盛岡城趾にある櫻山神社を参拝後、盛岡城址公園を散策する。盛岡城は、南部藩主の居城だった。
南部藩はもともと北方の九戸にあったものである。
青森県というのは歴史的に見ると、不思議な県である。旧津軽藩と旧南部藩の一部を編成させて出来上がった県であるが、津軽と南部は仲が悪い。津軽藩は南部藩を欺いて出来た藩で、南部からいえば津軽は裏切り者である。両者の中がいいわけがない。
明治政府は仲が悪いものを一緒にして県をつくった。よく分割して統治せよというが、ここもその類いである。内輪争いにエネルギーを使い果たすから明治政府に対抗する力がなくなる。
明治維新から150年以上がたったが、南部藩意識はまだ健在である。古い記憶は容易に消せるものではない。コンピュータと違い、人間の意識はすぐデリート(削除)できない。何百年かあるいは何千年か、かかる。
今なお南部藩意識が残っている例を挙げよう。
水道のインフラが老朽化していることが問題になっているが、各自治体ではこれに対処するのが困難なため、広域化する動きがある。
広域化するために、ここでは、青森県南部の12事業体と岩手県北部の9事業体が協議会を設置した。県をまたがっているのが不思議に思えるが、昔の南部藩の領地を考えれば不思議でも何でもない。どの事業体も旧南部藩のある。青森県、岩手県という県意識よりも旧南部藩の意識の方が優っている例である。
新しい風潮に飛びつく輩がいるが、私は信用しない。今の時代、保守的であることは勇気が要る。