朝、平河天満宮を参拝し、御朱印をいただく。これが平成最後の御朱印である。
平河天満宮を選んだ理由は、ここが皇居に最も近い神社(天満宮)だからである。
地下鉄の半蔵門駅でおりる。駅前に警官が立っていて、警備は厳重だった。
<御朱印>
皇居・半蔵門まで歩く。
半蔵門前は各社の報道班が立っていた。
皇居。
これが平成最後に見る皇居である。新緑が瑞々しい。
朝、平河天満宮を参拝し、御朱印をいただく。これが平成最後の御朱印である。
平河天満宮を選んだ理由は、ここが皇居に最も近い神社(天満宮)だからである。
地下鉄の半蔵門駅でおりる。駅前に警官が立っていて、警備は厳重だった。
<御朱印>
皇居・半蔵門まで歩く。
半蔵門前は各社の報道班が立っていた。
皇居。
これが平成最後に見る皇居である。新緑が瑞々しい。
御朱印ブームで、御朱印案内の本も多い。
御朱印所前の行列を見て、これはビジネスだと思うようになった。御朱印の待合室を建てているところもあるからね。
神社にどの程度の収入があるのだろうか? 経理関係の仕事をしていたので、こういうことが気になる。
先日、日経新聞に古峰神社の御朱印記事があった。古峰神社の御朱印は、天狗の絵柄で人気である。
記事によると、一日平均250程度の御朱印を書くという。一個につき御朱印代は500円。
とすると、一日の御朱印収入は500円×250で125、000円である。
1年換算だと、125000円×365で45、625、000円である。つまり、4600万円弱の収入がある。
これはバカにならない数字だ。御朱印に熱を入れている神社が多いのも肯ける。
(追記)
ところで御朱印代が500円の神社が増えてきた。300円の朱印代を値上げするとすれば400円になるのが普通だが、神社は「死」を穢れと受け止める。そこで「死」を連想する「4」という数字が嫌われる。300円の御朱印代が500円にアップするのはそのためだ。
500円にするのは人件費を賄う意味もある。最近の御朱印ブームで、御朱印専門の人を雇うところが多い。500円にしないと赤字になってしまうという。(ある神職さんの説明である。)
三嶋大社を参拝後、三島駅から東海道本線に乗り、熱海駅へ。ここで伊東線に乗換え、次の来宮駅でおりる。
来宮神社には、樹齢2000年という大楠がある。屈指のパワースポットとされる所以である。
来宮駅の出口は海側にあるが、来宮神社は山側である。駅から案内板がつづくので道を間違えることはない。歩いて5分程度。ガードをくぐると鳥居が目の前に見える。
境内は樹木が多く鬱蒼としている。
拝殿。
こういってはなんだが、拝殿で拝むことは重要ではない。目的は、あくまで国の天然記念物に指定されている樹齢2000年の大楠である。
拝殿の裏に回る。
結構グロテスクである。
左下の人の大きさを見れば、巨木ぶりが分かる。
屈指のパワースポットということで参拝客の絶え間がない。社務所は瀟洒であるし、付属のカフェもある。境内にベンチも多い。鳥居の外にもカフェがある。
令和の御代に長寿を願い参拝する人がなお多くなるだろう。
<御朱印>
富士宮市に鎮座する冨士山本宮浅間大社を参拝後、再び身延線で富士駅に戻り、東海道本線に乗換え、三島駅で下りる。昼時だったので駅で昼食をとる。
13時に三嶋大社に向い歩く。駅から15分ほど。
大鳥居。
ここも桜の名所だが、新緑に変り、ツツジが咲き始めていた。
三嶋大社は、総門、神門をくぐって境内に入る。
三嶋大社の社殿は、国の重要文化財に指定されている。
この社殿をなんと言っていいのか。私の見た限りでは、もっとも重量感のある社殿である。
拝殿前に舞殿がある。
拝殿。
横から本殿を見る。
舞殿前に天然記念物の金木犀の木がある。9月に満開となる。4月はまだ葉が生い茂るまでにはなっていない。
<御朱印>
4月26日。駿河國一之宮・冨士山本宮浅間大社を参拝する。桜の季節は終わったが、新緑が美しかろうと思い参拝した。期待は裏切られなかった。雨が降ったりやんだりの小雨模様で、なおさら新緑が際立った。
