毎週見ていたNHK大河ドラマ「龍馬伝」が終わった。
福山龍馬は少しかっこよすぎて、どうも違うなという感じがしたし、香川弥太郎も一大財閥を築いた人物のわりには、最初から最後まで激情(劇場?)っぽく、やたら泣いたり喚いたり、怒鳴ったりしていた。武田麟太郎は最後まで金八麟太郎だったし、それはそれでドラマとしてはいまどき風なのかもしれない。
龍馬たちの年代(30代前後)の若者たちが、あのドラマのようにやたら感情をむき出していたとは思わない。まして幕府転覆(クーデター)がテーマであれば、若者たちのたぎる感情は、むしろ重苦しく抑えられていたかもしれない。もちろん、世界を変えるという目的で彼らの血は溢れ爆発することもあったろうけれど。
ドラマとして見ると、これはやはり脚本のせいであろう。重苦しく静かに描いていたのでは、1年間、視聴率がもたないのは分かっている。そこは青春ドラマ風に、毎回完結話的にしかも所々で盛り上げなければならない。ということで、毎回、龍馬や弥太郎や慶喜や西郷どんまで小者ぶりに叫んではいたのだ、・・・と思う。
ここまではドラマ評。ところで、坂本龍馬という男は何をしたのだろうか。司馬遼太郎が『竜馬がゆく』で描くまでは、坂本龍馬はそれほど世に知られていなかったという。歴史でも、西郷や木戸や大久保、板垣、博文、陸奥、容堂や象二郎など明治維新に関わった人物は名が残っているが、龍馬の名は、もしかしたら歴史に埋もれてしまっていたかもしれない。ドラマでは表舞台に立っているが、歴史では必ずしも表舞台に立っていない。
薩長同盟、薩土盟約、大政奉還にしろ、表舞台で名が残っているのは龍馬ではない。新政府綱領八策では明治の新政府役人候補に龍馬と一緒に活躍した薩長土の面々の名は連ねてあったが、龍馬は自らの名を外したと言われている。
龍馬の性格上、役人の気質には合わなかっただろうことは想像できる。結局、坂本龍馬という男は、表舞台のための裏舞台を作った男、日本というシナリオを作った男なのだ。そういう人物は、本来、歴史には出てこない。言ってみれば、龍馬の名が知れたのも司馬遼太郎さま様である。シナリオをつくり、人を動かし、世の中を変える。これは、本来政治家の仕事である(だから、「我こそは平成の坂本龍馬である」などと大勘違いするバカな政治家が出てくるのだが)。しかし、龍馬は、政治家そのものにもあまり関心がなかった。彼は、おそらく弥太郎とは違った実業家になっただろうと思う。岩崎弥太郎は、一代で大財閥を築いたが、龍馬はもっと違った意味の経営者、たとえば今でいうビル・ゲイツのような起業家だろうか。財閥を築くというより、世の中の価値を変えてしまうという実業家。
とにかく、明治政府ができる前に息絶えたということは、ひとまずそこで坂本龍馬の役目を天が終わらせたということだったのだ。
もう一つ、興味深いのは亀山社中、のちの海援隊である。いつも龍馬を見ていて、決して楽な生活をしているようには見えないが、何して食っていたのだろう、ということだ。土佐の兄から仕送りがあったというが、そうそういつまでもあったか、あったにしてもそれで足りていたのか。その疑問を解くのが、亀山社中である。
これは、商社である。もとは、黒船に対抗した勝麟太郎の海軍養成塾だったが、その航海術を生かして明らかに商社の役目を果たした。坂本龍馬たちの食いっぷちは、ここからちゃんと出ていたのだ。亀山社中は日本最初の会社(もどき)と言われているもので、龍馬はいわば代表取締役社長といったところだろう。これでも、龍馬が実業家向きであることがわかる。新しい世の中になったら、この商船会社で世界を舞台にビジネスを始めたろうし、龍馬自身それを望んでいた。
しかし歴史は、坂本龍馬の役目を明治維新の前夜で終わらせた。
