ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

御朱印紀行 横浜市鶴見区 鶴見神社

2022年01月21日 16時10分49秒 | 旅行
武蔵総社の大国魂神社で、六ノ宮とされる杉山神社に興味が起きた。我が家の近場に杉山神社は数多く鎮座する。コロナ・オミクロン株の流行で遠出は避けたいから、杉山神社をまわってみようと思いついた。

近くの杉山神社(新吉田にある)を参拝すると、杉山神社は、安房忌部氏が鶴見川周辺を開拓するにつれ創建した神社だと、案内板にあった。地図で調べると、確かに杉山神社は、鶴見川沿い、その支流の早渕川沿いにあるものが多い。もう一つの方向は横浜を流れる大岡川沿いである。

まず鶴見川沿いの杉山神社をまわってみようと思う。御朱印とは離れてしまう。無人の神社も多いからだ。

鶴見川の河口に近い鶴見神社を参拝する。神社名称は変ってしまったが、もともとは杉山神社だったのだ。かっては杉山大明神と呼ばれた。横浜最古の社である。鶴見駅から徒歩10分ほど。






杉山神社の祭神は、五十猛命である。木の神様である。

社殿の背後にまわると、梅が咲き出していた。風は冷たいが、日差しは暖かみを帯びてきた。


杉山大明神から鶴見神社への名称変更は、明治時代の合祀政策により、21社を末社とする村社となったからだ。大正9年に鶴見神社に改称した。

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御朱印紀行 東京都国立市 谷保天満宮

2022年01月11日 16時10分03秒 | 旅行
大国魂神社参拝後、JR南武線の府中本町駅から谷保駅まで乗る。谷保天満宮は谷保駅から徒歩5分である。

谷保天満宮は御朱印にもあるように東国最古の天満宮である。

天満宮前は甲州街道である。



参道。


参道から階段を下り拝殿に出る。階段を下りるのは珍しい。立川から府中までは立川段丘となっている。多摩川が削り取った段丘である。谷保天満宮は段丘の中腹に鎮座する。一方、JR南武線は段丘の上を走っているので、下ってお参りする形になる。

もともと甲州街道は谷保天満宮の南側沿いを通っていた。この状態だと、谷保天満宮へは甲州街道から登ってお参りする形になるので、違和感は生じない。

多摩川の流れが変ることが屢々あった。多摩川は暴れ川なのだ。そこで江戸中期に、現在のような段丘の上を通る甲州街道へと道筋を変えた。ということで、下り参道という珍しい形になった。しかし、鳥居からは社殿が見えないので、余り気にならない。