新横浜駅から9時21分のひかり号で三島駅へ。三島駅から東海道本線で富士駅、ここで身延線の乗換え、富士宮駅で下りる。乗り換えがスムーズに行き、富士宮駅には10時38分に着いた。駅から本宮までは徒歩で12分ぐらい。
一の鳥居。大きい。大昭和製紙の社長の名前があった。バブル期に話題になった人でいい印象は持っていない。派手なことが好きだったのだろう。
参道を歩く。ツツジが咲いていた。もうツツジの季節到来である。
楼門。
楼門と通り、境内に入る。
正面が拝殿である。
普通の拝殿のように見えるが、本殿は2階建てが特徴の浅間造である。横から見ないと分からない。
御神水の湧玉池にまわる。
緑がまぶしかった。
<御朱印>
福井県(越前)にある平泉寺白山神社をお参りしたあと、九頭竜湖の横を通り、美濃街道で岐阜県(美濃)に入る。
美濃側の白山の入口に長滝白山神社がある。加賀、越前よりもこの美濃側から白山に登る人の方が多かったという。
長滝白山神社は長良川鉄道の白山長滝駅前にある。
拝殿は舞台があり、かなり風変わりである。
<御朱印> 筆書きがよみにくいが、「白山長瀧神社」と書かれている。
勝山市のシティホテルに宿泊し、翌日に、平泉寺白山神社を参拝する。
平泉寺白山神社は福井県にあるので、ここは白山三ルート(加賀、越前、美濃)のうち、越前ルートの拠点だった。
平泉寺白山神社は、名称が誤解を生む。平泉寺とあるので、寺院のように聞こえる。私も行くまではそのように思っていた。
勝山市のパンフレットでは「白山平泉寺散策マップ」とある。これでは寺院と思うのが普通である。
事実、かっては天台宗の一大拠点だった。総人口は8000人という一大宗教都市だった。一向一揆の襲撃にあい、全山を焼失した。
その後、縮小再建され、明治の神仏分離の結果、「平泉寺」の名称を廃し、白山神社として残った。歴史を知ると、明治政府のこの政策が正しかったのかどうか、疑問が残る。
司馬遼太郎はこの平泉寺白山神社の苔の境内を絶賛した。確かに素晴らしいもので、ここは見逃すことのできない神社である。
駐車場から歩き、入口に到着。
苔の生えた杉並木の参道を歩く。神気充溢の参道である。
拝殿前に至る。
拝殿にしては不思議な形をしている。
本社は拝殿の背後にあった。
司馬遼太郎が絶賛した苔の境内。多くの苔庭を見てきたが、ここはベストに属する。
<御朱印>
白山比咩神社から宿泊地の勝山市までに行く途中、白山別宮神社を参拝した。無人の神社で御朱印とは無縁である。
白山へ行く途中にあり、白山詣の人で、かっては非常に栄えた。神社の前は門前市をなしていたという。
神社前。まだ昔の面影が残っている。
御朱印ナシは気が抜けるが、一応、お詣りした。
ところで、白山が霊山であることは分っているが、どういう山なのかというと、なかなか山の姿を見る機会が少ない。
バスから見る。白い山が白山である。
白山別宮神社をお参りした後、勝山市に向かう。白山別宮神社のすぐ近くに道の駅・一向一揆の里があり、立ち寄った。
一向一揆については白山信仰とは別物と思いがちだが、翌日に訪れることになる平泉寺白山神社と因縁が深い。
手取湖の横を通り宿泊地に向かった。
金剱宮から加賀一ノ宮・白山比咩神社へ。
駐車場から境内に入る。
正式参拝だったので、控室で待つ。13時45分から正式参拝が始まった。拝殿内部は豪華だった。崇拝者が多数いなければできないことだ。
丘の中腹にあるので、境内は狭い。
駐車場横から入ったが表参道は下から杉並木を上がるのだ。神門はこちらにある。
<御朱印>
(補足)
白山比咩神社は加賀一ノ宮だが、所在地の三の宮町となっている。もともとは現在より下の川沿いにあったのだが、水害を避けるために三の宮の所在地に移った。旧所在地は古宮公園になっている。
金沢の西海岸近くの大原湊神社から、白山方向へ走る。
鶴来レインボーラインの途中に白山第一王子の金剱宮(きんけんぐう)がある。
白山(はくさん)は霊山だが、登頂ルートは三つある。加賀(石川県)ルート、越前(福井県)ルート、美濃(岐阜県)ルートである。私が参加したツアーはこの三つのルートの白山神社をお参りするものだった。
金剱宮(きんけんぐう)は第一王子というのだから、金沢から白山に行くルートの最初の休憩所、お祓い所だった。
鳥居がないが、鳥居は道路の反対側の階段の下にある。参道の真ん中に分断するように道路を通してしまったのだ。
社殿は防雪用の覆いが施されている。
枝垂れ桜が満開だった。翌日に九頭竜湖を通ったが、桜は見頃だった。
<御朱印>
白山神社をまわるツアーに参加した。
北陸新幹線に乗り、終点の金沢駅でおりる。ここから直接に白山へ向ったわけではなく、最初は海側に出て、大野湊神社を参拝した。延喜式内社である。白山へ遠回りする形になったが、時間調整という意味もあったと推測する。
神門。
久能山東照宮を参拝後、日本平から静岡駅に戻る。帰りのバスも満席だった。
静岡駅で休憩した。その後、9番乗り場から再びバスに乗り、赤鳥居浅間神社入口で下りる。
赤鳥居は目の前だが、この静岡浅間神社は構造が複雑である。御朱印をもらうときに神職さんの説明を受けなければ理解できなかっただろう。
バス停の目の前の赤鳥居は大歳御祖(おおとしみおや)神社のものである。
静岡浅間神社の社殿はどこにあるかというと、これは存在しない。
具体的に社殿が存在するのは、浅間(あさま)神社、神部(かんべ)神社、大歳御祖神社の三社である。この三つの神社を総称して、静岡浅間(せんげん)神社という。「浅間」を”あさま”と読んだり、”せんげん”と読んだりするのでややこしい。
他に摂社という形で麓山(はやま)神社、少彦名(すくなひこな)神社、八千戈(やちほこ)神社、玉鉾(たまぼこ)神社が存在する。
浅間神社と神部神社は拝殿が一つで、これもややこしい。浅間造の2階建ての拝殿である。
右が神部神社、左が浅間神社である。
境内。楼門は修理中。完成期日は未定。予定ではとっくに終わっていたらしいが、現時点では、完工のメドが立たないそうである。
楼門をぬけて表通りから見る。石鳥居と総門が立っている。これが浅間神社と神部神社の鳥居、総門である。
2019年4月16日。久能山東照宮を参拝する。日光東照宮の原型になった東照宮で、徳川家康の墓(神廟)もここにある。
久能山東照宮へは、昔は海際から1159段の階段を上らなければならなかったが、今は日本平からのロープウエイを利用するのが普通である。
日本平から眺める富士山は絶景である。よって、ここをお参りするには快晴の日を狙うべきである。
4月16日。お天気マークを確かめて出かけた。平日の火曜日だったが、静岡駅からの路線バスは満席で、乗車できない人も出たくらいだ。
日本平。富士山を見る。
ロープウエイで久能山へ。この日は参拝者が多いと言うことで5分間隔の連続運転だった。
拝観料500円也を払い、境内に入る。(御朱印もここで受付け。番号札をもらい、帰りに受け取る。)
楼門。
鳥居。
鳥居の先が唐門だがここは上がれない。横から上がる。
拝殿。極彩色の国宝である。
拝殿の左横の階段を上がると徳川家康の墓(神廟)である。
<御朱印>
赤羽八幡神社を参拝したあと、赤羽駅に戻り、京浜東北線で鶯谷駅まで乗る。
鶯谷駅前にある元三島神社を参拝する。鶯谷は鶯谷風俗で名高く、神社の周囲は全部ラブホテルだった。環境はよろしくない。
元三島神社の境内は狭い。社殿は二階にある。
<御朱印> 正統的?なもの。令和の御朱印は、5月5日に限定版を出すと掲示してあった。100枚限定という。5月1日でないのが残念だ。
居合わせた御朱印をもらっている人に5月1日限定の御朱印はないのかときいた。下谷の三島神社では5月1日限定のものをもらえるという話だった。御朱印マニアの話だったから間違いないだろう。
瀧野川八幡宮を参拝したあと、板橋駅まで歩き、埼京線で赤羽駅まで乗車。
新幹線沿いに歩き、赤羽八幡神社に至る。
”8”の字を横にした御朱印で有名。”8”はもっとも強烈な運気がある数字であるという。
赤羽八幡神社は真下を新幹線が通っている。新幹線のトンネルの上にあるというのが珍しい。
社殿。
境内から線路を見る。右が新幹線、左が東北本線、高崎線、京浜東北線である。
社殿はトンネルの上にあるわけではないが、社務所はトンネルの上である。
<御朱印> カラー御朱印。女性参拝者が多かった。横になったブルーの8の字が目立つ。4月限定で桜の模様になっている。