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交流

アニメ映画『川の光』を見て

2009-07-20 10:08:30 | アニメ


NHKで放映されたアニメ映画『川の光』を見た。
http://www.nhk.or.jp/savethefuture/kawanohikari/

ストーリーもキャラクターも、音楽も良かったが、やはりなんといっても山本二三美術監督の背景の美しさに目も心も奪われてしまった。

ネズミたちの目線で描かれた背景、鳥の目線で描かれた鳥瞰の背景、見過ごしてしまいそうな自然の風物の美しさや繊細さを見事に描ききっていた。

環境問題などいろんな要素がもりこまれていても、けして説教くさくなくて、見た後、すごく心がポカポカして幸せな気持ち、<優しい気持ちになれた。

ぜひ、親子で、小さいお子さんがいるご家庭では家族揃ってみてほしい作品だ。


ヱヴァンゲリヲンの『序破急』と、『さなぎ』の14歳

2009-06-21 08:30:05 | アニメ


『エヴァンゲリヲン』にハマって一週間。ついにTVシリーズ26話全話と劇場版 『DEATH & REBIRTH シト新生』劇場版『THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を見た。

TVシリーズについては、物語とキャラクターの設定、演出の仕方は当時としては斬新で画期的だなと思って観ていた。しかし、回が進むに連れて、物語の構成やテーマがだんだん複雑化して、設定を生かしきれていないし、何が言いたいんだか散漫で、独りよがり的な展開になってきた。TV版25話と26話などは止め絵と文字だけで、動画も背景も制作が間に合わなかったのかというような印象を持った。止め絵でキャラクターの口パクだけの動画、声優がセリフを読み上げ、文字だけがフラッシュする演出は、セリフの内容を強調し、登場人物の心理描写に視点を置いているつもりだろうが、アニメーションとしてはただの手抜きである。音声を消したら何も伝わってこない。これはアニメではなく、『紙芝居』だ。
第1話は、製作者側のすごい意気込みやら野望やプライドを感じる画質と演出だっただけに、25話と26話は尻切れトンボの無責任な終り方だなと思った。
劇場版(『シト新生』と『Air/まごころを、君に』)を見て、納得はしなかったけれど、25話と26話を一応映像化はしてみたんだな。とは思った。
それでも、やはり何が『人類補完計画』なんだかさっぱり分からなかった。
おそらく、制作者側も、「とりあえずはできたところまでで公開してしまおう」みたいな見切り発射的な公開の仕方と、不完全燃焼しか残らなかったのではないか・・・。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の『序』とは、『序破急』の『序』から来ているそうだ。『序破急』とは物語の“起承転結”、舞台の“三幕構成”と同義語であると言うことだ。
『新劇場版:序』は6話までの焼き直しと言うか、10年後対応リメイク版という感じった。
TVシリーズと言う低予算とハードスケジュール、テクニック不足でできなかったことを10年後の技術と予算でじっくりかかって制作することができたのだろう。
何度も同じ話をベースに作り替えながら、往年のファンを納得させ、新しいファンを獲得していくのは至難の業だと思う。

『序』で面白かったのは、背景動画だ。TVバージョンではあそこまで凝ったら、逆に怒られてしまう。でも、劇場版だからこそ、細部まで神経の通った『魅せる』背景、動く背景が出来上がったのだろう。
要塞都市『第3東京市』自体が1つの重要なキャラクターとして、『人格』と言うか、『意思』まで持っている感じがした。
リリスを守るために最後は使徒と刺し違えて自爆しても『サード・インパクトを未然に防ぐ装備と覚悟のある都市。
その都市を最終的に破壊するのが、皮肉にも18番目の使徒である『人類』とは・・・。(このラストを『急・FINAL』ではどう表現されるのだろう・・・)

TVシリーズでも、それまでの劇場版でも語られなかったエピソードとして、シンジが葛城ミサトに対し、エヴァに乗ることの恐怖と、ミサトたちは安全な場所で指示を出すだけなんてズルイと抗議するシーンが印象的だった。
ミサトはシンジを連れて、地下に眠るリリスに会わせる。
その時に、この要塞都市第3新東京市の地下空間(ジオフロント)と特務機関NERV(ネルフ)で働く全員が、使途を殲滅するのに命がけで取り組み、万が一使徒進入を許した場合は使徒と刺し違えてでも『サード・インパクト』を未然に防ぐための自爆装置を持っていることを告げる。
三度めのエヴァ搭乗を決意するシンジの手をミサトが強く握ったとき、それに応えるように握り返してくるシンジの指先の動きがとても印象に残るシーンだった。

