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交流

両親、自宅 無事でした。

2011-03-20 11:06:00 | 徒然なるままに
3月20日(日)


宮城県石巻市の両親、自宅無事でした。

皆さまにいろいろご心配を頂き、また、励ましのお言葉や、安否確認の方法などを教えていただき、本当にありがとうございました。


この10日間と言うもの、本当に、悲喜こもごもの波乱万丈の10日間だった。

両親を探しに行ったまま、連絡が途絶えていた弟から入った知らせで、両親と自宅の無事を知ることができた。

でも、その弟も、現地に残ると言う両親を実家に置いて、
「東京に一旦戻って、支援物資を満載してまた来るから」
と言って飛び出したものの、宮城県内ではガソリンを入れることはできず、福島では原発から避難してきた人達の渋滞にはまり、ついに栃木県でガソリンが尽きてしまった。
そこで、車を駐車場に置き、新幹線で帰京した。

その弟からの電話で、両親の様子や、石巻の様子を詳しく知ることができたのだが…。

両親は、本当に、たまたま、その時間に一緒にいることができたのだ。
もし前日の同じ時間だったら、もし午前中だったら、二人が今無事にいる可能性はかなり低かっただろう。
たとえ、自宅は無事だったとしても、どこで震災に遭うのかで、状況は天と地ほど違ってくるのだ。

幸い、家はプロパンガスなので、煮炊きはできていたらしい。
裏の用水路も道路すれすれまで水位は上がっていたが、家が水に浸かるほどではなかったらしい。
家の中はぐちゃぐちゃだが、片付ければ住めるということで、避難所は混んでいて、家が水に浸かった人たちや、一人暮らしのお年寄りたちに譲って、自宅が無事な人たちは、自宅に帰って行ったのだそうだ。

5日目、メールがつながるようになってから、友人からSOSが届いた。
小学校の教師をしている友人は、津波のあった日、子どもたちと職員と屋上に避難し、次の朝まで屋上から降りられなかった。翌朝、水が引いた中を批難し、日和山の避難所に行ったが、4つの学校の避難所に1万人以上の被災者が避難していて、ほとんどの人が、地震以来、何も食べていないのだと言う。
赤ちゃんのミルクを届けて!このメールをみんなに知らせて!

6日目、雪の石巻を見た。上空から撮影された、石巻の惨状・・・・。
ここにはまだ行方不明の方たちが生き埋めになっているのだろうか・・・・。

7日目、父とメール交換ができた。弟が無事に東京に着いたかを心配していた。
夕方には母と携帯で話すこともでき、電話口で二人で泣いた。
でも、その時には、弟の無事を伝えるだけで、まだ情報のない両親に、石巻の町が半分以上津波に流されたことは告げられなかった。

8日目、電話のつながった両親に、連絡が取れていない友人の一人暮らしのお父さんの安否確認を頼んだ。
友人のお父さんは、一人暮らしのお年寄りばかり集めた避難所にいらした。
夜、次々と安否確認をし合う中、気になっていたのが、地元の友人がお姑さんと次男を津波で流され、毎日、ヘドロの中を探し続けているというのだ。
それが・・・・!

9日目。前日の気になっていた友人のお姑さんと次男が、奇跡的に救助されたというではないか!
ニュースでも流れて、その信じられない瓦礫の中から、助け出された80歳の女性と、16歳の少年。
本当によかった!!!
毎日、死者の数がものすごい勢いで増えていく中、大きな希望の光だ。


全国から温かい支援の輪が広がり、救援部隊をはじめ、ボランティアの方々のご活躍には本当に頭が下がる。
そして、地元の人たちの、前向きで、ひたむきな姿勢と、報道や救援隊、ボランティアの方たちへの腰の低さ・・・。
何もかも失った上、安否の分からない家族を思い、心はもう絶望でボロボロなはずなのに、
「ごくろうさまです」
「お世話様です」
「お陰さまで」
「お互い様です」
「ありがとうございます」
と言う、相手を思いやる言葉が、自然に出てくる、その素朴な温かさが胸にしみる・・・。
そして、地元に残った同い年ぐらいの人たちが
『頑張ろう!石巻!!』
のスローガンのもと、元気に立ち上がった。


