ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

小江戸 佐原

2021年12月31日 18時27分22秒 | 旅行
佐原は、小江戸・佐原として有名である。江戸時代の街並みが残っている。

佐原はかっては利根川の水運の拠点として栄えた。運送の主流が水運から陸運にうつるに従い衰退した。

街中にも古い建物が多い。




小江戸佐原の中心は、小野川沿いである。常陸利根川に通じる交通の要所だった。



観光船のサッパ船の係留場。



佐原出身の有名人は、伊能忠敬である。

伊能忠敬の旧邸が小野川沿いにある。



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御朱印紀行 佐原 八坂神社

2021年12月31日 17時35分48秒 | 旅行
佐原の大祭で有名な佐原本宿に鎮座する八坂神社を参拝する。御朱印は側高神社で既に貰っていた。普段は無人の神社で、側高神社が管理社である。

佐原駅から江戸時代の街並みで有名な小野川を渡り、5分ほど歩くと、八坂神社に到達する。

昔は佐原市という単独の市であったが、今は合併し香取市になった。合併後も人口の流出は止まっていない。外房線沿いの駅は、どこも人の流出が止まらない。

八坂神社。境内は案外と殺風景である。






社殿の左にコンクリートの建物があるが、山車会館である。開館していれば、ここで書き置きの御朱印が貰えるという。


祭神は、素戔嗚尊である。


佐原の大祭は去年と今年2年連続で中止になった。中止になってホッとしているのは協賛人である。経済的負担が大きいからである。かっては商店主が負担したが、世代が変り、会社勤めが増えた。佐原との経済関係はないが、負担は求められる。こうなれば、祭は厄介ものになってしまう。コロナは祭を廃止する恰好の理由となる。これは佐原にとどまらない。コロナ禍で廃止される祭礼が増えると噂されるのは、こうした理由による。

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御朱印紀行 香取市 側高神社

2021年12月31日 10時43分48秒 | 旅行
香取神宮の東北方2.5キロの所に側高(そばたか)神社が鎮座する。香取神宮の摂社だったという。

地図をよくよく見る。香取神宮を城と見立てると、側高神社は出城である。戦略上の重要ポイントだったのだろう。

側高神社は高台にある。当たり前で、前面は海だったからだ。







社殿。


御朱印は階段横の社務所で。本来なら、電話で事前確認するところだが、年末だから大丈夫だろうと考えた。



側高神社を参拝したのは、佐原にある八坂神社の御朱印を貰いたかったからである。八坂神社の管理社が、この側高神社である。ということで、側高神社と八坂神社の二つの御朱印を貰う。

御朱印には「下総之国大倉鎮座」という印判が押してある。現住所は香取市大倉1である。



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御朱印紀行 香取神宮 奥社・要石  

2021年12月31日 10時11分09秒 | 旅行
香取神宮の本殿参拝後、要石を見学する。鹿島神宮にも要石がある。地震を引き起こす大ナマズの頭尾を押さえる石である。

要石があるということは、この地方は地震が多かったと云うことだ。それは東日本大震災で我々も経験したことである。

楼門を下りた左側に駐車場があるが、そこから要石に向う。


要石。小さな丸い石で気が抜ける。鹿島神宮の要石も同じである。



要石の御朱印は奥社授与所で、という案内があった。何度か、香取神宮を参拝してきたが、奥社はお参りしたことがなかったと記憶する。と言うことで、奥社に向う。5分も歩かないうちに奥社に到達。




奥社は小さかった。昭和48年に行われた伊勢神宮御遷宮の際の古材を用いて建てられた。ここは香取神宮の祭神・経津主大神の荒魂を祀っている。荒魂社である。


奥社入口に授与所がある。奥社と要石の御朱印を貰う。



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御朱印紀行 下総國一之宮 香取神宮

2021年12月30日 20時40分26秒 | 旅行
12月30日、下総國一之宮・香取神宮を参拝する。明日の大晦日は年越の祭礼があり、その翌日からは新年の初詣期間となる。30日なら空いていると思い、年越・新年のお参りに行ったのだ。コロナ禍では人混みは避けたい。

