年の瀬も押し詰まった12月26日、坂東三十三観音霊場第5番札所の勝福寺を参詣する。
これも突然で、予定外だった。午後の新幹線で小田原まで行ったのだった。突然、気まぐれに気が変る。シニアの心理である。
小田原から新松田行きのバスに乗り、飯泉観音前で下車。勝福寺は飯泉観音と呼ばれている。
観音堂。
ここにはお隣に八幡社がある。普通は、お寺と神社の間に塀などを建てて区別するが、ここはその区別が分からない。お寺の中に八幡社があるように見える。神仏習合時代は名残りだろう。
<御朱印>
年の瀬も押し詰まった12月26日、坂東三十三観音霊場第5番札所の勝福寺を参詣する。
これも突然で、予定外だった。午後の新幹線で小田原まで行ったのだった。突然、気まぐれに気が変る。シニアの心理である。
小田原から新松田行きのバスに乗り、飯泉観音前で下車。勝福寺は飯泉観音と呼ばれている。
観音堂。
ここにはお隣に八幡社がある。普通は、お寺と神社の間に塀などを建てて区別するが、ここはその区別が分からない。お寺の中に八幡社があるように見える。神仏習合時代は名残りだろう。
<御朱印>
坂東三十三観音霊場めぐり、弘明寺を参詣したあと、また1ヶ月、間を置いた。2020年になってからまわろうと思っていたが、気が急いて、12月16日に座間駅近くにある第8番の星谷寺をお詣りした。
星谷寺は座間駅の近くにある。
<御朱印>
坂東三十三観音霊場めぐり、2019年10月序順に鎌倉逗子の4つの札所をまわった後、暫く休んだ。
旅行会社のツアーと個人でまわるところを分別しなければならなかったが、旅行会社のスケジュールが分かり、個人でまわる札所を確定させた。
それでも2020年に入ってからまわれば良いと考えた。
10月15日に弘明寺観音を参詣したのは、同じ弘明寺にある若宮八幡宮をお参りしたからである。
横浜地下鉄の弘明寺駅で下り、若宮八幡宮をお参りしたあと、京急弘明寺駅前にある弘明寺を訪れたのだ。
弘明寺は第14番札所だが、坂東三十三観音霊場の札所番号は不思議な並びになっている。鎌倉逗子から小田急沿線を北上し、岩槻まで行ったあと、東京の浅草寺、横浜の弘明寺と南下する。横浜の弘明寺のあとは群馬の伊香保・水沢にいっぺんに飛んでしまう。どうしてこんな番号順になったのだろう。
<御朱印>
坂東三十三観音霊場めぐり、第4番の長谷寺を詣でたあと、第3番の安養院へ。
鎌倉三十三観音霊場めぐりも兼ねていたので、長谷寺から、高徳院(鎌倉大仏)、極楽寺、成就院、別願寺とまわって、安養院は行ったのだ。鎌倉駅でレンタサイクルをかりた。
<御朱印>
令和元年10月7日。坂東三十三観音霊場、第4番札所の長谷寺を参詣する。人気寺なので空いている朝9時にお参りした。
<御朱印>
坂東三十三観音霊場めぐり、第1番札所の杉本寺から第2番札所の岩殿寺へ。
といっても、すぐに行ったわけではない。鎌倉三十三観音霊場めぐりも兼ねていたので、杉本寺から報国寺、浄妙寺、明王院、光触寺とまわり、その後に第2番札所の岩殿寺へ行ったのだ。
第1番札所の杉本寺で、ハイランドを越えて岩殿寺へ行くと云うと、きついですよ、と警告された。
ハイランド越えは、電動自転車でも、やはり、きつかった。おまけに岩殿寺の観音堂は丘の上で、きつい階段を上がらなければならなかった。観音堂へ着いたときはバテていた。
岩殿寺は鎌倉ではなく、逗子にある。
納経所。階段を上がるのがキツイ人は、ここで済ませる。
階段を上がる。
観音堂。
逗子の町を見下ろす。高所に上がったことを実感する。
<御朱印>
令和元年10月1日。鎌倉駅でレンタサイクルを借りて第1番札所の杉本寺へ行く。
本堂できちんと勤行をすませた。
