ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

四国霊場第51番札所 石手寺

2017年07月29日 21時26分30秒 | 旅行
四国霊場第51番札所は石手寺である。道後温泉にも近く、観光客も多い。由緒のある寺である。

しかし、私は、このお寺には違和感を持つ。住職の姿勢に疑問符をつける。境内にやたらに縁起物を作り、乱雑な印象が否めない。

立て看板が多く、若いときに学生運動でもやっていたのかと思うぐらいだ。寺院としては、これはどうか?





古寺で参拝客が多く、店屋が並んでいる。店屋を通ってお寺にお参りする。



仁王門。国宝。



本堂。





大師堂。



三重塔。



石手寺の御朱印は注意を要する。午後4時半で締め切りである。その後は受け付けない。その代わり、朝は7時からOK。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国霊場 浄土寺・繁多寺

2017年07月23日 22時26分03秒 | 旅行
四国霊場3日目。いよいよ松山周辺の寺院を巡る。第49番札所は浄土寺、第50番札所は繁多寺。

ところが、この二つの寺の印象は薄い。似たような雰囲気なので、どちらがどうだったか、もう覚えていない。よほど、印象的な出来事でもないと記憶に残らない。

浄土寺本堂。



大師堂。



お堂の背後から樹木が覆い被さりそうだ。これは繁多寺でも同じで、それが区別がつきにくい理由かも知れない。



仁王門。




繁多寺本堂。



大師堂。



駐車場の前に池がある。



この写真を見て、ここから松山市が見下ろせたはずと思い出した。全体に霞でボンヤリしていて、写真には撮らなかったと思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平尾昌晃死去

2017年07月23日 09時33分23秒 | 雑感
青春の墓標がまた一つ増えた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チョン・ミュンフンの「復活」

2017年07月22日 10時50分48秒 | 旅行
7月21日。東京オペラシティのコンサートホールで、チョン・ミュンフン指揮のマーラー交響曲第2番「復活」を聴く。

オケは東京フィルハーモニー交響楽団。
ソプラノ:安井陽子 
メソ・ソプラノ:山下牧子 
合唱:新国立劇場合唱団

チョン・ミュンフンの「復活」なので、チケット完売かと思ったら、そうではなかった。オペラシティの当日券売り場はかなり長い行列ができていた。9月15日のサントリー・ホールの「復活」公演はチケット完売らしい。

オケはステージいっぱいで、第1ヴァイオリンは14名。このホールでこの人数はオーバースペックだろう。前列10番目で聴いたので音の圧迫感は相当なものだった。チョン・ミュンフンの指揮を聴くのはこれが初めて。ニコリともしないで不機嫌な顔で出てきた。演奏が終わっても笑顔は少なかった。いつもこうなのか……。

演奏は、なんというか、殺気だっていたように感じた。ある意味、恐ろしい演奏だった。

先週の15日にノット=東響の「復活」を聴いたが、ノットの方がバランスが良かった。安心して聴けた。

チョン・ミュンフンの「復活」を聴いていると、体が凍えてきた。ホールが寒かったためもある。冷蔵庫の中にいるようだった。体調を崩して途中で退席した人もいた。だいたいこういう時に備えて羽織るものを持参していたのに、昨日は忘れてしまった。サントリーホールで聴く人は寒さ対策を準備しておいた方がいい。

バンダ(ステージ外演奏)の効果は平凡で、これは川崎ミューザの方が優れていた。

この曲は、合唱、独唱をどこでステージに出すかで、指揮者は悩むらしい。チョン・ミュンフンは、合唱団は第1楽章から置いて、独唱者は第3楽章を演奏中に入れた。位置は合唱団は2階のオルガンの前、独唱者は指揮者の前。マーラーの指示では第1楽章と第2楽章の間で5分の間をとることになっているが、これには従っていない。通常の楽章間の間合いだった。

