ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

御朱印紀行 益田市 (高津)柿本神社

2022年05月29日 11時15分17秒 | 旅行
荻・石見空港へ行く途中、(高津)柿本神社を参拝する。柿本人麻呂ゆかりの地だけあって、他にも柿本神社があるので、(高津)柿本神社としておく。柿本神社の本宮と呼ばれている。

もともとは、人麻呂の没後、神亀年間(724~729年)に鴨島に社がつくられたが、1026年の大地震で鴨島が没してしまった。御神体が高津松崎に流れ着いたので、その地に人丸社が建てられた。現在地に移されたのは、1681年である。江戸時代であり、境内も社殿もしっかりしたものである。

太鼓橋を渡ってお参りする。





社殿。




ここは万葉公園の入口である。蟠竜湖も近く、恰好のハイキングコースになっている。

高津川が見下ろせる。


人麻呂の歌碑。柿本神社が鎮座するのは高角山である。ここで、人麻呂はこういう歌をつくったのだ。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印紀行 益田市 医光寺 雪舟庭園

2022年05月28日 09時22分26秒 | 旅行
染羽天石勝神社から医光寺へ移動する。

医光寺は臨済宗の寺院で、禅寺である。第五世の住職をつとめたのが雪舟である。

医光寺の総門。もとは、七尾城の大手門だった。




雪舟庭園がある。島崎藤村が感動したという。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印紀行 益田市 染羽天石勝神社

2022年05月27日 09時14分31秒 | 旅行
萬福寺から染羽天石勝神社へ移動する。益田東高校の隣にある神社である。

最初にこの神社名を見たときに、なんと読むか見当がつかなかった。

この神社名は二つに分解すると分かりやすい。染羽・天石勝神社である。

祭神の天石勝(あめのいわかつ)命は、この地を開拓した春日氏の祖神である。開拓民の神様なので、他の地域にもあるはずだ。他の地域と区別するために、地名を頭に付けたのだ。この神社が鎮座するところは、染羽という地域である。

染羽天石勝神社は、古社で、延喜式内社である。

鳥居。右側が益田東高校のグラウンドである。



本殿は、国の重要文化財に指定されている。



御朱印は、書き置きで、厳重な封筒に入っていた。帰宅したあと、ナイフで開けたぐらいである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印紀行 島根県益田市 萬福寺 雪舟庭園

2022年05月26日 08時16分29秒 | 旅行
島根県益田市にある萬福寺を参詣する。雪舟庭園で名高い。益田市は、雪舟関連の施設が多い。

萬福寺へは、益田駅からバスで行く。



本堂は、国の重要文化財に指定されている。鎌倉様式で、屋根の反りが見事。


萬福寺には、雪舟庭園がある。国史跡及名勝に指定されている。造園されたのは、1479年である。



ずっと見ていると、石が仏様に見えてくるが、仏教の世界観がわからないと、読み解くことは難しい。一番上の石が須弥山を表すらしい。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津和野駅

2022年05月25日 09時30分53秒 | 旅行
津和野駅で1時間ほど待つ。

津和野駅は駅舎を新築中だった。無人駅らしい。駅員の姿は見かけなかった。

山口線は、ワンマンカーで、駅は無人である。大赤字路線だから仕方ない。地方の路線はこういうものである。

駅名表示にはとまどった。昔は、こういう表記だったのだろう。「乃わつ」とは何か。昔は、横書きも右から左へ書いたものだが、それが堂々と今でも残っているのは珍しい。それにしても「の」を「乃」と表記しているのはどういうわけか。

もちろん、今はこういう表記である。


向いのホームに「やまぐち」号の車両がとまっていた。翌日が日曜日だったから、臨時運転されたのだろう。


駅で目の前の丘を見る。思ったことは、東京は日本ではない。東京で考えることが日本各地で通じると思うのは誤りだ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印紀行 島根県津和野町 永明寺(ようめいじ) 森鴎外菩提所

2022年05月25日 08時22分52秒 | 旅行
森鴎外の菩提所である永明寺を参詣する。津和野の中心街から離れた丘の中腹にある。曹洞宗の禅寺であり、禅寺に相応しい閑静な場所にある。





創建は1420年。現在は修復工事中。前方だけは工事を終えていた。檀家が少なく、資金面では苦労しているらしい。


本堂は広い。かっては、石州の中心の禅寺だった。それが雨漏りするような状態になったという。

先代の住職さんが亡くなったあとは、別の寺院の住職さんが兼務しているという話だった。


ここに森鴎外の墓所がある。



別に森鴎外の愛読者というわけではないが、森鴎外が悩んだ日本と西洋の相克は、今でもまだ解決されていない。我々の世代は、その相克に気付かないほど、西洋の圧倒的な力に盲従している。気付くのと気付かないでは、天地の違いがある。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小京都 津和野 昔の街並み

