ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

紅葉 馬場花木園

2024年12月05日 10時49分50秒 | 旅行
馬場花木園に紅葉を見に行く。紅葉の穴場である。園内はほとんど人がいず、静かである。1時間でも2時間でもボンヤリできるのがいい。家でボンヤリするよりは外でボンヤリする方がいい。しかし、都会では静かで落ち着いた雰囲気のある場所は少ない。

馬場花木園は横浜市鶴見区馬場にある日本式庭園である。好きなところだ。場所が分りにくいので穴場になっている。

12月4日に訪れたが、まだ紅葉真っ盛りだった。今年の紅葉は遅い。




茶室があるが、予約しないと利用できない。



池に行く。






東屋で1時間半ほどボンヤリした。




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御朱印巡り 三の酉 大国魂神社

2024年12月02日 09時15分18秒 | 旅行
調布の布多天神社から府中の大国魂神社へ移動する。大国魂神社は武蔵総社で、ここは東京三大酉の市の一つである。賑わいは半端ではない。長い参道の両側に屋台が立ち並ぶ。





神門の両側に大きな熊手が飾ってあった。




酉の市の参拝客の他、七五三の親子連れも多かった。

大国魂神社の拝殿。重厚で威厳がある。


酉の市なので、摂社の大鷲神社へもお参りしたが、お参りする人は少なかった。




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御朱印巡り 三の酉 大鳥神社 (布多天神社摂社)

2024年12月01日 08時13分12秒 | 旅行
11月29日は三の酉だった。調布に鎮座する布多天神社を訪れる。摂社に大鳥神社があるからだ。

酉の市だから、熊手屋で賑わっているかと思ったところ、普段の境内と変らなかった。拍子抜けした。


黄色に染まったイチョウが目立つ。




大鳥神社は、拝殿の右側にあった。



この大鳥神社は、和泉国一ノ宮の大鳥神社から分霊したものだ。

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御朱印巡り 上総二宮 橘樹神社

2024年11月30日 09時29分22秒 | 旅行
上総二宮・橘樹(たちばな)神社を訪れる。外房線・本納駅から徒歩10分。

駅の案内板に「北東約800メートル」と記してあったが、方角が違う。「北北西約800メートル」である。

橘樹神社の祭神は、日本武尊の妻・オトタチバナヒメである。オトタチバナヒメは浦賀水道で、荒れた海を鎮めるために入水した。日本武尊がこの地にやって来たとき、亡くなった妻を忍び、ここに墳墓をつくった。これが橘樹神社の始まりである。




社殿の左側のイチョウが黄色に染まっていた。


境内に神池があり、古社の風格を感じさせる。



オトタチバナヒメの墳墓は社殿の背後にある。ここがどうしても気にかかる。
側面を歩いてみた。





樹木が生い茂っていて、墓のようには見えない。

少し離れたところから見る。





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御朱印巡り 千葉県茂原市 藻原寺 (日蓮宗本山)

2024年11月29日 08時25分58秒 | 日記
茂原八幡神社から藻原寺へ移動する。藻原寺は「もばらじ」ではなく、「そうげんじ」と読む。先に訪れた茂原八幡神社は明治以前はこの藻原寺の境内にあった。藻原寺を守護するお宮だったが、明治の神仏分離で現在地に移転した。

藻原寺は、日蓮宗の本山の一つである。日蓮宗の本山と云えば、身延山久遠寺だが、他に霊跡&由緒寺院が本山として数えられている。

藻原寺は日蓮宗の由緒寺院である。御朱印にもあるように「日蓮門下お題目初唱」の地である。ここで日蓮とその門下が初めて「南無妙法蓮華経」と唱えた。

藻原寺はその山門で有名である。竜宮城を思わせる山門で、こういう山門は他にもあるが、ここのそれは大きく高い。イヤでも目につく。


山門の前が大堂である。



境内は、紅葉が色づき始めていた。






御朱印は時間がかかった。丁寧に書くと時間がかかる。

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御朱印巡り 千葉県茂原市 (茂原)八幡神社

2024年11月28日 12時11分29秒 | 旅行
千葉県茂原市に鎮座する八幡神社を訪れる。八幡神社は各地にあるが、宗教法人としては単なる「八幡神社」として登記されているが、他の八幡神社と区別するために地名を付け加えるのが普通である。ここの御朱印は「八幡神社」だけである。メモ書しておかないとあとで分らなくなる。





