田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

太宰府天満宮の梅

2015-01-29 15:27:03 | よもやま話・料理編
1/14(水曜日) ニュースで、太宰府天満宮の有名なご神木 “ 飛び梅 ” が開花したと。
九州では、この太宰府天満宮は、学問の神様としてなかなかの人気スポットになります。
お参りの後は、梅ケ枝餅(うめがえもち)をお土産に購入しましょう。
受験勉強の夜食用に使うと、縁起が良いかもしれません? 
或いは、いよいよ追い詰められて、最後のお願い用に。 (笑)
ヒゲの太宰府天満宮へのイメージは ・・・
菅原道真公が京都から左遷されて、九州の地で不遇をかこった場所としてありますが。
    

70年後半、京都・松山閣の調理場。
部屋からの指令で、仲間のひとりが、九州・博多の地で長期の 『 スケ 』 をする事に。
助制度とは、何処かの店で調理師に急な欠員が出た時なんかに、いわゆる口入れ屋さんが
臨時に料理人を派遣するシステム。
一日だけから、長期に渡るものがあります。

その日の夜、ヒゲを入れた調理師三人で送別会をする事に。
松山閣を下りた麓の中華料理店で、宴は始まった。
やがて、酒もまわってきました。
送別の主役 「 オーイ、片山。 俺は九州まで流されるンやで! とほほ・・・ 」
涙が溢れんばかりの嘆き様です。
ヒゲ 「 先輩! 九州云うても博多辺りは、なかなか都会ですヨー 」
九州出身のヒゲとしても、一応博多の良い事をアピールしとかないといけません。
しかし、主役 「 なに云うてんねん。 もう、俺は都落ちや。
         九州の和食店なんて、ひど過ぎて、俺たちの仕事とまるで合わん事は有名や 」
なるほど当時は、仕事のレベルや心構えで、月とスッポンほどに違うのは、よく知れ渡っていました。

菅原道真公の時代から70年代に至るまで、都人にとっての九州と云う土地は、
とんでもない遠い処だったのでしょうね。
まるで、流刑地に送られるような囚人の心持ちか?
 東風吹かば  匂ひおこせよ梅の花
  あるじなしとて  春な忘れそ 
   
                                
そして、数年後、まさか九州出身のヒゲが、熊本で同じ感慨を味わいさせられるとは、
思いもしませんでした。

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