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教えることは、教わること  金環日食

2012-05-22 04:48:37 | 担任雑記
5月21日(月)

いよいよ、金環日食当日。朝から校庭には、たくさんの子どもたち、保護者の方々が集まってきた。
ところが、6時台にはなんとか見えていた太陽が、金環日食になる頃には、熱い雲に覆われてしまった。
遮光グラス片手に、雲間からわずかでも見えるオレンジ色の太陽を、必死に目をこらして見つめる。
半ば、あきらめかけたその時、まさに、金環日食その瞬間に、熱い雲が過ぎ去り、うっすらと太陽が現れた!
肉眼でも見える金環日食だった!!
遮光グラスを通して見ると、くっきり見えるその金環日食は、本当に神秘的だった。
子どもたちも、大興奮で、終わってからも
「感動した~!!!」
「すごかったね~!!」
「きれいだった~!!」
と感無量の様子だった。

始業時間になり、子どもたちは教室に入った。
私も職員玄関から教室に行こうとした時、窓から廊下に差し込む木漏れ日が、見事に日食を起こしているのに気がついた。
急いで教室に行って、子どもたちをその場所に連れてきた。
みんな大興奮だった。
木漏れ日の一つ一つが部分日食を起こしているのだ!

理科の授業で、日食の勉強をして、その仕組みや現象を教えたのだが、実際にその現象を肉眼で見ることができると言うのは、本当に貴重な体験だった。

小学3年生の理科は、モンシロチョウの卵から成虫になるまでの観察をはじめ、自然の不思議や仕組みをたくさん学習する。
子どもたちの『好奇心』を上手にくすぐり、『興味』の種をまくと、ものすごい勢いで『意欲』の目が出てくる。

「教える」ことは「教わる」こと。
子どもたちに教えながら、私もまた子どもたちからたくさんのことを学ばせてもらっている。
私も、授業で教える以上、事前に自分でも『日食』について勉強した。
凄く面白かった。
教師が自分でも面白がって教えることは、子どもたちも面白がって覚える。そして、忘れない。
さらに、それをきっかけにして、子どもたちは自分でどんどん興味と知識の輪を広げていく。
そして、そこから得たものを、こぞって私に報告に来るのだ。
私もまた、そこからたくさんの情報を得たり、疑問が生じれば調べる。
私は、専門家ではないので、引き出しは少なく浅いが、最近、ものすごい勢いで増え続けている。
昔の引き出しも、何十年振りかで復活してきたものもある。

体力的な衰えは、年齢的にも逆らえないものがあるが、好奇心と学習意欲は、学生時代よりも、今の方が旺盛かもしれない。

さて、子どもたちの雨後の竹の子みたいな興味・関心・意欲を、どう育てていくのか。
自分のスキルアップと一石二鳥で、楽しみながら授業を頑張ろう!



新天地

2012-04-14 17:10:54 | 担任雑記
4月14日(土)雨

3月から1カ月半、まさに怒涛のような忙しさだった。(毎年のことではあるが)
でも、去年の今頃に比べれば、精神状態は雲泥の差だ。
去年の今頃は、3月11日に故郷石巻が被災し、4月5日には再び大きな地震に見舞われ、私は年度末と年度初めの慌ただしさの中、実家にも帰れず、両親の安否がようやく分かったぐらいの情報の中で、今度は原発問題まで起きて、次から次へと信じられない情報が飛び交う中での異動、着任だった。

あれから一年。
つい二週間前、前任校のクラスの子どもたちと再会を約束して離任したのが、遠い昔のように思える。
でも、一年前、彼らと桜咲く校庭で、一緒に長縄をしたり、『絆』の文字と意味を教えた最初の授業は、まるで昨日のことのように鮮明に覚えている。

この春、あの子たちは、私の下を巣立ち、三年生になった。
離任式に皆にもらったメッセージ、花束、お母様方から頂いたお手紙、全部全部、大切な宝物だ。
「さよならは言わない。中学生になったみんなとまた一緒に、中学校で美術を教えて、担任としてまた会いたい。」
「十年後、先生は、どこにいても、どんな姿になっていても、必ずこの学校の六十周年記念式典に来るから、それまで、どんなことがあっても、みんなは生き延びて、必ずここで全員集合しよう!」
離任式の日、ステージからずっと一人一人の顔を見、アイコンタクトをとった。みんな、じっと私の顔を見ていた。
花道で、一人一人と笑顔で握手した。
「先生、十年後に会おうね!」
「その頃にはみんな、私の背を越して、大きくなっているんだね…。楽しみにしているよ!」

あの子たちの未来が、明るく、平和でありますように…。


さて、新天地(今年度も小学校だ)に赴任して二週間が経った。
私は、三年三組の担任になった。
去年は27人だったが、35人のクラスだ。
3日目で全員の名前と顔が一致した。
どんなクラスにして行きたいか、その3日間で方向性を決めた。
最初の2日間は様子見だったが、週が明けて最初の月曜日には、ビシッと決めた。
もちろん、学級目標は今年も
『絆~一人はみんなのために、みんなは一人のために~』

クラスの子は私のことをどういうふうに印象を持っただろう?
きっと「面白そうだけど、怖い先生」だと思っているかもしれない。
今年は、叱る時は、大きな声を出さず、まず黙って様子を見ることにした。
シンとなったところで、静かな低い声で諭すように語りかける。
口元は笑っていても、目は笑っていない。
誰かを名指しで叱る前に、その子をじっと見ている。
本人が気がつかないでいる時は、周りの子が気がついて、その子に教える。
目が合ったら、まず、目で訴える。
本人が気がついて態度を改めれば、黙ってうなづく。
気がつかない時や改めないでいる時は、そばまで行って話しかける。
「今は、何をする時間ですか?」

