いわき市内のホテルに一泊した後、翌日、いわき駅から磐越東線に乗車し、船引駅で下車する。周辺は田村市である。
ここに蝦夷討伐で有名な坂上田村麿ゆかりの神社が鎮座する。大鏑矢(おおかぶらや)神社である。坂上田村麿が鏑矢を奉納したことに由来する。
駅から徒歩で十数分の地に神社があった。ここだけ樹木が茂っているのですぐ分かる。
御神門。
社殿。
<御朱印>
いわき市内のホテルに一泊した後、翌日、いわき駅から磐越東線に乗車し、船引駅で下車する。周辺は田村市である。
ここに蝦夷討伐で有名な坂上田村麿ゆかりの神社が鎮座する。大鏑矢(おおかぶらや)神社である。坂上田村麿が鏑矢を奉納したことに由来する。
駅から徒歩で十数分の地に神社があった。ここだけ樹木が茂っているのですぐ分かる。
御神門。
社殿。
<御朱印>
白水阿弥陀堂を見学の後、バス停でバスを待っていると、ちょうどタクシーがやってきた。これに乗り、小名浜にある住吉神社まで行く。
(小名浜)住吉神社は式内社で、東北総鎮守とされ、東北一社と呼ばれる古社である。全国に数ある住吉神社の中でも重要なもので、住吉神社七社のひとつとされている。
境内は狭かった。
<御朱印>
いわき駅からバスに乗車。25分ほどで白水(しらみず)阿弥陀堂に到着。阿弥陀堂は国宝である。この近辺で観光スポットといえば、ここしかない。
岩城国守に平泉の藤原氏から嫁入りした徳姫が建立したものである。いわき市は平泉と関連が深い。現在でも、いわき駅のある地区は「平地区」と呼ばれ、この白水阿弥陀堂がある地区は「泉地区」と呼ばれている。平泉から由来する。
JR常磐線にも泉駅があるね。ちなみに、白水阿弥陀堂は泉駅から行く方が近く便利である。
白水阿弥陀堂と呼ばれているが、「白水」の由来は「泉」の字を上下に分けると、「白」と「水」になるからである。
拝観料を払い、朱印帖を預けて、阿弥陀堂へ向う。
完璧な均衡美の阿弥陀堂で、国宝に指定されているのは無理がない。
建立されたのは1160年。平安末期である。
堂内は、かなり風化していた。建立当時は浄土を表す極彩色のお堂だったが、ほんの一部だけ復元されていた。
周囲は浄土庭園で、こちらは復元されたものである。
庭園をまわる。
紅葉の季節はなお素晴らしいだろう。
<御朱印>「願成寺」(がんじょうじ)とは阿弥陀堂のある寺院名である。本堂は阿弥陀堂を出て、少し歩いたところにある。ほとんどの人は無関心で、阿弥陀堂だけを見て帰ってしまう。
いわき市にある飯野八幡宮を参拝後、駅に戻る途中、子鍬倉(こくわくら)神社を参拝する。いわき駅から飯野八幡宮を参拝するときに、途中、子鍬倉神社の案内板を見たからである。
子鍬倉神社は式内社で通称「けんしゃ」と言われている。明治に県社第一号に定められたからである。この神社の重要性が分かる。
飯野八幡宮からの道は境内の横から入る形になっていて、広場のように見えた。
改めて階段にある鳥居にまわる。
拝殿。
<御朱印>
いわき市へ旅行する。国宝の白水阿弥陀堂をお詣りしたかったからである。
阿弥陀堂へ行く前にいわき駅近くの飯野八幡宮をお詣りする。駅の背後の丘陵地帯に鎮座する。
いわき市の神社についてはほとんど知らなかった。飯野八幡宮については、うろ覚えであったが、知識はあった。
鳥居と神橋と楼門。見事な楼門で圧倒された。
参道を歩く。
唐門である。
境内に入り、社殿を見る。重厚なつくりである。
<御朱印>
川崎大師、本堂と薬師殿をお詣りすれば、不動堂を落とすわけには行かない。
不動堂をお詣りするときは、一度外に出て、不動門から入るのがマナーというものだろう。
不動門。不動堂への参道が真っ直ぐ延びている。不動門は元は山門だったもの。大山門を建てた時に不動門として現在地に移築された。
不動堂。関東三十六不動霊場・第7番札所だが、今回は、霊場めぐりでお詣りしたのではない。
<御朱印>
川崎大師、本堂をお詣りした後、休憩室で休む。
目の前が庭園になっている。
太鼓橋を渡り、釈迦像の前に出る。
金ピカの釈迦像である。普段の剥げ落ちた仏像を見慣れた目にはケバケバしく映るが、これが本当の釈迦像である。東南アジアの釈迦像を見ても、すべて金色である。
日本の仏像も製作された当時は金色、極彩色であった。それが剥げ落ちたまま補修もされず現在に至っている。何故なのか、考えてみれば不思議である。
釈迦像の背後に映るのが薬師殿である。インド様式の建物で、築地の本願寺と同じである。何故こういう建物にしたのか、理由は不明。前の広場で盆踊り大会を催すらしかった。
<御朱印>
川崎大師を参詣する。何度お詣りしたか、勘定できない。
お詣りした理由は、新しい御朱印帳をスタートさせるためである。神社や寺院で御朱印帳を求めれば1ページは、その神社や寺院になるので悩む必要はない。
しかし、市販の御朱印帳となると、どの神社・寺院で始めるか、考えてしまう。やはり、有名なところで始めたい。
新しい御朱印帳は、寺院用にするつもりなので、やはり、川崎大師で始めようと思ったのだ。
川崎大師駅から歩き、普通は仲見世通りを見学するが、今回は省エネで、裏から入った。この方が近道である。
境内に入る。八角五重塔が見える。
ここから一度大山門まで境内の中を通った。
仲見世通りも人影はほとんどナシ。
境内も人影ナシ。正月の賑わいが嘘のようである。
<御朱印>「厄除遍照殿」である。寺院名は「平間密寺」である。
晴明神社から白峯神宮へ。歩いて行った。暑さにやられ、動くのが億劫になった。京都の夏は耐えがたい。ここが最後の立ち寄り場所である。
白峯神宮は崇徳天皇を祀る。もう一人、淳仁天皇もあとから合祀された。
京都魔界めぐりツアーは、崇徳天皇の御廟を見学して始まり、崇徳天皇を祀る神宮を参拝して終わった。
拝殿。
拝殿から本殿をのぞく。
球技関係者の参拝が多い。
この神宮は蹴鞠宗家の飛鳥井家の屋敷跡に創建されたからである。
本殿。
<御朱印>
(補足)
白峯神宮で思い出すのは、四国八十八カ所霊場の第81番札所の白峯寺である。坂出市の南の白峯にある。崇徳天皇の御陵は、ここにある。
白峯寺。
お寺に行く途中に崇徳天皇の廟所・頓証寺殿がある。
札所参りは忙しく、中には入らなかったが門から見ると、こういう風景だった。御陵はこの奥にあるが、普段は見ることができない。
白峯からは、しまなみ海道を見ることができる。
千本ゑんま堂から晴明神社へ。蒸し暑く、かなりバテていた。一条戻橋の近く、安倍晴明の屋敷跡に創建された神社である。祭神は、もちろん、安倍晴明である。
陰陽道といえば、この人の名前があげられる。
大きな神社ではないが、人気がある。
しかし、私が初めて京都に旅行したときは、安倍晴明という名前を知らなかった。晴明神社を知ったのは、何度か京都旅行をしたあとである。
安倍晴明像。この人は遅咲きで、40歳以降に活躍した。
<御朱印>
京都魔界めぐり2日目、金閣寺前で昼食をとった後、千本通りにあるゑんま堂を見学する。
千本ゑんま堂の正式寺名は、引接寺(いんじょうじ)である。本尊は、閻魔法王で、魔界めぐりにふさわしい。
小野篁が創建した。魔界めぐりに欠かせない人物である。小野篁は夜ごと閻魔法王の元に下りていったということになっている。六道珍皇寺で、閻魔法王の元に通ったという井戸を見た。
千本ゑんま堂は道路との境がなく、境内も砂利であるから、やや荒れているように見える。
本堂。
賽銭を入れるが、ここは上にある萬倍碗に投げるのが普通であるらしい。うまく入れば、ご利益1万倍であるという。小さいので投げ入れるのは難しい。
先日行った元乃隅神社では鳥居のハートマークに投げ入れるようになっていた。仕掛けは同じである。
ここは御利益1万倍というが、浅草寺の7月9日、10日なら4万6千日で御利益4万6千倍だから、浅草寺の方がいいのではないか…?
