溜池山王駅でおり、日枝神社を参拝する。東京五社の一つである。ここはまた東京十社の一つでもある。
都心の一等地にあるので周辺のビル群がすごい。丘の上にあるが、コンクリートで塗り固められている。新しいビルを建築中である。
徒歩で上がるのは大変だが、エスカレーターがある。資金力の凄さが窺える。
ここは神社より、街並みに目が行くね。
境内。正月の準備に忙しかった。
茅の輪があったが、初詣もここを廻ってお詣りするのだろうね。祭神は大山昨命で、近江の日吉大社の東本宮の神様である。
ご朱印に「皇城之鎮」とあるが、「こうじょうのしずめ」と読む。江戸の守護神として重んじられた。
鶴岡八幡宮を参拝する。私としては、初詣のつもり。元旦は大混雑・大行列で、以前にお詣りしたときは2時間ぐらい待った。
年末の今なら空いているだろう。それでも心配で、朝8時頃に到着した。参拝者は数人しか見えず、こんなに空いている鶴岡八幡宮は初めてだ。人を気にする必要がなく、境内の構えがよく分かった。
手前にあるのが舞殿で、結婚式をここで行っているのを見たことがある。衆人環視の中で行うから度胸がいる。
拝殿。
1063年に源頼義が石清水八幡宮を勧請したのが始まりである。もともとは材木座にあった。1191年に現在地に遷座した。
待乳山聖天から今戸神社へと足を伸ばす。近い。待乳山聖天も今戸神社も浅草七福神の札所で、七福神めぐりでお詣りする機会が多い。
今戸神社はもともとは今戸八幡だった。1937年に白山神社を合祀した際に改称した。
招福猫発祥の地とされる。私はいつも豪徳寺の招福猫児を購入しているので、ここでは買わない。
八幡神社だったので、祭神は応神天皇である。縁結びで有名で、女性に人気がある。
浅草観音を参拝後、浅草神社前の東参道から待乳山聖天へ向う。ここに池波正太郎生誕地の碑があったことを思いだしたからである。
池波正太郎は1923年1月25日生まれで、来年は生誕100年の記念イヤーである。ここで誕生したのだが、同年に関東大震災が起こり、浦和に引っ越したから、ここの記憶はないはずだ。
生誕の碑の横から階段を上がる。毎年1月7日に「大根まつり」が行われる。
待乳山聖天は寺名を本龍寺という。浅草寺の子寺である。
冬至を過ぎたということで、初詣のつもりで、浅草寺へ行く。まだ空いていると思ったが、土曜日のクリスマス・イブで大変な混雑だった。
雷門。外国人観光客もいたが、冬休みに入った学生らしき姿が目立った。
仲見世通りは混雑がひどすぎて、裏道を歩いた。
伝法院通である。人が多すぎ、歩きたくない。
本堂。まだ長い行列にはなっていなかったので助かる。
御朱印を貰いに、影向堂へ。受付一人と専門の書き手が二人で対応していた。
屋台も並んでいて、お正月モードだ。
中山神社バス停からバスで大宮駅へ戻る途中、氷川参道バス停でおりる。ここから氷川参道を歩く。長い参道である。しかし、これでも途中から歩いたことになる。氷川参道の始まりはさいたま副都心である。
楼門があり、境内は回廊で囲まれている。古社らしい雰囲気がある。
楼門を通ると、正面が舞殿で、その背後に拝殿がある。
氷川神社は武蔵一宮であるが、古くはそうではなかった。武蔵総社の大国魂神社には武蔵一宮から六宮までが祀られているが、そこでは、小野神社が一宮で、氷川神社は三宮である。
さいたま市見沼区に鎮座する中山神社を参拝する。大宮駅からバスに乗った。
中山神社と云うが、地元の人は中氷川神社と呼ぶ。もともとは氷川神社で、武蔵一宮の氷川神社と氷川女体神社の中間にあるので中氷川神社と親しまれた。
明治末期の神社合祀政策の結果、いくつかの神社を合祀したため、中山神社と改称したのだ。神職さんは残念がっているように思えた。
参道は長い。
拝殿前にテントがあるが、ここはご朱印の展示場所である。
拝殿。何か貼ってあると思ったら、これは全部ご朱印に見本である。
こんな具合。
御朱印を貰おうと、社務所を探したが、ここは社務所がない。神職さんは拝殿の中にいた。拝殿が社務所を兼用している。
境内にご朱印専用の掲示板があった。神職さんが云うには、全部で260種類のご朱印があるという。この数は、日本一ではないかな。ギネスものだね。いずれも力作で凝ったものである。
全部の御朱印を貰うと、御朱印代は13万円になる!
