田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

マッサンのウヰスキー(2)

2014-12-15 21:55:53 | よもやま話・酒編
前のブログで、80年代熊本のアルコール飲料は、暗黒の時代と書きました。
折角ですから、今では想像もつかないブラックな時代を説明しましょう。
まぁ、熊本に限らず全国に共通する話ですが。

戦時中の原料不足の中、開発されたのが三倍増醸酒です。
米不足の時代だから、まあこれは、しょうがない。
戦後、米が豊作になっても、この技術を使い続けたのが問題です。
人は、いったん楽な方法を覚えたら、どうしても逃れられないのでしょうネ。
更に、大メーカーはもっと巧妙に儲かる手段を思い付いた。
70年代、もはや自身では、酒を造らないのです。
米を磨くべき手が、車のハンドルを掴んだのです。
そして、タンクローリー車は地方の酒蔵を物色して、酒を買い叩いたのでした。
あちこちから集められた日本酒は、活性炭を通して、砂糖・調味料・防腐剤で整えて、
自社ラベルを貼って出荷です。
自ら手を汚すこと無く稼ぐ!
2000年前後、日本の経済界が、何でも中国人に造らせたあげく、メードインジャパンの
ブランドで出荷して稼いでいたのを思い出しますネ。

やがて、買い叩かれていた地方の酒蔵の中に、立ち上がる蔵元が現れました。
先ずは、鑑評会だけの為の大吟醸酒を市販する事を。
その過程で、二級酒販売する事で安く提供出来ることに気が付いた。

さて、同じ頃のウイスキー事情。     
                     《 昭和25年・初代サントリーオールド 》
日本も高度経済成長時代に成り、日本人もやっとウイスキーを飲むように。
その時は、まだ殆どがサントリー・ウイスキーでした。
タヌキと呼ばれた黒い瓶をキープして飲むのがトレンデーと。
     
暫くして、ある賢人が気付いた。
おかしい? 
山崎のウイスキー貯蔵タンクの量が、日本中に多量に販売されたオールドと合わない事に。
そして、このウイスキーが、アルコール・砂糖を焦がしたキャラメル(色つけに使う)・調味料で、
文字通り水増しされてる事が判明した。

つまり、この時代、熊本に限らず日本人のほとんどが、このまがい物のウイスキーや日本酒を
飲まされていたのでした。
飲み過ぎた次の日は、人間モルモットよろしく、胸を抑え、頭を抱え、嗚咽に耐えたのです。 (笑)
そんなまがい物作りに反発したのが、マッサンこと竹鶴政考でした。
そして、やっと世に送り出したのが、ニッカウヱスキーです。
《 昭和15年・初代ニッカウィスキー 》   
《 昭和37年・初代スーパーニッカ 》    
       
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