私にできることは何だろう…。

先日、1年生と2年生の授業で、私が石巻出身だということを伝えたところ、みんな、よく知っていて、私がそこの出身だということで、家族や家の心配をしてくれた。
私は、両親や弟、友人たちから聞いた石巻の現状を話し、自分も宮城県沖地震の経験があることを話した。また、阪神淡路大震災や、中越地震のことについても話した。
皆、真剣に聞いてくれた。

防災についてと、今被災地の人たちのために自分ができることを話し合った。
もし、自分たちの町が同じような災害にあったとしたら…という具体的にシュミレーションした。

そうして、生徒会が募金活動に立ち上がってくれた。

職員室でも、こまめに節電するようにみんなで声かけ合っている。


現地に行って、ボランティア活動はできないが、一人ひとりが自分にできることは何か、意識して生活するだけでも違ってくるはずだ。


ところが、金曜日の夜から、ひどい風邪をひいてしまった。
花粉症だと思って油断していたのと、寝不足や疲れが、両親の無事を知って、気が抜けたのか、ペットボトルのふたも開けられないくらいの体調になってしまい、3連休の初日は1日中寝込む羽目になった。

弟には、
「被害のない地域の人たちが元気にしていることも、最初のボランティアなんだぞ。被災地はただでさえ薬のないところに、具合悪い人たちがたくさんいても薬が供給されないんだから!」
と、叱られてしまった。
被災地の両親が元気で頑張っているのに、私が風邪で寝込んでどうする!反省*(汗)*

祈り

2011-03-13 09:30:00 | 徒然なるままに
3月13日(日)

涙が止まらない。
胸が痛い。
この悲劇はいつまで続き、どれだけ拡大するのだろう…。

故郷の変わり果てた姿。
未だに連絡がつかない両親、親戚、友人、恩師…。

私の家だけが被害に遭ったわけではない、私だけが連絡が取れないわけではない。

自然の大きな摂理なのだか、地震の周期なのだか知れないが、こんな想像を絶する悲劇はどう受け止め、立ち向かったらいいのだろう…。


3月11日は、末娘の卒業式であり、前任校の卒業式でもあった。
夜明け前に、昼間なら車で1時間もかかる前任校に、手作りのお祝いメッセージを届けに行った帰りに見た朝焼けは、とても美しかった。

末娘の卒業式は、お天気に恵まれ(入学式は雨だった)、感動的だった。
友達とバイキングでお昼を食べるという娘に『軍資金』を渡し、私は、娘の高校への入学金の支払いと、自分自身の来年度の採用のための面接に出かけた。

その面接を受ける教育事務所のある建物の階段を昇っている時に、第一波がきた。
あまりの揺れの激しさに、扉の開いていた別のオフィスに飛び込み、机の下に隠れた。
私の足もとには、コンピューターやら、机上にあったであろういろいろなものが降ってきた。

揺れが収まった時、外に飛び出した。駐車場に置いた車の中に避難していたせいか、波打つような揺れを感じ続けた。
家族や友人に携帯で連絡を取り続けたが通じず、ラジオで、震源地が宮城県沖だと聞いて、不安と心配はMAXになった。

1時間ほどして、揺れがおさまった時、面接官の方が、私の書類を持ち出して避難してくださっていたので、面接官さんの車の中で面接をした。

その後、いつもなら20分ぐらいで家に着く道を、渋滞の中2時間かけて自宅に着いたのだが、末娘に連絡がつかない。
TVには信じられない映像が流れ続け、耳を疑うような情報が氾濫していた。
6時過ぎ、娘が無事帰宅。
10時を過ぎてから、一人暮らしをしている息子、長女と連絡がつき、弟、妹とも無事を確認し合った。
だが、被災地宮城県の両親、親戚、友人たちには全く連絡がつかない。

TVの気仙沼市街地の夜空を焦がすような炎上の画像は衝撃だった。
仙台湾に10mの津波が来るという情報に、体は震えた。
まんじりともしないで、余震におびえながら、TVに釘づけになって一夜を明かし、連絡のとれない両親を思って泣いた。
時間的に、二人が一緒にいた可能性は低い。
二人は無事を確認し合えたのだろうか。
二人とも高齢者であり、父は病気を持っている。心配性の母は父や連絡がつかない私たちを思って、どんなに心を痛めていることだろう…。
無事避難できたとして、停電で真っ暗な中、水も食料も、トイレも暖房もない避難所で、どんなに不安で寒い思いをしていることだろう。

連絡の取れない学校の先生をしている友人たちは、生徒とともに、学校に泊まり込んで、孤立して救助を待っているのかもしれない。
職務優先で頑張っている友人たちの無事と健闘を祈る。


一夜明けて…。
TVに映しだされた、私の故郷の変わり果てた姿に絶句した。
残っていたのは、北上川の河口にある日和大橋だけ。
かつて町だったところは、その残骸もなもなく、全て波が海にさらって行った。
ヘリコプターから撮影された松島から渡波までの海岸線は、仙石線の水没、跡形もない町、破壊され、水没した十条製紙工場跡、陸揚げされ置き去りにされた造船工場の大型船舶・・・。
レポーターの人が、ぬかるみを歩きながら、
「ここはもともと街があったんですけれどねえ…。跡形もなくなってしまいました…」
とつぶやいていた。

みんな、無事に避難できたのだろうか?
市役所や、元「丸光デパート」だった建物、石巻文化センターと思われるコンクリートの建物だけが、わずかに、ここがかつて『石巻』の街の中心があった場所だという面影を残していた。

私が小学校4年生までを過ごした『渡波』と言う港町は、上空からは確認できないほど、跡型もなくなっていた。
そこからほど近い牡鹿半島の付け根にあたる『女川』という町は、町全体が水没していた。

これは夢?この映像は現実?
ここには人々が住んで、その瞬間まで、つつましい穏やかな日常生活があったはず・・・。
それがこんなに短い時間に一変し、跡形もなくなってしまうなんて・・・。

まだ、何も受け止められない。
どうしていいかわからない。
何もできない自分にいら立ち、情けなく、涙だけが流れるばかりだ。


弟がいてもたってもいられなくなって、宮城に両親の救助に向かった。
弟は、中越大地震のときも、お世話になったスキー場を手伝いに、仕事を休んで物資を運搬したり、救助活動のボランティアに行った経験がある。
命がけで、自分にできることをやりに行った弟。
私は姉として何ができるだろう。
私は、弟が両親を連れ帰ってくれたときに着てもらう衣類と、食料を買い出しに走った。
両親の衣類を選びながら、涙が止まらなかった。
この服を着てもらえる日が必ず来ることを祈りながら…。
春休みには千葉に遊びに来てくれることになっていた。
息子の大学卒業、就職、長女の成人、末娘の中学卒業と高校入学、私の就職、そして、両親の結婚記念日祝い、父の1年遅れでの喜寿をお祝いするはずになっている。
「おまえ一人で、3人の子育てよく頑張ったね。本当に偉いね。春休みに行くからね」
両親はそう言ってくれた。

きっと、願いはかなう。祈りは届く。
そう信じて、両親を迎える準備をしよう。
そして、一緒に桜を見よう。



今、息子からの連絡で、石巻の状況をまとめて報告してくれている人のサイトを教えてもらった。
http://www.kraftwerk.jp/news/2011/03/12/262/
それによると、実家の方は床下浸水で、近所のコミュニティーセンターか、小学校に避難しているらしい。

とにかく、両親の無事と救助に向かった弟の無事を祈るしかない。



最後に、被災者の方々、関係者の方々に、心からお見舞いを申し上げ、犠牲者の方とご遺族に、お悔やみを申し上げます。


まとめ日記 3月2~5日

2011-03-06 08:55:00 | 徒然なるままに
3月5日(土)大人サポーター会議

3月4日(金)壁画完成!
 
3月3日(木)雛祭りとさらに2学級が学級閉鎖に!!