TVシリーズでは謎のままだった渚カヲル君の活躍が期待されるようなラストシーンだった。
公開が楽しみだ。

『エヴァンゲリヲン』を見ながら、自分のときの14歳、息子や娘たちの14歳、今まで出逢ってきた生徒たちの14歳をずっと考えてきた。

思春期は『さなぎ』の時代とも言う。
さなぎはその硬い『殻』または『繭』の中で、劇的に進化し成長し変化しているのだ。
やがて、時が経ち、『羽化』のときを迎える。自分で殻を脱ぎ捨て、繭を溶かし、中から自力で出てくるのだ。
中には変体の最中に力尽きて、そのままの状態で絶命する者もいる。
せっかく出てこられても、不幸にも他の生物の餌食になってしまう者もいる。
また、奇形で生まれてきて、子孫も残せず排除され、その命を終える者もいる。
「さなぎを破って出てきたら、枝につかまってじっと外の世界の冷たい風に晒されるほどその羽根は力強く鮮やかに色付き、飛び立つときを待つ。
『大空を抱いて輝く』ためにはそういうプロセスを踏まなければならないのだ。
だが、その『時』を大人の都合で勝手に早めたり、待ちきれずに殻を破ったりすると中で幼虫は死んでしまうのだそうだ。
『さなぎ』の時は、周りの大人もじっと見守り、待つ覚悟と余裕と忍耐を試されているのだ。


14歳。その内に秘めた未知数の可能性と繊細で柔らかな感性、危ういバランス。
『逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!!』(byシンジ)
『自己防衛』と『自己主張』、『自己欺瞞』と『自己肯定』、『自己達成』と『自己完結』・・・セルフコントロールって、難しい・・・。一番苦しいのは『自分と向き合うこと』。『自己満足』も『自己愛』もなければ、自分が生きている証を求め、『自傷行為』や『自暴自棄』に陥ってしまう。
自分を大切にできない人間は、他者を大切にすることはできない。
『自分が嫌い』で苦しむシンジ、それはアスカも同じ。
誰かに認められたい、必要とされたい、愛されたい。そのために人類の夢と希望と未来と命を背負って戦う14歳の姿は、あまりに痛々しい。

だから。
『あなたは死なない。私が守るから』(by綾波レイ)
『僕は君に逢うために生まれてきたのかもしれない』(by渚カヲル)
と言うセリフにシンジはグッとくるのだ。

完結編『急・FINAL』の制作はもう始まっているのだろう。
それに向かう「STEP」としての『破』が「HOP」の『序』を上回り、「JUMP」の『急・FINAL』で制作者も観客も充分に『補完』される作品として更なる進化を遂げていくことを祈る。

遅れてきたヱヴァンゲリヲン・ファン

2009-06-14 18:52:22 | アニメ


今更ながら、「新世紀ヱヴァンゲリヲン」にハマってしまった。

作品自体は以前から知っていたし、カラオケでも『残酷な天使のテーゼ』を歌ってはいたが・・・。

今回、6月29日から上映される映画版に先駆けて、第1話~8話まで無料配信されていたので、一気に8話分を見、最終話までのあらすじを読んだ。

まだ、キャラクターや物語の構成に分からないところがたくさんありすぎるが、10年前、社会現象になるぐらいの大ヒットになったのは分かるような気がする。

主人公が14歳というのは、子ども向け漫画の定番という感じだが、今、中学生を教える立場に立ってみると、この年齢設定は実に興味深い。

『海のトリトン』のトリトンも13歳。
ジブリアニメに出てくる主人公たちも13~15歳ぐらいが多い。
この思春期真っ只中にいる少年少女たち。
とても、純粋でありながら、子どもでもなく、大人でもない。善悪の判断も、自己コントロールもずいぶん危ういところがある。
小さい頃からの夢がどんどん現実味がなくなって、先が見えなくなってきて、いや、逆に、先が見えてしまっているから、夢を見ることをやめてしまうのかもしれない。
絶対的な存在だった大人たちの、ズルイところや情けないところばかりが目に付いてきて、『憧れ』る事もなくなってきて・・・。ついつい、反抗ばかりしてしまう。