鳥居横の大イチョウが真っ黄色に染まっていた。






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御朱印巡り 日本橋蛎殻町 水天宮

2024年11月24日 21時04分38秒 | 旅行
子授け、出産、子育てのお宮として名高い水天宮を訪れる。半蔵門線の水天宮前駅でおりる。

日曜日にお参りしたが、赤ん坊を抱いた夫婦で一杯で、ここを見ると、少子化がウソのようであった。

水天宮は、今は現代的なビルになっていて、都心の神社は変ってしまったと感じる。

新大橋通りから社殿を見る。


グルッと周囲を巡る。どこに神社があるのかと思う。



水天宮の入口




水天宮の祭神は、天御中主大神である。祭神は、妙見宮と同じで、北極星信仰が基になっていると思う。

他に平家一門の三柱を祀る。安徳天皇、建礼門院、二位の尼である。二位の尼が平家一門滅亡後、筑後川まで落ち延びて、水天宮を祀った。これが水天宮の始まりである。

ということで、水天宮の本宮は福岡県の久留米市の筑後川沿いにある。久留米藩主・有馬家が水天宮を守護神とした。有馬家の菩提寺である梅林寺の前に水天宮がある。

江戸時代、有馬家は芝赤羽根橋の上屋敷に水天宮を分霊した。これが江戸の水天宮の始まりで、明治時代になり、青山、日本橋蛎殻町へと移転したものである。

御朱印は期間限定の「ことはじめ」の御朱印ということである。

和歌が記されているが、栞の解説によれば、「神様の御座しますお宮に張り巡らされた長い注連縄のように平安の世が末永く続きますように」ということである。島津藩主島津家より有馬家に嫁いだ晴姫の歌である。

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御朱印巡り 千葉県君津市 人見神社

2024年11月09日 20時20分55秒 | 旅行
君津市の人見山の山頂に鎮座する人見神社を参拝する。階段で上がると、20分ほどかかるという。足腰を鍛えるにはもってこいだが、ほとんどの人は車を使う。

人見神社は、もともとは妙見宮であった。妙見信仰は神仏のどちらとも云えない。明治期の神仏分離により、神社かお寺か、どちらかになった。ここは神社となった。神社となったのはいいが、妙見菩薩を祭神とするわけにはいかない。そこで天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祭神とした。

人見神社の社殿。右にコンクリート製の建物が見えるが、これが観音堂である。神社の社殿と観音堂が並立しているのが珍しい。他にこういう形になっているところがあるだろうか?




観音堂。観音堂の管理は人見山の下にあるお寺がやっていて、年に数回、扉をあけるという。


山頂から君津市を見る。



高い煙突は、日本製鉄の東日本製鉄所である。


御朱印は、神職さんが七五三の御祈祷をしていたため、15分ほど待った。1人で仕事をしているのかと思ったが、帰りに若い男の神職さんが車で上がってきた。タイミングが悪かったようだ。

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御朱印巡り 千葉県木更津市 光明寺 (切られ与三郎の墓)

2024年11月07日 09時33分09秒 | 旅行
木更津駅西口駅前にある光明寺を訪れる。「切られ与三郎」の墓があるという。

切られ与三郎は歌舞伎「与話情浮名横櫛」の主人公である。歌舞伎の主人公の墓とは珍しい。

もっとも私は歌舞伎にはまったく詳しくない。そういう人がほとんどではないだろうか。

切られ与三郎は知らなくても、その相方であるは知っている。高齢者世代には懐かしい春日八郎の歌った「お富さん」で知っているのだ。

テンポ良く歯切れのいい曲である。

”粋な黒塀 見越しの松に 仇(あだ)な姿の洗い髪 死んだはずだよ お富さん 生きていたとは お釈迦様でも 知らぬ仏(ほとけ)の お富さん エッサオー 源冶店(げんやだな)