下り参道として有名なのは、上野國一之宮の貫前神社である。

谷保天満宮は、受験シーズンと云うこともあり、参拝者で賑わっていた。



付属の梅園は、まだ咲いていなかった。2月中旬が見頃だが、今年はコロナが心配だ。


祭神はもちろん、菅原道真である。それにこの天満宮の元を造った菅原道真の第三子・菅原道武が祀られている。

謎は、この第三子の菅原道武が菅原家の系図に記されていないことである。

菅原道真の第三子は、菅原景行とされている。常総市にある大生郷天満宮の創始者である。

真相はいかに? 考え出すとキリがない。

なお、谷保天満宮は、もともとは梅香山安楽寺という神仏習合の寺だった。明治の神仏分離で谷保天満宮となった。


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御朱印紀行 武蔵國総社 大国魂神社

2022年01月10日 11時33分13秒 | 旅行
小野神社参拝後、聖蹟桜ヶ丘駅から府中駅まで乗る。大国魂神社を参拝する。徒歩5分である。

大国魂神社は武蔵國総社で、武蔵國一之宮から六之宮までを合祀している。ここへお参りすれば六つの神社をお参りしたことになる。


正月らしく参拝者が多かった。何よりも参道の両側に並ぶ屋台の数に驚いた。厳粛な雰囲気はなく、祭礼モードだった。





大国魂神社の祭神は、大国魂命である。大国主命と混同しがちだが、この地の開拓の神である。

大国魂命は中殿に祀られている。中殿の左右に東殿と西殿があり、六つの神社の祭神が祀られている。ここから六所神社と呼ばれたこともあった。

東殿には一ノ宮から三ノ宮まで。西殿には四ノ宮から六ノ宮が祀られている。

これによると、

一ノ宮は小野大神である。聖蹟桜ヶ丘駅近くの小野神社である。
二ノ宮は小河大神である。現在のJR五日市線の東秋留駅前にある二宮神社である。
三ノ宮は氷川大神である。現在の武蔵國一ノ宮にあたる大宮の氷川神社である。
四ノ宮は秩父大神である。現在の秩父國一ノ宮の秩父神社である。
五ノ宮は金佐奈大神である。現在の武蔵國二ノ宮の金鑚神社である。群馬県との県境に近い児玉郡にある。
六ノ宮は杉山大神である。杉山神社は川崎から横浜北部に多数存在し、そのどれに当たるのかは不明とされている。由緒書きによれば、横浜市緑区西八朔にある杉山神社が当てられている。東名高速の港北PA近くにあると確認できる。

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御朱印紀行 (武蔵國一之宮) 小野神社

2022年01月09日 17時06分48秒 | 旅行
(武蔵國一之宮)小野神社を参拝する。京王線・聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩で10分ほど。(武蔵國一之宮)とカッコをつけたのは、全国一の宮会に所属していないからである。

一の宮のガイド本は、全国一の宮会に所属している神社を記載しているので、この小野神社は漏れてしまっている。

小野神社は間違いなく武蔵國一之宮である。武蔵総社の大国魂神社に一ノ宮・小野大神として祀られているからだ。

全国一の宮会に入れなかった理由を聞いたことがあるが、政治的思惑も働いたものだろう。



随神門が立派だ。


境内は、かなり殺風景である。



社殿は朱塗りである。初詣も終わったためか、閑散としていた。


小野神社の創建は第3代天皇・安寧天皇の時代とされている。神話の時代で実際にいつ創建されたかは不明。祭神は天下春命(あめのしたはるのみこと)で、武蔵野開拓の祖神である。

「小野」という神社名は、この地が小野と呼ばれたからである。大栗川が多摩川に流れ込む地域で、三角州のような形状をしている場所である。

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御朱印紀行 東京都品川区 品川神社 東京十社のひとつ

2022年01月08日 10時10分09秒 | 旅行
京急本線・新馬場駅の前、京浜第一国道の向いに品川神社が鎮座する。東京十社の一つである。


鳥居に巻き付いた龍の彫刻が目につく。


創建は鎌倉時代。源頼朝が安房國一の宮の洲崎神社(洲崎明神)を勧請したことに始まる。

洲崎神社は3日にお参りしたが、品川神社との関係は全然知らなかった。祭神は洲崎神社と同じ天比理乃咩命である。その後に宇賀之売命、素戔嗚尊が合祀された。




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御朱印紀行 東京都品川区 荏原神社

2022年01月08日 09時53分13秒 | 旅行
京急本線の新馬場駅で下り、目黒川沿いに鎮座する荏原神社を参拝する。

旧東海道近くにある。目黒川に架かる旧東海道の品川橋。


品川橋から荏原神社を見る。赤い欄干が見えるから神社が近いということが分かる。


橋を渡る。荏原神社は、東海道・品川宿の総鎮守だった。





祭神は、高竉神(たかおかみのかみ)である。奈良県の丹生川上神社から勧請した。

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御朱印紀行 東京都品川区 天祖・諏訪神社

2022年01月08日 09時37分25秒 | 旅行
京急本線の立会川駅から天祖・諏訪神社へと歩く。徒歩5分。

立会川駅前の公園に坂本龍馬像があるのにはビックリした。


坂本龍馬ゆかりの地である。龍馬20歳の時、この地にあった砲台の警固に当たっていたという。

天祖・諏訪神社は、立会川沿いに鎮座する。





もともとは、立会川の東京湾沿いに天祖神社と諏訪神社があった。1965年にこの二つを合祀した。従って、祭神は天祖系の天照大神と諏訪系の建御名方神である。

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御朱印紀行 東京都大田区 磐井神社

2022年01月07日 17時09分38秒 | 旅行
東海七福神巡りのついでに神社の御朱印をゲット。磐井神社は御朱印に熱心な神社で、各月限定の御朱印がある。

由緒書によれば、延喜式内社で、武州八幡社の惣社に定められたと記載されている。八幡社なので祭神は応神天皇である。

鈴ヶ森に近いので、江戸時代は鈴森八幡宮と呼ばれた。

大きな幟が懐かしい。小さい時、お祭りに行くと、こういう幟が立っていたものだ。




14日までは御朱印紙で対応する。15日から直書きすると案内にある。

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御朱印紀行 東海七福神

2022年01月07日 15時58分01秒 | 旅行
東海七福神を巡る。元旦から成人の日まで御開帳される。総距離は5キロ、徒歩でも約1時間半で回れる。いずれの札所も京急本線の駅から近いところにあり、京急本線を乗り継げば楽に回れる。