人生経験がないまま、『正義』を振りかざして戦っていくうちに、相手の『正義』に気づかされ、苦悩する主人公たち。
勧善懲悪だけではないストーリーと、完全無欠・無敵ではない、どこにでもいそうな少年少女が主人公という設定は、さまざまな人間ドラマを生む。主人公の心の葛藤と成長が同世代の共感を呼ぶのかもしれない。
14歳。そういえば、セーラームーンの月野うさぎも同い年だった。

14歳の中学2年生が地球を、人類を救うのだ。
大袈裟とか、ありえない話ではないと思う。
未知数な彼らではあるが、自分も周りの人間もまだ気がつかない、『原石』を持っている。
失敗もするし、自信もない、怖気づいて、いざというときに力が発揮できないときもあるだろう。
でも、何かをきっかけに、飛躍的に伸びたり感性が豊かで、いろいろな影響を受けたり、学習能力や運動能力が高まる時期なのだ。
地球や人類の未来を背負って立つのは、今はまだ幼く多感な子どもたちなのだ。

中学生を教えていて、ピカソのゲルニカを通して第2次世界大戦を考えさせたり、『ファンタジア』で環境問題を考えさせたり、『ゴッホ』や『北斎と広重』でジャポニズムを考えさせたり、『仏像の見方』で、廃仏毀釈や文化財保護を考えさせると、すごい反応が返ってくる。
教える方が逆に生徒たちからたくさんのことを教えられ、気付かされる。それがたまらなく刺激となり、教える意欲につながってくる。

「吾十有五にして學に志す」有名な孔子の言葉だが、この15は、数え年であれば14歳のときに孔子は志を立てたのだ。
一般的には、江戸時代、武士の子どもが14歳で元服したということだ。
満14歳という年齢は、現在では、「少年法」の適用を受ける年齢でもあるが、やはり、14歳という歳は「自分を見つめ」、「自分の生き方を考える」大切な人生の岐路なのだろう。
その大切な時期に、教師という立場で立ち会えるというのは、とても光栄なことなのではないだろうか。
ピア・サポートでも、中学2年生のテーマは『セルフ・コントロール』。

碇シンジが、ピンチのときに言うセリフにグッと来た。
『逃げない!』
死んでしまっては元も子もない。危険からは逃げることも必要。『退路』を確保しておくのも兵法の一つだ。
でも、『自分自身から逃げない』覚悟と勇気は必要だ。

我が家にも、この8月7日で14歳を迎える中学2年生がいる。
彼女と一緒に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見に行こう。

スラムダンク『あれから10日後』完全版

2009-05-09 17:08:07 | アニメ


2004年8月10日、新聞6紙に一斉に掲載された全面広告。高校バスケを描いて一世を風靡した漫画『スラムダンク』が1億冊を突破したことを記念して、作者の井上雄彦が自ら広告主となり、多くの人々を驚かせた。
そこで立ち上げられた“『スラムダンク』1億冊感謝記念サイト”には、ファンからの感謝のメッセージが多数寄せられた。サイトのクローズにあたり、井上雄彦はファンのために一つのイベントを企画した。
2004年3月をもって廃校となった旧神奈川県立三崎高校を借り、'04/12/03~05、最終話から10日後の「彼ら」を、教室の黒板に描いた。

スラムダンクの『あれから10日後』とは-----
『スラムダンク』最終話を飾った「湘北対山王工業」戦。何ページにもわたってセリフはなく、すべて動きと人物の表情だけで表現された山王戦。鳥肌が立つのを抑えられなかった、あの衝撃的なラストシーンから10日後の「彼ら」。赤木晴子、三井寿、宮城リョータ、赤木剛憲、木暮公延、流川楓。そして、桜木花道――。
湘北高校のキャラクター達だけではない。数々の名勝負を演じてきたライバル達の「その後の日常」も描いた作品だ。