<御朱印>左上の”発願”の印が欲しかった。前回は弘明寺から始めたので、発願印はなかったからである。
座間市に鎮座する鈴鹿明神社を参拝する。
小田急線・座間駅から徒歩10分ほど。座間駅で下りたのは坂東三十三観音霊場第8番札所の星谷寺をお参りするためだった。星谷寺をお参りしたあと鈴鹿明神社へと歩いた。
座間郷の総鎮守である。
社殿。
境内。しっかりした回廊がある。
<御朱印>
蒲田に鎮座する稗田神社を参拝する。延喜式内社である。
<御朱印> 御朱印は駅前の蒲田八幡神社でもらう。蒲田八幡神社では兼務社の御朱印も貰える。カラー御朱印であり、500円である。
ツアーの最後に訪れたのは、白國神社である。
公共交通を利用する場合は、播但線の野里駅から歩いて20分。丘の麓にある。
安産・子育ての守り神である。
ということで、ターゲットは女性である。
えらく乙女チックな境内である。
これは宮司さんの営業方針?なのだろう。都会ではこういう神社が増えた。姫路は都会である。
昨日訪れた出石神社や粟鹿神社がこういうことをやることは考えられない。氏子に反対されるだろう。その土地の習俗というものがある。
<御朱印> 祭神は、木花咲爺媛(このはなさくやひめ)だが、「さくやちゃん」になっている。乙女度が高い。
播磨國一の宮・伊和神社を参拝したあと、姫路市に向う。11時半頃だった。
姫路城を展望できる4階のレストランで昼食。姫路城が正面に見える絶好のロケーションだった。
昼食後、播磨国総社の射楯兵主(いたてひょうず)神社を参拝する。
姫路城前のメイン通りに朱塗りの大きな総社門がある。
ここを通れば神社かと思うと、違う。住宅地の道路を通り、八重垣門から入ることになる。鳥居は車祓に立っている。左側の小さな門が八重垣門。何か、バランスが悪い。
この派手な総社門は、神社がここにあるぞという、宣伝も兼ねているようである。結婚式場の大きな広告もあった。この日は3組の結婚式があった。
本来の参道は社殿正面にある。そちらまで歩いた。こちらの参道は目立たない。
神門。
社殿。
境内。提灯が多数ぶら下がっていた。正月初詣用のものと思われる。
<御朱印>
朝来市のホテルに宿泊した翌日、播磨國一の宮・伊和神社へ向う。
当初は山道を通る予定だったが、安全のため、播但連絡道路で福崎ICまで行き、中国道で山崎ICまで。ここから因幡街道を通り、伊和神社まで行く。伊和神社は因幡街道沿いにある。
表参道。
随神門。
<御朱印>
養父神社からバスで30分。但馬一宮・粟鹿神社を参拝する。
勅使門。開かずの門である。秋の大祭の日のみ開くという。
神門から入る。
社殿の背後に御陵がある。日子坐王の墳墓とされている。
境内の外を見る。一面の初冬の風景。
<御朱印>
出石神社を出発し、バスで約40分。但馬三宮・養父(やぶ)神社を参拝する。
階段を上がり、随神門から境内に入る。
ここは狛犬と狼象と2種類が拝殿前に置かれている。
狼像は珍しい。狼というと、凶悪なイメージがあるが、イノシシなどを防いでくれる。ここは農家の信仰が篤い。もっとも狼に見えないが。
養父市を見下ろす。
<御朱印>
摂社の山野口神社の御朱印。狼像の印が押してある。
山野口神社は本殿の背後にある。
令和元年、最後の御朱印旅行へ出る。旅行会社のツアーに参加した。年の瀬も押し詰まって、一年の疲れがいっぺんに出たような体調だった。
最初に訪れたのは、但馬(たじま)一宮・出石(いずし)神社である。十数年前に個人でお参りしたことがある。豊岡市からバスを利用した。その時は、社殿を修復工事中だった。こういうことがあると、またお参りしたくなる。
拝殿の屋根が新しくなっているね。
本殿は素晴らしい。
本殿の背後に出てみる。冬枯れの素朴な景色だ。
<御朱印>