正寿院の”いのめ窓”には無関心だったが、宇治田原は徳川家康の伊賀越えのルートだった。
徳川家康はここを通ったのかと改めて周囲を見た。
本能寺の変で織田信長が死亡したとき、徳川家康は堺を物見遊山していた。本能寺の変を知り、明智光秀の追っ手を逃れるため、伊賀越えの道を通って伊勢に出て、浜松城へ帰ったのだ。供は34名しかいなかった。徳川家康最大の危機と云われている。
来年の大河ドラマで、この伊賀越えは描かれるだろうか?
正寿院の”いのめ窓”には無関心だったが、宇治田原は徳川家康の伊賀越えのルートだった。
徳川家康はここを通ったのかと改めて周囲を見た。
本能寺の変で織田信長が死亡したとき、徳川家康は堺を物見遊山していた。本能寺の変を知り、明智光秀の追っ手を逃れるため、伊賀越えの道を通って伊勢に出て、浜松城へ帰ったのだ。供は34名しかいなかった。徳川家康最大の危機と云われている。
来年の大河ドラマで、この伊賀越えは描かれるだろうか?
11月25日。京都駅前のホテルを出発し、まず宇治田原にある正寿院へ向う。地図で調べると、山奥にあるようである。路線バスとコミュニティバスを乗り継がなければいけない。個人で行くには時間がかかる。
正寿院がどういうお寺なのか、予備知識はまったくなかった。御朱印ツアーなので珍しい御朱印があるのだろう。
京都駅前から45分ほどで正寿院近くに着く。案外時間がかからなかった。大型バスはお寺の駐車場まで行けず、10分以上歩いた。
お寺としては小さい。
少し離れた所に客殿がある。
ここが人気スポットとなった。いのめ窓が評判になったからである。いのめ=”猪の眼”だが、これがハートに見えるのが女性に人気となった。ネットで知った。
高齢者には無縁だが、写真を撮る。
床を見ると、右側が写真スポットと、張り紙がある。親切なことである。
拡大する。
最近は、何が話題になるか、分かったものではない。しかも急激に盛り上がる。SNS時代の恐ろしさを感じる。
<御朱印> 担当者が一人で、時間がかかった。他にも御朱印があるので、かなり混乱した。
京都西山を十輪寺から楊谷寺(ようこくじ)へ。山道を20分ほど走った。
初めてきいたお寺の名前だが、住職さんの説明では、善峯寺、光明寺、楊谷寺を西山三山というらしい。
通称は柳谷観音という。本尊は十一面千手千眼観音菩薩である。第二代の住職が弘法大師ということになっている。宗派は浄土宗だから、やや混乱する。
手水場。お花で飾ってあった。
本堂。
高台から見る。
<御朱印> 「美心」である。楊谷寺には、淀殿弁天堂がある。
1日目の日程はこれで終わる。京都駅前のホテルに宿泊する。紅葉シーズンの日曜日だったから、京都駅は大混雑していた。
もっとも今年の紅葉は遅れ気味である。
京都西山・十輪寺の紅葉風景。
境内のカエデはまだ色が薄かった。
本堂背後の高台のカエデは日当たりがいいためか、色づいていた。
在原業平が塩炊きを楽しんだ塩竃。
大原野神社参拝の後、十輪寺へ。バスで15分ほどの距離。
本尊は延命地蔵菩薩。別名を腹帯地蔵菩薩という。安産祈願のお寺である。
通称は業平寺(なりひらでら)。在原業平の晩年の住まいとされている。お墓もある。
門は小さい。閉まっている。右横の戸から入る。
本堂は御神輿型で変っている。
鐘楼と紅葉。
本堂背後の高台から眺める。
<御朱印>限定版である。「延命殿」。
桃山の乃木神社から西山の大原野神社へ移動する。
大原野神社は奈良の春日大社を勧請して創建された。
京都西山地区の紅葉スポットだが、紅葉観光客は東山に行ってしまう。パレートの法則(80/20の法則)は観光スポットにも当てはまるらしい。比較的静かだった。
鳥居を通る。
緑の参道の向こうに紅葉が見える。
紅葉の中に入る。
右手に鯉沢池あり。
拝殿前。
拝殿。春日様式で、横長で、高さがない。
<御朱印> 普通の御朱印だった。
11月24日&25日。京都御朱印ツアーに参加。紅葉の季節なので、紅葉の美しい神社とお寺を選んだようである。
御朱印については、添乗員任せで各寺社とも一つずつにした。もっとも御朱印の多い寺社を選んだらしく、御朱印熱に罹っている?人は数枚ではすまず、10枚以上もらっている人もいた。
今の御朱印ブームはすごいが、行きすぎじゃないかな。
ツアー最初に訪れたのは、京都桃山にある乃木神社である。明治天皇桃山御陵の南に鎮座する。
乃木神社と御朱印ビジネスは結びつきにくいが、宮司さんの方針なのだろう。御朱印の種類は豊富。何種類ぐらいあったのか?
