東新宿に鎮座する稲荷鬼王神社を参拝する。東新宿駅から徒歩5分。
ビルに谷間に古色蒼然として鎮座する神社である。樹木も茂っていて、都から勧告を受けていないのかと思う。こういう場所の神社は、災害防止のため、樹木は簡素化するところが多い。
鬼王とは珍しい神社名だが、当初は稲荷神社だった。その後、紀州熊野から鬼王権現を勧請し、稲荷鬼王神社となった。江戸時代は、新宿の中央にある唯一の神社だったらしい。鬼王は、平将門の幼名「鬼王丸」に由来するのではないかと思っていたが、宮司さんは否定した。
鬼というと悪いイメージが強いが、ところによっては、鬼を神の使いとするところもある。鬼を力の象徴と見る向きもある。
あとで宮司さんと話す機会があったが、頑固なところがある。
社務所に昔の映画のポスターが掲示してあった。これが懐かしい! 思わず見とれた。思い出すことも多い。
宮司さんから御朱印を貰う。宮司さんは早口で喋りまくる人だった。かなり時間がかかるので心得ておくこと。それから、御朱印を貰う前に、きちんと参拝しておくこと。宮司さんが云うように、御朱印は参拝した証である。
坂東三十三ヵ所めぐり、最後に残った第33番札所の那古寺を参詣する。
館山駅まで、横浜駅からの高速バスを利用し、館山駅から内房線で那古舟形駅まで乗る。駅からは15分ほど歩く。
坂道を上がると、仁王門である。
仁王像は、かなり劣化している。
仁王門から本堂へ向う。本堂は海に向って開いているので、回り込まなければならない。
本堂から房総の海を見る。温暖で、首都圏とは違う。テレワークの進展で、館山に住む人が増えているが、環境を考えると、これは納得できる。
多宝塔あり。那古寺は背後の崖の一部を削って建てられたものだ。
本堂前にある御朱印所は工事中で、下にある本坊で御朱印を貰った。結願寺なので、一番から三十二番まですべての御朱印が揃っていることを確認する。確認が終わると、御朱印の左上に結願印が押される。
発願の杉本寺をお詣りしたのは、令和元年の10月1日だった。旅行会社のツアーを利用すれば、1年ほどで回り終えると思っていたが、コロナ禍でツアーは中止。個人ですべてをお詣りすると決めたのは今年の春だった。結局、発願から2年2ヶ月ほどかかった。
佐竹寺を参拝後、西山荘(せいざんそう)に移動する。
西山荘は、徳川光圀の隠居所である。1691年から亡くなる1700年まで、ここで過ごした。徳川光圀は水戸黄門のモデルとして親しまれている。
土産物店の「桃源」から入り、7分ほど歩くと、西山荘の入口に着く。入園料は1200円である。高いなぁ。
西山荘を横目に見ながら、まず高台へ行く。
高台からは、西山荘の全体が眺められる。簡素さに驚く。西山御殿とも呼ばれているが、とても御殿には見えない。
高台を下りる。
西山荘には、池がある。
隠居所。豪農の家よりも簡素である。
葵のご紋が目に入る。
隠居後の徳川光圀は「大日本史」の編纂に務めたという。「大日本史」は幕末の尊皇原点になった。
ここに光圀が住んでいた期間は「花の元禄時代」に当たる。当時の世相には批判的だったと思われる。
坂東三十三ヵ所霊場第22番札所の佐竹寺を参詣する。水戸駅で水郡線に乗換えようとすると、踏切で自動車との衝突事故があり、2時間ぐらい運休していた。行きも帰りも水戸駅は混乱していた。
佐竹寺は常陸太田駅から徒歩で40分ほど。レンタサイクルで行くのが便利だ。
往事は隆盛を誇ったと云うが、今では境内も狭い。茅葺きの本堂が特徴だが、屋根は相当に古びていて、部分的に崩れてきている。奉賛金を集めているようだが、まだ目標額には達していないらしい。
境内は写真撮影禁止である。不作法な写真マニアがやって来て住職さんが腹を立てたらしい。
遠くから撮影したが、イチョウが邪魔をした。本堂は千社札が至る所に貼られていた。
坂東三十三ヵ所も、佐竹寺を詣り終えて、残るは結願寺の那古寺を残すのみとなった。
日輪寺をお詣りし、常陸大子駅に戻る。電車まで50分ほど余裕があったので大子町を散策する。
右側にコンビニがあり、椅子机が置いてあった。コーヒーで一服と思ったが、4時で終わりですと店員の云われた。イートインは4時で終わりだ。早い。もっとも地方は店じまいが早い。慣れていたので、ああそうか、と思っただけだが、地方の実情を知らない人はビックリするかもしれない。
