龍馬が、またブームらしい。
また、というのは、坂本龍馬は、日本人が好きな歴史上の人物の中でも、つねにトップクラスにいるようで、たびたびドラマにされたり、何人もの作家により書かれている。
ずいぶん昔、やはりNHK大河ドラマでやっていた『竜馬がゆく』(司馬遼太郎・原作)がかすかに記憶に残っている。北大路欣也が坂本竜馬で、千葉道場で修行をしている場面だけが記憶にあるが、あとはほとんど覚えていない(あまり熱心に見ていなかったのかもしれない。ちなみに、司馬遼太郎の場合は「龍馬」ではなく「竜馬」である)。
ずっとあとで、司馬遼太郎の同名小説『竜馬がゆく』を読んだが、小説を読みながら、この場面はドラマだったらどんなふうだろうと思い浮かべたりしたが、後の祭りで、『竜馬がゆく』は当時のテープはほとんど残っていないそうだ。ただ、僕としては、龍馬といえば「北大路」竜馬なのだ。
司馬原作の竜馬は無口でどちらかというと無愛想、風体にはかまわず、大柄でド近眼だがやたら剣の腕がたつ(北辰一刀流の免許皆伝)。出会う女はみな、なぜか竜馬に惚れてしまう(史実の女性がいるので、作り話ばかりではなかろう)。政治感覚に優れていたが、商才にも長けていた。商船の会社(亀山社中)を作り、薩長の懸け橋となった。明治維新後も生きていれば、坂本竜馬は、政治よりも商人(経営者)として名を残しただろうと、作者は書いている。
今は、NHK大河ドラマの『龍馬伝』だ。毎週見ているが、「福山」龍馬、「武田」海舟と、俳優の顔が表に出ている。これは、仕方ない。作者によって、俳優によって、それぞれ解釈している坂本龍馬像がみな、違うから。「福山」龍馬が、やたら喚いたり、叫んだり、泣いたり、笑ったりしていると、「なんか、違うぜよ」と思ってしまう。僕の知っている竜馬は、あくまで無口で、あまり表情を顔に出さない、近眼のせいでいつも眩しそうに眼を細めている、いざとなれば脅しや口説きの決定的な殺し文句を言いたげな口元、それが出会う人間(男も女も)の心を虜にしてしまう。喜怒哀楽がないのではなく、笑うところは豪快に笑う、酒宴などでは騒ぐところは騒ぐ、とメリハリがあったらしい。
まあ、少し調べると、ドラマや小説で描かれている坂本龍馬は、史実とはだいぶ違うらしいことが書いてあったりするが、そこはそこ、一介の下級武士の浪人が、薩摩の西郷と長州の木戸を結びつけるのだから、これはたいしたことだった。今でいえば、失業中の人間が、民主党と自民党の党首同士の手を結びつけることか?(スケールが小さいか? 政界では時々、自分を現代の坂本龍馬だと名乗る人間が出てくるが・・・。)
ちょっと不満なのは、『龍馬伝』の龍馬には、当時の大人物がこの男に魅力を感じ、信頼しきるほどの何かが十分に描き出されていない。これは、脚本家の力量不足か、俳優の演技力の限界か。
それとも、坂本龍馬という人間は、史実に迫らなければ、永遠に本当の姿がわからないものか。
また、というのは、坂本龍馬は、日本人が好きな歴史上の人物の中でも、つねにトップクラスにいるようで、たびたびドラマにされたり、何人もの作家により書かれている。
ずいぶん昔、やはりNHK大河ドラマでやっていた『竜馬がゆく』(司馬遼太郎・原作)がかすかに記憶に残っている。北大路欣也が坂本竜馬で、千葉道場で修行をしている場面だけが記憶にあるが、あとはほとんど覚えていない(あまり熱心に見ていなかったのかもしれない。ちなみに、司馬遼太郎の場合は「龍馬」ではなく「竜馬」である)。
ずっとあとで、司馬遼太郎の同名小説『竜馬がゆく』を読んだが、小説を読みながら、この場面はドラマだったらどんなふうだろうと思い浮かべたりしたが、後の祭りで、『竜馬がゆく』は当時のテープはほとんど残っていないそうだ。ただ、僕としては、龍馬といえば「北大路」竜馬なのだ。
司馬原作の竜馬は無口でどちらかというと無愛想、風体にはかまわず、大柄でド近眼だがやたら剣の腕がたつ(北辰一刀流の免許皆伝)。出会う女はみな、なぜか竜馬に惚れてしまう(史実の女性がいるので、作り話ばかりではなかろう)。政治感覚に優れていたが、商才にも長けていた。商船の会社(亀山社中)を作り、薩長の懸け橋となった。明治維新後も生きていれば、坂本竜馬は、政治よりも商人(経営者)として名を残しただろうと、作者は書いている。
今は、NHK大河ドラマの『龍馬伝』だ。毎週見ているが、「福山」龍馬、「武田」海舟と、俳優の顔が表に出ている。これは、仕方ない。作者によって、俳優によって、それぞれ解釈している坂本龍馬像がみな、違うから。「福山」龍馬が、やたら喚いたり、叫んだり、泣いたり、笑ったりしていると、「なんか、違うぜよ」と思ってしまう。僕の知っている竜馬は、あくまで無口で、あまり表情を顔に出さない、近眼のせいでいつも眩しそうに眼を細めている、いざとなれば脅しや口説きの決定的な殺し文句を言いたげな口元、それが出会う人間(男も女も)の心を虜にしてしまう。喜怒哀楽がないのではなく、笑うところは豪快に笑う、酒宴などでは騒ぐところは騒ぐ、とメリハリがあったらしい。
まあ、少し調べると、ドラマや小説で描かれている坂本龍馬は、史実とはだいぶ違うらしいことが書いてあったりするが、そこはそこ、一介の下級武士の浪人が、薩摩の西郷と長州の木戸を結びつけるのだから、これはたいしたことだった。今でいえば、失業中の人間が、民主党と自民党の党首同士の手を結びつけることか?(スケールが小さいか? 政界では時々、自分を現代の坂本龍馬だと名乗る人間が出てくるが・・・。)
ちょっと不満なのは、『龍馬伝』の龍馬には、当時の大人物がこの男に魅力を感じ、信頼しきるほどの何かが十分に描き出されていない。これは、脚本家の力量不足か、俳優の演技力の限界か。
それとも、坂本龍馬という人間は、史実に迫らなければ、永遠に本当の姿がわからないものか。
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