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FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

ケネディ暗殺50年 ~ そして恐怖の「自由」が来る時代

2013-12-17 00:20:54 | 政治・社会・歴史

 小学校2~3年の頃から、自分の小遣い稼ぎのために新聞配達をしていた。その日、学校を終えて、いつものように夕刊の配達をする時間だった。「コ」の字型に家々に囲まれた路地の中央に置かれた折り込み台で、同じ小学生仲間が、めいめいに分担の新聞を受け取っていた。僕は自分の分を受け取ると、折り込み台で新聞の種類ごとに配達順に並べていた。のちに東京に出て新聞奨学生となった時、新聞1紙ごとに専売所があって驚いたが、地方(三島)では、その配達区域内の新聞を1か所で全部扱っていた。全国紙(日経、読売、朝日、毎日、産経)はもちろん、地元紙(静岡新聞)、そして全国スポーツ各紙。 

 その日は、特別だった。普段、新聞記事など、スポーツ紙以外まったく気にも留めず配達していた僕たちであったが、見出しが異常だった。 

 「ケネディ大統領暗殺」 

 どの新聞も一面、上から下までぶち抜きで、白抜きの大きな見出しが葬儀案内のように印刷されていた。そして、大統領がオープンカーの上で撃たれた瞬間の写真が生々しく載っていた気がする(「気がする」というのは、狙撃の瞬間が後でテレビで何回も映されたから、その日の夕刊にも載っていたと思うということだ。) 

 ジョン・F・ケネディが、政治家としてどういう人物なのか分かりもしなかったし、テレビや新聞などでアメリカの現職大統領ということ、その大統領が若くてかっこいい俳優のような人だというぐらいしか当時は知る由もなかった。

 「キョウダン」という言葉も、その時初めて聞いた。 

 音声だけで聞けば、小学生の僕には教室になじみの「教壇」ぐらいしか思いつかなかった。何度も繰り返される「キョウダン」が、「凶弾」であることが分かるにつれ、生々しくも、何かすごいことが起きたのだと知った。 

 朝礼でみんなが整列した時、ニュースで知ったこの事件について、「ケネディ大統領が暗殺されたんだって」と、まるで近所の誰それのうちで大変なできごとが起きたという延長感覚で話していたのを覚えている。朝礼台に立った校長だか教頭も、「アメリカの大統領が・・・」と言っているのが聞こえた。むろん、小学生がそれ以上のニュースの意味を知るべくもなく、その話題は、僕らの上を通り過ぎて行った。 

 その後、中学に上がった頃だと思う(ケネディ暗殺から5年)。ケネディ大統領の実弟、ロバート・ケネディ大統領候補(上院議員、元司法長官)が、「キョウダン」に倒れたという事件が起きた。今度は、すぐに「キョウダン」の意味が分かった。兄のケネディの場合は、凶弾による即死だった。だから、すでに死亡後のニュースだった。しかし、今度の場合は、凶弾に倒れてから何時間も重体の状態が続いているニュースだった。 

 「今も危篤状態で、危険な状況が続いています」と、テレビやラジオでは、頻繁に伝えていた。 

 「脳を撃たれた」という報道と「危険な状態」が続いているということが繰り返されており、僕は、これは助かったとしても、政治家としてはもちろん、一生普通の生活も無理なんだなと思って聞いていた。この時も、政治的関心からほど遠いところで、現職大統領に続いて実弟の大統領候補が狙撃されたという大事件に接していたに過ぎない。

 あれから50年。アメリカ大統領の長女、キャロライン・ケネディ氏が駐日大使となった。父の大統領が暗殺された時、まだ5つか6つの愛くるしい女の子がテレビに映されていた。ケネディ家の人気はまったく衰えていない。本国でも、この日本でも。ケネディ暗殺の真相探しもまた、派手に復活しているようだ。ケネディ兄弟の暗殺は、アメリカが自由の国になる道のりでの、大きな「闇」であった。自由な民主大国であっても、このようだったのだ。アメリカが、本当に自由の国となったか、もっと自由を目指している国なのか、僕にはまだよくわからない。 

 ここにきて、「自由」から本当に遠い、怖い事件が起きている。朝鮮半島の北では、最高権力者の側近ナンバー2が、「国家転覆陰謀罪」で失脚。逮捕、軍事裁判、銃殺処刑までわずか数日で断行された。その直前にこのナンバー2の側近たちも、彼の眼の前で銃殺されたという。これは、粛清である。まだこんな恐ろしい政治が、いとも簡単に行われている国がある。最も「自由」から遠い国、その国が日本の近くにある。 

 我が国を見れば、「特定秘密保護法」があっさり(ドタバタの末に)決まってしまった。誰も本気で、決まるとは思っていなかったのだ。世の中のみんなが反対しているのに、なぜこんなに急いで決めてしまうのか。この国は、本当に「自由」を守れるのだろうか。北朝鮮、あるいは中国のように、思想統制が始まるのか。本当に僕たちの知りたいことが知らされずに、国の都合の良い「自由」のみが与えられるにすぎないのか。 

 「国民にとって不都合なことまで、国民に知らせる必要はない」と自民党幹事長が言っている。どういうことなのだろう。「国民にとって不都合かどうか」を「国にとって都合がいいか」で決めるということなのか。 

 ケネディ大使が赴任して期待されるところはあるが、駐日大使はあくまで本国の政治的意思を伝え、守るのが使命である。日本国をどうこうしてくれるわけではない。日本のことは、日本人がきちんと考えていかなければならない。 

 50年前のように、「凶弾」による事件など日本で起こってほしくはないが、何か不気味な不安を感じる時代になってきている。

 



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