田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

天ぷらへのいざない~油物

2018-02-10 19:08:50 | よもやま話・料理編
京都の板長が一番腐心するのが、油物でした。
それは、もう伝説と云うべき話しが伝えられているからです!
時は70年代、京都の料亭。
有名料理長が勤める処です。
当時は、油物(揚げ物)といえば、天ぷらが一般的な頃でした。
                 
その日の板長、ご機嫌です。
常連客のコース料理の油物に、天ぷらの替わりに『会心の献立』を
組むことが出来たからです。

宴が終わり、板長は意気揚々と客を見送りに行きました。
くだんの常連客は、振り返りながら板長に言った。
「 今日は、ご馳走の出なかったネ?! 天ぷらが無かったもん。 」
板長が青ざめたのは、言うまでもありません。
この伝説は、たちまち京都の料理人の間に語り継がれました。

揚げ物と言っても、変わり衣揚げみたいなモンではいけません。
海老にゴマや春雨なんかを揚げ衣にまぶすみたいな程度では、仕事とは言いません。
趣向をこらして、しかも気が利いていなければならないから厄介。
あか抜けていることは、絶対条件です。
              

京都では、同じ仕事を繰り返すのを、良しとしません。
  「 いつ行っても、同じしモンが出る。 」
  「 あそこは、いつも海老の天ぷらヤ。 」
料理人には、震え上がるようなセリフ。無能者とののしられている言葉なんです。
だから、天ぷらを何か違う揚げ物にしようと考えるのですが ・・・ 。
          

戦後のある世代の客には、天ぷらは“ご馳走”でした。
松花堂弁当の一枠に天ぷらが入っていると、この世代は満足顔でしょう。
      

又、気が利く板前が、天ぷらの枠に焼き物を持ってきたしても不思議ではありません。
まながつおの西京焼きなんか出すと、オシャレですよね。
しかし、このチャレンジは冒険かもしれません。
冒頭の板長と同じ轍を踏む可能性があるのです。
満足感と満腹感の間には、微妙な壁が在るからです。

                  

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コメント (2)
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