靖国神社を参拝する。桜が満開というニュースを知って。
地下鉄の九段下駅でおり、目の前の靖国神社に向う。鳥居を見て、改めてその大きさに驚く。
靖国神社の境内の広さは、明治神宮に次ぎ、東京都内では第2位である。
社殿前の桜が見えた。満開だ。
拝殿前。行列ができていた。
桜は満開だった。靖国神社の桜は開花の基準になっている。靖国神社の桜が開花すると、東京の桜の開花宣言が出される。
拝殿前の桜の園。
参道横にも桜並木がある。
御朱印は、刺繍入りの限定版である。
大田原神社を参拝後、タクシーで那須神社に向う。12分ほどで到着。
那須神社は、東北の古社の例に漏れず、坂上田村麻呂が祈願したという神社で、歴史は古い。明治以前は金丸八幡宮を呼ばれていた。従って、ここは八幡社で、祭神は応神天皇である。
境内の印象は、あんまり芳しくない。太鼓橋の先に楼門がある。国の重要文化財に指定されている。
「八幡宮」という額が見えるね。
社殿。傾いているように見えた。今にも倒壊しそうだ。なんとかした方がいいのではないか。
普通なら、改修工事を考えるところだが、宮司さんが高齢で動けないのかもしれない。もっとも略記を読むと、古文調で読みにくいこと甚だしい。宮司さんの頑固な性格が窺われる。代替わりしたら、少しは、変るかもしれない。
(那須)乃木神社を参拝したあと、乃木参道前バス停に戻り、大田原へ向う。大田原市役所前で下り、タクシーを拾い、大田原神社を参拝した。
龍城公園の北側に鎮座する。高台にある。
まだ河津桜が咲いていた。
祭神は大己貴命と小彦名命である。
神社から大田原市を見渡す。大田原市は最寄り駅がない市でアクセスは不便である。昔は東野鉄道があって、JR西那須野駅と黒羽駅を結んでいた。
今宮神社参拝後、氏家駅に戻り、東北本線で西那須野駅へ向う。西那須野駅から黒羽線(大田原行き)のバスに乗り、乃木参道前で下りる。
乃木参道を歩き、乃木神社を参拝する。
乃木神社がここにあるのは、乃木将軍の別邸があったからである。
神社の前の道は真っ直ぐ延びていて、これが乃木参道である。桜の季節は素晴らしいだろう。
乃木将軍は、軍神で厳めしい雰囲気が漂う。東京の乃木神社は愛国者が参列するような固さがあるが、ここは違う。
護国神社と同様、軍人兵士を祀る神社は時代の変遷で先細りになってしまっている。そこで衣替えをする宮司さんが現れる。ここもそうで、成功しただろう。参拝者が多いという。
記念写真用の大きな絵馬がおいてあるが、デザインが華やか。乃木将に似合わないように思うが。
御守も種類が多く、大きな額で、見本が飾られていた。安産守があったが、乃木将軍と安産とどういう関係があるのか? 時代遅れの自分には見当がつかない。
御朱印は、一番厳めしいものを選んだ。左下にデザイン・アーティストの名前が押されている。これは初めて見た。
栃木県さくら市に鎮座する今宮神社を参拝する。
さくら市は馴染みがなかったが、昔の氏家町と喜連川町が合併して出来た市である。
JR東北本線の氏家駅から歩く。駅前に案内図があるので、迷うことはない。距離はあって20分ほど歩いた。
祭神は素戔嗚尊である。
大イチョウが有名だが、この季節は枯れきっていて、なんとも言えない恰好だった。
御朱印は季節限定の華やかなものだ。こういうものは、当然に御朱印紙になると思っていたが、直筆である。カラフルな印判を押すのも大変で、時間がかかった。平日で、自分一人しかいなかったから問題はなかったが、多数の人が押し寄せたらどうするのかと気になった。
上野公園まで出かける。JRの公園出口の改札の位置が変っていたね。おまけに目の前を通っていた道路がなくなり、信号を渡らなくてよくなった。これは便利になった。
3月21日は祝日で結構な人出だった。ただ、桜は開花し始めたところで、見頃は来週になりそうだ。
上野東照宮を参拝する。祭神は、徳川家康、徳川家光、徳川慶喜である。徳川慶喜は江戸幕府最後の将軍で、幕府滅亡の責任がある。なぜ祭神として祀られているのか分からない。