同じようなことを考えている人も多いらしく、駐車場は満杯で結構な賑わいだった。コロナは人の行動を変える。時差初詣もあり、でしょ。

門前町。ここで昼を食べた。


赤い二の鳥居がある。ここから緩やかな坂道を上がる。香取神宮は鹿島神宮と同じく、高台に鎮座する。かっては前面は海だった。海を臨む神社だったのだ。

三の鳥居とその背後の総門が見える。




総門を通ると、正面が手水場。


右に曲がると、楼門がある。いずれも元禄時代に建てられたもので、国の重文に指定されている。



楼門を通ると、参拝者が行列をつくっていた。大祓の「茅の輪」が置いてあったので作法通りにまわると時間がかかる。大晦日に茅の輪は取り去られるという。



拝殿。


香取神宮の祭神は経津主大神で、武神である。この地が蝦夷との戦いの最前線であったことが窺われる。

鹿島神宮をお参りしたときにも書いたことだが、明治以前に「神宮」と呼ばれたのは、伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の三社しかない。いかに重きを置かれたお宮だったかが分かる。

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御朱印紀行 伊豆國一之宮 三嶋大社

2021年12月24日 10時29分12秒 | 旅行
三嶋大社を参拝する。三島駅から徒歩で10分ほど。旧東海道に面して鎮座する神社である。



三嶋大社については個人的な思い入れがある。父が三嶋大社の近くで生まれ育ったからである。父は11年前に死んだが、今でも夏越・年越の御祈祷は郵便で依頼している。

源頼朝は、韮山にある蛭ヶ小島に流されたが、三嶋大社とはさほど離れていず、源氏再興の祈願をしたことで名高い。結局、源氏は復興し、当然のことながら、源頼朝に厚く保護された。

北条氏の所領にも近く、来年の大河ドラマは北条氏を描くから、関連施設として賑わうことだろう。三嶋大社の中で、北条義時ゆかりの社というノボリを見た。

鳥居を通り、参道を歩く。両側が神池となっている。


重厚な総門。12月も20日を過ぎると、初詣モードである。初詣の準備も整いつつあった。


総門を通り、なお歩くと、神門があり、回廊で囲まれている。


正面に建物が見えるが、これは舞殿である。社殿は舞殿の背後にある。


社殿は重厚なもので、江戸時代末期に建てられたもの。


来年の正月はコロナがどうなるか、まだ不明である。初詣のつもりでお参りした。

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御朱印紀行 駿河國一之宮 富士山本宮浅間大社

2021年12月23日 16時13分54秒 | 旅行
駿河國一之宮・富士山本宮浅間大社を参拝する。浅間神社の総本宮である。

身延線・富士宮駅から徒歩で徒歩で12分ほど。東海道線からは富士山がよく見えたが、富士宮駅に到着した頃は雲がかかり始めていた。富士山が見えないと、ここは面白くない。急ぎ足になった。

やっと頂上が見える程度に雲がかかっていた。




浅間大社を参拝するときいつも思うことは、なぜこの地に浅間大社を建てたかと云うことである。もともとは、富士山に祀られていた。

806年に坂上田村麻呂が平城天皇の勅により、現在地に社殿を造った。もともとの宮からは6キロ離れている。社殿の右に湧玉池があり、富士山の伏流水が流れ出ている。これが決め手になったのかと思う。あるいは、有力者がいたものか。

参道の途中に道が通っている。


太鼓橋を渡ると、楼門である。



社殿。


浅間様式で、本殿は二階建てである。横から見ないと、分からない。


湧玉池は社殿の右、回廊を出たところにある。もちろん、霊水である。


紅葉の時は美しかっただろう。


池の水は御手洗川となり、神田川と合流する。やはり、この池があったからこの地に社殿を建てた気がする。


祭神は、木花之佐久夜昆売姫(このはなのさくやひめ)である。相殿神が父親の大山祗神、夫の瓊瓊杵尊である。系図を見ると、木花之佐久夜昆売姫は神武天皇の曾祖母に当たる。

帰りは、浅間大社の前にあるお宮横町で、B級グルメの代表格である富士宮焼きそばを食べる。

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御朱印紀行 常陸国一之宮 鹿島神宮

2021年12月21日 16時23分04秒 | 旅行
鹿島神宮を参拝する。旅立ちのことを鹿島立ちというころから考えても、年明けに参拝する方がいいが、新年は混雑するだろうから、年内にお参りしようと思ったのだ。