そういう時の目力や、あえての敬語の威圧感は、自分でも凄みがあると思う。(←末娘も妹にも言われる)

普段の私は、リラックマか、たれパンダのような動く着ぐるみ、動く4コマ漫画なので、そのギャップにまだ子どもたちはついてこれていないのかもしれない。
でも、やはり、子どもは本能でわかるのだろうか。休み時間など、私がOFFになるや否や、あっという間に周りに子どもたちが集まってくる。そう言う時の私は、ただの人の良さそうな面白いおばちゃんの素顔になっているのかもしれない。

そうそう、自己紹介の時、自分の名前の文字で始まる、自分の特徴や、なりたい自分の言葉を使って、自己紹介をさせた。
私の名前の中には、『り』という文字がある。
他の文字はあっさり考えられたのだが、「り」で始まる文字がなかなか見つからなかった。
「龍馬のように、おおらかな心」
「リラックマのように、ゆったりした心」
と思っていたのだが、末娘と妹に、
「私の『リ』って、何の『リ』だと思う?」
と聞いたら、
「『凛々しい』、とか『凛としている』じゃない?」
と言われた。
取りようによっては、「女っぽくない」と言われているような気がしないではないが、妙にしっくりきた。
『凛としている』先生であり、母親として、頑張ろう!


昨日は保護者会だった。35名中30名の参加という出席率で、後半は役員決めもあったが、終始、和やかな感じで終わった。
子どもたちが、心身ともに健やかで、安心、安全に一年間過ごせるように頑張る旨をお伝えし、ご家庭のご理解とご協力をお願いした。

学年の先生方も、職員室の先生方も、みなさん親切で、明るく笑顔が絶えない職員室だ。
でも、それは、それだけ、現実は厳しいことを物語っているのだ。
職員室の前面には「チーム○○小」と掲げられ、「ワクワク登校、生き生き学習、ニコニコ下校」という合言葉は、子どもたちだけでなく、先生方一人一人にも言えることなのだと思う。

「どんな困難なことでも、みんなで協力し合って乗り越えて行こう」
「親や教師、周りの子を困らせる児童は、実は一番困っているのは本人自身なのだ」

私は、縮こまっていた首が伸び、肩甲骨から羽が生えてくるような気がした。

新天地、まだまだ私の知らない現実の厳しさはあるのだろうが、『チーム』のみんなを信じて、私にできる精一杯のことを全力投球で尽力しよう。
今までの経験と、去年の失敗から学んだことを生かして、リベンジする!

ラストスパート!

2012-03-25 11:29:46 | 担任雑記
3月25日(日)

23日(金)に、無事修了式が終わり、クラスの子どもたちともお別れをした。

3月に入ってから、学年末の仕事に追われ、毎日深夜帰宅で、仕事を持ち帰っても疲れて寝てしまい、夜明けとともに起きだして続きをやるものの、追いつかない。
家に帰るとこたつに入ったとたん寝てしまうので、日付が変わるまで一人学校に残って仕事をした。
土日も出勤して、やってもやっても終わらない。
修了式の前は、前夜からそのまま翌日の夜明けまでやって、ようやく終了した。
子どもたちを下校させてからの私は、ほとんど使い物にならないくらいの「燃え尽き症候群」状態だった。
帰宅後から、昨日の午前中までは、妹に、
「お姉ちゃんが、そのまま溶けてなくなってしまうかもしれないと思った」
と言われるぐらいの疲労困憊状態だった。
それでも、自分の中には、「やりきった!」という、ささやかな達成感は持てた。
ただ、無我夢中で頂上を目指し、ようやくたどり着いたものの、そこは土砂降りで、そこからしか見えないはずの「いい景色」は、何も見えなかった。
それよりも、ここまで来た道のりを、短時間で『下山』しなければならない。
少しでも気を抜けば、転がり落ちてしまいかねない難所がいくつもある。
そこで失敗してしまったら、今までの努力も、これからの未来も台無しになってしまうのだ。
慎重に、スピードアップしながら、「離任式」というゴールをめざす!


小学校の担任の仕事というのは、本当に大変だ。やってもやっても終わらない、きりがない。
どこかで自分の中に『線』を引くことと、先の見通しを持って、計画的に、早め早めに対処して行かないと、自分が苦しむだけでなく、周りにも迷惑をかけてしまうことになる。
今年は『1年目』で、何もかもが『初めて』の『畑違い』の仕事ということで、周りも多めに見てくれていたところはあるだろうが、それにしても『未知の世界』の『未経験の仕事量の多さ』には、身体も、頭も、心も付いていけなかった。

自分の無能さ、認識の甘さ、言葉の足りなさを痛感し、自己肯定感のカケラも持てず、自己嫌悪に押しつぶされそうになった日は数えきれない。
最後の方は、医者から処方された『精神安定剤』を飲みながら、寝不足とストレスで頭が割れるような頭痛と、疲労と、挫けそうな自分との闘いの日々だった。
「あきらめたら、そこで試合終了だ」と自分に言い聞かせながら…。

そんな私を全面的に受け入れ、信じ、ついてきてくれたクラスの子ども達。
理解と協力で支えてくださった、保護者の方々。
励まし、フォローしてくださった同僚の先生方。
仕事に追われ、家のことまで手が回らない主婦・母親失格の私を、労り、我慢してくれた家族…。
おかげさまで、1年間、一日も休まず、途中でリタイヤすることもなく、走り続けることができました。
本当に感謝しています。

でも、まだ離任式まで5日間。最後の残務整理と、教室掃除、荷づくりなど、やるべきことは満載だ。
心置きなく、次の空へ飛び立てるように、ラストスパート、頑張るぞ!