2022年05月24日 12時54分29秒 | 旅行
津和野の昔の街並みは、殿町、本町と続く。

殿町の入口のベンチで1時間ほど休んだ。観光ツアーの団体が次から次へと目の前を通っていった。観光旅行は平常に戻ったようだ。もっとも人数制限はされているようで、一組は20人程度だった。

殿町通り。武家屋敷のあったところだ。


片側の流れには鯉が泳いでいる。




藩校の養老館。森鴎外もここで学んだ。



家老の大岡家の門。これを見ると、現代の我々の生活には門がない。門の文化は失われたのだ。



信号から殿町を見る。


信号の先は本町である。殿町と本町の間には、かっては総門が設けられて、区分されていた。武士の世界と町人の世界は分け隔てられていた。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印紀行 島根県津和野町 彌榮(やさか)神社

2022年05月24日 08時08分40秒 | 旅行
太皷谷稲荷神社の一の鳥居の斜向かいに、彌榮(やさか)神社が鎮座する。

太皷谷稲荷神社の一の鳥居。


斜向かいに彌榮神社がある。無人の神社のように見えた。



左側に社務所があり、小さく戸が開いていた。神職さんの姿も見えた。



彌榮神社はもともと祇園社と言った。通常、祇園社は八坂神社と表記するが、ここは彌榮神社と表記する。神職さんが云うには、こうなった理由は今では分からないそうだ。

境内の石碑には弥栄神社と書いてあるものもある。かなりブレがある。

ここは、国の重要無形民俗文化財の「鷺舞」で知られている。

武家屋敷通りの入口に鷺舞のモニュメントが置かれている。こういうものと云うことで参考に。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印紀行 島根県津和野町 太皷谷稲成神社 日本五大稲荷の一つ

2022年05月23日 13時41分28秒 | 旅行
島根県津和野町を訪れる。森鴎外のお墓をお参りするためだった。今年は森鴎外没後100年になる。

津和野町で最も有名なスポットは、日本五大稲荷の一つ、太皷谷稲成神社と小京都呼ばれる昔の街並みであろう。

津和野は街並みは平坦なので、レンタサイクルが利用しやすい。

太皷谷稲成神社は丘の中腹にある。通常、稲荷神社と記すが、ここは稲成神社と表記する。

下から赤い鳥居が上の方に伸びているが見える。千本鳥居である。徒歩の場合は、ここを上がる。


一の鳥居をくぐり、登り始める。







境内に入る。社殿。昭和に建て替えられたもの。町の人は、あんな派手なものを建ててしまって、と言っていたが。



アレッと思ったのは、注連縄で、これは出雲大社と同じである。10年前に新しいものと変えたが、まだ古びていない。


もともとの太皷谷稲成神社の社殿もある。元宮である。なるほど、これと比べると、今の社殿は派手である。


元宮から出てきた神社の人に話を聞く。五大稲荷とは、伏見稲荷(京都)、祐徳稲荷(佐賀)、笠間稲荷(茨城)、竹駒神社(宮城県)とこの太皷谷稲成神社をいう。

豊川稲荷が有名だが、神様が違うといっていた。豊川稲荷はダキニ天を祀るからだ。稲荷神社の神様は、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)である。

太皷谷稲成神社は津和野城(=三本松城)の入口にあり、お城の守護のために創建された。創建は、1773年である。比較的新しい。来年は、創建250年になるから、何か、記念式典が行われるだろう。

いろいろと話すことが多かったが、このあと、下におりてから、あの人は宮司さんだったと気がついた。袴が普通の神職さんのものとは違っていて格があるものだった。

太皷谷稲荷神社は津和野では目立つ。森鴎外記念館からも見えた。幟が多数立っているが、こちらは車道である。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印紀行 北千住 千住神社

2022年05月18日 09時22分01秒 | 旅行
北千住に鎮座する千住神社を参拝する。日光街道の千住警察署入口信号を入った場所にある。

神社石碑に「八幡太郎源義家陣営の地」とある。源義家がここに陣営を設けたという。





もともとは、稲荷社だった。その後、氷川神社を勧請し、稲荷社・氷川社の二社となった。千住神社と神社名を改めたのは1916年である。

祭神は、須佐之男命と宇迦之御魂命である。

ここは千住七福神の札所(恵比寿)でもあり、お社がある。


御朱印は書き終えるまでかなり待った。力の入った御朱印で、こういう御朱印はやはり時間がかかる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印紀行 埼玉県日高市 聖天院

