『雪中錦鶏図(せっちゅうきんけいず)』(左)
『老松白鳳図(ろうしょうはくおうず)』(右)
若冲は、極楽を描いてきた。しかも、この上なくエロティックに。
東京国立博物館で開催されている「皇室の名宝展」。若冲の代表作である「動植綵絵(どうしょくさいえ)」30幅を順路たどって『雪中錦鶏図(せっちゅうきんけいず)』まで来た時、ふとそう思いました。この絵は、木々にねっとりと、溶けかけた雪が枝から落ちていくなかに、鮮やかな葉の緑に映えた中国錦鶏が中央に位置している。ちょっと見ただけでは、1羽が縦に、真っ赤な腹を横向きに見せながら、長い尾をきちっと先まで伸ばして止まっているようだ(じつは、すぐ横にもう1羽が重なるように首を出している)。この光景は、燦燦と降り注ぐ森羅万象を一身に受け止めている何かを感じます。その何か、が感じられる時、はっと極楽を思ったのです。
そう思うと、前のほうに掲示されている『牡丹小禽図(ぼたんしょうきんず)』にしても、『群鶏図(ぐんけいず)』や『紅葉小禽図(こうようしょうきんず)』、はたまた小動物や魚群など、この世の風景を極楽と見立てて描いたのではないか。
鶏が、あのように高貴で神々しく、凛々しく見える。色は絢爛ではあるが、決してけばけばしくない。1幅が、ほぼ畳くらいの絵で、大きさの圧迫感もないが、30幅並ぶと、あらゆる自然の静的な景色を思わせます。
若冲の絵は、鳥や動物、魚を描いているので、動きがあるはずなのに、実際見ると、はた、とそこにそのまますべてが止まっているように思えます。時間が止まっている。しかし、止まっているから、永遠に動いているような気配を感じます。これらの絵は、本来、若冲の仏教画の代表作『釈迦三尊像』を挟んで左右に一同、荘厳に飾られるものであるとのことで、いっそうただならぬ、この世のものではない、そんな思いを抱きます。
何より心引きつけられるのは、1羽の白い鳳凰。『老松白鳳図(ろうしょうはくおうず)』。じつは、この絵だけが見たくて来たようなものでした。何年も前から見たくて、見られなかった。逢えずにいた恋人に会うようなものです。若冲は、一生妻を娶らず、独身を通して絵を描き続けました。それは、女に興味がなかったからではありません。女以上に、絵画に魂を奪われてしまったのです。この白い鳳凰を見れば、いかに若冲のエロティシズムが現れているかがわかります。
あまりに、あまりにエロティックな鳳凰。それは、もう女であり、並みの人間の女より色香を感じさせます。羽先の赤と緑のハート、長い首筋から胸元に続くたわわな盛り上がり、腰からは艶やかにみだれ舞う羽毛の衣装、白い正装の貴婦人か高娼か、口づけを誘い込むような、囁きかける赤い口先、長く伸びた眼は、白眼の両端に行くにしたがい青く、緑に、層を重ねて濃くなっていきます。あたかも深い海の底に男を引きずりこむように――。
それは、女である。鳥の形をした女体である。羽毛の白さに透けた身体は、黄金に輝いている。2本の細い脚もまた、きりりとしまった黄金色だ。
若冲は、こういう色を、当時最高のお金で最高の画材を仕入れて描いたそうです。
女が鳥に化けたのか、鳥が人間の女に化けたのか、もはや分からなくなっていきます――。
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