ノットの場合は第1楽章が終わったあとに合唱団と独唱者を入れた。時間をかけていたのでマーラーの指示通り5分以上かかっていたはずである。独唱者は、ステージ右前、第2ヴァイオリンの後ろに座った。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国霊場第48番札所 西林寺

2017年07月20日 14時30分07秒 | 旅行
石鎚山脈の麓にある第44番札所の大宝寺から平野に出て、第48番札所の西林寺を参拝する。

やはり、山から出ると、一息つく。西林寺は禅宗的な境内を持った寺である。清潔、整頓。こういう寺は美しいと思う。



左が本堂で右が大師堂。



境内。











こういう境内は毎日入念に手入れしないと維持できない。住職さんの人柄だろう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国霊場第44番札所 大宝寺

2017年07月20日 09時46分15秒 | 旅行
四国霊場巡り。難所の第45番札所・岩屋寺を巡ったあと、第44番札所・大宝寺に向う。逆順である。

岩屋寺、大宝寺いずれもは石鎚山脈の中にあり、山岳信仰と関係がある。大宝寺も岩屋寺ほどではないが、かなりの登り道を歩く。

本堂。



大師堂。





階段でタブレットで写真を撮っている人に出会う。綺麗な写真だったので誉めると、もうこの中に5万枚入っていますと答えた。



帰り道。



仁王門を通過。



坂道を下る。大宝寺の入り口は普通の山道に見え、非常にわかりにくい。ツアーで行ったので間違えることはないが、個人で行くと通り過ぎる可能性がある。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自主返納制度

2017年07月20日 09時30分52秒 | 雑感
バスに乗るたびに、警察からのお知らせが流されるので閉口する。

「運転免許の自主返納制度をご存じですか?」 毎日毎日これを聞かされる。

バスを利用する人間が運転免許を持っている可能性は低い。無駄だと思う。

思いは飛ぶ。

「選挙権の自主返納制度はご存じですか?」 この方がいいと思う。これなら聞く耳を持つ。

世の中、複雑怪奇で、誰に投票したらいいか分からない。若年層の投票率が低いのは正しい。分からないのだから、投票しない、できない。

高齢者の投票率が高いのは、昔取った杵柄という奴で、現状を知ることなく、未来を考えることなく、惰性的に投票するからである。

ポピュリズムが批判されるが、正しくない。高齢者イズムというべきだ。昔の思い出で投票するからである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国霊場45番札所 岩屋寺

2017年07月19日 16時24分11秒 | 旅行
第2回四国霊場巡り第3日目。浄瑠璃寺前の民宿を出発し、第45札所・岩屋寺へ向う。第46番札所・浄瑠璃寺からは南にあるので戻る形になる。岩屋寺はバスツアーで巡礼するものにとっては最大の難所と言われている。従って朝一番、元気なときにお参りするスケジュールになっている。



大師堂が国の重文である。本堂ではなく、大師堂というのが珍しい。

駐車場から遙か遠くに見える目的地の岩肌が見えるが、先達は何も言わない。言うと気が挫けるものが出るからではないだろうか。橋を渡り、山道に入る。山道は20分ほど歩く。



山門を通る。



なお歩く。





岩屋寺という名前の通り、切り立った崖の下にお堂がある。







修験者の修行場であったのだろう。

大師堂。



大師堂がなぜ国の重要文化財になったかというと、お寺にお堂にしては建築様式が珍しいからである。

柱が中太でギリシャ様式の要素を取り入れている。これが評価された。



お参り終わると、ここはホッとする。一仕事終わった気がする。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インバル=都響 「大地の歌」

2017年07月18日 08時39分47秒 | 雑感
2017年7月17日、東京芸術劇場で、エリアフ・インバル指揮=東京都交響楽団のマーラー「大地の歌」のコンサートを聴く。

プログラムの前半は、マーラーの交響詩「葬礼」だった。これは実は、交響曲第2番の第1楽章の初稿に当たる。交響曲の作曲が頓挫し、第1楽章だけを交響詩「葬礼」として出版しようとしたが、出版はできなかった。その後、この「葬礼」は改作されて再び交響曲第2番第1楽章となった。