ちなみに、来年も小学校勤務になった。
中学校で美術を教えられない残念さはあるが、今年度小学校で経験したこと、失敗から学んだことを生かせるチャンスを頂けたと思って、今からワクワクしている。


仕事が一段落したら、3月中に久しぶりに「まとめ日記」を書く予定です。
ちょっとした学園ドラマです。乞うご期待!

コメントありがとうございます。返信、もう少しお待ちください。新しいブログにご挨拶に伺いながら、書き込ませていただきます。

エールと決意

2012-02-26 10:03:04 | 担任雑記


2月25日(土)


久々の日記更新だ。
1月末からPCの不具合が続き、ブログ移行がはかどらず、とりあえず、gooブログ人にデータ出力はしておいた。http://blog.goo.ne.jp/toliton717
が、gooブログ人は私のアニメや映画のレビュー用のブログだったので、できればOCNブログ人にしたかったのだが、会員のなり方どうもIDの取得の仕方がわからない。誰か教えてください

ところで、gooブログ人に日記のデータは出力できたものの、コメントや掲示板の内容までは移行はできないのがさびしい。

10年分ぐらいのやり取りを、ドキュメントにコピペするような時間がない。

まあ、日記だけでもデータ移行ができるだけでも良しとするしかない。

これから1ヶ月は今まで以上に睡眠時間も土日もないような忙しい時期に突入する。

新天地でのHP作りは4月以降になりそうだ。


                             


この1ヶ月は、心身共にボロボロの毎日だった。
私は今のところ、過酷な忙しさにもかかわらず、インフルエンザにはなっていないが、クラスは2週続けて学級閉鎖となり、5日間で30コマの授業の遅れは致命的だった。
子どもたちが復帰してからは、とにかく23日の学力テストまでに2年生の学習範囲を終え、おさらいを済ませるべく、子どもたちも頑張り、私も頑張った。
とにかくおさらいドリル、漢字テストの採点と添削に明け暮れ、24日の授業参観日の授業準備と、6年生を送る会の出し物の練習が優先で、音楽や体育、図工といった技能教科の授業が後回し状態だった。

そんな状態でも、復帰後の子どもたちは、毎日まさにAKB48の会いたかった、会いたかった、会いたかった~状態で、私はすっかりエネルギーを吸いつくされた「一反木綿」状態だった。

昨日の授業参観では、生活科の「大きくなったわたしたち」という、8歳までの自分史的なアルバム作りの発表会をした。
子どもたちは、本番直前までしどろもどろだったり、お尻を向けたまましゃべったり、照れたり、段取りが悪かったり、どうなる事かハラハラしていたのだが、お母さんたちにプレゼントする2曲の歌をカットしないで聞いてもらうためには、全員が一致団結してスムーズに流すことと、照れずにはっきりいうこと、時間内に発表を終えることが大切だと話しあい、みんなで頑張った。



果たしてその結果は、和やかでほのぼのした中に、子どもたちの緊張感と助け合いの姿から、1年間の成長がみられるよい発表会となった。
特に、最後の歌のプレゼントは、とても気持ちの入ったきれいな声で歌う歌と、日ごろのパワー全開そのままの元気いっぱいの歌声をお母さんたちに聴いてもらえた。聴いているお母さんたちの中には、涙ぐんでいらっしゃる方もたくさんいた。

その後の懇談会では、おほめの言葉や「感動しました」というコメントもいただき、和やかな懇談会だった。


その夜、前日の学力テストの結果をデータ入力していたら、うれしい発見があった。
テスト直後は国語・算数の平均点ばかり気にしていたのだが、成績には反映されない意欲関心についての意識調査の平均点が、国語、算数共に91点だったことに気がついた。

私は、今年度、初めて小学校の担任となり、畑違いの現場で戸惑うことばかりで、まったく自己肯定感は持てず、自己嫌悪で苦しい日々ばかりだったように思っていた。

全教科についての指導の仕方はもちろん、生活面全般でも低学年の「しつけ重視」の指導は、なかなか大変だった。

とにかく、学力を上げるためのノウハウはベテランの先生方には劣るだろうが、「低学年のうちから勉強嫌いの子どもにしないこと」が私の仕事だと思って、1年間頑張ってきたつもりだ。
そんな私の授業は、年間指導計画や学習指導要領からは外れたり、はみ出したり、先走った内容の授業もあったと思う。
でも、子どもたちの好奇心をくすぐり、意欲を引き出し、タイムリーな話題について考えさせたり、おだて、ほめ、叱り、いろんな「種」を蒔くための土作りはできたのではないかと思っている。
そして、けして「いじめ」と「不登校児」がないクラス作り。これについては体を張って頑張ってきたと思う。

子どもたちの学習への意欲関心が91点というのは、うれしい反面、私にもっと学力向上のためのノウハウやツールがあったら、この子たちをもっと伸ばしてあげられたのかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

でも、懇談会でお母様方がおっしゃってくださった、
「学校が楽しいと言ってくれるのが一番うれしいです」
とか、
「先生とクラスであったことを、毎日家でたくさん話してくれます」
とか、
「先生に教えていただいたことを、今度は、私たちたち親が引き継いで子どもに教えていきます。次の学校でもぜひ頑張ってください」
とか、
「6年生までずっとお世話になりたかったけれど、今度はぜひ、中学校で美術を教えていただき、また担任になっていただきたいです」
というたくさんのエールが、本当にうれしかった。

修了式まで、あと18日。離任式まであと35日。
私は今までのところ、病気も怪我もなく、皆勤賞だ。
このまま、モチベーションを下げることなく、体調を崩すことなく、最後まで全力でベストを尽くして、子どもたちをしっかり進級させ、この学校を笑顔で去ろうと思う。


絆 ずっと友だち ずっと ずっと友だち

2012-01-22 22:43:00 | 担任雑記
1月22日(日)

 新学期が始まって、2週間が経った。
 明日から冬休みという日に、「あなたたちは、今日で2年生を卒業します。
 勉強も、運動も、係の仕事も、お掃除も良くがんばりました。年が明けたら、あなたたちは、『3年生の卵』さんたちです。
2年生までの勉強は2年生のうちのわかるように、できるように頑張りましょう。集会でのお話の聴き方や、黙動での移動、あいさつの仕方、お掃除の仕方、勉強以外のこともみんな上手にできるようになってきましたね。『3年生の卵』さんたちは、先生に言われなくても、自分で考えてできるようにがんばりましょうね。」と言った。
 子どもたちは、その日、朝からとても頑張って、4時間目は予定通り『お楽しみ会』をして別れた。
 果たして冬休み明け初日、ご家庭の事情で2名欠席だったが、みんな元気に登校してきてくれた。
 石巻から千葉に戻り、学校が、教室が無事で、子どもたちが元気に登校してきてくれる、そんな当たり前のことが、とても尊く、ありがたく、幸せに思えた。
 『3年生の卵』たちは、ちょっと見ないうちに、身長も伸び、少しお兄さん、お姉さんぽくなって、朝の全校朝会の時も、全員きちんと校長先生のお話を聞いていた。宿題もちゃんとやってきていたし、何より、『元気な子』の硬筆の書き初めは、全員、一生懸命書いてきた。その成果もあってか、書き初め会の作品の中からクラス代表2名の作品をコンクールに出品したところ、2名とも、準特選を受賞した!
 勉強も、掃除も良く頑張って、給食は食缶が毎日空っぽだ。みんなが今一番頑張っているのは、なわとびとマット運動だ。なわとびは、数えるほうが音を上げるほど、速く長く跳ぶ。冬休み中も頑張って練習してきたようだ。 その成果もあって、我がクラスの1分間前跳びのクラス平均値は、千葉県低学年の部のランキングで、堂々1位を獲得した!平均値150回を超えると、賞状がもらえるということで、みんなやる気満々だ。
 マット運動は、私の掛け声ひとつで、集合も活動もすごく生き生きときびきびと動けるようになって、やるたびに、どんどん上手になっていっている。

 今、子どもたちが楽しみにしているのは、国語の時間の最後に読み聞かせしている『龍の小太郎』だ。辰年にちなんで、ちょっと長い話だが、読み聞かせている。子どもたちは、毎回ほとんど呼吸も瞬きもしていないような、全身が耳になって聴いている。
 いいところで終ると、盛大な溜息とともに、「先生、肩凝った~!」「続き読んで~!!」と大騒ぎ。
 次回は、いよいよ龍の小太郎と、龍になった母との再会のシーンだ。私もワクワクしている。

 そんな子どもたちと一緒にいられるのも、あと44日となった。1年生のクラスでインフルエンザが流行ってきたことを知らせ、うがい手洗い、早寝早起きをしてインフルエンザにかからないように呼び掛けた。学級閉鎖なんかでみんなといられる日が少なくならないように。
 みんなと一緒にいられる日々…。その宝物ような日々を1日1日元気に、みんな仲良く、楽しく、大切に過ごしていこうという、子どもたち一人一人の気持ちが、授業や生活の一コマ一コマに表れているのがうれしい。

 昨日、10月末に転校した児童の家に届け物に行った。クラスのみんなからの手紙をわたすと、彼もまたクラスのみんな一人一人と、私への手紙を渡してくれた。どちらからも、どの手紙にも書いてあった言葉は、『絆』そして、『はなれていても、ずっとともだち』
 ああ、この子たちの未来を守りたい。勉強も、外で遊ぶことも、何でも食べられる、飲める、仕事も、結婚も、子育ても、安全で、安心して、思い切りできる明るい未来を!
 そして、この子たちが親になり、先生になったら、自分の小学校2年生を振り返った時、この未曽有の災害があった年に出会った2年3組で過ごした日々と仲間が、子どもたちの『原風景』となり、励みとなって、どんな困難にも最後まであきらめずに、『絆』を大切にする思いやりのある大人に成長して行ってほしいと願う。

絆 One for all,All for one

2012-01-22 19:10:00 | 担任雑記
1月18日(水)

