FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

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ドストエフスキー『悪霊』 ~ 何が起きたか、起きなかったか

2012-06-24 16:47:56 | 文学・絵画・芸術

 ドストエフスキーの作品は、学生時代に5大作を読みましたが、内容やストーリーをほとんど覚えていませんでした。ストーリーでいちばん覚えているのは『罪と罰』で、メモを取りながら読みました。この頃小説を書いたりしていましたが、おそらく『罪と罰』の米川正夫訳に相当影響を受けたのだと思います。会話文にさえ米川訳の語調が自然に出たものです。 

「なあ~んだって? それじゃあ、君は神を信じないというんだね」

彼は、ひひひ、と不気味に笑った。

 まあ、こんな感じで、それまで読んだきた小説と違って、こんなふうに自由に書いていいのかと思いました。日本近代小説の短編作品のように、暗黙の教科書的堅苦しさや文体に縛られることはないのだと。

 次に読んだ『カラマーゾフの兄弟』も何かよくわからないが、すごいことが起きている小説だなと思いながら読みました。しかし、内容はほとんど覚えていなかったのです。「大審問官」がなぜそんなに重大な部分かもよくわかりませんでした。その後、『悪霊』『白痴』『未成年』と続けて読みましたが、まったく頭に入っていません。

 ここ3~4年、光文社文庫(亀山郁夫訳)で読みやすいものが出たので、『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』を読み返し、今度『悪霊』を読み終えました。訳文は現代的な感じで、すんなり入りやすいのですが、あの米川訳の独特の、いかにも19世紀、革命前のロシアの暗い寒々とした霧のたちこめた雰囲気の世界はなかなか出せないようです。

  『悪霊』のスターブローギンは、この世の悪人です。いろいろな解説でも、とんでもない大悪人となっています。窃盗、殺人、凌辱、決闘などありとあらゆる悪を重ねているという。しかし、読者(私も含めて)は、この男がそんな悪人には思えません。びっくりするほどの美貌(男ですが)とスタイル、怜悧で天才的な頭脳、女をとりこにする(おそらく)性的な魅力。美女は悪女でも魅力と言いますが、男にも言えるようです。だから、ちっとも悪人に見えない。

 スタブローギンは、自意識的な悪人です。これは、宗教者や文学者、芸術家が陥る悪業です。川端康成は、少年期(小学生)に自宅の床で父親が病気で死んでいくのを毎日冷静な目で観察し、それを記録していたそうです。それは悪ではありませんが、宗教的な罪に近いものです。別に川端少年が手を染めて父の死期を早めたわけではありません。しかし、宗教的行為としては、父親の病を癒すことを祈るのが正しい行為で、それに反する、死の床にある肉親を客観的な事物を見る目を向けて、石を観察するような行為は宗教的な罪なのです。

 スタブローギンが大罪人なのは、こうした宗教的な罪を犯しているからです。生まれつき乱暴者で、誰かれ見境なく無差別殺人を犯したり、頻繁に強盗する人間を私たちは大悪人と呼びますが、大罪人と呼ぶでしょうか。それは単に無知な悪です。宗教的な罪は、どれだけ自意識を持って悪を犯すかです。

 「スタブローギンの告白」の中で、彼は自分が凌辱した少女が罪の意識に侵されて首を吊るのを見越し、自殺が完了したころに納屋を覗き見て、少女が死んだのを確認してひとりほくそ笑む。このような行為がいくつも出てきます。前に、少女がペーパーナイフを失くしたことで母親に折檻を受ける時も、彼はペーパーナイフがテーブルの上に置かれているのを見てあえてそれを隠し、少女が打たれるままにされるのを冷たく見ています。

 こうしたことは、文学者に巣食う、特有な悪の心かもしれません。スタブローギンは文学者ではありませんが、彼を生み出したのはドストエフスキー本人です。実際に、「スタブローギンは私の心の中から生まれた」と作家は言っています。どの人間にもある心の底にある「大悪人」の罪、これをスタブローギンという形で生んだのです。

 登場人物のうち10人くらいが死ぬわけですが、そのストーリーが序盤から劇的に進むかというとそうではありません。3分の2くらいまで、話は本筋にのらず、なかなか事件も起きず、まどろっこしい感じで読み進めて行くことになります。最初から『失われた時を求めて』のように事件らしい事件は起きないとわかっていれば、それなりに面白く読んでいけるのですが、解説ではのっぴきならぬ事件が起きるような予感を与えるので、かえって損した読み方になりました。

 『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』がミステリー的要素が大きかったので、それと同列に考えると、少し期待は裏切られるかもしれません。まあ、それなりに面白く読める作品には違いありませんので、後悔はないと思いますが。次は『白痴』を読むつもりです。

 

 

 

 

 



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