3月2日(水)ピンチ!インフルエンザの猛威


*(紅茶)*大人サポーター会議

3月5日(土)

 朝から演劇部の練習。復帰してきた役者の気合と気迫を感じるいい練習ができた。みんな、休み中、家でいっぱい練習してきたようだ。
 体育館で、照明、音響、衣装の合わせ練習もした。
 明日はリハーサルだ。本当は、昼の1時間だけだったのだが、体育館部活動のバレー部、バスケ部、卓球部がみな、メンバーがインフルエンザになってしまい、休みになってしまったのだ。
 1日中体育館をフルで使えるのだ。学級閉鎖で1週間登校できなかった役者たちはがぜん張り切っているが、頑張りすぎて疲れては翌日に触るので、ほどほどにしておこう。

     *(紅茶)*     *(コーヒー)*     *(紅茶)*     *(お茶)*    *(紅茶)*

 午後から、地域の子どもたちの活動の大人サポーター会議に出席した。
 ほとんど、子育てが一段落したぐらいの年齢の方や、お孫さんがいらっしゃるくらいの方が多かったが、この地域の方々の、『地域で子どもを育てる』という意識の高さに感動した。
 春休みに『子どもの町』というイベントが開催される。
 ミュンヘンでも開催されている『キッザニア』という、その町でしか使われないお金を、その町で働くことによって得、町を運営するというものだ。焦点はもちろん、市長がいて、議会があり、銀行や警察、あらゆる仕事があり、みんなが消費者。外部からもお客さんが来る。各ブースには、いろいろな商品が並び、ワークショップができる。お金がなくなったら、職安に行って、仕事を紹介してもらって、働き、お金を得て、自分のほしいものを買いに行く。
そういうイベントを、地域の商店街(ドーナツ化現象で半ばシャッター街化している)で春休みに開催するのだ。

 私は、たまたま生徒に誘われて、大人サポーターになったのだが、教員は私だけだった。
 でも、今回、いろいろな地域の方、立場の方々が、「私で何かお役に立てれば…」と自主的に参加されてきた方々とお話をすることができて、とてもうれしかった。

 特に、美容師さん(男性)と、いまどきの女子中学生の髪型について話したのが印象に残っている。
 女子が前髪で顔を隠すようにしているのには2つ理由がある。1つは太くてボサボサの眉毛を隠すため。2つ目は、いじった眉毛を見られたくないから(指導されるor左右の形が変になってしまった!など)
 そこで、美容師さんはこう話してくれた。
「女子に眉毛を指導するのは、女の先生がしてください、男性教師ではだめです。せっかく美しくなりたいと思い始めてきた女子生徒に、校則などで厳しく指導するだけでは、ますます自分を隠すような変な髪形になってしまいます。女性の先生が、
『美容院でもう少し髪の毛を軽くしてもらって、すっきりしてきたら?眉毛を剃るんじゃなくて、長い毛をカットしてもらって、整えてもらう程度のほうがいいよ』
というようなかんじで、アドバイスしてあげてください。」

 私もかつて、額のニキビを気にして前髪を重たく下ろしていたことはあるし、眉毛を片方そり落としてしまった失敗はあるし、ほっぺが真っ赤なのを気にして、ミカンの皮でこすったり、きゅうりの輪切りを貼ったりしてことだってある。
 思春期の女の子の気持ちを分かってあげられるのは、自分もそこを通り過ぎてきた経験がある自分自身。
 校則で縛る前に、相手の気持ちに共感して、どうすればいいか相談に乗ってあげるというのが大切なことなのだ、ということを教わった。
 この美容師さんがスタッフに入ったブースは、女の子たちに人気が出そうだな。楽しみ!


*(チョキ)*壁画完成!*(キラキラ)*

3月4日(金)

 壁画制作?今日は2時間続きの1年3組が、見事に壁画を完成させてくれた。
 2組が細心の注意を払いながら作ってくれた巨大な大空の下地の紙に、1組の女子が美しい虹を描き、男子が「芸術は爆発だ!」と言わんばかりに作って貼りつけた桜の大木に、満開の桜を貼り付け、さらに2組が12分割のはばたく鳥を切り抜き、3組がそれらを張り付け、桜を仕上げて、ついに完成したのだ。
 インフルエンザで欠席した生徒たちには、登校してきたら、桜と鳥の切り抜きを渡して、貼ってもらおうと思う。これで、1年生全員の作品になる。

 完成品を前にして、記念写真を撮った。制作風景と一緒に、学年だよりに乗せる予定だ。
 7日、予餞会当日、これを見た3年生たちはどう見てくれるだろう。かわいい後輩たちからのメッセージが届きますように…。