常陸大子駅前。
商店街を歩く。シャッター商店街で活気がない。地元の人は、郊外のバイパス沿いに郊外店が多くあるので、そちらへ買物に行くという。ここも自動車がなければ生活できない町である。
4時過ぎに早くもシャッターを下ろし始めた店があった。地方の閉店は早い。
久慈川に到達。川沿いに割烹店があり、紅葉が目立った。
大子町は最盛期は人口が4万人だったが、現在は17000人と半分以下に減ってしまった。仕事がないので若い人は都会に出るしかない。
久慈川を見る。奥久慈慕情と云いたい雰囲気があった。
橋を渡る。
橋を戻り、川べりに下りる。
昔は、ここは茨城街道沿いの町で、市も開かれたという。夜も賑やかだっただろう。今は昔の話である。
坂東三十三ヵ所で最難関といわれる、第21番札所の日輪寺を参詣する。
この日以前に、二度ほど参詣しようという計画を立てたが、当日に睡眠不足になったり、熱っぽくなったりした。気が重くなるからストレスを生じたものらしい。
この日は、珍しく、朝7時半まで眠れたのだ。熱もない。ならば、日輪寺に行こうと決めた。
出発は遅く、家を出たのは10時半である。品川駅11時45分発の特急で水戸駅に向う。水戸駅で13時15分発の水郡線に乗換える。常陸大子駅に着いたのが14時半。駅前でタクシーに乗り、日輪寺に向う。
タクシーを利用しないと、バスで八溝山の麓まで行き、そこから徒歩で2時間ほど登らなければならない。
日輪寺は、冬期は閉鎖される。1月、2月はお寺は閉まっている。(御朱印は、大子町で貰えるらしい。案内が掲示される。)もっともタクシーの運転手さんは、12月も閉まっていると云ったので、状況が変っているかもしれない。お寺に確認した方がいい。
八溝山の中腹800メートルの地点にある寺で、周囲には何もない。こういう寺なので、役行者が創立したという伝説がある。
本堂は大きくない。
本堂の中に入ると、人影がない。これは不安だったが、人の気配で住職さんが裏の部屋からやって来た。裏で休んでいたらしい。この季節は参詣する人も稀なのだろう。毎日大子町から自動車で通ってくる。高齢であるから大変だ。
住職さんと二人だけなので、お勤めはきちんと行った。他の寺では怠けて「南無大慈大悲観世音菩薩」+「十句観音経」+「御真言」で済ませていたが、二人しかいないと、これでは恰好がつかない。
待たせてあったタクシーで常陸大子駅に戻る。15時50分だった。1時間20分で駅に戻ることが出来た。
ちなみにかかった費用はというと、武蔵小杉駅~常陸大子駅往復、品川駅~水戸駅の特急往復で合計して6960円。もっとも大人の休日倶楽部で3割引後の金額だから、普通だと1万円弱である。タクシーの運賃が往復で16130円だった。
常陸大子町を散策し、16時42分の水郡線に乗る。帰宅したのは20時45分。
日輪寺をお詣りし、坂東三十三ヵ所も残りは2ヶ寺になった。
神田神社入口の鳥居の向かい側が湯島聖堂である。ただ、入口は反対側にある。神田神社のある地は住所が外神田で、道を隔てた湯島聖堂がある地は湯島である。
湯島というと、上野駅近くの湯島天神を思い起こすので、ここが湯島だといわれてもピンとこない。御茶ノ水駅近くが一丁目で、湯島天神があるところは、三丁目である。
祀っているのは、孔子である。
以前、講座の関係でここに来たとき、ここで記念写真を撮っていた人たちを見た。えらく上品で、浮き世離れした人たちだと思ったものだ。世の中には世俗にまみれない人もいるのだ。これで生きてこられたのだから、運のいい人もいるんだなと感心した。生活に追われている人がほとんどだからだ。
孔子像。
大成殿。
御朱印は事務所でという張り紙があった。
神田神社へお参りしたあと、湯島聖堂に寄り道して、新御茶ノ水駅から大手町駅まで地下鉄で移動する。
大手町駅のC5出口の前に将門塚がある。平将門は討ち死にしたあと、その首が京都で晒し首にされたが、3日目に大空を飛び、この地に落ちたという。以来周辺に災いをもたらした。
時宗二祖の真教上人が将門に蓮阿弥陀仏と名付けたところ、災いが消えた。傍らに日輪寺があって首塚を護っていたが、日輪寺は江戸時代に浅草に移転させられた。日輪寺は今も浅草ビューホテルの近くにある。
以来、ここはアンタッチャブルの場所になった。何度か移動する話があったのだが、その度に工事事故が続発し、移せなかったという。