明治になって祭神が変った。創建当初の祭神は、徳川家康、天海僧正、藤堂高虎だった。天海僧正は徳川家康の重要な相談役で、遺言で天海僧正と藤堂高虎に東照宮創建を依頼した。藤堂高虎が屋敷地を提供し、上野東照宮が建てられた。
御朱印の印判は三人の名前だね。
右側に五重塔がある。もとは東照宮のものだったが、神仏分離で寛永寺のものとなった。
桜はまだ。桜が咲くと絵になりそうだ。
外側の拝殿。行列ができていた。ここは唐門前だ。
中に入るには拝観料500円を支払わなくてはならない。入らない人の方が圧倒的に多い。
入りましたよ。キンキラキンの社殿で、美しいと思うか、ケバケバしいと思うか、人による。
安土桃山時代・江戸時代初期は日本は銀と金の産出国で、いわば資源国だった。贅沢になるのは当たり前だ。
唐門。
静岡浅間神社を参拝する。
一昨年に参拝したときは、楼門が修復中だった。コロナでいつ工事が終わるのか分かりませんと神職さんがいっていたが、様子を見に行ったのである。
楼門は工事が終了していた。
ところが、左右の回廊の工事が進んでいる。ということは…。これって、全部補修工事をするんですか?と神職さんに尋ねたところ、その通りですと云う。
20年がかりですと聞いて、ウ~ンと唸る。自分は生きている見込がない。先のことを云われると、自分とは関係ないと思うようになっている。
ところで、静岡浅間神社だが、ここは複雑な構造になっている。
静岡浅間(せんげん)神社は、いわば、総称である。具体的に鎮座する神社は、浅間(あさま)神社、神部(かんべ)神社、大歳御祖(おおとしみおや)神社の3社である。
なおややこしいのは、拝殿が二つしかない。浅間神社と神部神社は大拝殿で詣でる。大歳祖祖神社はかなり離れたところにあり、鳥居も別になっている。
3つの本社、2つの拝殿、1つの総称である。
浅間神社と神部神社の鳥居。総門と楼門を通り参拝する。
神社碑も二つの神社名が併記されている。
拝殿は高さがある。25メートルの高層社殿である。左側が浅間神社である。祭神は、木之花咲耶姫命。
右側が神部神社。神部神社は、駿河國総社である。祭神は、大己貴命(=大國主命)である。
大歳御祖神社は、離れた場所にある。静岡駅からバスで行くと、赤鳥居前でおりるが、この赤鳥居が大歳御祖神社の鳥居である。祭神は、大歳御祖命でお稲荷さんの母親である。
この鳥居を見ると、別の神社だと思ってしまう。
以上、3つの本社の他に、4つの摂社があり、一つ一つ、普通の神社並みの社殿がある。
三保の松原に鎮座する御穂神社を参拝する。駿河國三宮である。
昔は、清水市にあったのだが、清水市は静岡市と合併し、静岡市清水区になった。由比や興津まで清水区になってしまい、何か、勝手が違う。市町村合併もやり過ぎの感がある。
御穂神社は三保の松原にあるが、住宅地との境である。
祭神は、大己貴命(=大國主命)と三穂津姫命である。
唐澤山神社を参拝する。佐野市の北方にある唐沢山の頂に鎮座する。
アクセスが大変で、自動車を利用するしかない。徒歩だと、山登りになってしまう。
佐野駅からタクシーで行った。レストハウス前で下りるが、ここから、なお、山道を登るのだ。
周辺は、唐沢山城址で、国指定の史跡になっている。
社殿は、唐沢城の本丸跡にある。
祭神は、藤原秀郷である。創建されたのは明治13年で、比較的新しい。
もともと佐野の領主は、山城である唐沢城を根拠地としていた。江戸時代になり、山城廃棄令により、唐沢城は取り壊され、現在の佐野駅前の春日岡に佐野城を建設し、移転した。
その春日岡にあったのが、天台宗の惣宗寺(=佐野厄除大師)である。お城の移転に伴い、佐野厄除大師も現在地に移転した。
山城城址を見るたびに、よくこういう高所に城を建てたものだと思う。建設資材をどう運んだのか? 各地の山城址を見るたびに思うことである。
眼下に佐野市の郊外が見えた。高所にあることが分かるね。
ここは御朱印の種類が多い。季節限定、3月限定もあり、14種類あった。
