の勇気とか、家族のきずなとか、自然と共に生きることや、「冒険」について…。

でも、物語の伏線であり、今回の中では解決されなかった、アリエッティ達の「借りぐらし」という生活スタイル。はっきり言って、「泥棒小人」と呼ばれても仕方がない暮らしなのだ。
だから「人間に見られてしまったら、引っ越さねばならない」のだ。
これは、なんだか最後まで自分の中では解消されずに終わってしまったのが残念でならない。
日本の『座敷わらし』は、古い家に住んでいて、座敷わらしがいる間はその家は繁栄するが、座敷わらしが引っ越してしまうと、その家は傾いてしまうのだ。
「借りぐらしの小人たち」も、その家に住み着いているからこそ人間にもメリットがあり、だからこその人間との共生ができればいいのに…。

そうそう、日本にはアイヌの『コロボックル』伝説があったけ。


昨日公開の『借りぐらしのアリエッティ』と同時開催で、現在国立新美術館では、美術監督の種田陽平氏の展覧会が行われている。http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/117/
小人たちが生活に必要な物を人間の家から「借りてきて」「暮らしている」そして、「ひっそりと」「一所懸命に」生きる。映画に描かれた暮らしぶりが、種田陽平氏の手によって、展示室に出現する。魅力に溢れたその世界に直接触れ、小人になった気分で、物語の中に入り込めるまたとないチャンスだ。
ぜひ、娘たちを連れて見に行こうと思う。


映画を見た後、娘たちがお小遣いを出し合って、レストランで私にごちそうをしてくれた。
3人で前かがみになれなくなるくらい、ごちそうを食べて帰ってきた。
長女の上海万博の話はなかなかおもしろかった。
話を聞きながら、ちゃんと仕事をやっている娘を頼もしく思い、帰宅してからも、二人で将来のことについて語り合ったのだが、しっかり自分のことや周りのことも考え、将来を見据えている娘の話を聞きながら、成長したなあと思った。

その娘に、
「ママは、どんな50代にしたいの?」
と聞かれ、
「ボケ知らずで頑張れるように、勉強*(鉛筆)*がんばる。50代のうちに何回もマチュピチュ*(山)*に行けるように、足腰鍛えてお金をためる。」
と答えた。
お互いに、夢の実現*(キラキラ)*に向かって頑張り続けよう!!