その作品が、写真集となって蘇った。新聞6誌に掲載された湘北高校メンバーの絵とともに。

巻末には英語訳が掲載され、『スラムダンク』の海外のファンたちも大喜びだろう。

表紙の海岸の写真は、桜木花道がリハビリを続けながら毎日見続けた海なのだろうか。
裏表紙の使い込まれた体育館のバスケットコートの床の写真がまたいい!!
キュッキュッというバッシュの靴底のすれる音や、ダムダムというドリブルの音が聞こえてきそうだ。

去年は上野の森の『井上雄彦・最後のマンガ展』ですごいエネルギーと感動をもらった。
今年は『あらから10日後・完全版』で泥沼の底から一気に浮上するくらいのパワーをもらった。
もう1度読み返して、さらにエネルギーを補給させてもらおう!

井上雄彦サイト
http://www.itplanning.co.jp/

SLAM DUNK -10 DAYS AFTER
http://www.itplanning.co.jp/slamdunk/


『崖の上のポニョ』と宮崎監督の言葉に励まされて

2009-05-09 16:33:26 | アニメ


本館のHPを更新中、こちらのサイトをしばらく更新していないのに気が付いて記事的には古いのだけれど、『崖の上のポニョ』について載せることにした。

2008年8月8日

『崖の上のポニョ』は、大学2年の息子曰く『久しぶりに楽しめたジブリアニメ』だそうだ。もう一回見たいとも言っていた。先日、NHKの宮崎駿監督の特集を見た。今の時代、あえてアナログの手描きにこだわったアニメ作りと、一つ一つのエピソードや、色使い、キャラクターの性格や表情、動きなど、一コマ一コマ妥協を許さず、大切に作り上げている姿勢に心打たれた。

私もかつて、アニメの仕事に携わったことがあるが、自分としては、いつも不完全燃焼で、矛盾を抱えながら仕事をしていたように思う。そう、『作品』ではなく、『商品』を描いていたのだ。描けば描くほど上手にはなるが、アニメ作りへの理想・夢、情熱のようなものが磨り減っていくような気持ちだった。
時間と予算に縛られて、それに見合った仕事をする。
3万円なら3万円の仕事。5万円なら5万円に見合うだけの仕事。
まだ駆け出しの背景マンには、作品ごとに絵柄を書き分けるのが精一杯で、描く力や品質を調整するなんてことはできなかった。
『腕に貯金する』つもりで、描き上げた『商品』には愛着を持たないようにし、(撮影後は焼却処分され、手元には戻ってこないのだから)とにかく背景を描くマシンになってがんばっていた。
テクニックは付いたが、絵を描くことが楽しくなかった。

そんな私が、結婚してアニメをやめ、子どもが生まれていっしょにお絵かきをするようになり、長男の入園と同時にはじめた人形劇に出会って、本当に絵を描く喜びと楽しさ、面白さを知った。自分が描いた絵や作った人形、脚本、演技で、こんなに喜んでくれる子ども達。いい物を作るために、みんなに喜んでもらえる舞台を作るために、誠心誠意、本気で取り組む仲間に出会って、本当に充実していた。このときに、『昔取った杵柄』や『腕に貯金』していたことが本当に役に立ったと思った。

そして今、中学校で美術を教えながら、その『昔取った杵柄』や『腕に貯金』していたことが授業に生きている。

宮崎駿監督は、「自分の作品が人を楽しませることにこそ自分の存在意義がある。」とおっしゃっていた。
『評価』や『講師の給料に見合うだけの仕事』という言葉にがんじがらめになっていた私を解放してくれる言葉だった。
私が教師という職業を選び、続けている理由。その原点に立ち返らせてくれる言葉だった。

お盆に帰省するが、ぜひ、故郷の両親といっしょに、もう一度『崖の上のポニョ』を見ようと思う。

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そして、帰省したとき両親も一緒に見たのだが、二人とも想像以上にハマッて見ていた。
映画館の入っているショッピングモールの書店で、画集を買ったところ、父は隅から隅まで眺めていた。

授業でもNHKで見たこの作品に書ける宮崎駿氏の命がけの取り組み方や、宮崎氏がコンポストーリーのラスト近く、車椅子に座っていたトキさんが、ソウスケを助けるために立ち上がり、夢中で駆け寄って抱きとめるシーンを泣きながら描いていたときの話をすると、生徒たちも真剣に聞いていた。

『崖の上のポニョ』の主題歌は、宮崎駿氏が『映画館から皆が、口ずさみながら出てくるような主題歌と言うことで作られたと言うことだが、紅白歌合戦にも出場したほどの大ヒット!