過ぎた昔を 恨(うら)むじゃないが 風もしみるよ 傷の痕(あと) 久しぶりだな お富さん 今じゃ異名(よびな)も 切られ与三(よさ)よ これで一分(いちぶ)じゃ お富さん エッサオー すまされねぇ」

木更津駅前観光案内所に与三郎・お富の浮世絵がある。


光明寺は観光案内所の対面にある。光明寺入口という看板がある。塀で囲まれているわけではなく、開放的なお寺である。


早速与三郎の墓へ行く。案内板がある。


これが与三郎の墓である。こういう墓は、墓石を削り取られたりすることがあるが、そういう人はいないようである。森の石松の墓とか鼠小僧次郎吉の墓は網を被せられ保護されている。

切られ与三郎のモデルになったのは、中村大吉という人物で、その墓は東金市にある。とすると、ここに葬られているのは誰?

余計な詮索はやめよう。



本堂をお詣りした。日蓮宗の寺院である。




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御朱印巡り 静岡市清水区興津 清見寺

2024年04月01日 14時40分51秒 | 旅行
清見寺は、東海道本線・興津駅から徒歩15分のところにある。

お寺の境内を東海道本線が走っている。踏切を越えてお詣りするというのが珍しい。

入口。


東海道本線。


階段を上がり、境内に入る。別の場所に跨線橋を渡る入口がある。



境内。


仏殿。清見寺は、臨済宗妙心寺派の寺院である。


ここは文化財が豊富な寺院で、内部を拝観しなければもったいない。

名勝清見寺庭園。徳川家康が愛したという。



書院。明治天皇お成りの場がある。


これは、白隠禅師の自筆絵である。先日訪れた松蔭寺は見ることができなかったが、ここで拝観できたのは意外だった。




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御朱印巡り 静岡市由比 地持院

2024年03月27日 08時59分56秒 | 旅行
駿河國二の宮・豊積神社を参拝したあと、隣にある地持院(じじいん)を訪れる。臨済宗妙心寺派の寺院である。明治以前は、豊積神社の別当寺だった。

豊積神社が樹木鬱蒼とした暗い神社だったのに比べると、こちらは白砂利を敷き詰めた明るい寺院という印象を受ける。暗と明の対比が際立つ。




本堂。本尊は地蔵菩薩。御朱印も地蔵菩薩である。


境内に可愛い地蔵像があるが、みまもり地蔵である。


枯山水の庭園が美しい。これを見ながら、住職さんとしばらく話した。



地持院の清浄感は並々ならぬものがあるが、これを維持するのは大変だ。息子さんも住職で、二人でやっているという。

いいお寺なので、由比に行くことがあったら、是非立ち寄って貰いたい。

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御朱印巡り 駿河國二の宮 豊積神社

2024年03月25日 14時54分58秒 | 旅行
駿河國二の宮・豊積(とよづみ)神社を参拝する。東海道本線・由比駅から1キロほどのところに鎮座する。

延喜式内社で創建は古く、天武天皇の御代だったとされる。当初は豊受姫を祭神とする神社だったが、791年にこの地に広まった浅間信仰を受け、木之花佐久非毘売命を祭神とする。


境内は狭い。入口が狭苦しい。







毎年元旦から3日間行われるお太鼓祭りのモニュメント。916年、坂上田村麻呂がここで戦勝を祈願し、東北に遠征をした。戦勝の帰りに、この地に元旦に戻ってきて、3日2晩太鼓を叩きまくったという故事に基づくお祭りである。