     *(クローバー)*     *(クローバー)*     *(クローバー)*     *(クローバー)*     *(クローバー)*

 5,6時間目の総合の時間の予餞会練習は、2年生3クラス中2クラス、1年生は3クラス中1クラスという、全体の半分の人数での練習だった。
 役者のいない劇や、群読はできないので、歌練習になったのだが、男子のテンションが低い。声が出ない、というより、口が開いていない。
 理由は、いろいろだろうが、一番は音取りができていない。ということで、私もテノールに交じって、何度も練習をした。でも、テノール、バス合わせて60人の声よりも、私一人の声のほうが大きい。
 それでも、頑張って歌っているうちに、音取りができてきた生徒たちからしっかりした歌声が聞こえてきた。
最後には、聴いていた先生方からも拍手がわくほどのきれいなハーモニーが生まれた。
 予餞会当日は、急きょ、本番前に2時間の練習時間を設定したのだが、この土日で忘れてしまわずに、復帰してきたほかのクラスを引っ張って、いい歌声を体育館中に響かせて、3年生を感動させられる歌を届けられるよう、頑張ろう!

 放課後は、予餞会実行委員会制作の壁画(写真のコラージュ)を仕上げた。
 こちらもまた力作で、これを見た3年生はどんなふうに感じてくれるだろう。
 3クラス分実行委員が減ったメンバーで、遅くまで頑張ったが、最後まで貼りきれなかったところを私が一人で引き受けた。

 この学校での予餞会装飾担当としては、本当にみんなよく頑張ってくれて、いいものができたと自負している。が、見方によっては、あまり凝りすぎ、こだわりすぎ、頑張りすぎると、来年の担当者が困るという意見もある。
 今までも、そういう感想をもらったことがあって、「いいものを作る」というのが自己満足にならないようには気をつけてきたつもりだ。
 今回は、卒業生にはもちろん、来年引き続き担当するかもしれない生徒や、今回かかわらなかった生徒たちにも、美術で学習したことを、こんなふうに生かせるんだ、というスタンスで取り組ませたつもりだ。
 得意・不得意関係なく、だれでも参加できる『装飾』デザイン。
 私が1年間、美術教師としてこの学校にかかわることができたお礼の意味も込めて、生徒たちに、テクニックとアイディアの生かし方のKnow Howを教えることができる機会をいただいたことに感謝。

 壁画は、7日の日の体育館に貼ったら、写真を撮ってきて、画像アップする予定。



*(梅)*雛祭り

3月3日(木) 

 インフルエンザは、朝から猛威をふるい、今度は1年生2クラスが午後から学級閉鎖になってしまった。
 1年生で残ったのは、本日担任がお休みで、私が1日担任を務める3組だけ。だから、朝から、うがい手洗い、換気をうるさいくらい呼びかけた。
 午後の授業は3組だけあったのだが、ブーブー不平を言う生徒たちをなだめながら、授業を進めた。

 悲惨なのは、演劇部。役者のほとんどが学級閉鎖になって帰って行ってしまった。
 帰り際、主役の生徒が、土日の練習も中止になって、あとはぶっつけ本番しかない、万が一、当日インフルエンザで欠席者が多数になったら、予餞会は中止、学年閉鎖になる可能性があることを言ったら、悔しくて泣きだしてしまった。
 とにかく、そうならないように、うがい、手洗いを心がけ、マスクをし、学級閉鎖中は、元気な人も家でおとなしくして、外出する時も人混みにはいかないようになど、これ以上の蔓延を防ぐように呼び掛けた。
 お休み中にはセリフの練習を忘れないことも付け足して。

 夜は、遅い夕食にひな祭りのお祝いに、ちらし寿司と蛤のお吸い物、桜餅を食べた。
 長女が独り暮らしを始めてから、初めてのひな祭り。末娘は寂しそうだった。
 この末娘も、いずれは私のもとを巣立って行ってしまうのかと思うと、一緒にひな祭りを祝える、今この瞬間が本当にかけがえのないものに思えた。
 それなのに、仕事にかまけてちゃんとお祝いして上げられなかったことを反省した。
 子どもたちがまだ小さく、私もまだフルタイムでは働いていなかった頃は、年中行事はしっかりお祝いをしたものだった。
 どんなに仕事が忙しくても、来年はちゃんと頑張るね!



*(青ざめ)*ピンチ!インフルエンザの猛威!