前任校の感謝祭(予餞会)では、3年生職員の出し物として『崖の上のポニョ』を踊った。そのとき、白いトレーナーに赤いカーディガンを着て踊ったところ、次の日から私のあだ名は『ポニョ』になってしまった。にくったらしい1年生には、『ポニョ』じゃなくて、『ボニョ』だ~」とからかわれたり・・・。(なつかしい)

ジブリの次回作は何だろう。命を削りながらの制作になるのだろうが、宮崎氏にはまだまだ現役で頑張ってほしいと思う。

『精霊の守り人』を目指して

2007-08-26 19:28:32 | アニメ


毎週土曜日のお楽しみ。
現在、BS11のNHK衛星アニメ劇場で放映中の
『精霊の守り人』http://weekly.yahoo.co.jp/25/moribito/index.html
『彩雲国物語』http://www.kadokawa.co.jp/saiunkoku/index.php

ストーリーの面白さ、登場人物の魅力、絵の上手さ・動き、表情の描き方は他のアニメの群を抜いている。
特に、背景の質の高さは圧巻だ。
『精霊の守り人』の背景画は、あのまま劇場用としても申し分ないほどの密度と表現力 だと思う。一枚一枚が『絵画』になっている。
毎回毎回、ため息が出るほどだ。

かつて、劇場で『もののけ姫』を見たとき、あの背景を見て、血がざわめき、逆流して、まさにかのアシタカの如くに右腕が暴れだしそうになるのを拳を握り締め、唇を噛んで我慢し、泣きながら画面に釘付けになっていた。

帰宅するなり、何かにとりつかれたようになってスケッチブックに描きなぐっていた。
悔しくて、悔しくて・・・・。
自分だけ取り残されたような気持ちになって・・・。
イメージはあるのに思うように描けなくなっている自分の腕に情けなくなって、不安になって・・・。
私は何をしているのだろう・・・。
筆を置いて、何年たったのか・・・。
描かなくなってどれだけ過ぎてしまったのか・・・。

あんなに描く事が苦しかったのに・・・。

何枚も描きなぐった絵は、下手くそだった。
思うように描けなかった。
すごく焦った。
でも、腕は覚えていた。
紙に水張する絶妙なタイミングを。
絵の具同士の相性を。
絵の具と水分の微妙な表現を・・・。

人形劇団に入ってすぐ、『ジャックと豆の木』のジャックのキャラクターデザインを描いていたときに、先輩に
「本当に絵を描くのが好きなのねぇ」
と言われてハッとした。

忘れていたのだ。
いや、自分で封印してしまっていたのだ。
絵を描く喜びを。
描きたいという意欲を。


「絵の上手いお前を選んだんじゃない」
と言われた時、
「美術っていらない教科だよね」
と言われた時、
自分の存在を全否定されたような傷つき方をした。

自分を見失ってもがき苦しんだ。


今、いろいろとしんどいことはある。
けれど、誰にも遠慮せずに絵が描け、今までやってきたことを生かせ、必要とされたり、誰かの役に立てることがすごくうれしい。
もっと上手に描けるようになりたいと意欲を持つ生徒に教え、その子の上達を見守ることや、美術を苦手に思ったり、嫌いだった子達が、少しでも好きになって、興味を持ってくれることがうれしい。

今、『精霊の守り人』の背景を見て、悔しさと言うのはない。素直に感動し、逆に創作意欲が掻き立てられる。

『もののけ姫』との出会いは、私の封印を解いた。

人形劇との出会いは、舞台芸術としての立体・空間表現の面白さを教えてくれた。

そして、図工・美術の授業を通して、教える立場でありながら、子ども達から教わることや刺激を受けることのほうがはるかに多い。

私は、今、アニメの世界からも、舞台の世界からも離れたところに身を置いている。

でもどんな環境や立場であれ、一人の表現者として、自分自身を封印することなく、貪欲に絵を描いていきたいと思う。

『精霊の守り人』のサイトを見たら、原作本があることを知った。
現在、1話~4話まで無料配信している。
自分自身に渇を入れ、活性化させることができる作品に出会えたことに感謝する。