豊積神社は無人の神社である。御朱印は社殿の回廊に置いてある。

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御朱印巡り 結城総鎮守 健田須賀神社

2024年03月19日 16時03分14秒 | 旅行
結城総鎮守の健田須賀(たけだ・すが)神社を訪れる。結城駅から徒歩で10分ほど。

御朱印を見て分るとおり、健田と須賀が並んで記されていることから、もとは二つの神社だった。須賀神社に健田神社を合祀したが、健田神社の方が古く、延喜式内社だった。

参道を歩く。



社殿は、参道の正面ではなく、右横にある。位置がおかしいように思える。

社殿の正面にも鳥居がある。こちらの方が正面であるように思えるが、鳥居前は広場になっている。昔はどうだったのだろう。



祭神は、武淳川別命(健田神社)と須佐之男命(須賀神社)である。

武淳川別命は結城の国造・竹田氏の祖神である。健田神社は創建が不明であるが、延喜式内社であることからも分るとおり、古くから信仰されていた。結城家の菩提寺であった乗國寺内にあったが、明治の神仏分離で須賀神社に合祀された。

須賀神社はもともとは天王社で、尾張の津島神社から勧請し、1242年に創建された。明治元年に須賀神社と名を改め、明治3年に健田神社を合祀した。


神社の横が広大な広場になっている。ここに何があったか、気になるところである。

御朱印は本社のものしか貰わなかったが、社務所には他にも多数の御朱印の見本が貼られていた。ここが管理する神社は42社ということだった。

結城は結城紬で有名だが、街並みを見る限りでは衰退しているように思える。(下館も同じ。)



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御朱印巡り 筑西市 羽黒神社

2024年03月17日 09時03分11秒 | 旅行
筑西市に鎮座する羽黒神社を参拝。水戸線・下館駅から徒歩で13分ほど。

下館の祇園祭の中心となる神社である。

1481年、出羽三山の羽黒大神を勧請した。御朱印も羽黒大神と記されている。それ以前は愛宕神社だったという。





銅板葺の社殿。雨漏りしないような銅板を使用していると、宮司さんが説明してくれた。

祭神は、大己貴命、玉依姫命である。


祇園祭に使用する御神輿は坂下にある美術館に展示されている。


大きさは大したことはないように見えるが、重さが半端ではない。2トンと1トンである。日本で一番重い神輿である。

この地方は無人の神社が多く、管理する社がどれぐらいあるか、宮司さんにきいた。50か、60ぐらいあると云う話で、その多さに驚いた。地域の衰退とともに段々と氏子さんの力が衰え、祭を止めた神社も3つぐらいあるという。

宮司さんから真岡鉄道沿線の御朱印巡りのパンフレットを貰った。


七社巡りだが、真岡鉄道は運行本数も少ないので、鉄道利用だと日時がかかる。

①羽黒神社(下館駅)②千代ヶ岡八幡宮(久下田駅)③守鐵社(真岡駅)④大前神社(北真岡駅)⑤鹿島神社(益子駅)⑥亀岡八幡宮(七井駅)⑦八雲神社(茂木駅)

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御朱印巡り 静岡県沼津市 松蔭寺 白隠禅師ゆかりの寺

2024年03月14日 14時26分46秒 | 旅行
江戸時代の名僧・白隠禅師ゆかりの松蔭寺を訪れる。東海道本線・原駅から徒歩で15分ほど。

白隠禅師は日本臨済宗中興の祖といわれている。禅には興味なくても、内観法に関心がある人は名前を聞いたことがあるだろう。

松蔭寺は白隠禅師が住職をつとめた寺院である。臨済宗妙心寺の寺院であったが、今では独立し、白隠宗の大本山となっている。



山門。国登録の有形文化財である。


今の住職さんの方針なのかどうか分らないが、観光寺院であることを拒否しているようなところがあり、買えるような品は何も置いていない。御守もお御籤もない。禅宗らしいと云えば、その通りである。

由緒書もないから、徹底している。これではマズいと思ったのか、檀家さんが作成したお寺の案内がある。住職さんは関わっていない。

開山堂。ここに白隠禅師の木像が収められている。


開山堂は六角形のユニークなものだ。


開山堂の彼方に富士山が見える。


禅宗の本義に忠実な住職さんらしいから、御朱印もダメかと思ったら、書いて貰えた。「南無阿弥陀仏」と書いてあるのが不思議である。本尊は釈迦如来だからである。

住職さんに理由をきいた。「禅は区別しませんから」という答。ウ~ン、禅問答になってしまうな。

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