3月2日(水)

 今日は、公立高校後期選抜試験日。
 私立を受けていない生徒にとっては、背水の陣だ。
 ぜひ、頑張って合格してほしいと切に願う。

 今日は、2組が壁画制作?の大空にはばたく鳥を切り抜いてくれた。45分授業だったので、全員が1羽ずつ貼ることができなかった。最後は、みんなで切り抜いた鳥を手に持って、記念写真を撮った。
  
 予餞会の練習は、2年3組が学級閉鎖のため、劇は、いろいろな生徒が代役となって演じていたが、なかなかタイミングが計れず、群読も歌もボロボロだった。
 でも、私が前回撮影した映像を見せたら、自分たちのやっていることが、どんなふうに3年生の眼に映るのかを自覚することができたようで、少しふざけた生徒が少なくなったような気がする。
 特に、ライトを使った演出で、面白半分でライトをいたずらしていると、せっかくのサプライズが台無しになってしまっている様子がやっとわかったようだった。
 みんなで、心ひとつにしていいものを作ろうという意識がなければ、予餞会は成り立たない。
 たとえ、当日、欠席の生徒たちがたくさんいても、残った生徒たちで心をこめて予餞会を成功させるぞ!という気持ちで臨ませたい。

 演劇部は、ヒロインのクラスがインフルエンザのため、学級閉鎖となり、代役を立てながらの練習だった。
 当日は全員参加できますように・・・。

壁画制作?大噴火の巻

2011-03-02 06:21:00 | 徒然なるままに
3月1日(火)

今日から3月。
いよいよ最終月だ。

今日は、3,4時間目の1年1組の美術の授業で、予餞会の壁画制作をした。
とにかく、このクラスは、女子はまとまっていて、指示が通るのだが、男子が大変なクラスなのだ。

怒ったり、なだめたり、持ち上げたり、指示したり、おだてたり、褒めたり、感謝したり、叱ったりと、もう、あの手この手でサボっっている者を作らず、一人一人に指示して作業に参加させるのは至難の技だった。

そのうち、案の定、何の考えもなしに、乾かしてある作品に上履きのまま乗って遊んでいる生徒を見つけて、私の怒りは頂点に達した。(自分の髪の毛が逆立つのが分かった*(びっくり1)*)

前のクラスの生徒たちが、どんなに神経を使って、下地の青空を貼り合わせて作ったか!
女子たちがどんなに心を込めてその大空に虹の絵を描いたか!!
これからその大空に卒業生分の鳥を張り付けるところだったのに、それを踏みつけ、足跡だらけにするとは何事か!!!!!

いいながら、私は不覚にも感極まって泣き声になってしまった。

生徒たちもぎょっとしたのか、シーンとなって聞いていた。

が、その後の作業は、前半とは比べ物にならないほど、集中し、どんどん良いものが出来上がっていった。
さっきまで遊んでいた生徒たちも、自分で仕事を見つけては、使い終わった道具を片づけたり、洗ったり、新聞をきれいに畳んだりしてくれていた。

その様子がうれしくて、終りの時間間際に、私は全速力で職員室に走り、カメラを持ってきて、その様子を写真に撮った。
1枚はみんなで真剣に作業している様子。もう1枚はみんなでピース!
そして、短い動画。
撮りながら、今度は違う意味で感極まって、泣きそうになった。

授業のあとで、女の子たちが、
「素敵な作品になりそうだね」
と言ってきたので、
「あなたたちの能力の高さは半端じゃないよ。すごいよ。グッときちゃったよ。この絵を見たら、3年生たちも泣いちゃうよ。」
と言ったら、
「やった!私達、先生をグッと来させられたよ!」
と、大喜びで教室に帰って行った。

完成はまだまだ先だが、明日は2組が続きを引き受け、金曜日には3組が仕上げることになっている。

生徒たちと1年間過ごしてきたいろいろな思いをこの壁画に込めて、7日の予餞会の体育館の壁を飾ろう!


さっきの大噴火と全速力がたたってか、はたまたこのところに忙しさで貧血が悪化したのか、給食中も動悸がおさまらず、昼休みは保健室で横になって休む羽目になった。
ここで事切れていては何にもならないので、あまり、思い入れを強くしすぎないで、平常心で頑張ろう。(反省*(汗)*)