『子どもたちの未来に何を遺しますか?』  ~福島原発事故から見えてきたこと~というテーマの、県の教職員組合の学習会に参加した。
昨年12月にお誘いを受け、ぜひ、参加してお話を伺いたかった。
講師の先生は、福島原発問題をわかりやすく解説してくださり、その原因と現状、そして、これからの課題について、会場に集まった先生方に熱く語りかけてくださっていた。
講演の最後に、講師の先生が、市の退職女性教員の方々が交代で、4月から毎週2泊3日、石巻市立湊小学校にボランティア活動に出かけていらっしゃると聞き、胸が熱くなった。
講演後、挨拶に行き、石巻出身者であることを告げ、先生方のご尽力とご厚情に御礼を申し上げた。 先生は、
「支援は短すぎてもダメ、長過ぎてもダメ、まずは1年間継続して支援をして行きましょうと、毎週欠かさず石巻に出かけています。きっと石巻は復興します。」
と、おっしゃってくださった。
 先生が震災直後から見ていらした石巻…。全焼した門脇小学校、多くの児童、職員が津波で流された大川小学校、教職経験者として、居ても立ってもいられない思いで、退職した先生方で立ち上げたのだそうだ。
 私は、正直なところ、千葉に帰るたびに、震災に対しての『温度差』を感じていた。実家や親戚でもいないと、この思いは通じないのかと思うような人たちや場面に出くわすと、悲しい気持ちになっていた。でも、今日のお話を聞いて、私は声をあげて泣いてしまった。先生は、私の肩を抱いて
「あなたの故郷が被災して心配な気持ちや、帰りたくても帰れないでいる気持ちはよくわかります。私たち退職教員は、お金はないけれど時間はあるの。被災地の先生方や子どもたちのために、継続して支援に行くから。あなたは、千葉の子どもたちを、今のあなたのクラスの子どもたちをしっかり守ってあげて。」と励まして下さった。
 私は、帰りの車でも涙が止まらず、おさまるまでしばらく喫茶店で今日の学習会のレジュメを読んでいた。 
今日の出逢いと感動を忘れることなく、このことを故郷の両親や、頑張っている友に伝えよう。そして、クラスの子どもたちにも、話して聞かせよう。
「これが『絆 One for all,All for one』だよ。」と。

『ワニのおじいさんのたからもの』と『桃太郎』

2011-11-27 19:29:00 | 担任雑記
11月27日(日)

先日、国語で『わにのおじいさんのたからもの』(作・かわさきひろし)という単元が終わった。
 帽子をかぶって、角を隠している鬼の子が、ある日、川沿いで年老いたワニに出会う。初めは呼びかけてもじっとして動かないので、死んでいるのかと思って、ホオの木の葉をかき集め、身体にかけてあげているうちに、身体が温まったワニには目覚める。 鬼の子と話すうちに、ワニは鬼の子の純粋で優しい気持ち、礼儀正しさを気に入り、何より、『たからもの』というものを見たことも聞いたこともないと真顔で言う鬼の子に、命がけで守り隠してきた自分のたからものを託そうとする。
 果たして、ワニのおじいさんから宝のありかを知らされた鬼の子は苦労の末、その場所にたどり着くのだが、鬼の子が見つけた宝物とは…。
ざっとそういう内容の話なのだが、この中に、この鬼の子は『桃太郎』に退治された鬼一族の末裔であるということが語られている。桃太郎に降参し、宝物をそっくり持っていかれてからというもの、鬼は『たからもの』とは縁のない生活をして来たという設定なのだ。
 そこで、最初の授業の時に、『桃太郎』の話を知っているかを聞いてみたところ、半分ぐらいの児童が、「題名は知っている」「話のあらすじはしっている」とは言っていたが、桃太郎がどこの民話か、きび団子とは何か?家来は誰誰が出てくるのか、っという話になると、いろんな民話とごっちゃになっている子が多かった。
 『桃太郎』の読み聞かせをした後、岡山県の話、瀬戸内海の倭寇の話、犬は『忠義』、猿は『知恵』、雉は『勇気』の象徴だと言うような内容の話をした。
 そうしたら、子どもたちは、
「桃太郎が持ち帰った宝物は、村から奪った宝物だけではなく、自分の目的のために、命がけで戦ってくれた『仲間』という宝物と、桃太郎が命までは取らなかったために、もう、村の人達には悪いことをしないと鬼が誓ってくれたから『平和』というたからものも持って帰って来たのだ」
というようなことを話し出した。
 私は、桃太郎の話を、小学校2年生の時に、ここまで深く読んでいただろうか。あどけなく、♪も~もたろさん、ももたろさん、おこしにつけたきびだんご~ ひとつわたしにくださいな~とか歌いながら、なぜ、家来が犬とか猿とか雉なのか疑いもせずにただのおとぎ話として覚えていただけだった。『仲間』とか、『平和』が、どんな金銀財宝よりもかけがえのない宝物だと言うことは、ずいぶんと大人になってから分ったような気がする。
 果たして、3組の子どもたちは、その授業の後、学級文庫や図書室に行って、『桃太郎』を読みあさり、何冊もの、いろいろな絵本や文庫で『桃太郎』の本があることをいちいち報告してくれるようになった。そのうち、岡山県に旅行して、桃や『日本一のキビ団子』をお土産に買ってくるのかしら?
 さて、肝心の『わにのおじいさんのたからもの』の方は、結局、ワニのおじいさんの埋めた宝物はなんだか分からないまま、その足元に埋まっていることを知らない鬼の子が、今まで見たことがない美しい夕焼けに脱帽するところで、このお話は終わるのである。

九九に燃える3組!