裏に地蔵供養池がある。
それに紫式部供養塔。小野篁のあるところ、紫式部あり。
<御朱印>
大将軍八神社を参拝したあと、一条妖怪ストリートを歩き、北野天満宮に向う。
今出川通に一の鳥居がある。
北野天満宮は菅原道真を祀る。いまや、学問の神様、受験の神様であり、魔界とどういう関係があるか、すぐには理解できない。
しかし、北野天満宮は、九州に左遷され無念の死を遂げた菅原道真の怨霊を鎮めるために創建されたものである。ここも魔界の一つである。
参道を歩く。
楼門を通る。
ここから少し左折して、三光門に至る。七夕風景だった。
社殿。
<御朱印>
京都魔界めぐり2日目、養源院を参拝したあと、北に向かい、大将軍八神社を参拝する。北野天満宮近くにある。
養源院は七条通の南にあり、大将軍八神社は一条通にある。南から北へと大移動したわけだ。効率的に巡るなら、こういうコースは作らないが、ツアーの場合はこういうことがある。
大将軍八神社はバスが入れない通りに面しているので、表通りから歩く。
ここは一条妖怪ストリートと呼ばれている。妖怪人形が並んでいる。
食べ物屋にも「妖怪コロッケ」あり。京都人の遊び心というべきか。六波羅蜜寺前には「幽霊子育飴」もあった。
大将軍八神社。方除の神社である。八は、陰陽道の暦神(八将神)を祀ることに由来する。理解しにくいが、我々はよく、どうしようもない状態を「八方塞がり」という。陰陽道では、全方角を八つに分けている。
平安京の北西を護る社として創建された。
陰陽道が分からないと、こういう神社の存在意義が理解できない。昔はこうだったと頭に入れるしかない。今でも方角を気にする人がいる。特に関西人は気にするらしい。手前に方位のオブジェがある。
収蔵庫(方徳殿)に約80体の神像が置かれている。
だいたい、上のような形だが、腕がない。切り落とされたのだ。腕を切り落とし、像の霊を抜いて、移動させたからである。仏像などでも腕がない、あるいは新たに継ぎ足したものがあるが、移動させるときに霊をぬいた跡である。
<御朱印> 「星神 大将軍」である。
2019年7月に参加した京都魔界めぐりの2日目。
まず、養源院を見学する。”血天井”で有名なお寺である。三十三間堂の向かいにあるが、このあたりはバスで行かなければならない。
養源院は、当初、淀君が父の浅野長政の追善のために建立した。その後、焼失し、淀君の妹、徳川秀忠夫人のお江が再建した。
中で説明を受ける。やはり、俵屋宗達の襖絵の説明が入念だった。
血天井は、今では判別しにくい。400年以上前のことだから。
外に出て、庭を見る。非公開らしいが、団体旅行のいいところで、庭園も拝観できた。
お市の方の供養塔がある。
それから裏手にお江の石塔墓があった。こちらの方が大きい。
<御朱印> ここは書き置きのみ。問題は、全然読めないこと。ワカラン。これで養源院とどうやって判別すればいい? 筆書きも読めません。「雨寳殿」と書いてあるらしい。しかし、「雨寳殿」とはなんのことか? 謎に満ちた?御朱印である。
相模國総社・六所神社を参拝したあと、バスで二宮駅まで行く。お昼だったので、何か食べようかと思ったが、駅前には食事の店が見当たらない。ローカル駅である。仕方ないので、駅前のセブンイレブンのイートインを利用する。ここのイートインは広い。
五所八幡宮を参拝すべく、比奈窪行きのバスに乗り、五所の宮バス停で下りる。目の前に鳥居があるのですぐ分かる。ちなみにバスは30分に1本である。
五所八幡宮が鎮座するのは、足柄上郡中井町である。二宮駅から20分ほどだったが、山の中である。
階段を上がる。少々歪んでいる。
社殿。無人だった。
社務所は、赤い鳥居を右に行ったところにある。社殿に張り紙がしてある。
<御朱印> 時間がかかった。待ちくたびれたが、御朱印の字体を見て、納得する。一筆入魂型の字体で、丁寧に書いている。
社務所の前は庭園になっている。
五所八幡宮の名前の由来だが、五所とあるから他の4つの神社を合わせていると思っていたら、五番目の八幡宮という意味らしい。宇佐神宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮、壺井八幡宮(河内)の次にできた八幡宮であるという。
疑問を感じるが、公式には、そういうことになっている。祭神の数が多いので合祀してできた八幡宮のように思えるが。
帰りのバスだが、停留所が離れている。下りたときと違う道路で、幹線道路にある。神社から右に向い、橋を渡り、幹線道路に出なければならない。神社前の道路には二宮駅行きのバス停はないから注意。
二宮駅に戻る途中、押切坂上バス停を通過する。相模國二宮・川匂神社は押切坂上から十数分歩くところにある。以前お参りしたことがあるので、今回はスルーした。
六所神社、川匂神社、五所八幡宮は一度にまわるのが効率的である。