建長寺、法堂の観音像をお詣りした後、建長寺境内にある塔頭の妙高院に向う。
予め言っておくと、ここは入りづらい札所である。ビビること間違いなし。
これが妙高院である。
近づくと、門が閉じられている。柵が置かれている。普通の人はここで引き返してしまう。
門の左横にある戸を開けて入るのだが、ためらう人が多い。現に私の後から二人やって来たが、門のところで立ちすくんでいた。入り方を教えた。
<御朱印> 「聖観世音菩薩」である。
建長寺、法堂の観音像をお詣りした後、建長寺境内にある塔頭の妙高院に向う。
予め言っておくと、ここは入りづらい札所である。ビビること間違いなし。
これが妙高院である。
近づくと、門が閉じられている。柵が置かれている。普通の人はここで引き返してしまう。
門の左横にある戸を開けて入るのだが、ためらう人が多い。現に私の後から二人やって来たが、門のところで立ちすくんでいた。入り方を教えた。
<御朱印> 「聖観世音菩薩」である。
鎌倉三十三観音霊場巡り、第31番の浄智寺から建長寺へ向う。建長寺には3つの札所がある。建長寺とその塔頭の妙高院と龍峰院である。
浄智寺から建長寺へは徒歩で10分ほど。緩やかな上り坂である。
総門。
三門は巨大である。
三門の先が仏殿である。
本尊は地蔵菩薩である。
観音像はどこにあるかというと、仏殿の背後にある法堂に置かれている。下の写真の手前が仏殿、後ろが法堂である。
建長寺の御朱印所は、入口にある。朱印所の横に朱印の待合室がある。御朱印を求める人が多いのだろう。
<御朱印> 「千手観世音」である。
第32番の東慶寺から横須賀線踏切方向へ歩き、第31番の浄智寺に至る。
源氏山ハイキングコースの入口だが、10月17日は、台風の影響で全面通行止めになっていた。
唐風の山門。
本殿。曇華殿(どんげでん)という。
ただ、観音像は本殿の背後にあるので、うしろにまわらなければならない。
<御朱印> 「南無観世音菩薩」である。
鎌倉三十三観音霊場巡り第3日目。午前にレンタサイクルで6ヵ寺をまわった。鎌倉駅で昼食後、横須賀線で北鎌倉へ移動する。
最初は、まず建長寺へ行き、順次、北鎌倉駅方向へ巡る予定だった。
北鎌倉駅へ着き、西口の寺院を先にお詣りすることに替えた。時計と反対回りに結願所の円覚寺へ行くのがもっとも行程が短くなる。
北鎌倉駅の西口を建長寺方向へ歩き、東慶寺に至る。
本堂。
しかし、観音像は松ヶ丘宝蔵にあるという話だった。本堂の奥の白い建物が宝蔵である。
美形の観音像だった。
<御朱印> 「聖観世音菩薩」である。
第24番の浄光明寺から第25番の海蔵寺へ。
横須賀線沿いを走り、岩船地蔵横を通り、ガードをくぐり、緩やかな坂道を上がる。ここは紅葉通りである。
本堂。
裏が庭園になっているが、入れない。
<御朱印> 「南無十一面観世音」である。
海蔵寺をめぐり終えたのが11時45分だった。レンタサイクルは10時~12時の2時間の利用時間だった。駅に戻り、昼食をとった。
午前中は6ヵ寺をまわった。結願まで、あと7ヵ寺。
鎌倉三十三観音霊場巡り、第24番の寿福寺から第25番の浄光明寺へ。横須賀線の踏切を越えて、住宅街の中に入る。
住宅街の中にあるので、ここも初めての人には探しづらい。参道の両側は住宅である。
山門は閉じられていて、左側から入る。
本堂。
<御朱印> 「千手大悲殿」である。達筆だが、お寺の名前が分かりづらい。印判で判断するしかない。
鎌倉三十三観音霊場巡り、第12番の教恩寺をお詣りした後、北に向う。大町・材木座地区から扇ガ谷地区へ移動する。鶴岡八幡宮の前を通り、横須賀線の踏切を渡り、第24番の寿福寺に至る。
扇ガ谷・北鎌倉地区にある札所は観光寺院であるので何度か訪れたことがあり、迷うことはなかった。
寿福寺は鎌倉五山の一つ。五山の中ではもっとも取っつきにくいお寺である。
門に柵が置いてあって本堂に近づけない。賽銭箱も置いていない。取っつきにくい印象を生じるのはこのためだろう。
本堂。
御朱印は寺務所で貰えるが、ここも近寄りがたい。かなり、ビビる。