社務所の前に見本が並んでいるので、それを見て、申込書に記入する。宮司さん一人で対応するので予め書き置きの御朱印紙が用意してある。書き置きがなくなれば、その日はその御朱印はもらえない。売り切れ?てしまう場合もあるということだ。
乃木神社自体は厳かな雰囲気である。
道路にある鳥居。
神門。
神門をくぐり、参道を歩く。
参道は右に折れ、社殿を見る。
社殿。
<御朱印>乃木神社らしくないが、添乗員任せだったので仕方ない。
虎ノ門の金刀比羅宮を参拝後、芝にある増上寺へ。徳川家の菩提寺である。
巨大三門。
背後が東京タワーで、ここはタワーと本堂のコラボが楽しい。
<御朱印> 「黒本尊」である。本尊の阿弥陀如来の御朱印は、「南無阿弥陀仏」と写経しなければ貰えない。書くのが面倒だったので「黒本尊」にした。勝運の仏である。
増上寺は徳川家の菩提寺であり、浄土宗の大本山である。徳川家が浄土宗を重んじたのは、一向一揆(浄土真宗)に苦しめられたからである。よって同じ「南無阿弥陀仏」を唱える浄土宗を普及に力を入れたのだ。
浄土真宗内部の対立に介入し、浄土真宗を東西の本願寺に分裂させ、反目しあうようにした。これが成功し、江戸時代には一向一揆は起こらなくなった。
手強い敵は分裂させ、対立するようにせよ。これが統治の原則だ。
新橋の日比谷神社から虎ノ門に鎮座する金刀比羅宮へ。
最初は、分からなかった。普通の神社を予想していたからだ。道に迷って、結局、裏から入った。
神社の所在が分からなかったのも無理はない。高層のテナントビルの一階にある。虎ノ門の一等地にあるのだから、再開発してしまったらしい。
ビルの名は、琴平タワーである。
桜田通りに面している。鳥居が立っているが、気がつかなかった。高層ビルと鳥居では、高層ビルに目が行ってしまうので見落としたのだ。
これが琴平タワー。本格的な高層テナントビルだ。
ビルの方から金刀比羅宮を見る。
社務所は、ビルの1階である。写真の右下。
都心の一等地にあると、再開発が可能である。神楽坂の赤城神社も再開発したが、ビルはこれほど高くはなかった。西新宿の成子天神社も再開発したが、境内の一角を高層の分譲マンションにしたものだった。社務所は別に建てて分離している。
神楽坂の赤城神社、西新宿の成子天神社はともに社殿を新しくしたが、ここは古い社殿を生かしている。宮司さんの意向だったのだろう。
<御朱印>
日比谷神社を参拝する。もともとは日比谷に鎮座していたが、現在地に移転した。
環状二号線と第一京浜が交差する四つ角にあり、背後が汐留の巨大再開発地区だから、本当に小さく見える。背後にJRも走っている。今までにお参りした神社の中では、最悪のロケーションである。気の毒になってしまう。
無人ならともかくも、神職さんが常駐している。もっとも隣のビルなどは貸しているのかもしれない。都心だからあり得る。
こういう神社らしくない状況だと、かえって珍しがられるかもしれない。
<御朱印> 書き置きだった。紙が薄い。シワが寄ってしまった。
若宮八幡宮を参拝したあと、坂東三十三観音霊場第14番札所・弘明寺まで歩き、お詣りを済ませ、弘明寺駅から京急富岡駅まで乗る。坂東三十三観音霊場巡りについてはいずれ書くことにする。
富岡八幡宮を参拝する。
富岡八幡宮というと、深川にある富岡八幡宮をすぐ思い起こすが、京急富岡に鎮座するこちらの方が本家本元である。
源頼朝が鎌倉の鬼門に当たるここに八幡宮を創建した。「富岡」という神社名は岡の上に建てられたからである。名前の通り、岡の上にあることは京急富岡駅から見ると、よく分かる。写真の樹木に覆われた岡に富岡八幡宮が鎮座している。
深川の富岡八幡宮は、徳川家康が江戸城の鬼門除けとしてここから勧請したものである。深川は埋め立て地で「岡」と呼べるものはない。
もっとも富岡八幡宮と云えば、深川の方が断然知名度が高い。本家の方が影が薄くなってしまった。
京急富岡駅から徒歩13分ほどで富岡八幡宮の鳥居に到達。
階段を上がり境内に入る。
社殿。11月15日は七五三詣の日だった。
社殿全体をガラス窓で覆っているのは珍しい。雪国だとよく見かける風景だが、関東では雪がほとんど降らないのでどういう理由だろうか。
海風で傷みがはげしいのだろうか。
朱塗りの本殿がガラス越しに見えた。
<御朱印> 筆書がなく、伊勢神宮方式である。
横浜市南区に鎮座する若宮八幡宮を参拝する。横浜地下鉄の弘明寺駅で下りる。こんもりした丘を目指して歩く。
入口となる鳥居はわかりにくい。マンションの横にあるからだ。
住宅街の中を歩く。
小さな鳥居をくぐり階段を上がる。
社殿。
静かな神社で人の気配を感じない。11月15日は七五三詣での日だから、人の気配がしないのが不思議だった。社務所も閉じられていた。
呆然として立っていたら、宮司さんの奥さんが出てきた。御朱印を頼む。監視カメラか何かで見ていたのだろうか。
こういう神社は気おくれがする。
<御朱印>
社殿の前に大きなカエデがあった。まだ紅葉していない。宮司さんにそのことを聞くと、完全に色づくのは12月20日頃だという。正月には散ってしまうそうである。12月下旬が見頃とは遅い。
(追記)
若宮八幡宮参拝後、坂東三十三観音霊場第14番札所の弘明寺をお詣りしたが、それは別の日に記す。