その後、交響詩「葬礼」は忘れ去られ、初演されたのは1983年で、楽譜が出版されたのが1988年、この曲が作曲されてから100年後のことだ。

15日にジョナサン・ノット=東響の「復活」を聴いたばかりである。改作されたとはいえ、「葬礼」とは大きな異動はない。同じ曲を聴く感があった。

ノットとの比較になってしまうが、インバルの方が振幅が大きい。大家の風格がある。都響の音も分厚かった。

後半が「大地の歌」。独唱は、アンナ・ラーション(コントラルト)、ダニエル・キルヒ(テノール)だった。

第1楽章が始まったとき、これはマズいと思った。ダニエル・キルヒの声が通らない。膜を通して聴くようである。オーケストラは雄弁で鳴り響いている。オケに声が負けている。これではダメかもしれない...

第2楽章。アンナ・ラーションに期待。こちらは十分な声量で仕草も堂々としている。深々とした声が素晴らしい。

経歴を読むと、アンナ・ラーションはキャリアが長く、キルヒはまだ新人らしい。横綱と前頭の組み合わせでした。

インバルの指揮は、大胆、明快だった。第6楽章のオーボエもフルートもあんなに楽しく吹いていいのかと思うぐらい印象的だった。ホールを出てからもメロディーを何度も口ずさんだぐらい。行進曲のようにきこえた。

インバルも80歳。やりたいように指揮できるのだろう。

アンナ・ラーションは目の覚めるような真っ赤なドレスでまぶしかった。世をはかなむような「大地の歌」とは似合わなかったかもしれない。これでは久米の仙人で、もう少しこの世にいたいと思う。女性に囲まれて……

この曲の最後は、「我が心はおのれの最後を待ち受ける。だが、大地はいずこも春ともなれば花を咲かせ新たな緑に覆われる。永遠に……永遠に……」である。

ある意味、ロマン的な厭世であるが、我々が現在知るところの科学的知見では、こうではない。地球(大地)はやがて熱して緑も花もなくなる。地球は太陽に飲み込まれ消滅する。やがて、太陽もなくなり、最後には宇宙もなくなり、ビッグバン以前に戻る。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素晴らしかったマーラー「復活」

2017年07月16日 12時39分42秒 | 雑感
2017年7月15日。18時より、川崎ミューザでマーラーの交響曲第2番「復活」を聴く。

指揮:ジョナサン・ノット
管弦楽:東京交響楽団

メゾ・ソプラノ:藤村実穂子
ソプラノ:天羽明恵

合唱:東響コーラス


(1)「復活」の前に、細川俊夫の「嘆き」が演奏された。東日本大震災の犠牲者のための哀悼歌である。(メゾ・ソプラノ:藤村実穂子の独唱あり。初演時はソプラノ独唱だったが、藤村実穂子のために改訂されたという。)
ゲオルク・トラークルの詩と手紙を元にしている。トラークルは久しぶりだ。青春の亡霊に出会った気がする。細川俊夫の曲は、何か、神経を研ぎ澄まされる気がして、あまり聴きたくない類いのものだ。藤村実穂子の声は巫女のようであった。霊感を感じた。

(2)「復活」の演奏については言うことはない。「嘆き」の時、バックのオケの音が素晴らしかった。ノット=東響の演奏は初めて聴いたが、抜群に相性がいいのだろう。音が安定していた。

第1楽章の冒頭で、気合いの入った音を聴き、これは行けると判断した。マーラーを聴くと、迫力満点と思うか、五月蠅いと思うか、どちらかになるが、今回は迫力満点だった。打楽器の全奏もあるが、音は汚れなかった。

打楽器は,ティンパニ2セット、クロッケンシュビール、大太鼓、小太鼓、鐘、タムタム、シンバル、トライアングル、それに鞭! 鞭はどこで使ったんだろ?