2011-11-27 18:57:00 | 担任雑記
11月26日(日) 
 
 今、算数ではかけざんをやっているのだが、とにかくみんなやる気満々だ。毎日、熱い九九の発表会をやっている。
 去年、中学校で数学を教えた時に、中1で九九が全部満足に言えない生徒が何人もいた。美術室に昼休みに呼んで特別講座を開いて教えた。小学校ではどんなふうに教えているのだろうと疑問に思っていた。
 そして、今年、実際に小学校で九九を教えて、いろいろなるほどと思った。あえて詳しくは書かないが、とにかく、全員九九が言えて、九九の仕組みを理解させた上でクラス全員を3年生に進級させるのは一筋縄ではいかない大変なことなのだということだけはわかった。
 そこで、いろいろ試行錯誤の上、クラスで九九の授業をやっているわけなのだが、私は、全員、みんなの前でその段の九九を○×1~と○×9~の往復を唱えさせ、3問抜き出し問題を出して、答えられたら合格シールを貼ることにした。
 みんなもその子が前で唱えている間は、自分の頭の中でも唱えながら、その子がちゃんと言えるかどうかを固唾を吞んで見守り、その子ができた時は大喜びし、突っかかったり、間違えたときは盛大にがっかりする。それが楽しいのか、とにかく挑戦したがり、何度でもリベンジしたがる。おさらいプリントも喜んでやる。宿題の計算カードも1日に何枚もやってくるのだ。
 何も特別なことはしていないし、教室に九九の掲示物を貼ったり、できたらご褒美をあげているわけでもない。できなかったら昼休み勉強させているわけでもない。
 みんなに応援してもらえる。残念だった時は、「ドンマイ!」と言ってもらえる。できた時はみんなが拍手をしてくれ、皆の前で、合格シールを貼ってもらえるというそれだけのことなのに、2年3組の算数の時間は熱いのだ。
 算数の時間だけではない。朝教室に入ると、私を待ち構えていたように「先生、聴いて!○の段が言えるようになったよ!」と、みんなして口々に九九を唱え出すのだ。休み時間も、「先生、問題出して~!」と、トイレまで追いかけてくる。
 そこで、「班のみんなで問題出しあって、どこの班が早く全員その段が言えるようになるか競争だね」と言ったら、言えない子にできる子たちが一生懸命に九九を教えているのだ。*(グッド)*
 さあ、この調子でいけば、12月の初めには、全員が九九を言えるようになるのも近いかも!*(チョキ)*頑張れ!3組!*(グー)*

スタートライン

2011-11-20 13:17:00 | 担任雑記
11月20日(日)

今朝は、昨日のどしゃぶりも上がって、久しぶりに、日曜日~!という感じで、ゆっくり目覚めることができた。
16日に授業研究会が終わった。10月は、指導案が決まるまで、1週間に2日は完全徹夜、毎日深夜まで残業し、日付が変わってからの帰宅状態が続き、休日出勤は当たり前で、そういう日も帰宅は夜の10時過ぎになってしまっていた。睡眠時間を削り、ほとんど給食だけで生きているような状態で、心身ともに不健康極まりない状態だった。
加えて、ガン検診で引っかかり、再検査やその結果待ちという期間も精神的にきつかったし、家庭の問題もあったりして、まさに試練の連続だった。
11月に入ってからは、指導案をもとに、いよいよ障害物リレーの授業が始まった。
突っ込みどころ満載の私の授業の盲点弱点,死角については、授業をやるたびに、子どもたち自身が教えてくれた。私の段取りの悪さ、指示の曖昧さ、危険予測の甘さ、ルールの不明確さ、時間配分のいい加減さ等など、私の指導案は、まさに、「机上の空論」でしかなかったことが、毎時間痛いほど分かった。
その失敗を反省し、さらに効率よく、的確に、安全に授業が進められるように毎回改良、訂正し、指導案を書き直した。子どもたちも、毎回の振り返りカードに、初めの頃よりできるようになったことや、友だちに励まされてうれしかったことなどをたくさん書けるようになってきた。
そうして迎えた16日本番の授業研究会。子ども達も朝から、いや、昨日からやる気満々で、3時間目に、最後のシュミレーションをした時も、返事の仕方ひとつにでも、やる気が感じられた。
でも、たった一人、朝からトラブルばかり引き起こしては友だちを泣かせ、私に怒られてばかりの児童がいた。(それは今日に限ったことではないのだが=年がら年中)
何度目かの注意も功を奏さず、彼は、給食の準備の時にも体操服袋で友だちを叩いていたので、頭にきた私はその給食袋を中庭に放り投げた。
「あなたは、今日のリレーには出しません!見学していなさい!」
 研究授業に入る前に、彼に最後の最後に、
「私に、何か言いたいことはある?」
と聞いてみた。
 そしたら、
「僕もリレーに出してください。」
と言うので、
「その前に言わなければならないことは?」
と言うと、彼は、朝からの自分の『罪状』をあげ、謝り、2度としないと約束をした。(そんなことを言ったって、彼の場合は、3歩歩く前に全部忘れてしまうのだが…。)
「分かった。でも、ただではリレーには参加させられない。先生と3つの約束をして。1つ目。今すぐ着替えて、掃除をがんばること。2つ目。次の自習時間は、立ち歩かずに、ちゃんと課題のプリントを仕上げること。3つ目。体育の時間は、チームのためになることをすること。先生の話を聞くことも、用意をみんなと協力することだって、チームのためになることだよ。3つ守れるなら、リレーに出してあげる。守れる?」
「ハイ!」
 果たして1つ目は彼なりに頑張った。2つ目は・・・・。
そして研究授業本番。2つ目がちゃんと守れなかったので、3つ目は頑張ろうとハリキリすぎたのか、一人一つの道具を持ち運んで準備することになっているにもかかわらず、彼は一人で4つも5つも道具を運んできてしまい、
「先生、○○君が僕の分まで持っていった~!」
と、初っ端からトラブル発生だ。
「うん、○○くんは今日はチームのみんなのために働こうと思って張り切りすぎちゃったんだね。みんなも協力して、仲良く準備しようね。」
と、双方なだめながら、内心は先が思いやられる思いだった。
 ところが、子どもたちはそれぞれ頑張り、トラブルも喧嘩も怪我もなく、無事にドリル運動も、試合の準備も対戦相手の確認もできた。
 
いよいよチーム対抗リレーが始まると、皆の本気の走りの中にも、ドリルで練習した成果や、けがをしてチームに迷惑をかけないように気をつけて走っていることが、見ていても良くわかり、一生懸命応援し合う声が体育館中に良く響き、ふざけた態度の子どもは一人もいなかった。
 勝敗も、勝ち負けがはっきりしているところはいいが、同点とか、勝ったけど、フライングがあったところなど、ルールに従い、お互いにもめたりしないで、話し合って勝敗を決めたりなど、とても立派だった。
 何より、先ほどの○○くんが、クラスでも足の速い男子とアンカーで競った時に、ちーム全員が大きな声で応援し、僅差で勝った時に、相手チームからも拍手が起きたのだ。 教室に帰ってからも、
「○○くんすごかったね」
「頑張ったね」
とみんなに声かけてもらう度に、
「△△君が速かったから、負けたくなくて頑張ったんだ。でも、やっぱり△△君は速いね」
と言ってたら、当の△△君は、
「○○くんも速いよ。今日はコーンを回るとき、滑っちゃったけど、次は負けないからね」
なんて会話が聞こえてきた。

 私がこの授業を通して、子ども達に身につけさせたかったことは、3年生の『ハードル』の実技につながる技能や走力はもちろんだが、それよりも、自分たちで決めたルールを守ろうとする意識と、お互いに見合って、良いところをほめ、失敗したら励まし、教え合う気持ち、そして、勝敗にかかわらず、互いの健闘をたたえ合うことができる気持ちを育てたかったのだ。
そして、いっぱい運動して、皆で協力して、
「楽しかった~!」
「できなかったことができるようになって、褒めてもらってうれしい!!」
「次の体育もがんばるぞ~!!!」という表情で、教室に戻って来れるようにしたかったのだ。

 指導案検討会では、
「技能面のどんな力をつけさせたいのかという視点と手立てがない」
とか、
「精神論ばかりが優先されている指導観だ」
という指摘が多かった。
「その前の授業の時、けが人続きだったので、本番はけが人が出なくて良かった」
と言ったら、
「怪我がなくて当たり前です。体育の授業でけが人が出るのは今までの指導の仕方に問題があるからです。」
と一喝された。
「いつもはみんなに迷惑ばかりかけて、ルールも守れない子が準備も後片付けもがんばって、本番も大活躍だったので、皆も褒めてくれて、私も『良く頑張った』と抱きしめてあげました。」
と言ったら、
「それは、公平性がありません。他にも頑張った子たちがたくさんいたのに、28人全員抱き締めてあげましたか?」
と言われた。 私も、授業が終わったばかりでうまく頭の中でまとまらないまま、感想のような反省を口走ってしまったことを反省した。

 小学校の体育の授業の経験も浅く、初めての小学校担任で、全く畑の違う未知の領域での指導案作りと授業だった。
学年の先生方のご指導、ご協力、そして、子どもたちにも随分と助けられた研究授業だった。
 素人の私がつけてあげられる技能などはたかが知れているが、この研究授業への取り組みを通して、私と子ども達の絆がより一層強まった手ごたえは、私だけでなく、子どもたちも皆感じていると思う。
 授業後の、反省会ではかなり辛辣な、でも貴重なご意見、アドバイスをいただいた。それだけ、真剣に私の授業を見てくださっていたのだと、心から感謝し、それを残り3回の授業だけでなく、普段の授業にも生かしていきたいと思う。
 指導案を作っている最中は、苦しくて、辛くて、逃げ出したくて、放り投げたくて、やめたくてもう、どうしようもないくらい、心も体もボロボロだったけど、授業後に見た子どもたちの笑顔や、うれしくなることがいっぱい書かれた「振り返りカード」を読んでいたら、今までの苦労なんて、いっぺんに吹き飛んでしまった。
 指導主事の先生からは、
「レベルの高い授業をされていますね。去年の研究授業の反省点の改善点も、安全への配慮も、子ども達の運動量の確保も良くできていました。ルールに対しての子ども達の態度や、一生懸命応援している姿も良かったです。先生の話を良く聞いて、指示も通っていたのは、先生と子ども達の関係が良好だからですね。このクラスの児童はとても元気があるので、あんな狭い体育館ではかわいそうです。ぜひ、外で思いっきり走らせてあげてください。」
とおっしゃっていただいた。 体育部の先生方からも、
「お疲れ様でした。3組はみんないい表情で、元気にいい動きをしていましたね。あのクラスをあそこまで育てたのはあなたですよ。自信を持ってくださいね!」
と言ってもらえた。
 泣きたくなることもいっぱいあった。書き直しても書き直しても、真っ赤に書き直され、駄目出し満載で、満足な指導案が書けなくて、悔しくて泣いて眠れない日もあった。頑張らなきゃいけない時に、睡眠不足から声も出なければ、体も思うように動かないときもあった。
 家事だけでなく、家庭も自分の健康も、時間も全部『犠牲』にして頑張ることに疑問と不満ばかりが募っていった時期もあった。
 誰のための指導案?何のための指導案?なんで講師の私がこれをやらなきゃいけないの?私の専門の美術なら指導案だって授業だって自信持って書けるのに、何で体育なの?それも、去年の研究授業の内容よりバージョンアップされたものって??私、去年の授業を知らないのですが。こんな事情も分からない、体育素人の私が、研究授業なんてやっていいのでしょうか?
 体育だけが授業じゃないのに、私が体調を崩すことによって、毎日の授業に支障が出始めていた。当初、グラウンドでの展開という設定だったのだが、雨天だったら研究授業の公開は中止だと言われていた。
 でも、他校の小学校の先生をしている友人たちからもアドバイスをもらい、励ましてもらった。
「体育は、普段の授業がそのまま表れるからね。研究授業の時だけきちんとなんかできないから。授業や生活場面で普段どう指導しているのかを見られるからね。」
「いい体育をした後の子どもの顔って、いい顔しているよ。いい顔していると、他の授業も、いい顔して一生懸命できるようになるよ。」
 この言葉に支えられ、励まされて頑張れたと思う。それと
「気負うことなく、素のままのあなたを出すことができれば、きっとうまくいきますよ」
という、友人の言葉と、直前の校長先生の
「いつものあなたで、のびのびやりなさい」
 という言葉にも背中を押してもらった。そして、何より、私のことを1/29ピースだと言ってくれるクラスの子ども達の頑張りに支えてもらった。突っ込みどころ満載の不完全な授業だったかもしれないけれど、今の私は、始めた頃より、ずっと体育の授業が好きになってきた。子どもたちのことも良く見てあげられるようになったし、子どもたちもちゃんと話を聞いて、指示通り動き、指示がなくても自分たちで考えて動けるようになってきた。
 ここが私の、2年3組の本当のスタートライン。クラスの子ども達と一緒にいられるのも、後4カ月。ここからもっともっと良くなるように、クラス皆で頑張るぞ!苦しかったけれど、この研究授業に取り組むチャンスに恵まれたことに、心から感謝します。

