小1の孫がとらえている「死ぬ」ということ。 母親が「おじいちゃん死んじゃってもう会えなくなったね」 と言うと 「おじいちゃんは骨になってしまったけれど お婆ちゃんのところにちゃんとおるやん」 と言ったそうだ。 私がいつも過ごすリビングには 少し微笑んだような優しい顔をしてこちらを向いている、生前そのままのような写真だ。その前には小さな桐箱の中の小さな骨壺にわずかな骨が収められている。 元気な姿ではないけれど いつもそばにいてくれているような気がする。 一日中 その写真に声を掛けながら過ごしている。孫は 姿は見えなくても「おじいちゃんがちゃんといてる」と感じてくれているのだ。 そう話す息子に感激して報告してくれるママに感謝。 いずれ 私も,ママ方のおじいさんも, おばあさんも死んでゆく。それでも 「ちゃんといてる」と感じてくれているって とてもうれしい感性ですね。