唐沢山城址も見学すると、半日がかりになってしまう。
佐野駅から徒歩10分で、朝日森天満宮に到着する。佐野厄除け大師と反対の北口側に鎮座する。
運がいいことに、梅が満開だった。今年は梅が遅く、暖かくなって急に満開になりましたと、神社の人がいっていた。
天満宮と云えば梅が欠かせないが、梅の参道というのは珍しい。
神門を通り境内へ。
拝殿。
社務所の横に垂れ梅が咲いていた。
ここは御朱印の種類が多い。一番平凡なものを求めた。
佐野厄除け大師の近くに鎮座する星宮神社を参拝する。住宅街の中にあり、探しにくい。
星宮(ほしのみや)神社という神社名が珍しい。星と神社を結びつけるものと云えば、北極星信仰を思い起こすが、略記からは、それは窺えない。
祭神は、天津日高彦穂迩々杵命(あまつひたかひこほのににぎのみこと)である。ニニギノミコトである。
鳥居は銅製である。
社殿は小高いところにある。佐野市内はたいらで、起伏がない。珍しい場所である。一説には古墳だったという。
別の縁起では、旧社地は七ツ塚と呼ばれたが、塚を北斗七星の形に配置したものだったらしい。そこで星宮妙見大菩薩を祀った。妙見信仰の社だったという。星→北極星→妙見信仰という流れで、この方が理解しやすい。
神社には授与所があるが、無人だった。隣の社務所(宮司さんの自宅?)の呼び鈴を押して、御朱印を貰った。
神社に置いてあるものを取得した。
下野国の神社で、春限定の御朱印マップである。知らない神社が多い。
アートな御朱印の数々。栃木県は御朱印で街おこしを考えているようである。
春の御朱印収集は、栃木県へ。
記されている神社。
①朝日森天満宮(佐野市天神町)
②網戸神社(小山市網戸)
③愛宕神社(那須烏山市志鳥)
④磐裂根裂神社(下都賀郡壬生町)
⑤岩戸別神社(塩谷郡塩谷町)
⑥祖母井神社(芳賀町祖母井)
⑦雄琴神社(下都賀郡壬生町)
⑧賀茂別雷神社(佐野市多田町)
⑨大前神社(真岡市東郷)
⑩白鷺神社(河内郡上三川町)
⑪鷲子山神社(那須郡那珂川町)
⑫乃木神社(那須塩原市石林)
⑬間々田八幡宮(小山市間々田)
⑭下野・星宮神社(下野市下古山)
⑮鷲宮神社(栃木市都賀町)
佐野市にある佐野厄除け大師を参詣する。関東三大師の一つとされる。商売気のあるお寺で、寺院の厳かな雰囲気は乏しい。
黒門から入る。
左側が駐車場になっている。昔は、初詣の時、ここでサーカス一座の興行をやっていたそうだ。
関東三大師の一つという。大師と云えば、なんといっても弘法大師だが、ここは天台宗なので元三慈恵大師を置く。川越大師(喜多院)と同じである。正式の寺名は惣宗寺である。
本堂前の授与所。スーパー・マーケットのようである。入金は全部レジを通し、レシートが出てくる。こんなことをするのは、ここだけではないか。
御朱印は書き置き。もちろん、入金はレジに入れられる。前に来たときはレシートを貰った。御朱印代のレシートを貰ったのは、ここだけだからよく覚えている。今回はレシートが出てこなかったので、やや気が抜けた。この御朱印紙は裏側に連番が振ってあった。きちんと管理している。
帰りは、赤門から出た。東照宮風である。
千葉県いすみ市に鎮座する國吉神社を参拝する。アクセスが大変な神社で、外房線の上総一ノ宮駅で木更津駅行の電車に乗換え、大原駅で下り、いすみ鉄道で国吉駅まで乗った。
国吉駅から徒歩10分ほどで、國𠮷神社に到着。外房エリアは過疎化が激しく、道路沿いには廃屋が目立った。日本の現状と未来を考えさせられる。
境内は非常に整備され、清潔感が溢れていた。
祭神は、健御名方命で、諏訪の神様である。もともとは、ここは諏訪神社だった。
今の宮司さんが赴任する前は藪が生えて荒廃した状態だったという。それを整備してここまで持ってくるのは、宮司さん一人では無理だったのではないか。金と人をどう工面したのだろうか?
境内にあじさいの小径があった。
國𠮷神社の摂社という形で、出雲大社上総教會がある。こちらの方が広々としている。
出雲大社なので、二礼四拍手一礼で、参拝作法が異なる。