2022年05月15日 19時28分26秒 | 旅行
高麗神社を参拝したあと、聖天院に向う。徒歩で10分ほど。高麗神社に祀られた高麗王若光の菩提寺である。創建は751年という。


山門。


山門を通り、中門へ。ここが入口で、拝観料を納めるが、無人である。御朱印もここに置いてある。


中門を通ると、大きな庭園の前に出る。ツツジの季節は美しかっただろう。


本堂へは階段を上がる。規模の大きな寺院である。


本堂。本尊は不動明王で、聖天院は、現在、真言宗の寺院である。


眺めはいい。



高麗王若光の御陵があるが、小さなもので、気が抜けた。創建当時は小さなお寺であったように思う。


聖天院と高麗神社はワン・セットでお参りすべきだろう。関連があるからだ。

以前、巾着田の彼岸花を観光に来たとき、巾着田から聖天院・高麗神社と歩いたことがある。恰好のハイキングコースになっている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印紀行 埼玉県日高市 高麗(こま)神社

2022年05月14日 17時45分55秒 | 旅行
埼玉県日高市に鎮座する高麗神社を参拝する。

JR川越線と八高線の高麗川駅から徒歩で20分。

現在は日高市となっているが、以前は高麗郡だった。「続日本書紀」に716年関東各地に定住していた高麗人1799人を武蔵国に集め、高麗郡をつくったことが記されている。

高麗(高句麗)は668年に唐・新羅により滅ぼされ、王族や遺臣が日本に亡命してきていたのだ。

高麗王若光が大和朝廷の官人としてこの地に赴任し、初代郡長となり、この地を開拓した。

高麗王若光を祀るために高麗神社が創建された。高麗王若光の子孫が代々この高麗神社の宮司を務めている。現在の宮司は60代目という。






清々しい境内だった。




上皇陛下ご夫妻が天皇でいらした時に、この高麗神社をお参りしたことで注目を集めた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印紀行 南千住 素盞雄(すさのお)神社

2022年05月13日 14時37分26秒 | 旅行
千住大橋の南に鎮座する素盞雄(すさのお)神社を参拝する。南千住駅から徒歩で10分ほど。

平安時代に創建された古社である。素盞雄大神と飛鳥大神が祭神である。


下町のこのあたりは、まだ氏子さんの力が強いのか、風格のある神社だ。



素盞雄大神の他に、飛鳥大神を祀る。飛鳥大神は聞き慣れない名前だが、善悪を一瞬に見分ける明智の持ち主とされている。

境内の天王社に祀られている。


南千住というと、松尾芭蕉が奥州・奥の細道へ旅立った出発点である。境内に句碑がある。


神社から千住大橋までは近い。奥州街道・日光街道への出発点である。大橋というが、今では大橋に見えないのは時代の流れである。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印紀行 (新宿十二社) 熊野神社

2022年05月11日 08時51分46秒 | 旅行
新宿中央公園に鎮座する熊野神社を参拝する。新宿十二社・熊野神社と呼ばれている。十二社とは、熊野神社の十二権現を勧請したことによるものであるという。

新宿中央公園のナイアガラの滝から神社に向う。


熊野神社。社殿と東御門。


左に回り、鳥居から入る。


背後は新宿の高層ビル街である。昔は、このあたりは茶屋や料亭が建ち並んでいたという。


社殿。祭神は、櫛御気野大神と伊邪那美大神である。櫛御気野大神は聞いたことのない名前だが、素戔嗚尊の別名という。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印紀行 神奈川新町 笠楻(かさのぎ)稲荷神社

2022年05月09日 21時14分05秒 | 旅行
笠楻(かさのぎ)稲荷神社を参拝する。御朱印は神職在社時のみということだった。大安の日曜日ならまず大丈夫と思いお参りしたが、ちょうど神職さんが車に乗る直前で、慌てて御朱印を頼んだ。神職さんは先を急いでいるはずだったが、快く応じてくれた。御朱印を書く時間も長かったが、この御朱印は力作で、時間がかるのも不思議ではない。

笠楻(かさのぎ)稲荷神社は京急本線・神奈川新町駅近くにあり、電車からも大きな樹木が生えているのが見える。読み方が難しい神社である。

鎮守の森というより大木が多く、枝を四方八方に伸ばしている。道路まで飛び出ているものもある。もっと伸びれば線路まで届いてしまうのではないか。




社殿も樹木に覆われている。





霊感が多い神社なのか、写真が圧縮ソフトで処理できないという不思議なことが起きた。ここの部分だけ抜け落ちて、前後の画像は圧縮できたのだから、不思議なことだ。あれやこれやで、どうにか、画像をアップできるようになったが、不可解なことが起きるものだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする