FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

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梅原猛 『人類哲学序説』  ~ 人類の学としての梅原学  

2013-10-28 00:15:10 | 哲学・宗教・思想

 「梅さん」の知的活動には驚嘆させられます。「梅さん」というのは、私が勝手に、一方的にそう呼んでいる愛称(敬称)であって、日本の偉大なる思想家にたいへん失礼かもしれません。あの梅原猛さんです。現在、88歳であって、なお思索・著作活動が衰えません。

 最初に梅原猛氏の書を読んだのは、もうずいぶん前で、『地獄の思想』でした。仏教思想を取り入れて解説した内容は、ひじょうに分かりやすく、本の中にのめり込んでいきました。日本人である自分は、やはり日本に根付いた思想をきちんと学ばなければならないと思っていた頃でした。その頃から仏教や仏像、神道などに興味を持ち出していたところへ出会った本なのです。

 日本で生まれて日本で育った私は、少年の頃から地獄の世界にひかれていました。極楽の世界は、その対極にあるものとして興味を持ちました。もちろん、地獄の世界にあこがれるはずもないのですが、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』などで描かれる地獄世界、またその頃の少年漫画誌に載っていた地獄図に心が捉われてしまいました。血の池、針地獄、火の車、賽の河原の鬼・・・。そういう地獄はよく漫画雑誌にイラストで大きく載っていて「異世界」に引きずり込まれましたが、源信の『往生要集』を読んだ時はもっとショックでした。

 絶世の美女、小野小町が老いて醜くなって死んでいく姿、そして屍となった後、髪は抜け、皮膚はただれ、肉が腐り、腐臭を放ち、蛆虫がわき、やがて骨となっていく。美しき者もやがて醜い姿となる、これも一つの地獄で、仏教の教えです。

 『地獄の思想』から『仏教の思想』など、そこから梅原哲学、梅原仏教学、梅原古代学、梅原日本学と呼ばれる著作を次々と読んでいったのです。『神々の流竄』『隠された十字架』『聖徳太子』『水底の歌』など、初期から中期の代表作はほぼ読んでいました。

 梅原学を読みだすと止まらなくなり、その世界に没頭してしまいますので、仕事が忙しくなると「梅さん」はしばらく封印しなければなりませんでした。それがずっと続いて今日まで来てしまいました。

 それが、つい4月頃、梅原氏が『人類哲学序説』(岩波書店)を出したというので、さっそく読んでみました。この本の3分の2は、氏の初期の西洋哲学関連の内容です。残り3分の1は、新たな思想「森の思想」(草木国土悉皆成仏など)が加わっています。「新たな」というのは正確ではありません。梅原氏はいろいろな著作でずっとその思想を唱えていたからです。正確には、この本の3分の2が西洋思想、3分の1が東洋思想についてのものです。人類は、西洋の哲学だけではだめだし、東洋の思想だけでもだめである、両方の融合が必要であり、そのための総括かつ総合が必要であるという趣旨です。

 この書は、あくまで「序説」とありますので、本説となると、氏も述べているとおり、この5倍、10倍の長さになると言っています。著者が若い時に学んだ西洋思想を改めて総括し直して、本格的な本論を書くとなると、どうしてもそのくらいの時間が必要なのです。著者の年齢からすると、これが最後の大仕事になると自身でも書かれています。

 私は、梅原学では、哲学、仏教学が最も好きでそれに親しんできました。しかし、それらは著者の中期ごろまでの中心的な仕事で、以降はそうした著作も踏まえながらどちらかというと神道的な傾向の本が多くなっていたように思えます。それが最後に、体系的な哲学思想の著作に戻ってきてくれそうで、今から楽しみでなりません。梅原氏の残された時間を思うと、壮大な梅原学としての、いや人類の学としての思索体系、梅原学の総決算になると思われます。

 同時に、読者として傍観者ではなく、私自身もやはり、何か自分の人生に残せる決算を残したい、創り出したいと思うわけです。

 

 

 

 

 

 

 



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