横浜地下鉄・グリーンライン線の高田駅で下り、高田天満宮を参拝する。丘の上に鎮座する。
高田駅前の陸橋から見る。正面の森が高田天満宮である。高田交差点前は広大な空き地になっているが、どうなるのだろうか? 最近の例では、こういう場所はマンションが建てられるが。
高田天満宮へ歩く。15分ほどかかった。階段を上がる。
上がると、鎮守の森である。
拝殿。祭神は、菅原道真である。2025年に創建700年になると掲示してあった。1325年の創建である。
奇瑞があって、この地に社殿を建立したという。
高田天満宮の社殿。大きくない。
東急東横線・日吉駅で下りる。駅前のイチョウ並木は人気の撮影スポットだが、今年は何か物足りない。枝を伐採したのだろうか?
駅前の綱島街道を渋谷方向に下りて、右に曲がる。こちらに慶応大学の理工学部校舎がある。日吉神社は、理工学部校舎に隣接している。
階段を上がるのだ。
右に見えるのが慶応大学理工学部校舎である。
祭神は天照大神である。もともとは神明宮だった。
この日吉神社があるから、周辺を日吉と呼ぶようになったわけではない。日吉に鎮座するので日吉神社と改称したのだ。
日吉という地名は滋賀県の日吉大社に由来する。日枝神社は呼ばれることも多い。
東横線の日吉駅の由来となった日吉神社(日枝神社)はどこにあったのか。地図上では見当たらない。
実は、日吉本町にある金蔵寺にあった。今も金蔵寺の奥の院へ行く途中に小さな日枝神社の社がある。金蔵寺は東三井寺と呼ばれ、23の塔頭を要する大寺院だった。神仏習合時代は、大きな日枝神社があったのではないだろうか。
報国寺からバスで鎌倉駅に戻り、徒歩で妙本寺へ向う。徒歩で10分。
鎌倉駅の近くにある日蓮宗の大きな寺院だが、観光スポットとしては人気がない。
参詣者は少なかったが、花婿花嫁のカップルがいた。しかも一組ではなく、五組もいたので、首を傾げた。
スタッフらしい人にきくと、マエドリだという。マエドリとは何? 前撮りのことかと確認した。結婚式前に記念写真を前撮りしてしまうのか。
祖師堂。妙本寺で一番大きなお堂である。別のカップルが前撮りしていた。妙本寺で前撮りするのは、鎌倉のお寺らしい雰囲気があり、しかも観光客に邪魔されないからとスタッフが云っていた。それぐらい観光客が来ないお寺である。
祖師堂の左側にモミジがあるが、色付いていなかった。ここはいつ染まるのかと思う。
祖師堂から寺務所へ。寺務所の横に本堂があるが、本堂には見えない。
ご朱印は「我此土安穏」(がしどあんのん)と書かれている。法華経から抜粋したもの。お釈迦様が住む世界は、争い、苦しみがない世界であるという意味。
浄妙寺を訪れたあと、報国寺へと向う。近くにあり、5分ほど歩けばいい。
報国寺も臨済宗の寺院である。竹の庭が美しく、竹の寺と呼ばれている。山門を入ると、庭園の中に入ったような気になる。
本堂。
竹の庭に入るには、拝観料が必要。茶所で和菓子付きの抹茶をいただく場合は別途の料金を払う。
庭園。紅葉時期は素晴らしかっただろうと思う。
竹の庭を歩く。
茶処へ。
鎌倉五山第五位の浄妙寺を訪れる。鎌倉五山はいずれも臨済宗の寺院である。天気は快晴。鎌倉は賑わっていた。ただ、外国人観光客はほとんどいなかった。
金沢街道沿いにあり、鎌倉の主要スポットからは距離がある。バスで行ったが、バス停は「浄明寺」で、寺名は「浄妙寺」で、違っている。どうなっているのか。
大イチョウが目立った。鎌倉らしい落ち着いた雰囲気がある。
等々力緑地の近くにある西明寺を訪れる。武蔵小杉駅からバスを利用した。
等々力というと、等々力駅、等々力渓谷は東京都側にあり、等々力緑地は神奈川県側にある。多摩川を挟んでいるが、もともとは地続きだった。多摩川の流れが変って分断された。
西明寺は、川崎七福神の札所(大黒天)で、一度訪れたことがあるはずだが、記憶にない。もう18年ほど前のことである。
良く整えられた美しい寺で、曹洞宗かと思ったが、真言宗智山派のお寺だった。
街中の寺院というには規模が大きく、参道・仁王門がある。
仁王門があり、その奥に山門がある。
本堂。本尊は大日如来。