鳥居は東日本大震災で倒れしまい、その後に建て直されたものでまだ新しい。



神門。


社殿は徳川秀忠時代に建てられたもの。社殿の目の前に鳥居があるので狭く感じられる。


遠くから見た方が社殿の形が分かりやすい。御朱印所の前から撮影した。


社殿から奥社に向う。深い森になっている。


神鹿がいる。奈良の春日大社の神鹿は、ここから運ばれたものである。その後、鹿島神宮の神鹿は一度断絶し、今度は逆に春日大社から運ばれてきたと説明を聞いたことがある。


奥社。改修中だった。


奥社の前の階段を下りると、御手洗池がある。鹿島神宮を参拝するときは、ここで身を浄めてからお参りしたという。


現在の配置からいうと、御手洗池は鹿島神宮の最奥の場所にあるが、昔は、こちらの方からお参りしたのではないか。

奈良・平安時代に「神宮」と呼ばれたのは、伊勢神宮と、鹿島神宮、香取神宮の三社しかない。当時のことを思えば、東国の僻地に鹿島神宮、香取神宮があったのだ。

蝦夷との戦いの最前線に位置したからだろう。祭神は、武甕槌神である。

今では、鹿島神宮と香取神宮は潮来を挟み、陸地で繋がっているが、古代においては海面が今よりも高く、潮来は海だった。奥にある霞ヶ浦は太平洋と繋がっていて、このあたりは湾だった。

古代に湾だった霞ヶ浦を東京湾に見立てると、鹿島神宮は房総半島の先端にある形になる。戦略上の要衝だった。

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横浜公園・日本庭園

2021年12月11日 16時24分29秒 | 旅行
関内駅前、横浜スタジアムのある横浜公園に出かける。紅葉はどうだろうか?

日本大通のイチョウはまだ見頃だった。


横浜公園の中華街側にある日本庭園。紅葉はまだ良さそうだった。


池のまわりを一回りした。早い木は枯れていたが、まだこれからのものもあり、ムラがある。









今年の紅葉見物はこれでオシマイ。来年は? 鬼が笑う。

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御朱印紀行 碓氷峠 熊野皇大神社 日本三熊野のひとつ

2021年12月07日 10時19分42秒 | 旅行
長野県と群馬県の県境に鎮座する熊野皇大神社(くまのこうたいじんじゃ)を参拝する。日本三熊野のひとつとされる。あとの二つは、和歌山県の熊野本宮大社と山形県南陽市の熊野大社である。

日本武尊が碓氷峠を越えるとき、熊野神社のシンボルである八咫烏に先導されて無事に峠を通過したということから、ここに熊野神社をたてた。

祭神は、日本武尊と伊邪那美尊である。

軽井沢駅からタクシーで碓氷峠まで乗車した。通常ならバス便があるが、冬期は運行していない。タクシー代は2000円ほど。

軽井沢駅も寒かったが、碓氷峠はなお寒く、霧が出ていた。


熊野皇大神社。タクシーの運転手さんのいうことには、参拝客は少なくなったそうである。


石畳に長野県・群馬県の県境の表示がある。県境に鎮座する神社として有名なのは、他に茨城県・栃木県の県境に鎮座する鷲子山上神社がある。巨大なフクロウの像で名高い。


階段を上がる。


随神門。


本宮。屋根の真ん中が長野県・群馬県の県境である。左側が長野県、右側が群馬県である。賽銭箱が二つあるのは、長野県側の熊野皇大神社と群馬県側の熊野神社が別々の宗教法人であるからだ。


御朱印は12月の限定朱印。普通なら「奉拝」と書くが、ここは「境拝」である。この御朱印は、長野県側の社務所で貰った。通常なら、対面の神楽殿で群馬県側の御朱印も貰えるはずだが、この日は無人だった。

寒くて長居できず、神社前のしげの屋で力餅を食べ、タクシーを呼び、旧軽井沢までおりた。



旧軽井沢の諏訪神社を参拝したが無人だった。御朱印受付の張り紙があったが、12月の月曜日では休む時もあるのだろう。

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御朱印紀行 長野県上田市 生島足島神社

2021年12月06日 10時38分49秒 | 旅行
北向観音を参詣後、別所温泉駅から上田電鉄別所線に再び乗車し、途中の下之郷駅で下りる。生島足島神社へは下之郷駅から徒歩5分である。

