伊勢神宮内宮をお参りする前に、別宮の月讀宮を参拝する。月讀命を祀る。
外宮の別宮が月夜見宮で、内宮の別宮が月讀宮である。
<御朱印>
月讀宮は四つの社殿があり、お参りの仕方がややこしい。順番が決められている。
一応、四社ともお参りしたが、どこがどう違うのか…。
月讀宮の社殿。
伊勢神宮内宮をお参りする前に、別宮の月讀宮を参拝する。月讀命を祀る。
外宮の別宮が月夜見宮で、内宮の別宮が月讀宮である。
<御朱印>
月讀宮は四つの社殿があり、お参りの仕方がややこしい。順番が決められている。
一応、四社ともお参りしたが、どこがどう違うのか…。
月讀宮の社殿。
志摩のホテルに宿泊し、翌25日、まず志摩一の宮の伊雑(いざわ)宮を参拝する。内宮の別宮の一つである。
別宮と言っても、外宮、内宮と並び伊雑宮を入れて三つの宮としたという説もあり、別宮の中でも別格である。
伊勢神宮は別格のお宮というものの、社殿も御朱印も気が抜けてしまうところがある。特に初めての時は、そういう気持ちになるだろう。
慣れると、これが本来のお宮なのかと思うようになる。
境内に夫婦杉があるが、ソッポを向いた夫婦杉で、これは仮面夫婦か?
巾着樟の木。これはお金が貯まりそうだ。
毎年6月24日に御田植祭が行われる御料田。
<御朱印>
伊勢神宮外宮を参拝後、時間がまだあったので内宮の別宮・倭姫宮を参拝する。神宮微古館の前に鎮座する。
倭姫は崇神天皇の第3子で、宇治の地に天照大神を祀る社をたてた。これが伊勢神宮の始まりである。
伊勢神宮の別宮は皆同じような社殿に見える。幾つもお参りすると、どこがどうだったか、分からなくなる。
社殿。
現在の社殿の隣に古殿地がある。これはどこの別宮でも同じである。
<御朱印>
月夜見宮から外宮(げくう)へ。
外宮に関しては、個人的に苦い思い出がある。3月にお参りしたことがあるが、境内の杉の木が真っ茶色で花粉がひどかった。
鼻がズルズルして、内宮はまともにお参りできなかった。新幹線に乗ってようやく症状がおさまったぐらいだ。外宮の花粉は量が多く、その後に話を聞いたところによると、花粉が積もるほどだという。花粉症の人は時期を選んでお参りすべきである。
今回は花粉の季節は過ぎていた。
外宮は内宮ほど参拝者がいない。
<御朱印>
伊勢神宮巡り、まず外宮別宮の月夜見宮を参拝する。月読命を祀る。伊勢市駅から近い。
内宮の別宮にも月読宮があり、こちらは五十鈴川駅から近い。漢字表記が異なり使い分けている。月読命は天照大神の弟である。
<御朱印> 伊勢神宮の御朱印はすべて同じ様式で、印判に墨書きの年月日を記したもの。簡素この上ない。神社名を墨書きした御朱印に慣れていると、書き忘れたのではないかと思いがちで、現にそのように言う人が多いらしい。これできちんとした御朱印である、。
2019年4月24日。伊勢参りに出かける。
まず二見浦にある二見興玉神社を参拝する。
伊勢参りの正式ルートは、二見興玉神社で身を浄め、外宮→内宮と巡るのである。
海辺。昔は、ここで海に入り、身を浄めた。
海辺の参道を歩く。
二見浦のシンボルは夫婦岩である。
大きい方が男岩で小さい方が女岩である…と思いたいが、今の時代を考えると、大きい方が女岩、小さい方が男岩じゃないだろうか…。
社殿。
<御朱印>
二見浦禊齋「無垢盬草」をいただき、身を浄めた(つもり)で、いよいよ伊勢神宮参拝に出発である。
熱田神宮の森を歩く。
南鳥居。
こちらからお参りするのが正しい作法なのだろう。
南鳥居の横に別宮の八劔宮がある。(もうひとつ摂社がある。)
<御朱印>
熱田神宮の御朱印は5種類である。ただ、1箇所で貰えるわけではない。それぞれの別宮、摂社をお参りする必要がある。
最近は御朱印の種類も増えて、摂社や兼務社(普段は無人でその神社が管理する神社)の御朱印を授与する神社も多くなったが、お参りした証に御朱印を貰う。
この日最初に参拝した桑名宗社でも兼務社の御朱印が4つあった。お参りしないで御朱印だけ貰う人がほとんどらしく、宮司さんが嘆いていた。
こういう時代だから、こんなことを言っても無駄か。
国府宮を参拝後、名鉄で国府宮駅から神宮前駅まで乗る。駅を出れば、目の前が熱田神宮である。目の前は緑の壁である。大きな森である。
原宿駅から見る明治神宮と同じである。
熱田神宮は伊勢神宮に次ぐ別格の神社である。
<御朱印> さすがにここは行列ができていた。書き手は二人。ここは志なので、朱印代はない。自分の思う金額を納めればいい。とはいっても箱の中を見ると、千円札が積み重なっていて、右に倣えで千円を納める人が多かった(笑)。私は小銭を持っていたから…。
尾張國一之宮・真清田神社を参拝後、名鉄線で国府宮駅に向う。
尾張総社・国府宮を参拝する。
一之宮と総社の関係について。京から国司として赴任したときに最初に参拝するのが一之宮である。2番目に参拝するのが二之宮、3番目が三之宮で、以下同様である。国によって宮数は異なるが、これが国司にとって負担となった。
そこで、その国の神社を全部集めたとする神社を創建した。これが総社である。総社にお参りすれば、その国のすべての神社を参拝したことになり、負担がなくなる。
国府宮駅は尾張一宮駅から4つめで近い。
駅から歩くと、道路をまたぐような形で大鳥居がある。
境内に入る。拝殿が突き出た形で、真清田神社を変らない。茅葺きであるのが違う。
国府宮と呼ばれているが、正式には尾張大國霊神社という。
楼門も大きく、ここも古社の風格があった。
楼門の前が長い参道になっている。本来は、こちらからお参りするのが正しい。参道を端まで行き、また戻る。
昔の荘重さを感じた。
<御朱印>
津島神社を参拝したあと、次に尾張國一之宮・真清田神社へ向う。名鉄線で、津島駅から尾張一宮駅まで乗る。郊外線でローカルな風景だったが、田園風景と住宅地が混在し、雑多な印象を受けた。
尾張一宮駅は現在の地図で見ると、おかしな場所にある。岐阜に近いのだ。古代にはこの周辺が尾張の中心地だった。
尾張一宮駅から商店街を歩くが、シャッター商店街なのだろう、人はまばらだった。
商店街の真正面に真清田神社がある。
巨大な楼門があり、一之宮の風格は十分である。
拝殿。
横から見ると、拝殿部が突出しているのがわかる。津島神社と同じ形である。
<御朱印>
旧桑名城本丸跡地に鎮座する鎮国守国神社参拝後、バスで桑名駅に戻る。(バス便は少ない。)
桑名駅から弥富駅まで乗り、弥富駅で名鉄に乗換え、津島駅で下りる。津島駅から津島神社へ向う。徒歩15分。
津島神社は、尾張津島天王祭で有名である。特に、車楽船(だんじりぶね)の宵宮は美しい、という。
鳥居と楼門。古社の風格がある神社である。
社殿、楼門は茅葺きで、重厚さを感じさせる。
楼門。
境内はこういう形になっている。
右が楼門、左手前に見えるのが拝殿である。
拝殿が突き出た形になっている。
<御朱印> 全国の天王総本社である。
津島神社と津島駅の間を徒歩で往復したが、街並みはけっこう荒れてきている。
桑名宗社を参拝後、九華公園(旧桑名城)へ行く。徒歩で数分、目の前である。
ここ、旧桑名城本丸に鎮国守国神社が鎮座する。
鎮国守国神社は「鎮国」「守国」神社である。祭神は松平定綱である。これに加え、寛政の改革で有名な松平定信も祀られている。
松平家は福島の白河藩からここ桑名藩に転封された。
<御朱印>
令和元年5月19日、名古屋まで日帰りの旅。
最初は、名古屋を通り過ぎて、桑名市まで行った。名古屋からJR関西線で20分。
桑名宗社は、桑名城趾の手前にある。駅から徒歩で15分ほど。あとのことを考えて、タクシーを利用した。運転手さんに「桑名宗社まで」といったら、どこですか?と訊かれたね。桑名宗社では分からないらしい。地元では春日神社と呼ばれている。
駅から行くと神社の裏から入る形になるので具合が悪い。
この神社は、桑名城趾、現在の九華公園の方からお参りした方がいいようである。
楼門が素晴らしい。古社の風格がある。
参道。両側は提灯が並んでいた。
拝殿前にも鳥居がある。
拝殿。賽銭箱が左右にある。右が桑名神社、左が中臣神社である。
この神社は、桑名神社に中臣神社が合祀されたものである。普通は一つにまとめるが、ここは両建てである。
<御朱印>
平成21年11月下旬、能登半島ツアーに参加する。神社やお寺をまわる旅行ではなかった。御朱印を貰えたのは珠洲(すず)市にある須須神社だった。
珠洲市は、奥能登にある。珠洲市の海際に須須神社が鎮座する。
境内から海が見える。
参道。
社殿。
<御朱印>
須須神社の収納庫には、キリコまつりの山車が置かれていた。これは見事なものだった。
平成21年11月12日。渋谷宮益坂にある御嶽神社を参拝する。酉の市だった。
普段は無人で、酉の市の日以外は御朱印が貰えない神社だった。無人の神社も多い。そういう神社は、例大祭や11月の酉の市、7月1日の富士講にお参りに行くしかない。
渋谷の宮益坂は道玄坂の反対側で、こちらは滅多に行かないところである。神社があるとは知らなかった。狭い神社なので普段は見逃してしまう。
<御朱印>