三井物産ビルの前にある。
皇居・大手濠が近い。
将門塚があるおかげで、三井物産ビルはL字形になっている。都心の超一等地だから、敷地目一杯にビルを建てたかっただろうに。
将門塚。クローズアップで撮影したかったが、祟られるような気がして遠慮した。
地下鉄・人形町駅から浅草橋経由で御茶ノ水駅へ移動する。聖橋を渡り、湯島聖堂の横を歩き、神田神社に至る。
神田神社は、東京十社の一つである。最初に神田神社を訪れたとき、道が分からず地元の人に道をきいたことがある。「神田神社? どこだ?」と不思議な顔をされた。神田明神といい直すと、すぐ教えてくれた。地元の人は、明神さんと覚えている。神田神社ときかれても地元じゃ通じないよ、と云われたものだ。
平将門を祭神とする神社のイメージが強いが、第一の柱は大己貴命で、第二の柱は少彦名命であり、平将門は第三の柱となっている。
神門が華麗である。
普通、神社というと、静粛荘厳というイメージだが、神田明神は違う。神田明神は、威勢がいい。祭り囃子が聞こえてきそうな気がする。豪勢な雰囲気のある神社は珍しい。
運気が下がったと感じたときは、ここがいい。
狛犬も威勢が良くて豪快である。
境内の中に神田明神文化交流会館があり、1階が土産物店になっている。御朱印はここで貰える。朱印紙だが、買い求めると、通常のものの他にもう一枚入ってていた。神田明神のものである。
日本橋日枝神社参拝後、地下鉄・茅場町駅から人形町駅へ移動し、三光稲荷神社を参拝する。
先日、水天宮をお参りしたときに寄ったのだが、御朱印を貰えるお店が休業日だった。そこで再びお参りすることにしたのだ。
人形町通りの裏通りにある小さな神社である。昔は、芸者さんがお参りしたらしい。
ここは「失せ猫」祈願の神社である。いなくなった猫が戻るようにここで祈願すると戻ってくるらしい。
御朱印は人形町通りにある化粧品店で貰う。女性化粧品がズラッと並んでいて、男が入るのは気が引ける。
兜神社参拝後、(日本橋)日枝神社まで歩く。兜神社は、東京証券取引所の裏手にあり、日枝神社は正面側にある。兜神社の御朱印は、ここ日枝神社で貰える。
神社の鎮座地は茅場町であり、日本橋からは距離があるが、由緒書には(日本橋)日枝神社とある。ネットでも「日本橋日枝神社」で検索する。
日枝神社は、ビルの奥手にあるので見逃しやすい。日枝神社の祭神は、大山昨神(おおやまくいのかみ)である。
時節柄、七五三の家族がいた。
神社碑で、ここが赤坂の日枝神社の摂社であることが分かる。
御朱印に「山王御旅所」とあるように、神幸祭のときに、神輿がここで休憩したのだ。
社殿。
場所柄、ここでは「かぶ守」が授与される。株取引をやっている人はお参りした方がいい。
狛犬も面白い。上を向いて意気軒昂である。運気上昇、間違いなし。
東京証券取引所のはす向かいに兜神社が鎮座する。高速道路の手前にあり、景観はよくない。
証券業界を兜町と呼ぶことがあるが、その兜町という名前の由来は、この兜神社である。
高速道路の手前にある。小さな神社で、見過ごしてしまう。
祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)であるから、稲荷神社である。
1050年頃、源義家が東征のおり、ここにある岩に兜を掛けて、戦勝を祈願したのが始まりとされる。
このことからその岩を兜岩と呼ぶようになった。
これが兜岩。↓
これが兜町の由来である。
斜め前に東京証券取引所がある。
証券取引所の正面にまわる。JPXという。
兜神社の御朱印は、管理社の日枝神社で貰える。兜神社の境内には御朱印のことは何も案内がないから、気をつけること。
深川神明宮を参拝後、清澄通りを門前仲町方向へ歩く。途中に清澄庭園がある。
東京都内でも屈指の日本庭園だが、知名度はどうか? 松が主体の青々とした庭園で、清涼感は随一と感じる。これからは紅葉の季節だが、清澄公園の紅葉は数が少ない。入口の右側に何本かある程度だ。
入場券売り場で、定期券も売っていた。毎日のように来園する人もいるのだろう。緑一色の光景は気が落ち着く。コンクリの建物ばかりを見ていると、心が干からびてくる気がする。(実際、そうだろうね。)
神社めぐりであちこち歩き回るより、こういう場所で休んだ方がいいかもしれない。
思案中。