①まず大森海岸駅で下りて、磐井神社(弁財天)を参拝する。弁天堂は別の社になっていた。




②大森海岸駅から次の立会川駅まで乗る。天祖・諏訪神社(福禄寿)は駅前にある。福禄寿は社務所の一角に置かれていた。




③立会川駅から青物横丁駅まで乗る。品川寺(毘沙門天)も駅からすぐ。ここは江戸六地蔵の寺である。毘沙門天像は薬師堂に置かれていた。




④青物横丁駅から新馬場駅まで乗る。新馬場駅周辺に4つの札所がある。まず荏原神社(惠比須)へ行く。惠比須像は鳥居の前にあった。




⑤荏原神社から旧東海道を歩き、一心寺(寿老人)へ。一心寺は品川成田山である。小さい寺で注意しないと見逃してしまう。寿老人像は本堂正面にあった。


⑥一心寺で細い路地の正面が養源寺(布袋尊)だと親切に教えられた。1分で着く。布袋尊像は本堂正面に置かれていた。





⑦養源寺から新馬場駅を通り抜けて正面の高台にある品川神社(大黒天)へ行く。大黒天像は階段下の鳥居横にある。



ここで東海七福神巡りを完了する。東海七福神の御開帳は、10日の成人の日まで。明日からの3連休でも回れます。

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御朱印紀行 安房國一の宮 洲崎神社

2022年01月04日 16時48分45秒 | 旅行
安房国の一の宮とされるのは二社ある。安房神社の他に、洲崎神社が安房國一の宮とされている。

安房神社と比べ規模が小さい。神職さんも常駐しているわけではない。平日は無人の神社である。書き置きの御朱印は常に置いてある。


背後の山は御手洗山という御神体である。山腹の中程に社殿がある。階段がきつく息が切れた。


社殿。



社殿横から天気が良ければ富士山を拝むことが出来るが、この日は晴れていたが、視界不良だった。伊豆大島が目の前に見えた。館山港からジェット船で1時間ほど。


祭神は、天比理之咩命(あめのひりのめのみこと)である。安房神社の祭神・天太玉命の妻である。ここから云えることは、安房神社は男の神社、洲崎神社は女の神社である。

洲崎神社には日本唯一という海底神社がある。分社で海中に社と鳥居がある。ダイビングの好きな人は興味が起きそうに思う。

(追記)洲崎神社は、源頼朝が戦勝祈願をした神社として名高い。石橋山の合戦に敗れ、安房国へ逃げてきた頼朝はここで戦勝祈願をした。その後に源頼朝は平氏に勝利し、鎌倉幕府を開いたのだから、洲崎神社(洲崎大明神)に対する信仰が篤いものだったことは疑いない。

品川の地に航海、戦勝祈願の社として、洲崎大明神を勧請した。これが今の品川神社の始まりである。

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御朱印紀行 安房國一之宮 安房神社

2022年01月03日 21時25分46秒 | 旅行
2022/01/03 安房国一之宮・安房神社を参拝する。初詣である。

1月3日なら空いていると思ったが、結構な人出だった。参道が長く、一之宮の風格がある。







祭神は、天太玉命(あめのふとたまのみこと)である。御朱印の左上に「匠総祖神」とあるように、産業を起こす神様である。起業したい人のお参りが多いという。

(追記)安房神社は「あわじんじゃ」と読むが、もとは徳島の阿波からきたものだ。徳島の忌部氏が黒潮に乗り、房総半島の先端のこの地にたどり着いた。従って、安房と阿波は同じ語源である。

方言の研究者によると、房総半島は下総、上総、安房とあるが、安房の方言は独特なものらしい。

安房の忌部氏のその後の動きは興味深い。上総、下総には進出しなかった。強力な先住民がいたのだろう。結局、東京湾をさかのぼり、横浜地区へと進出した。当時の横浜は無人だったのだろう。鶴見川沿いに開拓を始め、上流へと向った。鶴見川とその支流に点在する杉山神社は忌部氏が創建したものだという。

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