未来の子どもたちとの再会は…。

2011-10-31 01:32:00 | 担任雑記
10月29日(土)

今日は、現勤務校の創立50周年記念式典があった。
去年から実行委員会が準備し、今年度に入ってからは、更にいろいろな準備が大変だったことだろう。
この2週間は、PTAの実行委員の方たちも、学校職員も、みな一丸となって、今日のこの日のために、夜遅くまで準備を進めてきた。
果たして本番は、見事に晴れ上がり、一期生をはじめとして、たくさんの同窓生や、この学校で教鞭をとられた先生方、地域のボランティアの方たちなどをお招きし、式典と祝賀会が行われた。
第一部は、高学年が参加しても厳粛な式だったらしい。
第二部は、低学年も参加しての卒業生によるコンサートや、全校合唱な、スライド上映などがあった。
第三部は、場所を近隣の駅のホテルでの盛大な祝賀会だった。

第二部が終わって、教室に帰ってから、子どもたちはいつか自分達が大人になった時には、今度は自分達がこういう式典を企画したり、記念誌を発行するんだと言う話で盛り上がった。
そしたら、子ども達が、
「その時、先生はいくつになっているんだ?」
「先生、今何歳?」
「高校生のお姉ちゃんがいるって言ってたから、40歳~だ?!」
「そしたら、百周年記念の時には、先生は90歳だ~」(実際には101歳ですが*(ニヤ)*)
「先生、その時、来てくれる?」
「その時まで生きていたら、どこに住んでいても、みんなに会いに来るから、忘れずに呼んでね。70周年でも80周年でも*(OK)*だよ」

子どもたちは、配布された50周年記念の記念誌を見ながら、自分たちが生まれるずっと前の小学校の様子を見たり、お父さんやお母さんたちも、自分たちの同窓生なんだと言うことを改めて実感していたようだった。
子ども達が何年か先に作る未来の記念誌には、輝かしい活躍や楽しい行事がたくさん書き込まれていきますように・・・。
どうぞ、大きな災害や、戦争などで多くの子どもたちの命が奪われたり、変わり果てた故郷になってしまうようなことがありませんように…。
もし、万が一そんなことが起きてしまったとしても、自分たちの故郷や母校、地域の人たちや同窓生たちで力を合わせて、頑張れる大人として子どもたちが成長して行ってくれますように…。
小学校2年生の時の担任を、みんなが大きくなっても覚えていてくれるかどうかはわからないけれど、私は、4月から受け持つことができた初めての自分のクラスの子どもたちの成長は、ずっと見守っていきたい。

今日は、その28人のメンバーの一人が転校して行く前の最後の日だった。昨日は彼のお別れ会だったのだが、その日の様子をデジカメで撮り、今までの写真やクラスメイト達からのメッセージをレイアウトしたアルバムをプレゼントした。
転校する彼への『2年3組卒業アルバム』だ。本人はもちろんご両親も大変喜んでくださり、クラスの子どもたちも大満足だった。
彼もまた、私のかわいい『うちのクラスの子』である。それは、彼がどこの学校に転向しようと、中学生になろうと変わることはない。
この学校が、60周年、70周年を迎える時にはぜひ、彼もまたどんなふうに成長しているのか、2の3のみんなと再会を喜び合いたいものだ。
それまで、私も元気でいないと。彼らの成長を見守り、見届けるのも、私の担任としての仕事であり、楽しみでもあるから…。
その時には、成長した彼らと一緒に、『世界がひとつになるまで』を大きな声で歌いたいものだ。