『スラムダンク』にハマって1年

2007-08-26 19:25:42 | アニメ


1年前、バスケ部の教え子から『スラムダンク』の面白さを教えられ、夏休みにDVDでアニメを見、その続きが見たくてコミックを買い、すっかりハマって、完全版を読破した。

制作に6年もかかったという作品を一気に読み終えた後、作者に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
と同時に、連載当時、リアルタイムで読まなかった残念さ・・・。

遅ればせながらのファンではあるが、以来、すっかりハマってその熱は冷めるどころか、周りを巻き込むほど。
同時に今までさほど興味も無かったバスケが好きになり、自分ではできないけれど、生徒の試合を応援にいったり、バスケ部の生徒とは自分の学校の生徒だけでなく、他校の生徒でも、卒業生とでも、誰とでも仲良くなることができる。
いわゆる『スラムダンク世代』といわれる大人の人とでもすぐ打ち解けられるのだ。
スラムダンク効果はすごい!

当初、そんな私のハマリぶりを笑って見ていた娘(小6)もいつの間にかハマり、『スラムダンク』は今や彼女のバイブルとなり、中学に進学したら、女バスに入部するのを夢見て、毎日基礎練習に励んでいる。

昨年、3年生の副担任だったこともあり、テストや試合のたびに『諦めたらそこで試合終了ですよ』の名言を紹介し、入試直前にはバスケットボールの水墨画にその言葉を書いて貼り出し、皆にエールを送った。

そんな小さなきっかけでも、たくさんの『スラムダンク』ファンが生まれた。
最初は「何それ?先生、本貸してよ」
といっていた生徒たちも、卒業する頃にはいっぱしの論客ぞろいだった。
受験で引退したバスケット部の連中も、『先生、バスケがしたいです(涙)』とコメントを送ってよこしながら、高校受験を突破して行った。

今度の赴任先でも、『スラムダンク』ファンとバスケット人口を増やすべく、私の『スラムダンク』『布教』は続けている。


作品についてのキャラクター、ストーリー構成の良し悪しは、様々な人が書いている。
同感!と思うコメントもあるし、そういう視点で見るとなるほどと思うもの、いろんな先入観や表面的なことにこだわって、本質を見ていない人など、読んでいてなかなか面白い。

6年がかりで書かれた物語は、主人公たちだけでなく、作者自身の成長振りも目覚しい。
1億人突破記念に発表された新聞各紙の一面に描かれた湘北メンバーのイラストとコメント。桜木花道の『1番楽しんだのは自分かもしれない』というのはそのまま、作者の本音だと思う。

この夏、再度読み直して、更に新たな感動を覚えた。
この物語のすべてはの、あのハイタッチシーンのためであり、山王戦のの勝敗を分けたシュートが、ダンクではなく、あの『合宿シュート』だったことは最高だった。
ラストシーンの終わり方は、多くの『自称小説家』を生み出したことだろう。
それだけ創作意欲を掻き立てる登場人物たちだった。
名作は名作を生む。
あの物語を読んでバスケットを始めた人たちと同じように、今も、あの物語は自分自身の中で現在進行形なのだ。

それほどの影響力を持つほどすごい作品だと思う。
まだ読んだことのない人はぜひ、読んでみてほしい。
時代設定は古いかもしれないが、たとえ、更に10年、20年たっても色あせることの無い名作だと思う。

もし、私が作者であれば、連載終了10年を経た今、第2部を書くとすれば、登場人物も、時代もまったく新しい設定で書くだろう。ただ、物語の中で、回想シーンやエピソード、近況報告として第1部の登場人物に触れることはあるだろう。
設定としては、高校教師として赴任し、人気の停滞したバスケを復活させ、部顧問として再び全国を目指す小暮君の視点で見た物語として。
でも、桜木花道や流川楓を越すぐらい魅力的なキャラクターを活躍させるのは、至難のわざだなぁ・・・。