福山龍馬は少しかっこよすぎて、どうも違うなという感じがしたし、香川弥太郎も一大財閥を築いた人物のわりには、最初から最後まで激情(劇場?)っぽく、やたら泣いたり喚いたり、怒鳴ったりしていた。武田麟太郎は最後まで金八麟太郎だったし、それはそれでドラマとしてはいまどき風なのかもしれない。
龍馬たちの年代(30代前後)の若者たちが、あのドラマのようにやたら感情をむき出していたとは思わない。まして幕府転覆(クーデター)がテーマであれば、若者たちのたぎる感情は、むしろ重苦しく抑えられていたかもしれない。もちろん、世界を変えるという目的で彼らの血は溢れ爆発することもあったろうけれど。
ドラマとして見ると、これはやはり脚本のせいであろう。重苦しく静かに描いていたのでは、1年間、視聴率がもたないのは分かっている。そこは青春ドラマ風に、毎回完結話的にしかも所々で盛り上げなければならない。ということで、毎回、龍馬や弥太郎や慶喜や西郷どんまで小者ぶりに叫んではいたのだ、・・・と思う。
ここまではドラマ評。ところで、坂本龍馬という男は何をしたのだろうか。司馬遼太郎が『竜馬がゆく』で描くまでは、坂本龍馬はそれほど世に知られていなかったという。歴史でも、西郷や木戸や大久保、板垣、博文、陸奥、容堂や象二郎など明治維新に関わった人物は名が残っているが、龍馬の名は、もしかしたら歴史に埋もれてしまっていたかもしれない。ドラマでは表舞台に立っているが、歴史では必ずしも表舞台に立っていない。
薩長同盟、薩土盟約、大政奉還にしろ、表舞台で名が残っているのは龍馬ではない。新政府綱領八策では明治の新政府役人候補に龍馬と一緒に活躍した薩長土の面々の名は連ねてあったが、龍馬は自らの名を外したと言われている。
龍馬の性格上、役人の気質には合わなかっただろうことは想像できる。結局、坂本龍馬という男は、表舞台のための裏舞台を作った男、日本というシナリオを作った男なのだ。そういう人物は、本来、歴史には出てこない。言ってみれば、龍馬の名が知れたのも司馬遼太郎さま様である。シナリオをつくり、人を動かし、世の中を変える。これは、本来政治家の仕事である(だから、「我こそは平成の坂本龍馬である」などと大勘違いするバカな政治家が出てくるのだが)。しかし、龍馬は、政治家そのものにもあまり関心がなかった。彼は、おそらく弥太郎とは違った実業家になっただろうと思う。岩崎弥太郎は、一代で大財閥を築いたが、龍馬はもっと違った意味の経営者、たとえば今でいうビル・ゲイツのような起業家だろうか。財閥を築くというより、世の中の価値を変えてしまうという実業家。
とにかく、明治政府ができる前に息絶えたということは、ひとまずそこで坂本龍馬の役目を天が終わらせたということだったのだ。
もう一つ、興味深いのは亀山社中、のちの海援隊である。いつも龍馬を見ていて、決して楽な生活をしているようには見えないが、何して食っていたのだろう、ということだ。土佐の兄から仕送りがあったというが、そうそういつまでもあったか、あったにしてもそれで足りていたのか。その疑問を解くのが、亀山社中である。
これは、商社である。もとは、黒船に対抗した勝麟太郎の海軍養成塾だったが、その航海術を生かして明らかに商社の役目を果たした。坂本龍馬たちの食いっぷちは、ここからちゃんと出ていたのだ。亀山社中は日本最初の会社(もどき)と言われているもので、龍馬はいわば代表取締役社長といったところだろう。これでも、龍馬が実業家向きであることがわかる。新しい世の中になったら、この商船会社で世界を舞台にビジネスを始めたろうし、龍馬自身それを望んでいた。
しかし歴史は、坂本龍馬の役目を明治維新の前夜で終わらせた。
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