ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

初詣 川崎大師 不動堂

2025年01月16日 20時03分05秒 | 旅行
川崎大師・本堂をお詣りしたあと、左隣にある不動堂へ歩く。

ここは関東三十六不動霊場の第7番札所である。これまでに関東三十六不動霊場は5回巡ったので、ここも愛着がある。不動尊は私の守り本尊であるのでなおさら親しみがある。

ここをお詣りするときは、一度境内の外に出て、不動門から歩く。この不動門は、以前は川崎大師の山門だった。今の山門に比べれば狭いものだ。ここを初詣客が通ったのだが、どういう状況だったのだろうか。


不動門から不動堂へ一直線の参道となっている。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初詣 川崎大師

2025年01月16日 17時00分21秒 | 旅行
川崎大師まで、初詣に出かける。松の内は超混雑するお寺であるから、15日にでかけた。

門前町は賑わう。迂回して、門前町を通らずにお詣りした。





脚痛の兆しがあったが、着いたときにはかなり痛みを覚えた。初詣で川崎大師に出かけるのもこれが最後かもしれない。

知人の近況も芳しくない。動けない者が多いのだ。

御朱印は貰ったが、朱印の数を増やすのは限界に来ている。今は、貰った御朱印をどうしたものかと考えている。

朱印帳を眺めると、過去の思い出がよみがえる。それはそれで懐かしいのだが、生前にどう処分すればいいかと考える。お焚き上げしてもらうしかない。

お焚き上げを頼めるお寺は心当たりがある。いつ頼んだらいいか迷う。急に行けなくなるかもしれないからだ。近いうちのいつか。それが現況である。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初詣 天祖・諏訪神社 京急立会川駅

2025年01月08日 17時30分49秒 | 旅行
京急本線・立会川駅で降りて、駅前にある天祖・諏訪神社を参拝する。

京急立会川駅の前に坂本龍馬の銅像がたっていて驚く。ここには土佐藩の鮫洲抱屋敷があって、坂本龍馬も住んでいたという。


天祖・諏訪神社まで歩く。徒歩3分程。

神様に詳しい人だと、天祖・諏訪というのは、おかしな組み合わせだと思うことだろう。

天祖=天照大神→天津神、諏訪=建御名方神→国津神で、系統が違う。

もともとは、立会川を挟んで、別々の社だった。それが一緒に祀られているのは、合祀されたからである。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初詣 磐井神社

2025年01月07日 09時25分39秒 | 旅行
大森海岸駅から歩き、磐井神社を参拝する。御朱印にもあるように延喜式内社で、古社である。第一京浜沿いにある。

このあたりになると、参拝者も少なく、待たずにお参りできた。




祭神は八幡神で、ここは八幡神社である。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初詣 荏原神社

2025年01月06日 09時00分04秒 | 旅行
旧東海道の目黒川沿いに鎮座する荏原神社を参拝する。旧品川宿にある。


赤い鎮守橋を渡り境内に入る。


品川神社ほどではないが、小さな行列ができていた。



御朱印を見ると、「元准勅祭社」とある。品川神社と同じである。これはどういうことか。荏原神社は、元准勅祭社はこちらだと主張しているらしい。どちらが正しいのかは分らないが、現在では品川神社を元准勅祭社とし、東京十社の一つとしている。

荏原神社も創建は709年だから、1300年以上がたつ古社である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初詣 品川神社

2025年01月05日 20時03分33秒 | 旅行
初詣で、品川神社を参拝する。東京十社の一つであり、1月5日の日曜日では混んいるなと予想したが、案の定で、お参りするのに20分ほどかかった。

最近は待つのが苦手で、普段なら敬遠するところだが、我慢強く待ったのは初詣だから。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初詣 新田神社

2025年01月03日 17時01分12秒 | 旅行
2025/01/03 初詣に新田神社をお参りする。

東急多摩川線・武蔵新田駅から徒歩5分。


破魔矢発祥の神社である。祭神は新田義興。その怨霊を鎮めるために創建された。


行列は短く、有り難かった。



これが今年のお参りの始まりである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉 馬場花木園

2024年12月05日 10時49分50秒 | 旅行
馬場花木園に紅葉を見に行く。紅葉の穴場である。園内はほとんど人がいず、静かである。1時間でも2時間でもボンヤリできるのがいい。家でボンヤリするよりは外でボンヤリする方がいい。しかし、都会では静かで落ち着いた雰囲気のある場所は少ない。

馬場花木園は横浜市鶴見区馬場にある日本式庭園である。好きなところだ。場所が分りにくいので穴場になっている。

12月4日に訪れたが、まだ紅葉真っ盛りだった。今年の紅葉は遅い。




茶室があるが、予約しないと利用できない。



池に行く。






東屋で1時間半ほどボンヤリした。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印巡り 三の酉 大国魂神社

2024年12月02日 09時15分18秒 | 旅行
調布の布多天神社から府中の大国魂神社へ移動する。大国魂神社は武蔵総社で、ここは東京三大酉の市の一つである。賑わいは半端ではない。長い参道の両側に屋台が立ち並ぶ。





神門の両側に大きな熊手が飾ってあった。




酉の市の参拝客の他、七五三の親子連れも多かった。

大国魂神社の拝殿。重厚で威厳がある。


酉の市なので、摂社の大鷲神社へもお参りしたが、お参りする人は少なかった。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印巡り 三の酉 大鳥神社 (布多天神社摂社)

2024年12月01日 08時13分12秒 | 旅行
11月29日は三の酉だった。調布に鎮座する布多天神社を訪れる。摂社に大鳥神社があるからだ。

酉の市だから、熊手屋で賑わっているかと思ったところ、普段の境内と変らなかった。拍子抜けした。


黄色に染まったイチョウが目立つ。




大鳥神社は、拝殿の右側にあった。



この大鳥神社は、和泉国一ノ宮の大鳥神社から分霊したものだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印巡り 上総二宮 橘樹神社

2024年11月30日 09時29分22秒 | 旅行
上総二宮・橘樹(たちばな)神社を訪れる。外房線・本納駅から徒歩10分。

駅の案内板に「北東約800メートル」と記してあったが、方角が違う。「北北西約800メートル」である。

橘樹神社の祭神は、日本武尊の妻・オトタチバナヒメである。オトタチバナヒメは浦賀水道で、荒れた海を鎮めるために入水した。日本武尊がこの地にやって来たとき、亡くなった妻を忍び、ここに墳墓をつくった。これが橘樹神社の始まりである。




社殿の左側のイチョウが黄色に染まっていた。


境内に神池があり、古社の風格を感じさせる。



オトタチバナヒメの墳墓は社殿の背後にある。ここがどうしても気にかかる。
側面を歩いてみた。





樹木が生い茂っていて、墓のようには見えない。

少し離れたところから見る。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印巡り 千葉県茂原市 (茂原)八幡神社

2024年11月28日 12時11分29秒 | 旅行
千葉県茂原市に鎮座する八幡神社を訪れる。八幡神社は各地にあるが、宗教法人としては単なる「八幡神社」として登記されているが、他の八幡神社と区別するために地名を付け加えるのが普通である。ここの御朱印は「八幡神社」だけである。メモ書しておかないとあとで分らなくなる。





鳥居横の大イチョウが真っ黄色に染まっていた。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印巡り 日本橋蛎殻町 水天宮

2024年11月24日 21時04分38秒 | 旅行
子授け、出産、子育てのお宮として名高い水天宮を訪れる。半蔵門線の水天宮前駅でおりる。

日曜日にお参りしたが、赤ん坊を抱いた夫婦で一杯で、ここを見ると、少子化がウソのようであった。

水天宮は、今は現代的なビルになっていて、都心の神社は変ってしまったと感じる。

新大橋通りから社殿を見る。


グルッと周囲を巡る。どこに神社があるのかと思う。



水天宮の入口




水天宮の祭神は、天御中主大神である。祭神は、妙見宮と同じで、北極星信仰が基になっていると思う。

他に平家一門の三柱を祀る。安徳天皇、建礼門院、二位の尼である。二位の尼が平家一門滅亡後、筑後川まで落ち延びて、水天宮を祀った。これが水天宮の始まりである。

ということで、水天宮の本宮は福岡県の久留米市の筑後川沿いにある。久留米藩主・有馬家が水天宮を守護神とした。有馬家の菩提寺である梅林寺の前に水天宮がある。

江戸時代、有馬家は芝赤羽根橋の上屋敷に水天宮を分霊した。これが江戸の水天宮の始まりで、明治時代になり、青山、日本橋蛎殻町へと移転したものである。

御朱印は期間限定の「ことはじめ」の御朱印ということである。

和歌が記されているが、栞の解説によれば、「神様の御座しますお宮に張り巡らされた長い注連縄のように平安の世が末永く続きますように」ということである。島津藩主島津家より有馬家に嫁いだ晴姫の歌である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印巡り 千葉県君津市 人見神社

2024年11月09日 20時20分55秒 | 旅行
君津市の人見山の山頂に鎮座する人見神社を参拝する。階段で上がると、20分ほどかかるという。足腰を鍛えるにはもってこいだが、ほとんどの人は車を使う。

人見神社は、もともとは妙見宮であった。妙見信仰は神仏のどちらとも云えない。明治期の神仏分離により、神社かお寺か、どちらかになった。ここは神社となった。神社となったのはいいが、妙見菩薩を祭神とするわけにはいかない。そこで天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祭神とした。

人見神社の社殿。右にコンクリート製の建物が見えるが、これが観音堂である。神社の社殿と観音堂が並立しているのが珍しい。他にこういう形になっているところがあるだろうか?




観音堂。観音堂の管理は人見山の下にあるお寺がやっていて、年に数回、扉をあけるという。


山頂から君津市を見る。



高い煙突は、日本製鉄の東日本製鉄所である。


御朱印は、神職さんが七五三の御祈祷をしていたため、15分ほど待った。1人で仕事をしているのかと思ったが、帰りに若い男の神職さんが車で上がってきた。タイミングが悪かったようだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印巡り 千葉県木更津市 光明寺 (切られ与三郎の墓)

2024年11月07日 09時33分09秒 | 旅行
木更津駅西口駅前にある光明寺を訪れる。「切られ与三郎」の墓があるという。

切られ与三郎は歌舞伎「与話情浮名横櫛」の主人公である。歌舞伎の主人公の墓とは珍しい。

もっとも私は歌舞伎にはまったく詳しくない。そういう人がほとんどではないだろうか。

切られ与三郎は知らなくても、その相方であるは知っている。高齢者世代には懐かしい春日八郎の歌った「お富さん」で知っているのだ。

テンポ良く歯切れのいい曲である。

”粋な黒塀 見越しの松に 仇(あだ)な姿の洗い髪 死んだはずだよ お富さん 生きていたとは お釈迦様でも 知らぬ仏(ほとけ)の お富さん エッサオー 源冶店(げんやだな)

過ぎた昔を 恨(うら)むじゃないが 風もしみるよ 傷の痕(あと) 久しぶりだな お富さん 今じゃ異名(よびな)も 切られ与三(よさ)よ これで一分(いちぶ)じゃ お富さん エッサオー すまされねぇ」

木更津駅前観光案内所に与三郎・お富の浮世絵がある。


光明寺は観光案内所の対面にある。光明寺入口という看板がある。塀で囲まれているわけではなく、開放的なお寺である。


早速与三郎の墓へ行く。案内板がある。


これが与三郎の墓である。こういう墓は、墓石を削り取られたりすることがあるが、そういう人はいないようである。森の石松の墓とか鼠小僧次郎吉の墓は網を被せられ保護されている。

切られ与三郎のモデルになったのは、中村大吉という人物で、その墓は東金市にある。とすると、ここに葬られているのは誰?

余計な詮索はやめよう。



本堂をお詣りした。日蓮宗の寺院である。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする