鹿島神宮を参拝する。旅立ちのことを鹿島立ちというころから考えても、年明けに参拝する方がいいが、新年は混雑するだろうから、年内にお参りしようと思ったのだ。
鳥居は東日本大震災で倒れしまい、その後に建て直されたものでまだ新しい。
神門。
社殿は徳川秀忠時代に建てられたもの。社殿の目の前に鳥居があるので狭く感じられる。
遠くから見た方が社殿の形が分かりやすい。御朱印所の前から撮影した。
社殿から奥社に向う。深い森になっている。
神鹿がいる。奈良の春日大社の神鹿は、ここから運ばれたものである。その後、鹿島神宮の神鹿は一度断絶し、今度は逆に春日大社から運ばれてきたと説明を聞いたことがある。
奥社。改修中だった。
奥社の前の階段を下りると、御手洗池がある。鹿島神宮を参拝するときは、ここで身を浄めてからお参りしたという。
現在の配置からいうと、御手洗池は鹿島神宮の最奥の場所にあるが、昔は、こちらの方からお参りしたのではないか。
奈良・平安時代に「神宮」と呼ばれたのは、伊勢神宮と、鹿島神宮、香取神宮の三社しかない。当時のことを思えば、東国の僻地に鹿島神宮、香取神宮があったのだ。
蝦夷との戦いの最前線に位置したからだろう。祭神は、武甕槌神である。
今では、鹿島神宮と香取神宮は潮来を挟み、陸地で繋がっているが、古代においては海面が今よりも高く、潮来は海だった。奥にある霞ヶ浦は太平洋と繋がっていて、このあたりは湾だった。
古代に湾だった霞ヶ浦を東京湾に見立てると、鹿島神宮は房総半島の先端にある形になる。戦略上の要衝だった。