FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

よさこい踊りの女 ~ 真夏の日の美

2014-10-20 02:09:11 | 文学・絵画・芸術

 夏の暑い盛りにおさな子たちが遊ぶ「じゃぶじゃぶ池」を、この日は水を抜いてコンクリートの底を土台にしたやぐら舞台で、女8人が踊った。フェスティバルの「よさこい」踊りのおんな衆が、青・赤・黄・緑の鮮やかな大漁旗にも見える衣装の片肌脱いだ姿で、一斉に太鼓の音とともに動き出す。曲と歌声とが混じる中で、女1人が舞台から踊り降りてくる。

―― よさこい、よさこい。

 降りてきて観衆に交じり、踊りましょ、と色のある眼で声を掛けながら体をリズミカルに動かす女の斜めの顔が、艶やかに光る。眼元や唇は踊り用のおしろいとメイクで派手に見栄え、濃い睫の奥は黒光りするようで、横顔の鼻すじはきれいに伸び、赤すぎる唇がにっこり笑い人を誘う。

―― さ、一緒に踊りましょ。

 そういう彼女の顔が、すい、とこちらを見た。そして眼が合った。眼は一瞬、僕を見て止まったが、すぐまたもとに向き直って、踊り続けた。

 背を見せる彼女の身体は、まるで後ろ姿で僕を見ているように揺らいでいる。指の動きと腰つき、白い腕や伸びた脚の緩やかなしなり、躍動的にリズミカルに、くるり、くるりと宙を妖しく回転して動くようなさまに、僕はずっと心を取られていた。そして、踊りながら時々身を翻してこちらに向ける顔に、僕は何度もはっとした。もちろん、あんまり美しかったからだ。

 このとき僕は、あの小説の一節を思い出した。

 「美――。美とは恐ろしく、おっかないもんだよ。なぜって、美にかかったら、何もが杓子定規にいかないからなあ・・・・」(「カラマーゾフの兄弟」)

 美。美は人を狂わせる。美の前では、倫理も思想も理性も知性も関係ない。美の前では、すべて無力だ。

―― 美女は、なにゆえ美しいのだ。

 黒い髪を高く髻に結いあげ、睫を厚くし、白い化粧に眼元がくっきりと映える。踊り衣装がはだけ、上半身を顕わにした体の線を際立たせる純白のシャツと、柔らかく自在に動く腕。あくまでしなやかに踊る女の下半身の衣装は艶やかな色で彩られ、裾をたくし上げたふっくらとした腰回りにまとわりつく。揺れる腰とともに衣装が踊っている。

 激しく揺れる手脚の動きは、女の生であり、何か生の源から溢れ出る力であり、性の意志でもある。

 白い足袋が、さ、さ、と交互に出て、引っ込む。そのリズムと手の指先の微妙な翻(ひるがえ)りに、僕はひとときも眼を動かさず、音と音の隙に彼女と眼が合うたびに、少年のようなときめきと恥じらいを感じるのだった。 



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