<御朱印> ここは筆書きしてもらえない。書き置きである。住職さんの体調が悪いということである。「南無十一面観世音」である。
裏手に回る。立入り禁止の場所であるが、工事関係者が案内板を置き忘れたらしい。ちょっと様子を見る。
鎌倉三十三観音霊場巡り、第11番の延命寺から第12番の教恩寺へ戻る。
先ほどのシニアの歴史の会の一行がちょうど出てきたところだった。入れ替わるようにお詣りした。
庭園もある寺院だった。
<御朱印> 「聖観世音」である。
ここで、大町・材木座の札所をめぐり終えた。ここは観光寺院というより普通のお寺が多かった。順番としては、一番駅から遠い光明寺からお詣りするのがいい。駅近のお寺を残しておいた方が次の時にまわりやすいからだ。
鎌倉三十三観音霊場巡り、第15番の向福寺から第12番の教恩寺へ向う。
自転車をおりたとき、ナンとか歴史の会というシニアの一団がゾロゾロやってきた。30人以上いたのではないか。
この人たちと一緒ではかなわない。後回しにすることにし、近くにある第11番の延命寺へ向う。
延命寺は横須賀線の踏切の横にある。寺院という雰囲気は乏しい。
右の柵がお寺の柵である。
<御朱印> 「聖観世音」である。
2019年10月17日。鎌倉三十三観音霊場巡り第3日目。1日目と2日目で20ヵ寺をまわった。残り13ヵ寺。
計算すると、残り13ヵ寺は一日でまわれる。
鎌倉駅10時。レンタサイクルを利用した。
まず、2日目にまわれなかった第15番の向福寺へ向う。五所神社バス停まで行く。寺社の案内板があったので見ると、離れた寺社は矢印があるのに向福寺は矢印がない。
矢印がないということは近くにあるということだ。
辺りを見回すと、奥まったところに向福寺があった。普通の民家と変らないのと前の樹木が視界を遮って見落としたのだ。
レンタサイクルの受付所でもらった地図では横道の奥にあるように記載されていたが、実際はバス通りに面している。
これには、いささか気が抜けた。
本堂。
<御朱印> 「聖観世音」である。
鎌倉三十三観音霊場巡り、第17番・補陀洛寺を詣でた後、またバス通りに戻る。鎌倉駅方向へ行き、五所神社バス停で、右に入る。五所神社の北に来迎寺がある。
やや奥まった所にある。道の手前が大きな駐車場になっているので、それを目当てにすれば間違いがない。
寺の入口の白い建物が来迎寺会館である。
<御朱印> 「子育観世音」である。大きく分類すると、「聖観音」になる。住職は法務で不在。書き置きだった。志納箱に御朱印代を入れたが、私がこの日では初めてだったようである。10月の初めでは鎌倉三十三観音霊場巡りをする人は稀なのだろう。
ここでレンタサイクルの残り時間が少なくなり、疲れもあったので駅に戻る。
鎌倉観音霊場巡り2日目は全部で13ヵ寺をまわった。1日目が7ヵ寺だったので、残りは13ヵ寺。計算すると、残りの13ヵ寺も一日で廻れそうだ。
第16番・九品寺をお詣りした後、第17番の補陀洛寺へ向う。バス通りを光明寺の方角に戻る。
バス停でいうと、九品寺と材木座の中間にある道を入る。
周囲はじゅうたくが建ち並ぶ場所に補陀洛寺があった。
<御朱印> 「十一面観世音」である。
材木座海岸前にある光明寺とその二つの塔頭をお詣りした後、材木座にある札所を巡る。材木座にある札所は観光寺院ではない。住宅地にあるので、道が分かりにくく、見つけにくい。
最初に九品寺へ行く。バス通りに面しているので迷うことがない。
九品寺を起点にして他の札所を探すのが安全だ。
<御朱印> 「聖観世音」である。寺名の筆書きは達筆で分かりにくい。印判がないと、どこの寺か、分からない。
第20番の千手院から第19番の蓮乗院へ。
蓮乗院も光明寺の塔頭である。位置関係をいうと、光明寺の左に千手院、右に蓮乗院がある。
札所としては18番、19番、20番と3つだが、実質的には1寺である。
<御朱印> 「十一面観世音」である。
第18番・光明寺をお詣りしたあと、第20番の千手院をお詣りする。
光明寺と道を隔てているだけの場所にある。光明寺の塔頭である。
<御朱印> 寺名の通り、「千手観世音」である。