御朱印にもあるように、生島足島神社は日本の中心にあるという。20年前だっただろうか、一度訪れたことがある。当時は日本のヘソの神社と言われていた。ヘソでは品がないから真中(中心)に言い換えたらしい。日本列島を人体に見立てると、生島足島神社あたりがヘソになる。

延喜式明神帳によると、明神大社の格付けになっている。信濃国では諏訪大社に次ぐ格がある神社である。

上田電鉄・下之郷駅。神社模様になっている。上田電鉄別所線はほとんどが無人駅だが、ここは駅員がいる。参拝客が利用するからである。



生島足島神社。「式内大社・日本中央」と記されている。



生島足島神社は池の中に鎮座する。



拝殿に行くには石橋を渡る。拝殿の真ん前には神橋がかかっているが、こちらは渡れない。左に石橋がある。



拝殿。

祭神は、生島大神と足島大神。万物を成長させるのが生島大神、万物を満足させるのが足島大神である。大地が御神体というのは珍しく拝殿は床板がない。


御朱印を貰いに御朱印所に行くと、下社もお詣りして欲しいという。

下社は諏訪社で、真田信幸により再建された。


この日は、結婚式があり、花婿花嫁が記念写真を撮っていた。



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御朱印紀行 坂東三十三観音霊場 善光寺の対の寺 北向観音

2021年12月05日 09時43分56秒 | 旅行
坂東三十三ヵ所詣り、結願御礼の善光寺を詣でた後、善光寺の対の寺とされる北向観音をお詣りする。

北陸新幹線・上田駅から上田電鉄別所線に乗り、終点の別所温泉駅でおりる。袴姿の若い女性が改札をしていたので驚く。

こういう恰好でした。ウィンクはなし。


別所温泉駅。


駅前の道が三つ叉になっているが、表示に従う。別所温泉駅から北向観音まで緩やかな坂を上がり続ける。

北向観音は別所温泉の大きな旅館が並ぶ前にある。入口は分かりにくい。寺らしい門ではない。


階段を下り、狭い門前町を通る。


門前町を通り、再び階段を上がる。


正面が観音堂である。



境内から遠くの上田市街を見下ろす。高台にあることが分かるね。


北向観音には日本遺産に登録された愛染かつらの樹木がある。映画「愛染かつら」のモデルになった木である。もっとも戦前の大ヒット映画だから、若い人は知らないだろう。

愛染堂。


愛染かつらの木は鐘楼の隣にある。老木である。



北向観音で、やっと坂東三十三ヵ所詣でも完了した。

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坂東三十三観音霊場 結願御礼の寺 善光寺

2021年12月03日 19時42分19秒 | 旅行
坂東差十三箇所は、那古寺で結願したが、結願御礼の寺が二つある。

ということで、結願御礼に長野まで出かける。新幹線は混んでいた。通常モードに戻ったようだ。

善光寺も参詣客が絶えなかった。

長野駅のバス停1番乗り場からバスを利用する。大門前でおり、少し歩くと、仁王門である。


門前町を歩く。


山門に至る。



本堂。



善光寺の本尊は、一光三尊阿弥陀如来である。一光三尊で、観音菩薩、阿弥陀如来、勢至菩薩が並んでいるはずだが、秘仏で見ることはできない。前立が7年に1度、開帳される。御開帳は来年であるから、来年にお詣りするのがベストである。

善光寺も御朱印が多く、全部集めたら大変なことになる。九社まいりの御朱印帳を見つけたので、全部で九社か。大勧進や大本願でも季節限定の御朱印があるようなので、収集家は張り切ることだろう。御朱印代が300円なのは嬉しい。

門前町で珍しい店を見つけた。最初は分からなかったな。スターバックスである。景観を統一するためにこういう店になった。





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横浜公園 日本庭園

2021年12月03日 19時35分47秒 | 旅行
12月2日。横浜スタジアム裏の横浜公園・日本庭園に行く。

残念ながら、紅葉はまだだった。来週はもっと良くなりそうだ。紅葉も12月にならないと、見頃にならないようになった。

ところによっては、クリスマスまで見頃という場所もある。







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