FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

「一竹辻が花」 ~ 湖上の富士 花と音のシンフォニー 

2009-01-19 00:08:58 | 文学・絵画・芸術

いつも富士を見て育った


忍野からの富士 2009.01.02

いつも富士山を眼の前にして育ってきました。小さい時から、道の先向こうの空を仰ぐと、富士山がいました。家と家が両側に並ぶ、通りをまっすぐ延長して空を見上げれば、その真ん中に富士があったのです。
幼稚園から小学校まで、教室で絵を描きなさいと言われると、すべての子が画用紙の真ん中に富士山を描いたものです。小学、中学、高校と、校歌の中には必ず富士の名がありました。

だから、東京に来て、富士山を当たり前に見れないのが物足りなくなるのです。年に1回ぐらいは富士山を目の当たりに見に行きます。よく行くのが、河口湖や山中湖。車で2時間ちょっとあれば行けます。特に冬が、空気が澄んで富士が美しい。山中湖へ行く途中の忍野(おしの)村から見る富士山は、村の民家と相まって、時代劇の映画スクリーンに入ってしまったように風景の中に浸りきってしまいます。今年の正月も、富士山を間近に満喫しました。

異世界的な美術館


久保田一竹美術館本館

初めてそこを訪れたのは偶然でした。数年前の、富士を見に行った時の河口湖。そこは、湖の大橋を渡って、さらに山の入口に進んで行った場所に隠れ里風にありました。インドの古城に使われていた地獄にも天国にも通じる門。池を見下ろしながら小丘の道をゆっくり歩いていくと、琉球石灰岩の円柱に支えられた白い回廊が見えてくる。そこが、「久保田一竹美術館」です。美術館というより、建物、テラス、階段、庭、滝、道、扉、柱組みと屋根、回廊、すべてがひとつの美術品のようです。

ここはまた、大理石のさざなみ打つ形をした階段の上から見渡す眺望の中に、美しい富士山が見える場所です。久保田一竹(2003年85歳で他界)さんも、富士に魅せられた人です。「一竹辻が花」には、富士山を描いた連作があります。初めて、本館に飾られた着物の染物を見たとき、言葉が出ませんでした。おそらく、絵画として描いただけでも、久保田一竹という名は画家として後世に残るでしょう。それが、すべて絵の具ではなく染物として染められた絵であり、色彩なのです。

色と色の境目がない、自然界の空気の移ろい、水の流れ、山の肌合い、深くも淡い、高きから低きに流れるごとく、こうした染めの色の輝きは、いったいどこから出てくるのだろう。ひとつの着物だけで何百回という、気が遠くなるような染色の水洗いが行われるといいます。

 
『光響』(作品群の一部)

「交響」80連作は、残念ながら生存中には完成叶わず、現在は氏の後を継いで65連作ほどまで完成したようです。この連作は、ひとつひとつの着物だけでも絵柄が染物として完成しており、これだけでもすごい芸術品なのですが、80連作すべてが完成すると、全体がパズルのようにつなぎ合わされ、富士の雄大な姿と自然界の宇宙が現されるという壮大な作品群です。今、私たちは、その連作の何作かを見ることができるのです。


花と音、富士と海、宇宙

先週まで、松屋銀座で「久保田一竹と川崎景太」展をやっていたので仕事の帰りに寄ってきました。雨と金曜夜ということで空いていて、落ち着いて見ることができました。この時感じたのは、この空間は花と同時に、幻想的な音楽と自然に調和するものなのだということでした。今年の正月、何度目かの河口湖の美術館では、なぜか最初の出会いの感激が薄れてしまったような気がしていました。この松屋の展示場へ来た時、その理由が分かりました。最初に感銘を受けたほとんどの作品が、こちらのほうに一時的に移されていたのです。

改めて見て、ちょっと血が震えました。富士連作、新しい海の5連作、80連作「交響」の一部の作品群。人は悲しくても涙が出ますが、何か信じられないような驚きにぶつかると、やはり涙が出そうになります。それは、宇宙的なものがこの現実界に出現した時と同じです。「凄い!」―。これが芸術の根源に触れる悦びなのかもしれません。

久保田一竹さんは、20代で室町時代にあった幻の「辻が花」に魅了され、この研究を始めました。しかし、戦争召集、ソ連抑留、極貧生活などを経て、本格的に研究に取り組むことができるようになったのは40歳になってからでした。その後20年の歳月を重ねて、60歳の時に独自の「一竹辻が花」を完成させたのです。日本だけでなく、世界中で高い評価を得ています。数年前まで私も知らなかったのです。今は若い人にも認知され始めているようです。もっともっと多くの人に、これら作品の素晴らしさを知ってもらえればと思います。

20代、40代、60代、80代と、苦難の中でも20年おきに大きな段階を昇り、大輪の花を咲かせてきた人生は、富士のように雄大というしかありません。久保田一竹さんは、「交響」80連作を仕上げるまでは百歳過ぎても死ねないと生前語っていたそうです。私が作品に出会った時もまだ存命中で、本当に連作が完成することを夢にされていたようです。これから先は、後が継がれて完成するのを見守っていきたいと思います。



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