ステージ外で演奏するバンダは、ホルン4,トランペット4、ティンパノ、トライアングル、シンバル、大太鼓である。このバンダも重要で、トランペットの響きは、天上から聞こえるような気がした。ホールの通路から演奏していて、ドアは閉ざされたままだったが、一度、ドアが開いた。白い光がホールの中に入ってきたと思う。マーラーの指示通りなのだろう。

今回は新全集版による演奏だった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松居一代

2017年07月14日 20時49分51秒 | 雑感
札幌で、暑いのでホテルに閉じこもり、テレビを観る。普段はテレビは観ない。松居一代のスキャンダルを観る。

あの顔は異常でしょ。年齢は60歳か。認知症じゃないかと疑った。そう思った人も多いと思う。

帰りの飛行機で週刊文春を読む。林真理子のエッセイで、松居一代に触れている。

今話題の島尾敏雄の「死の棘」に言及し、この小説のヒロインである妻のミホに、松居一代が似ているかもしれないと指摘していた。

女の業、女の性というものがある(らしい。)

「死の棘」を読みたくなった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑いぞぅ 札幌

2017年07月14日 20時41分26秒 | 旅行
札幌旅行から帰ってきました。

暑かったです。言えるのは、これだけ。連日の真夏日で、しかも蒸す。

何のために札幌まで行ったのか‥‥?

同行の人は、小樽まで一人で出かけたが、電車の中は中国人だらけで、五月蠅いことおびただしい。しかも暑い。

怒って予定より早く東京に戻ってしまった。

今日の天気は、札幌より、横浜の方が涼しい。

札幌は今月はこんな天気らしい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トランプ G20無視

2017年07月09日 09時01分30秒 | 雑感
トランプ米大統領、G20の全体討議を中座し、その席には長女のイバンカが座った。ありえないことが起きた。

意味するところは簡単である。

トランプ政権は

(1)多国間協議は無視。

(2)2国間協議を重視。

世界の座標軸がなくなった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国霊場第46番札所 浄瑠璃寺

2017年07月08日 16時37分56秒 | 旅行
第47番札所の八坂寺と第46番札所の浄瑠璃寺は1キロしか離れていない。従って、遍路道を歩く。田舎道を歩く。





浄瑠璃寺に着く。



この寺の特徴は”自然派”と言うことだ。境内は樹木に満ちている。お堂の前も樹木で、写真を撮るのに苦労する。お堂全体を撮ることは難しい。

本堂も隠れている。





大師堂は部分だけ。



境内は緑一色。冬ならばどうか?









ここで、2日目の予定を終える。宿はこのお寺の前に民宿だった。こういう宿は眠れないと諦めた。


































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DVD「さすらいの青春」

2017年07月08日 15時51分20秒 | 映画
青春時代にこの映画を観たシニアは多いと思う。1969年の作品だ。当時は、映像主義的作品が多く、美しい画面に溢れていた。

その中の、究極的な作品がこの「さすらいの青春」である。究極の映像美である。凝りに凝った画面の連続で、映画の鑑賞の妨げになるぐらいだ。

監督は、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ。カメラを担当したのは、父親のキント・アルビコッコ。原作はアラン・フルニエの「モーヌの大将」である。この原作は三島由紀夫が激賞したことで知られている。三島がこの小説のどこに惹かれたのだろうか?

映像は美しいし、再現された世紀末の風俗も懐かしい。しかし、内容は、難解だ。特に現代人にとってはわかりにくい。

モーヌは新妻を残し、失踪した女を捜しに旅に出るが、その動機が理解しにくい。それが分からなければ、この作品の価値が分からない。

無理に理解しようとしても、高齢になると、その根気はない。モーヌの行動は”誓い”を守るため、ということだろうが、言葉が軽くなった時代に住む我々は、その結果の悲劇を受け入れることは難しい。

まぁ、とにかく、究極の映像美である。カメラのテクニカルな面は素人なので分からない。実際に観てもらうしかない。

こういう画面はフィルムだからできたことで、デジタル・カメラでは不可能だろう。こういう映画が今後製作される可能性はほとんどない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする