ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

御朱印巡り 日本橋蛎殻町 水天宮

2024年11月24日 21時04分38秒 | 旅行
子授け、出産、子育てのお宮として名高い水天宮を訪れる。半蔵門線の水天宮前駅でおりる。

日曜日にお参りしたが、赤ん坊を抱いた夫婦で一杯で、ここを見ると、少子化がウソのようであった。

水天宮は、今は現代的なビルになっていて、都心の神社は変ってしまったと感じる。

新大橋通りから社殿を見る。


グルッと周囲を巡る。どこに神社があるのかと思う。



水天宮の入口




水天宮の祭神は、天御中主大神である。祭神は、妙見宮と同じで、北極星信仰が基になっていると思う。

他に平家一門の三柱を祀る。安徳天皇、建礼門院、二位の尼である。二位の尼が平家一門滅亡後、筑後川まで落ち延びて、水天宮を祀った。これが水天宮の始まりである。

ということで、水天宮の本宮は福岡県の久留米市の筑後川沿いにある。久留米藩主・有馬家が水天宮を守護神とした。有馬家の菩提寺である梅林寺の前に水天宮がある。

江戸時代、有馬家は芝赤羽根橋の上屋敷に水天宮を分霊した。これが江戸の水天宮の始まりで、明治時代になり、青山、日本橋蛎殻町へと移転したものである。

御朱印は期間限定の「ことはじめ」の御朱印ということである。

和歌が記されているが、栞の解説によれば、「神様の御座しますお宮に張り巡らされた長い注連縄のように平安の世が末永く続きますように」ということである。島津藩主島津家より有馬家に嫁いだ晴姫の歌である。

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御朱印巡り 千葉県君津市 人見神社

2024年11月09日 20時20分55秒 | 旅行
君津市の人見山の山頂に鎮座する人見神社を参拝する。階段で上がると、20分ほどかかるという。足腰を鍛えるにはもってこいだが、ほとんどの人は車を使う。

人見神社は、もともとは妙見宮であった。妙見信仰は神仏のどちらとも云えない。明治期の神仏分離により、神社かお寺か、どちらかになった。ここは神社となった。神社となったのはいいが、妙見菩薩を祭神とするわけにはいかない。そこで天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祭神とした。

人見神社の社殿。右にコンクリート製の建物が見えるが、これが観音堂である。神社の社殿と観音堂が並立しているのが珍しい。他にこういう形になっているところがあるだろうか?




観音堂。観音堂の管理は人見山の下にあるお寺がやっていて、年に数回、扉をあけるという。


山頂から君津市を見る。



高い煙突は、日本製鉄の東日本製鉄所である。


御朱印は、神職さんが七五三の御祈祷をしていたため、15分ほど待った。1人で仕事をしているのかと思ったが、帰りに若い男の神職さんが車で上がってきた。タイミングが悪かったようだ。

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御朱印巡り 千葉県木更津市 光明寺 (切られ与三郎の墓)

2024年11月07日 09時33分09秒 | 旅行
木更津駅西口駅前にある光明寺を訪れる。「切られ与三郎」の墓があるという。

切られ与三郎は歌舞伎「与話情浮名横櫛」の主人公である。歌舞伎の主人公の墓とは珍しい。

もっとも私は歌舞伎にはまったく詳しくない。そういう人がほとんどではないだろうか。

切られ与三郎は知らなくても、その相方であるは知っている。高齢者世代には懐かしい春日八郎の歌った「お富さん」で知っているのだ。

テンポ良く歯切れのいい曲である。

”粋な黒塀 見越しの松に 仇(あだ)な姿の洗い髪 死んだはずだよ お富さん 生きていたとは お釈迦様でも 知らぬ仏(ほとけ)の お富さん エッサオー 源冶店(げんやだな)

過ぎた昔を 恨(うら)むじゃないが 風もしみるよ 傷の痕(あと) 久しぶりだな お富さん 今じゃ異名(よびな)も 切られ与三(よさ)よ これで一分(いちぶ)じゃ お富さん エッサオー すまされねぇ」

木更津駅前観光案内所に与三郎・お富の浮世絵がある。


光明寺は観光案内所の対面にある。光明寺入口という看板がある。塀で囲まれているわけではなく、開放的なお寺である。


早速与三郎の墓へ行く。案内板がある。


これが与三郎の墓である。こういう墓は、墓石を削り取られたりすることがあるが、そういう人はいないようである。森の石松の墓とか鼠小僧次郎吉の墓は網を被せられ保護されている。

切られ与三郎のモデルになったのは、中村大吉という人物で、その墓は東金市にある。とすると、ここに葬られているのは誰?

余計な詮索はやめよう。



本堂をお詣りした。日蓮宗の寺院である。




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御朱印巡り 静岡市清水区興津 清見寺

2024年04月01日 14時40分51秒 | 旅行
清見寺は、東海道本線・興津駅から徒歩15分のところにある。

お寺の境内を東海道本線が走っている。踏切を越えてお詣りするというのが珍しい。

入口。


東海道本線。


階段を上がり、境内に入る。別の場所に跨線橋を渡る入口がある。



境内。


仏殿。清見寺は、臨済宗妙心寺派の寺院である。


ここは文化財が豊富な寺院で、内部を拝観しなければもったいない。

名勝清見寺庭園。徳川家康が愛したという。



書院。明治天皇お成りの場がある。


これは、白隠禅師の自筆絵である。先日訪れた松蔭寺は見ることができなかったが、ここで拝観できたのは意外だった。




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御朱印巡り 静岡市由比 地持院

2024年03月27日 08時59分56秒 | 旅行
駿河國二の宮・豊積神社を参拝したあと、隣にある地持院(じじいん)を訪れる。臨済宗妙心寺派の寺院である。明治以前は、豊積神社の別当寺だった。

豊積神社が樹木鬱蒼とした暗い神社だったのに比べると、こちらは白砂利を敷き詰めた明るい寺院という印象を受ける。暗と明の対比が際立つ。




本堂。本尊は地蔵菩薩。御朱印も地蔵菩薩である。


境内に可愛い地蔵像があるが、みまもり地蔵である。


枯山水の庭園が美しい。これを見ながら、住職さんとしばらく話した。



地持院の清浄感は並々ならぬものがあるが、これを維持するのは大変だ。息子さんも住職で、二人でやっているという。

いいお寺なので、由比に行くことがあったら、是非立ち寄って貰いたい。

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御朱印巡り 駿河國二の宮 豊積神社

2024年03月25日 14時54分58秒 | 旅行
駿河國二の宮・豊積(とよづみ)神社を参拝する。東海道本線・由比駅から1キロほどのところに鎮座する。

延喜式内社で創建は古く、天武天皇の御代だったとされる。当初は豊受姫を祭神とする神社だったが、791年にこの地に広まった浅間信仰を受け、木之花佐久非毘売命を祭神とする。


境内は狭い。入口が狭苦しい。







毎年元旦から3日間行われるお太鼓祭りのモニュメント。916年、坂上田村麻呂がここで戦勝を祈願し、東北に遠征をした。戦勝の帰りに、この地に元旦に戻ってきて、3日2晩太鼓を叩きまくったという故事に基づくお祭りである。


豊積神社は無人の神社である。御朱印は社殿の回廊に置いてある。

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御朱印巡り 結城総鎮守 健田須賀神社

2024年03月19日 16時03分14秒 | 旅行
結城総鎮守の健田須賀(たけだ・すが)神社を訪れる。結城駅から徒歩で10分ほど。

御朱印を見て分るとおり、健田と須賀が並んで記されていることから、もとは二つの神社だった。須賀神社に健田神社を合祀したが、健田神社の方が古く、延喜式内社だった。

参道を歩く。



社殿は、参道の正面ではなく、右横にある。位置がおかしいように思える。

社殿の正面にも鳥居がある。こちらの方が正面であるように思えるが、鳥居前は広場になっている。昔はどうだったのだろう。



祭神は、武淳川別命(健田神社)と須佐之男命(須賀神社)である。

武淳川別命は結城の国造・竹田氏の祖神である。健田神社は創建が不明であるが、延喜式内社であることからも分るとおり、古くから信仰されていた。結城家の菩提寺であった乗國寺内にあったが、明治の神仏分離で須賀神社に合祀された。

須賀神社はもともとは天王社で、尾張の津島神社から勧請し、1242年に創建された。明治元年に須賀神社と名を改め、明治3年に健田神社を合祀した。


神社の横が広大な広場になっている。ここに何があったか、気になるところである。

御朱印は本社のものしか貰わなかったが、社務所には他にも多数の御朱印の見本が貼られていた。ここが管理する神社は42社ということだった。

結城は結城紬で有名だが、街並みを見る限りでは衰退しているように思える。(下館も同じ。)



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御朱印巡り 筑西市 羽黒神社

2024年03月17日 09時03分11秒 | 旅行
筑西市に鎮座する羽黒神社を参拝。水戸線・下館駅から徒歩で13分ほど。

下館の祇園祭の中心となる神社である。

1481年、出羽三山の羽黒大神を勧請した。御朱印も羽黒大神と記されている。それ以前は愛宕神社だったという。





銅板葺の社殿。雨漏りしないような銅板を使用していると、宮司さんが説明してくれた。

祭神は、大己貴命、玉依姫命である。


祇園祭に使用する御神輿は坂下にある美術館に展示されている。


大きさは大したことはないように見えるが、重さが半端ではない。2トンと1トンである。日本で一番重い神輿である。

この地方は無人の神社が多く、管理する社がどれぐらいあるか、宮司さんにきいた。50か、60ぐらいあると云う話で、その多さに驚いた。地域の衰退とともに段々と氏子さんの力が衰え、祭を止めた神社も3つぐらいあるという。

宮司さんから真岡鉄道沿線の御朱印巡りのパンフレットを貰った。


七社巡りだが、真岡鉄道は運行本数も少ないので、鉄道利用だと日時がかかる。

①羽黒神社(下館駅)②千代ヶ岡八幡宮(久下田駅)③守鐵社(真岡駅)④大前神社(北真岡駅)⑤鹿島神社(益子駅)⑥亀岡八幡宮(七井駅)⑦八雲神社(茂木駅)

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御朱印巡り 静岡県沼津市 松蔭寺 白隠禅師ゆかりの寺

2024年03月14日 14時26分46秒 | 旅行
江戸時代の名僧・白隠禅師ゆかりの松蔭寺を訪れる。東海道本線・原駅から徒歩で15分ほど。

白隠禅師は日本臨済宗中興の祖といわれている。禅には興味なくても、内観法に関心がある人は名前を聞いたことがあるだろう。

松蔭寺は白隠禅師が住職をつとめた寺院である。臨済宗妙心寺の寺院であったが、今では独立し、白隠宗の大本山となっている。



山門。国登録の有形文化財である。


今の住職さんの方針なのかどうか分らないが、観光寺院であることを拒否しているようなところがあり、買えるような品は何も置いていない。御守もお御籤もない。禅宗らしいと云えば、その通りである。

由緒書もないから、徹底している。これではマズいと思ったのか、檀家さんが作成したお寺の案内がある。住職さんは関わっていない。

開山堂。ここに白隠禅師の木像が収められている。


開山堂は六角形のユニークなものだ。


開山堂の彼方に富士山が見える。


禅宗の本義に忠実な住職さんらしいから、御朱印もダメかと思ったら、書いて貰えた。「南無阿弥陀仏」と書いてあるのが不思議である。本尊は釈迦如来だからである。

住職さんに理由をきいた。「禅は区別しませんから」という答。ウ~ン、禅問答になってしまうな。

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御朱印巡り 富士市吉原 妙法寺 (びしゃもんさん)

2024年03月11日 17時00分52秒 | 旅行
富士市の旧東海道吉原宿にある妙法寺を訪れる。東海道本線の吉原駅から徒歩で15分ほど。

日蓮宗の寺院だが、地元では「びしゃもんさん」と呼ばれている。

入口にお寺らしからぬ中華風の建物があり面食らう。

龍神香炉堂である。


本堂。


本堂の横にインドの仏教寺院風の建物がある。錬成道場である。全体、寺院としては明るい雰囲気である。


絵馬掛け。冨士毘沙門天で、富士山、ダルマと龍神が描かれている。ここの毘沙門天祭は有名だが、今年はもう終わってしまった。来年は2月の4,5,6日に開かれる。


富士山の眺めがいい。鐘楼の方へ歩く。



御朱印は「福娶満無量」で福を無限大に集めるという意味(らしい。)

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御朱印巡り 鶴岡八幡宮

2024年01月27日 15時09分47秒 | 旅行
荏柄天神社から、鶴岡八幡宮へと歩く。

鶴岡八幡宮は、初詣の人気スポットで、首都圏ではベスト5に入る。明治神宮、成田不動、川崎大師、浅草寺に次ぐ。

もっとも1月下旬ともなれば、参拝客は少ない。中国人の団体客がいた。相変わらず、ウルサイ。気分を損ねた。


参道の途中に大きな舞殿がある。結婚式はここで行われるわけで、一度、結婚式を見たことがある。四方から参拝者に見詰められる中で結婚式が行われるから、照れ屋にはキツい。



大石段を上がると、楼門らしきものがあるが、神社のパンフレットでは、楼門と社殿を区別せず、本宮としている。写真を撮影できるのはここまで。




1068年に源義家が材木座に八幡宮を勧請したのが始まりとされる。最初の八幡宮は元八幡として今でも存在している。材木座とはいっても、海辺ではなく、横須賀線の南にある。

1191年に源頼朝が現在地に遷座した。

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御朱印巡り 鎌倉 荏柄天神社

2024年01月26日 14時49分21秒 | 旅行
鎌倉宮から荏柄(えがら)天神社へ向う。160メートルほどの距離で、近い。

横看板があるからやっと分る。交差した松の木の下を通る。天神社への見通しが悪い。







1104年に里人が社殿を建てたのが始まりで、1180年に源頼朝が鬼門の守護神として、あらためて社殿を造立した。

首都圏の天神社としては、湯島天神、亀戸天神社と並ぶが、知名度は今ひとつという気がする。

社殿。受験シーズンなので、絵馬が多数かけられていた。




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御朱印巡り 鎌倉宮

2024年01月25日 08時23分24秒 | 旅行
鎌倉宮を参拝する。鎌倉駅からバスで行く。

鎌倉宮の祭神は護良親王である。護良親王の墓が鎌倉宮の近くにあることを知り、お参りしようと思った。


鳥居の前に初春桜が咲いていた。御朱印も同じものを求めた。この桜は河津桜である。河津桜の見頃は2月だが、鎌倉宮のものは正月から咲き始める。


昔、鎌倉宮を毎年参拝したことがあったが、御守の獅子頭を求めるためだった。

手水場は獅子頭で飾ってあった。これを見ると、懐かしいきがする。


祭神の護良親王は、後醍醐天皇の皇子で、建武の中興の時、征夷大将軍になった。のちに足利尊氏と反目、捕らえられ、土牢に9ヶ月幽閉され、暗殺された。その土牢のある場所に、明治天皇により創建されたのが鎌倉宮である。明治2年のことである。



鎌倉宮を参拝後、護良親王の墓を詣でようと、神職さんに場所をきいたが、若い神職さんは知らなかった。かわりに年配の女性がでてきて、場所を教えてくれた。ところが、すぐに宮司さんがでてきて、お墓は今は工事中で近づけないという。

ということで、お墓は後日にお参りすることにした。

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御朱印巡り 靖国神社

2024年01月24日 09時33分34秒 | 旅行
靖国神社へ。初詣である。

御朱印は、限定版の刺繍のご朱印である。





靖国神社には小さな梅園がある。様子を見に行く。咲き始めといったところ。



神池にまわる。ノンビリしたい所である。




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御朱印巡り (日本橋)日枝神社

2024年01月23日 09時25分40秒 | 旅行
兜神社から、(日本橋)日枝神社へと歩く。兜神社の御朱印は、日枝神社で頂くからである。

日枝神社の所在地は、KABUTO-ONEの向いである。

御朱印に書かれている「御旅所」(おたびしょ)とは、神幸祭において、神様が巡行の途中で休憩する所である。





ここで兜神社の御朱印を貰い、御守の「かぶ守」を購入する。

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